絆創膏

 窓側の隣の席の宇佐見うさみを表す形容詞は、「無口」のただ一言に尽きる。こちらから話しかけても頷くか首を振るか、それか黙ってこちらが求めている物を差し出してくる。そう、一言もしゃべらないのだ。困らないのかと聞かれたら、こちらも宇佐見が一言も話さずに「会話」が成り立つ用事でしか声を掛けないので全く問題はない。



「うわ、最悪」


 上履きに履き替えようとして踵の異変に気が付いた。


「どしたー?」


 先に履き替えていた熊谷くまがやが振り返った。


「水ぶくれが潰れてる」

「え、火傷でもしたん?」

「いや、靴擦れ」


 熊谷は「あー納得」というような顔をした。


「絆創膏持ってたり……しないか」

「お察しの通りでっす。ていうか家出る前に貼ってくればよかったじゃん」

「いやー今の今まで忘れてたから……さっき何となく痛いなって思ったらもうこの有様だよ」


 ほら、と踵を見せると熊谷は分かりやすく嫌そうな反応をした。


「いや、見せなくていいから。しまってしまって」


 熊谷にちょっとでもグロそうなものを見せるとこんな風に面白い反応をしてくれる。水ぶくれでこれだから膿とか見せたらどうなるんだろう。


「残念ながら痛くてしまえませーん」


 ……何だか意識し始めたらどんどん痛くなってきた。これは早急に絆創膏が必要だ。


「保健室行って貰ってくるわ。先行ってて」

「分かった。じゃ」


 熊谷は階段に向かって遠ざかっていった。すると、指で肩をつつかれる感覚がした。振り返るとそこには宇佐見がいた。


「…………」

「…………」


 こちらが瞬きをすると向こうも瞬きをし、しばらく無言で見つめ合っていた。


「えーっと、おはよう?」

「…………おはよう」


 挨拶をすると宇佐見は再び黙ってしまった。教室に行けば隣の席なので何か用があったとしてもここでわざわざ呼び止めなくていいはずなのだが、それにもかかわらず呼び止めたという事は今ここでなければならない用事なのだろう。しかし、いくら前日、前々日の会話を思い返してみても、全く心当たりがなかった。……そもそもこの数日宇佐見と会話をした記憶がない。


「ごめん宇佐見、保健室行こうと思ってたんだけ、ど……」


 話し始めると同時に宇佐見は鞄に手を突っ込み、何かを取り出そうとした。もうしばらく待っていると、何やら薄めの細長いケースを取り出した。蓋を開け、宇佐見が差し出したのは一枚の絆創膏だった。これには目を丸くするしかなかった。


「……ありがとう」


 こくり、と宇佐見は頷いた。


「もしかしてさっきの会話聞いてた?」

「……聞こえた」


 ありゃ。そんなに声大きかったか。


「いやでも保健室行く手間が省けて助かった。地味に遠いからさ。教室で貼るわ」


 宇佐見は再び頷き、二人で教室に向かって歩き出した。


「…………も持ってる」

「ん?」


 よく聞こえなかったので宇佐見に耳を近づけた。


「……消毒液」

「消毒液?」

「……持ってる」

「え、消毒液持ち歩いてるんだ。……あっ、使っていいってこと?」


 宇佐見は小さく頷き、何故か少し顔を背けた。宇佐見の様子を伺いながら、さりげなく続けて言った。


「そういえば靴擦れで水ぶくれになるのってちょっと不思議かも。火傷でもないのに」

「……強い摩擦で皮膚が剥がれてできるらしい……踵の皮膚は薄いから余計に」


 お、やっぱり反応してくれた。


「ふ~ん、そうなんだ」

「…………」


 視線を感じたので宇佐見の方を見ると宇佐見はこちらをじーっと見つめていた。


「……?」


 吸い込まれそうな、夜空のように暗い瞳。心なしか、星をちりばめたようにきらきらしている。


「うっつきぃ~~」

「うわっ!」


 不意打ちで両肩を思いっきり叩かれ、振り返ると隣のクラスの猫宮が何かを企んでいそうな顔でにんまり笑っていた。


「世界史の資料集、貸して?」

「……いいけど、毎度毎度そうやって脅かすのやめてくれないかな……」

「え~? 別に脅かしてないけど~? そんなしかめ面してたら綺麗な顔が台無しだぞぉ~」


 そう言って猫宮ねこみやは眉間をつついた。ああ、小悪魔の尻尾が見える。


「あ、その絆創膏かわいいー。でも卯月っぽくないね」

「宇佐見がくれたんだ。靴擦れでできた水ぶくれが破けちゃってさ」

「えーっ! 宇佐見こんなの持ってるんだ! 意外~~」


 宇佐見から貰った絆創膏はペンギン柄のものだった。思い返すとスマホケースはさり気なくペンギン柄だし、もしかしたらペンギンが好きなのかもしれない。

 確かめようと、宇佐見の方を見るとその姿はそこに無く、既に着席していた。


「まあ、後でいいか」


 何せ、隣の席なのだから。

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