第31話 メッセージ

「全部、嘘だってぇ!?」

 ヨノの大声が研究所内に響き渡った。

「うん。あの赤毛の少年、ヒカルという名前でマチダにいた時に一緒に暮らしていた俺の友達なんだ。彼が言っていたことはほとんど嘘だよ。父親はわからないけれど、母親はマチダの第五層にいるって聞いたことがあるし、殺蟲剤散布従事の仕事もしたことないよ。仕事は廃品回収だし、実験所にいたなんて聞いたこともない」

「だってよぉ、あんなに震えて涙をこらえていたじゃないか。あれが演技だっていうのか?」

「上っ面はいいんだよね。それに騙される人はマチダでもいっぱいいたな」

 信じられないという顔をしてヨノは首を振り、ハヤクモを見た。

「ハヤクモは気づいていたのか?」

「彼本人に会ったことがあるというのもあるが、あのようにメソメソ泣くタイプではなかったなと思って見ていた」

「先生は? 先生はどうなんだ?」

「僕? へぇそうなんだ~って思ったよ。でもあんまり人間には興味がないからよく見ていなかったね、うん」

 ミズキは相変わらずブレない。

 可哀想な被害者の赤毛の少年。彼は日の本中のどれだけの人間をだまし続けているのだろう。


 集会場で解散したのち、ハヤクモが「話したいことがあるから、あとで研究所に」と耳打ちをし、俺、ヨノ、ミズキが集められていた。

「つまりあの少年は工作員というわけか。しかしどうしてそんな嘘をつくんだ。仮にも全国放送だぞ?」

 ヨノがこの場で一人、ころりと騙されていたことに憮然として言うと、ハヤクモが答えた。

「スズメバチ型機蟲の襲撃をすべてマチダが引き起こした首謀者のように人々に思わせ、世論を誘導するためだろう。ではそれで誰が得をすると思う、アラタ?」

「サガミ。周辺藩であるヨコハマとマチダが戦いあってお互い疲弊してくれるだけでもサガミにとって好都合だし、もしヨコハマが勝てばサガミは日の本を恐怖に陥れた元凶藩を討ち果たした同盟国として評価される」

 頭にサガミ藩主の顔が浮かぶ。どっちに転んでもいいようなやり口。記憶にある男は、誠実でまっすぐで、そのような策をめぐらせるような人間ではなかったが、歳月による隔たりを感じられずにいられなかった。

「アラタの言う通りだ。ヨコハマもこのままやられたままでは示しがつかない。ヨコハマとマチダの戦闘は避けられないだろう」

「なるほどなぁ。だが、実際のところどうなんだ? あのスズメバチ型機蟲は本当にマチダで研究されたものなのか?」

「スズメバチ型機蟲の研究自体は行われていた。調査の途中で襲撃事件が起きたから大したことは調べられなかったがな」

 ハヤクモの言葉に、思い当たる節があった。

「もしかしてハヤクモがマチダでスパイして調べていたのってそのことだったの?」

「そうだ。ヴァムダという主に関東を中心として裏で流通していた内服薬が、スズメバチの機蟲の幼虫から得られる甘露由来ではないかという噂があってな。製造元の候補にマチダがあり潜入していた訳だが、スズメバチの何を研究をしているかまでは分からなかったよ」

「そのヴァムダってどういう効果はあるの?」

「筋肉増強、ダイエット、パフォーマンスの向上。麻薬のような依存性はないが、一度手にしたらなしでいられないほどの魅力的な効果を秘めている」

 ミズキはポケットに入っていた茶色い小瓶を取り出し置いた。

「僕も徹夜したい時に使うよ。ちなみにお値段1gあたり1万円ほど」

「たっか!」

「金より高いじゃねぇか」

「……俺はお前に分析サンプルとして提供したと思っていたが? こんな量では足りないとお前が言ったから結構な量を買い足したわけだが?」

 じと目でハヤクモがミズキを見ると、彼は何くわぬ顔をしていた。

「僕の研究が向上すればトントンだろう?」

「今週までにシン・斬鉄剣が完成しなければ予算減額することに今、決めた」

「そんな殺生な!」

 横暴だーと文句をいうミズキの傍で、机の小瓶を眺める。スズメバチの幼虫から得られた甘露。いつか見た夢で幼虫だった俺は甘露を吐き出せと強要された。リンクする夢と現実に言いしれぬ不安を覚えるのも無理はなかった。



