第4想定 第18話

『姪乃浜より宗太郎』

「こちら宗太郎。なにがあった」

『警戒機がヤンデレの狂気を探知した。これより指令室は警戒態勢に入る』

「場所は?」

「宗太郎から5キロ圏内だ。今はさらに範囲を絞っている」

 5キロだと?

 航空写真ではそのエリアにはほとんど民家はなかった。

 もしかしたら俺の出番がやってくるかもしれない。

『さきほど大分県警に応援を要請したところだ』

「それは頼もしいな」

 彼らには民間人の避難誘導をしてもらう。

 いつも訓練していることだ。

 問題は到着時間。

 周囲に何もないこの場所に何分で到着できるのだろうか。

「ところで姪乃浜、さっき言っていた件はどうなった?」

『重岡千佳とは違う若い女性の事か?』

「何か分かったか?」

『大分愛情保安部に問い合わせたが情報がなかった』

「重岡千佳も洗ったか?」

『もちろんだ。両方とも情報はなかった』

「ということは単純に愛情保安庁が情報を把握できていない可能性が?」

『十分に考えられる』

 事前情報に記載されていない人物の登場。

 たしか情報収集をしていたのは吹田純一の高校時代の友人である愛情保安官だったはずだ。そのかつての級友も把握できていない女性関係があるのか?

 今回の作戦はイレギュラーが発生するかもしれない。

『交戦を許可する。宗太郎の判断で介入せよ』

「了解。状況を見て交戦する」

 無線交信を終了。

 これは介入する必要があるかもしれない。

 隣に置いていた89式小銃を手に取る。

 槓桿を少し引いて薬室内チェンバーに弾薬が装填されていることを確認する。

 続いて弾倉マガジンを外して確認。その中には5・56ミリの小銃弾が整然と詰め込まれ、銅合金に包まれた弾頭と真鍮製の薬莢がギラついていた。


 無線交信から少し時間が経過したころ、村に1台の軽自動車が入ってきた。

 双眼鏡で確認すると吹田純一の車だった。

 警戒機によってヤンデレの狂気が探知されている。探知されたエリアや情報が入ってからの経過時間を考えると、あの車に乗っているどちらかがヤンデレ化しようとしている事が考えられる。

 俺は左手の親指と人差し指で89式小銃の被筒ハンドガードを包む。そして手のひらを近くの木に押し当てて委託射撃の姿勢を取った。

 主要人物までの距離はおよそ80メートル。

 近距離といえるものではないが、この程度であれば民間人を誤射することなく正確にヤンデレに対して射撃を加えることができる。

 軽自動車の音を聞きつけて姉を出迎えようとしたのだろう。

 関係者の家から少年が出てきた。

 その少年に気付いた吹田純一は軽自動車を彼の目の前に止めた。

「!?」

 重岡宗太郎と吹田純一は車のドア越しに何かを言い争っているようだ。そして助手席に座っている重岡千佳も何かを言っている。よく見ると彼女は出発した時とは服装が異なっている。デート先で購入したのだろうか。

 俺はすかさずその状況を姪乃浜に無線で報告する。

「姪乃浜、状況は緊迫している」

『了解。自身の判断で介入せよ』

 少年が窓越しに吹田純一の襟首に掴みかかった。

 俺は89式小銃のセレクターを回して連射モードに設定。

 今の状態であればただの喧嘩かもしれない。

 森に姿を溶け込ませたまま村の状況をうかがう。

 明らかにヤンデレと判断できるまでは発砲できない。

 俺は安全装置を外したまま様子を観察する。もちろん銃口管理としてトリガーに指は掛けていないし、暴発したときに備えて照準は彼らから外してある。

 無線を入れて10秒が経過したころだろうか。

 重岡宗太郎の手にナイフが出現した。

 俺はすかさずピープサイトで彼を捉えると、トリガーに指を掛けた。

 パパパッ!

