第28話 言葉が通じようとも化け物なのだ③


 仕事が終わった桂華は駅について改札を抜ける。ホームへと向かう途中で目を引く人物を見かけた。茶色のコートにくたびれたトレモント・ハットを深く被った男性らしき人だ。


 どうして気になったのか、それは九月とはいえまだ暑さが尾を引いている。そんな時期にコートを羽織っているというのが気になった。日焼け避けにしては着込みすぎている気がしなくもない。不思議な人もいるものだなと思いながら桂華は階段を登った。


          * 

 

 駅について改札を通り抜ける。もうすっかりと夜で、今日の月は朧げであった。遅くなってしまってはニャルラトホテプの小言が増える。そう思いながらいつものように慣れた帰路を歩いていると声をかけられた。


 それは駅ですれ違った茶色のコートを羽織った男だった。目深く被ったトレモント・ハットのせいか目元が見えない。



「どうかしましたか?」

「お前、面倒なモノに憑かれているだろ」



 その錆声と口調は何処か聞いたことがあった。なんだっけかなと少し考えて、あの魚の化け物を思い出した。深きものと確か言っていたはず。まさかと思って警戒したようにじっと見つめれば、「オレは何もしない。そんなことをすれば、殺されてしまう」と男は言った。


 何もしないと言うが、ならどうして呼び止めたのか。用があるのだろうかと首を傾げれば男は言う。



「ここら辺でおかしな生き物を見なかったか」

「おかしな、生き物」



 そう聞いて、色々見てるんだよなぁと桂華は思った。食屍鬼もショゴスも幽霊も色々と見ているのだ。どのことを言っているのか分からず、「どんなものですか」と聞き返していた。男は「玉虫色をした」と言ったので、ショゴスのことだなと理解した。



「あの、粘着っぽいやつですよね。それなら見ましたけど……」

「被害は?」

「あいかけて奴に助けられました」



 そこまで聞いて男はあぁと納得した様子だった。ショゴスを見てからだいぶ経つのだが、まだ探していたのだろうか。そう聞いてみると、「あれを放置はできない」と返された。


 被害が出るかもしれないと聞いて、確かにその通りだと思った。桂華はショゴスがどうなったかの経緯を話す。ニャルラトホテプが別の世界へ捨ててきたことを伝えれば、彼はふっと小さく息をついた。



「被害がなかったようでよかったな」

「そうですね」

「人間が出てこられるとこちらも困る」



 余計な詮索をされて始末をするのも大変だ。こちら側に引き込むことができないのならば邪魔な存在でしかないと、男はなんでもないように言う。


 化け物というのは人間のことを本当に考えていないのだ、桂華はその発言で実感した。男はふむふむと桂華を眺めて首を傾げる。



「お前は良さげだな」

「はぁ?」

「どうだ、こちら側につかないか?」

「いや、化け物はこれ以上はいいので……」



 何が悲しくて化け物の相手をしなければならないのだ。ニャルラトホテプという邪神だけでも面倒だというのにこれ以上は御免だ。


 桂華がきっぱりと断ると男は残念そうにそうかと頷いた。あんまりしつこく勧誘するとあいつが来ることを伝えれば、男は少し怯えた様子を見せる。



「見られている」

「そうですね、見られているでしょうね、これも」



 いつ来るか、ひやひやしているのだが男はまだ何かありげに腕を組んでいた。もう要件は済んだのではないのか、桂華がそう思っていれば男は言う。



「信者を増やしたかった」

「そんなことを言われても……紹介とかしませんからね?」

「仕方ない、諦める」



 そう言った途端、男は怯えたように周囲を見渡した。何かの気配を感じたような、そんなふうに警戒している。男は「話は終わりだ」と逃げるように去っていった。


 また面倒なものにあったなと小さく息を吐いて後ろを振り返って、桂華は痛む頭を押さえた。少し離れた電柱に寄り掛かるように腕を組んでニャルラトホテプが立っていたのだ。


 少しばかり不機嫌そうな顔をしている彼を無視することもできないので仕方なく側まで歩いていく。



「何処から見てたの」

「あれに話しかけられた辺りから」



 もうそれ全部ですよねという突っ込みをしたかったがやめた。桂華が出てこなかった理由を問えば、「しつこいようだったら出るつもりだった」と答えられた。


 信者の勧誘というのはよくあることらしい。諦めきれていないようだったので気配を放ったのだという。それでも駄目ならば出ていくつもりだったと。



「キミが断るのは分かっていたけどね」

「あんただけで精一杯だからね!」



 桂華が「これ以上の問題は勘弁願いたい」と言うと、「ボクは何もしてないじゃないか」と爽やかに微笑まれた。家事全般をこなして世話をして、危なくなったら助けている。愛しているだろうとこの男は宣った。


 その通りではあるのだがと思いながらも、桂華は適当に相槌を打つことにした。



「さっさと帰る」

「キミは相変わらずだね」



 そんなところも好きなのだけれどと、ニャルラトホテプは目を細めた。それはいつものことなので桂華は慣れてしまっている。だから、「知ってる」とだけ答えた。


 

          ***


 

「あれって深きものだよね?」



 帰宅して風呂から上がった桂華はニャルラトホテプに髪の毛を乾かしてもらいながら問う。もうこれにも慣れてしまったものだ。彼は「深きものと人間の交配種だ」と答えた。


 深きものと人間の間に生まれた存在で、成長していくにつれて深きものへと変貌を遂げて最終的には海へと還る。稀に深きものとして覚醒しない者もいるらしい。大抵は信者との間に生まれた子などいう。



「変貌していく途中で顔を隠す。人間には刺激が強いからな」

「へー。てか、会話ができるとなんか普通に話してしまうんだけど」

「人間というのは会話ができるというだけで、幾分か安心感を抱いてしまうからな」



 言葉が通じればもしかしたらといった淡い期待を持ってしまう。それによって油断したところを襲われるか、信者として引き込まれるのだがとニャルラトホテプは言う。


 桂華はやはり油断ならないなと思った。もし、自分が何かそう間違いであっても相手側の味方をした時、この化け物はどうするのか。それを考えるだけでひやりとする。



「キミがこうしてボクと話して幾分か安心しているのもそうだ」


「否定できないから嫌だ」

「どんどんボクに堕落していくといいよ」



 ニャルラトホテプは「そして、狂ってくれ」と笑う。その笑みに何を言っているのだろうか、最初っからそのつもりだろうにと桂華は思った。思ったけれど、口には出さずにじとりと見遣れば、彼は愉快げに見つめ返してきた。





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