 あの全国放送日以来、誰もが浮き足立っていた。

 ヨコハマがマチダへついに侵攻を開始したという話があれば、兵糧攻めをしているという話もあり、情報が錯綜して実態が掴めない。

 そもそもトウキョウは他の藩との交流はないため、情報はなかなか入ってこないはずなのに、朝から晩まで出所の分からない真偽不明の噂が流れっぱなしであった。

 俺はと言えば、いつの間にやら「マチダで人体実験の果てに生まれた蟲人」ということになっており、同情の目を集めるようになっていた。ミズキの研究所によくいるのも、日々のメンテナンスなしには生きていけないからだそうだ。たまに買い物に出かければどこにいっても大いにまけてくれるので、否定せずに放っておいてある。

 あらぬ噂が飛び交う中、俺の唯一知りたいことはヒカルがどこにいるか、だった。

 西の方にいるのか、ヨコハマにいるのか、それとも別の場所にいるのか、とんと分からない。

 ツインタワーの屋上で全国放送でのヒカルの映像を見ては「この猫被り」とツッコミ入れながら、何か情報はないか細かく確認していた。

 ヒカルが大嘘をついてまで全国放送に出た理由に何かあるはずだ。

 そうして繰り返し見て三回目の時にヒカルのぎこちなく動かす左手に違和感を覚えた。最初は震えていただけかと思っていたが、どうもわざとテーブルを指で叩いているように見える。トンと指を弾いたかと思えば、しばらく指をつけたままにしたり、トントンと二回弾く。

 同じ場面を何度も再生し、どういうパターンなのか特定する。トーン、トン、トーン、トン、トーン、トン。これはモールス信号ではないかと思い、図書館にもどり解読を進めると、暗号から意味ある文があらわれた。

『さがみでまってる』

 これは俺に向けたメッセージだ。


「ハヤクモ。サガミの現地調査に行くなら俺も一緒に連れて行って」

 バイクに荷をくくりつけ、出立の準備をしているハヤクモに声をかけると、彼は眉をあげ首を振った。

「ダメだ。今の状況を分かっているのか? お前は各地を襲撃しているスズメバチ型機蟲を身に宿す蟲人だ。今、あのスズメバチ型機蟲の襲撃はすべてマチダの仕業という話になっているが、お前が下手に表に出てくれば矛先は変わる。ヨコハマでの映像で、お前がなんて言われていたのかを忘れたのか?」

「忘れていない。それに全国放送であの映像が流れなかったのはハヤクモが手回ししてくれたからでしょう? 俺の姿が映らないのはおかしいと思っていた」

「分かっているのなら、大人しくトウキョウで待っているんだ。今は蟲人の今後の未来が大きく影響される大事な時期だ。それにサガミに何があるというんだ?」

「ヒカルがサガミで俺を待っているって暗号をよこしたんだ。連れて行ってくれないなら一人でもいく」

「関所をどうやって通過する気だ? 身分証を持っていない人間は絶対に通さないぞ」

 ハヤクモに電子手帳で俺の身分証画面を見せると、彼の眉毛が大きく釣り上がった。

「ミズキに俺のサンプルと交換で作ってもらった」

 かわりにミズキが要求したのは血液と汗と俺の匂いのついた寝具と服数枚だった。安いものだったが、一体何に使うのか分からない。何をするのかと聞いたら「待ってました」と言わんばかりに研究ノート片手に話そうとしたが、時間がないので早々に切り上げた。世の中、知らないままの方がいいこともある。

「あいつ、余計な真似を……。後で覚えていろ」

「それでどうする? 俺を連れていく? 放置して勝手に行動させる?」

 ハヤクモはすっと目を細めた。いつぞやの冷ややかな視線。たとえ痛めつけようとも、絶対に引き下がらないと言っているあの目だ。

 彼はこちらに向き合うと、機蟲形態へと体を変化させる。その姿は、あの時ヨコハマで見たオオカマキリだった。彼はビリビリと殺気を出しながら言い放った。

「どうしても行くというなら、今ここでお前の足の骨を折る。下手に抵抗するなら手元が狂って大怪我する羽目になるぞ」

 鎌を構え、踏み込もうとするハヤクモの目を見据えて言った。

「俺はサガミ藩出身だ」

 ぴたりとハヤクモの動きが止まった。ヒカルにも話したことがない過去の話だ。

「なんだと?」

「サガミ藩庁の内部構造も知っているし、知り合いもいる。内部を詳しく調べたいのなら連れて行った方がメリットがあるぞ」

「証拠は?」

「物的証拠はない。これを見て信じて欲しいとしか言えない」

 電子手帳にある人物の画像を写し、ハヤクモに見せた。

「全国放送でテレビに映っていたサガミ藩の新藩主と俺をこうやって見比べると、目が似ていると思わない? 俺の顔は母親譲りだって聞いているけれど、目は兄弟そろって父親とそっくりだとよく言われていた」

 ハヤクモは画像を、そして俺の顔を見て、大きく目を見開いた。

「まさか……」

「そう。あの人は俺の実の兄だ」

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