 のどかな村に銃声が響き渡る。

 89式小銃の銃口に装着された消炎制退器フラッシュハイダーによって反動が軽減され、連射した3発の銃弾は逸れることなく全てがヤンデレに着弾した。

 宗太郎村は周囲を山に囲まれている。

 銃声はあらゆる方向に反響。

 訓練を受けていない人間にはすぐに発砲地点を特定することはできないだろう。

 これから俺はヤンデレに突撃する。

 その突撃時間を稼ぐため、隣に置いていたクラッカーを握り込む。

 起爆装置から電気信号が送られたプラスチック爆薬C4が瞬間的に炸裂。支柱を失った跨線橋は架線を切断しながら崩落した。

 俺は山を下りて宗太郎村に突入。

 ヤンデレに対して射撃を加えながら突撃。

「愛情保安庁だ!」

 所属を明らかにした俺は軽自動車に乗ったカップル共に退避を指示した。その2人は俺に驚いていた。なにせ迷彩服姿の男が小銃を発砲しながら現れたのだから。

 カップルは戸惑っていたが俺が再び怒鳴りつけるとアクセルをふかしてその場から離れていった。

「姪乃浜! 現在交戦中!」

『了解。近くの駐在員がまもなく到着する』

 無線を入れている最中にヤンデレの手元にナイフが出現した。

 刃渡りはおよそ20センチ。

 背面には鋸刃セレーションが施されている。

 いわゆるランボーナイフか。

 ヤンデレの少年はそのナイフを振り回す。

 俺はそれをかわしながら必要に応じて89式小銃の銃身で防御する。

 カチャ、カチャ、カチャ。

 金属同士がぶつかり合う。

 それはまるで時代劇。日本刀で鍔迫り合いをしているようだ。

 一瞬の隙を突いて彼の胸に銃口を刺突する。

 胸を突かれたヤンデレは後ろによろめいた。

 銃剣は装着していない。しかし胸部を銃口で突かれて平気でいられる人間なんていない。ふいに胸部に衝撃を受けたヤンデレはむせ込んでいる。

「重岡宗太郎だな」

「……なんで……僕の名前を……?」

 ヤンデレは呼吸を整えながら疑問を口にする。

 こいつの事は事前情報で把握してある。

「アンタは重岡千佳の弟だろ?」

 彼の姉の名前を出すと再び凶暴化した。

 再びランボーナイフが出現。彼はそれを振り回しながら襲い掛かってきた。

 後ろや左右にステップしながらその斬撃をかわす。

 ヤンデレがナイフを大きく振り上げると、袈裟斬りに襲い掛かってきた。

 俺は銃身を振り上げてナイフをはじく。

 凶器がヤンデレの手からすっぽ抜けて空へと飛んでいった。

 チャンスだ。

 小銃を振り上げた状態から右手をグリップから銃床ストックの根元に持ち替え、ヤンデレの額に向けて床尾板打撃を叩き込んだ。

 この村には似つかわしくない銃声や爆発音に驚いたのか、それとも喧嘩と勘違いしたのか。村人が野次馬根性丸出しで民家から出てきた。

「下がれ!」

 民間人の足元に向けて発砲。

 野次馬の地面が弾ける。

 逃げ惑う者、混乱で硬直する者、腰を抜かして這って逃げようとする者。

 反応はさまざまだ。

 遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

 応援のパトカーだ。

「もうすぐ警察が来る! それまで隠れてろ!」

 ヤンデレの相手をしながら野次馬の接近を制止する。

 下手に介入されてもその本人が怪我をしてしまう。それにヤンデレ鎮圧の進行が上手く進まなくなってしまうどころか、余計な事を言って状況をさらに悪化させてしまう事がある。それを防ぐために指示に従わない民間人はやむを得ず敵対行動として排除する。しかし任務と割り切ったとしても気持ちのいい事ではない。

