死に戻り令嬢は諦めない

南雲 皋

死に戻り、一回目

 ぎらりと光ったソレに気が付いた瞬間、身体が勝手に動いた。

 響く叫び声、翻るドレス。

 やけにゆるやかに動く時の中、銀色の凶刃が腹部に飲み込まれ、痺れるような痛みがカトリーヌの全身を貫いた。



「いやぁぁぁ‼︎」


 カトリーヌは上半身を掻き抱くように目を覚ました。

 全身がじっとりと汗ばみ、心臓の音が煩い。

 思わず腹部を確認するが、ただネグリジェがあるだけで、他には何もなかった。


(あんなにリアルだったのに……夢……? 何が起きたのかしら……)


 頭がズキズキと痛み、カトリーヌは大きく息を吐いた。

 扉がノックされ、侍女の心配そうな声が聞こえる。


「お嬢様? 大丈夫ですか⁉︎」

「え、ええ、大丈夫、ごめんなさい、嫌な夢を見てしまったの」

「それはそれは……果実水でもお持ちしましょうか」

「ええ、お願い」


 持ってきてもらったレモンの香る果実水を飲み、着替えて朝食に向かう。

 軽くまとめられた髪型は、昨日の朝とは違うはずなのについさっきまでしていたような気がした。


 すでに両親は席についていて、カトリーヌも慌てて椅子に腰掛ける。

 テーブルに並んだ朝食に、既視感を覚えた。


(これ、食べたことがあるわ……)


 昨日の朝食とは違う。

 それなのに食べた記憶がある。

 夢と現実が混じり合ってしまっているのだろうか。

 カトリーヌは今が現実である自信がなくなり、テーブルの下でこっそり自分の手の甲をつねった。

 ピリリとした痛みに安心し、食事を続ける。

 しっかりと味もしているし、今が夢だとは到底思えなかった。


 今日は第二王子の婚約発表のためのパーティが開かれる日で、朝食が終わってからはその準備に追われた。

 第二王子の婚約者である公爵令嬢はカトリーヌの友人であるヴァイオレッタ。

 さらに、カトリーヌの婚約者のエドワードは第二王子の側近なのだ。

 必然的に、カトリーヌも第二王子たちの近くにいることになるだろう。

 普段よりも念入りに髪や肌を洗われ、徹底的に磨き上げられる。


 この日のためにエドワードから贈られたドレスは、彼の瞳と同じ深い紫色をしていた。

 ドレスを着せられながら、またしてもカトリーヌは既視感に襲われた。


(刺された時、この色のドレスを着ていたような……)


 けれど、このドレスが仕上がって家のクローゼットにしまわれてから、カトリーヌは度々似たような夢を見ていた。

 さすがに刺されはしなかったものの、ドレスが破れてしまったり、汚れてしまったり、大切なドレスが傷付いてしまうような夢だった。

 このドレスを着る緊張が、そういう夢を見せるのだろう。

 カトリーヌは気分がすっきりするようなハーブティーを侍女に頼んだ。



 両親と共に余裕を持った時間に屋敷を出て、馬車で王城に向かう。

 その道すがら、突然馬車が停車し、カトリーヌはまた既視感を覚えた。


(……鹿が、ぶつかったのではないかしら)


 何事かと様子を聞きにいった御者が戻り、前方の馬車に鹿がぶつかったために少しまたなくてはならないようですと報告がある。

 カトリーヌは足元から不安が這い寄るのを感じていた。

 じわじわと現実を侵食するような既視感の数々に、震える身体を必死に抱きしめる。


(わたくし、一体どうしてしまったの?)


