かさぶた

 窓側の隣の席の宇佐見うさみを表す形容詞は、「無口」のただ一言に尽きる。なんとも謎めいた雰囲気の人で、あまりにも喋らないので、実は宇宙人なんじゃないかと密かに思っていたりする。声は聞いたことがあるので別段話せないわけではないと思うのだが、人と話すのを見たことがない。……たぶん。というのも、宇佐見に話しかける人は滅多にいないし、休み時間になると、だいたい自席で読書をしているか、気が付けばいつの間にかいなくなっているから、見たことがないのだ。



「かさぶたあると剥がしたくなるよね」


 それは、急遽自習になった生物の授業中に発せられた言葉である。代理の先生が遅れているため先生が誰もいない状態で、周りがざわついていたこともあって、始めは宇佐見がそれを言ったことに気が付かなかった。ましてや、自分に話しかけているなんて、夢にも思わなかった。それでも、授業中に音読や発表をすることはあったので、そういえば、宇佐見もちょうどこんな感じの少しハスキーな声だったな、と思って何気なく横を見ると、こちらを見ている宇佐見とバッチリ目が合った。


「…………」


 恐らく、この時初めてちゃんと目が合った。吸い込まれそうな、夜空のように暗い瞳。中に星を散らせば天体観測ができそうだ。そして、思っていたよりも睫毛が、長い。


「……え?」


 宇佐見はやや下に視線をずらした。同じように下を見て、ふと自分の左腕にあるかさぶたとそれを剥がそうとしている右手が見えた。無意識にやっていたようだ。


「あ」


 パッ、と腕から手を放し、ちょうど警察に銃を向けられて両手を上げるようなポーズをした。


「あー……つい剥がしたくなっちゃう、みたい」


 少し気まずくなって目を逸らす。宇佐見はほんのちょっとだけ、目を見開いた。


「なんで剥がしたくなるんだろう」


 ポツリ、とまたもや宇宙人は言った。確かに。言われてみれば。かさぶたがあると、剥がさずにはいられない。もはや自然の摂理だ。考えた結果、こう答えた。


「異物だと思って取り除こうとするからとか? 掃除するとさっぱりするみたいに気持ち良いからとか」

「……そこにかさぶたがあるから……」


 話が噛み合っているのか合っていないのか定かではないが、それを聞いて宇佐見は少し考える素振りをした。そして、こう呟いた。


「かさぶた、剥がすと良くない」

「え、そうなの」


 しばらく口を閉ざし、このまま返事がないのかと思ったが、ようやく、「知らない」と、答えた。

 知らないのかい。なんだったんだ、今の間は。すると、「冗談」と、言った。

 ……宇宙人でも冗談は言うのか。全く想像がつかなかった。


「剥がすと跡が残る。治りも遅くなる」

「え? 治ってるからかさぶたになったんじゃないの?」


 宇佐見はふるふると首を横に振った。


「まだ」


 確かめるため、スマホを取り出し、『かさぶた 剥がす』と検索した。


「……本当だ。剥がしちゃダメなんだ」

「自然に、剥がれる。それまで、ダメ」


 すると、教室のドアが勢いよく開いた。授業は数学に変更らしい。先生は遅れてきたことを詫びると、教卓の前に立ち、教科書をめくり始めた。隣を見ると、宇佐見はいつものように姿勢よく前を見て座っていた。机には、いつの間にか数学の教科書とノートが置いてあった。その整った横顔を見ながら、そういえば宇佐見とちゃんと会話をしたのはこれが初めてだな、と思っていた。

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