 時間はそこまでかからなかった。

 村に1台のミニパトが入ってきた。

 俺の近くに停車すると中から防刃チョッキを着た警察官が下りてきた。

 左胸には巡査の階級章。

 所属と勤続年数は異なるけども俺と同じ階級だ。

 訓練通りの口調で俺が指示を出す。

「愛情保安庁だ。現在民間人に死傷者は出ていない。民間人の退避を願う」

 俺が警察官と業務連絡を交わしているとヤンデレの少年はすぐそばの自宅に駆け込んだ。俺と警察官は彼を制止しようとしたが捕まえることができなかった。

 ヤンデレは自宅横に止めていたバイクに跨ると慣れた手つきでエンジンをかけ、爆音を立てながらミニパトの後ろをすり抜けて村の出口に走っていく。

 さしずめ姉たちを追いかけようとしているのだろう。

 バイクの駆動輪は後輪だ。俺はヤンデレが運転するバイクの後輪を照準して数発の弾丸を撃ち込んだ。

 ドライブチェーンを切断したのか、それともエンジンを破壊したのか。バイクはつんのめるように転倒。リアボックスの中身をぶちまけ、ヤンデレを地面に放り投げた。

「どこへ行こうというのかね?」

 俺は大声で問いかける。

 ヤンデレはゆらりと立ち上がった。

 彼の手にはランボーナイフが出現。

 それを振りかざしたかと思うと投擲した。

「!」

 立ちすくんでいる警察官をミニパトの後ろに引きずり込む。それと同時にミニパトが金属音を立てた。俺はミニパトの影から飛び出して牽制射撃。把握していた通りに残弾がなくなり槓桿が下がったまま停止した。

 再びミニパトに身を隠し、新しい弾倉を89式小銃にぶち込むと槓桿をリリース。ボルトが前進して初弾を薬室チェンバーに送り込んだ。

「巡査! スリーカウントだ!」

「了解!」

 その意味をすぐに理解したようだ。

 さすが大分県警。

 俺はヤンデレにその行動を悟られないように牽制射撃を続ける。ミニパトから飛び出して発砲して退避の繰り返しだ。弾薬の節約のために単射している。

 そろそろ大丈夫だろう。

「スリー、ツー、ワン!」

 カウントが終わると同時に俺たちはミニパトの影から飛び出した。警察官は近くの民間人を目指して一目散に走る。俺は彼が攻撃を受けないように盾になりつつ、ヤンデレに対して制圧射撃を加えながら斜め前の建物に前進する。

 背後では警察官が村人の安全確保を始めた。腰を抜かした人を引きずって退避させようとしている。

 俺は小銃を指向しながらそっと物陰から姿を現した。

「変な事は考えるな。両手を挙げろ」

 ヤンデレは俺の指示を聞かない。

 再び彼の手にランボーナイフが出現した。

「悪いがアンタにそのナイフはデカすぎる」

 20センチ以上の刃渡り。

 グリップ部分を含めると全長は約30センチ。

 そんなバカでかいナイフを振り回すにはそれなりの腕力が必要だ。彼には悪いが服の上からでもそのような腕力は持っていないように見える。

 ヤンデレは地面から何かを拾い上げた。それはバイクが転倒したときにリアボックスから散乱したものだ。彼はそれを俺に向けて投げつけると、それを追うように突撃してきた。

 投擲されたその物体は回転しながら迫ってくる。どうやらヤンデレは俺がこの物体に気を取られている隙に接近するつもりだったのだろう。

 下手に回避している場合ではない。

 接近する投擲物を小銃の斬打撃で叩き落とす。続いて突入してきたヤンデレをそのまま銃剣格闘で組み伏せると、ヤツの腕を捻り上げて地面に拘束する。

 ……ブーメランか。

 撃墜された投擲物は『く』の形をした木製のブーメランだった。

 地元の人には悪いがこのあたりに遊べるような場所はない。

 きっとこいつは子供の頃から山に入って狩猟ごっこでもして遊んでいたのだろう。

 俺はそのブーメランを拾い上げるとピストルベルトに差し込んだ。今は使われていないだろうけども過去には狩猟目的に使われていたこの木片を放置しておくわけにはいかない。かといって素手でへし折るには太すぎるし、銃で破壊するにも弾薬がもったいない。