 カトリーヌは無性にエドワードに会いたくなった。

 いつだって優しいエドワードに、今の自分の不可思議な感覚のことを告げたらどんな返答があるだろうか。


(頭がおかしいと思われるだけかも……)


 普段から、自分の気持ちに素直になれず、冷たい態度ばかり取ってしまっている。

 そんな婚約者が、まるで今が二回目の今日であるかのような感覚がするのだと言ったところで信じてもらえるだろうか。


(きっと……言わない方がいいわ)


 ようやく動き出した馬車に揺られながらも、カトリーヌの不安は増していった。



 予定よりかなり遅れたものの、開始時間には余裕を持って間に合うタイミングで王城に着いたカトリーヌたちは、すぐさま来賓室へと通された。

 そこにはエドワード一家がすでに到着しており、室内は紅茶の香りに包まれていた。

 両親たちが挨拶を交わす中、エドワードがカトリーヌの元へと近付いてくる。


 慣れた手付きでカトリーヌの手を取り、流れるように手の甲へと軽く口付けた。

 手袋越しでも分かるエドワードの体温に、いつもは緊張で固まってしまうカトリーヌだったが今日ばかりは安心してしまう。

 普段と違うカトリーヌの様子に気付いたのか、少し潜めた声でエドワードが尋ねた。


「どうかした? やっと僕に心を開いたのかと思ったけど、どうやらそういうことでもないらしい」

「あ……、いえ、その……今朝、とても嫌な夢を見てしまって。それから自分が自分でないような感覚があって、それで、……エドワード様に会ってひどく安心しましたの」

「カトリーヌ……きみ、無自覚でそれかい? 参ったな」

「え?」

「いや、何でもない。僕がきみに心の安らぎを与えられるなら光栄だ。そんなにひどい悪夢だったの? もう大丈夫。友人の晴れ舞台を喜ぶ準備をしなくてはね」


 エドワードが握ってくれる手から、温もりが全身に回っていく。

 いつの間にかひどく強張っていた身体が解れていくのを感じた。


(この会話に、既視感はないわ。もう大丈夫なのかも)


 時間になり大広間へと移動する。

 エドワードにエスコートされ、名を呼ばれて大広間へと入場したカトリーヌは、王たちの前で来賓の貴族たちを迎え入れるヴァイオレッタの姿を見て固まった。


(あのドレス、見たことがあるわ……!)


 婚約披露パーティのドレスが何色であるかさえ、ヴァイオレッタは教えてくれなかった。

 それなのに、胸元や裾に施された装飾さえ記憶にあるのはどうしてか。

 

 様子のおかしくなったカトリーヌに気付き、エドワードは最低限の挨拶だけ済ませるとすぐに壁際へと移動した。

 顔色を悪くしたカトリーヌに給仕から受け取った果実水を手渡し、他の参加者の視線を遮るように立つ。


「大丈夫?」

「エ、エドワード様……申し訳ありません……」

「謝ることはない、きみがこんなに顔色を悪くするなんて、よほどのことだろう」


 度々襲われる既視感を、不安を、打ち明けようか迷っていると、ひどく頭が痛んだ。

 思わず小さな呻き声を漏らしてエドワードの腕にしがみつくと、その向こうに鈍く光る銀色が見える。


(あれは、夢で見た)


 はっきりと覚えているあの銀色。

 刃物を隠し持った男はヴァイオレッタを真っ直ぐに見つめていた。

 その光景を目の当たりにした瞬間、カトリーヌは駆け出していた。

 エドワードは突然の行動に驚き、その後ろ姿を視線で追いかけることしかできない。


 綺麗にカールされた金色の髪を揺らし、レースと真珠の装飾をふんだんにあしらったドレスを翻してカトリーヌは走る。

 招待客が揃い、まもなく婚約発表がなされるだろうと待っていた貴族たちの間を強引に突き進み、その凶刃がヴァイオレッタに届く間際、カトリーヌは自らの上半身をねじ込むことに成功した。


「カトリーヌ‼︎」


 ヴァイオレッタの叫びと、エドワードの叫びが入り混じる。

 あれは夢ではなかったのだと、そして今も夢ではないのだと、胸から突き出た短剣の柄を見ながらカトリーヌは思った。


(泣かないで、ヴァイオレッタ)


 カトリーヌの意識はそこで、途絶えた。

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