 ヤンデレを拘束していると村に軽自動車が入ってきた。

 接近を制止するために89式小銃を指向する。

 しかし発砲はしなかった。

 それは吹田純一の軽自動車。

 俺たちの目の前に停車すると若いカップルが降りてきた。

「止まれ!」

 2人を制止して安全な距離を確保する。

「……変なことは考えるなよ?」

 俺は釘を刺すと重岡宗太郎を立たせてやった。

 彼は自然な様子で姉の元へと歩きよる。

 いつ襲い掛かっても介入できるように俺も位置取りを変える。

「宗太郎、どうしたの……?」

 重岡千佳は恐るおそる弟に問いかけた。

 彼女の口ぶりからして、普段の重岡宗太郎は大人しい人物なのだろう。そんな弟が大型のナイフを振り回しているなんて戸惑わないわけがない。

 姉の心配をよそに、弟は甘えるように懇願する。

「姉ちゃん、上京なんかせずに僕と一緒に居ようよ……」

「だめだよ。私は上京して社会勉強をしてくるって決めたんだから」

「姉ちゃんと離ればなれなんて嫌だ!」

 重岡宗太郎は年齢不相応にわんわんと駄々をこねる。

 まったく、いい歳をして姉ちゃんに依存しているだなんて。

 そんな奴が宗太郎の名を名乗っているのは同じ名前を持つ俺も恥ずかしい。

 きっと俺以外の宗太郎も同じ事を考えるだろう。

「どうせ純一兄ちゃんに何か吹き込まれたんでしょ」

「違う。これは私の意志!」

「僕を放っておいて姉ちゃんたちは都会で暮らすんでしょ!」

「違う! 私は経験を積んだら――」

「純一兄ちゃんが姉ちゃんを連れて行くなら僕がここで食い止める!」

 ヤンデレの手に再びランボーナイフが出現した。

 俺は彼が凶行に及ぶ前に顔面を掴んで後ろに張り倒す。

「車の後ろに隠れろ!」

 ヤンデレの前に割り込んで彼らが退避する時間を稼ぐ。

 しかしカップルの2人は戸惑うだけで動こうとしなかった。

「旦那になるんだろうが! 嫁を守れ!」

 一喝されたことで正気を取り戻したのだろう。吹田純一は将来の嫁を守るべく重岡千佳の腕を掴んで退避を始めた。

 しかし重岡千佳は弟を心配してその場を動こうとはしなかった。いくら吹田純一が引っ張ろうともビクともしない。

 まったく重岡宗太郎といい吹田純一といい、この村には骨のある若い男はいないのか。

 俺は彼女の襟首を掴んで脚を蹴り飛ばす。尻もちをついた状態では抵抗することができない。そのままの姿勢で遮蔽物の後ろへと引きずっていく。

「姉ちゃんに酷いことするな!」

 重岡宗太郎が俺たちに突撃しようとする。

 しかし89式小銃が火を噴くほうが早かった。

 片手射撃だろうと問題ない。

 照準する必要もない。

 単発で発射した全ての弾丸がヤンデレに命中していた。

「死にたくなかったらここで大人しくしていろ!」

 ヤンデレを警戒しながら俺は彼らに隠れているように指示を出した。

 残弾は10発。

 まだタクティカルリロードする必要はない。

 むしろこの残弾でリロードしていたら中途半端な弾倉を量産してしまう。

 ヤンデレの手に再びランボーナイフが出現。俺はすぐに発砲できるようにトリガーに指を掛けて様子をうかがう。

 しかしヤンデレはそのナイフを振り回すでもなく投擲するでもなく、ただゆっくりと話し始めた。

「純一兄ちゃんを渡してよ」

「こいつをどうするつもりだ?」

「殺すんだよ」

「それなら渡すことはできない」

「なんでだよ!」

「殺す理由を言え」

「なんで!」

「合理的な理由ならば俺がこいつの頭に弾丸を叩き込んでやる」

 隣で吹田純一が悲鳴を上げた。

 おいおい。

 別に銃口を突きつけられたわけじゃないだろ。

 こんな調子では結婚した後に家族を守れるのだろうか。

 しかし俺の任務はヤンデレ化した重岡宗太郎の鎮圧だ。将来の吹田純一が家族を守れるかどうかなんて任務には含まれていない。

 ヤンデレが怒鳴る。

「お前に弟の気持ちが分かるものか!」

「黙れ小僧!」

 それは聞き捨てならない。

 俺も怒鳴り返した。

「俺だって弟だ!」

「アンタは姉ちゃんに彼氏ができて平気なのかよ!?」

「その彼氏とやらをぶっ殺すに決まってるだろ!」

 くだらない事を聞くんじゃない。

「それじゃあその理由は何だよ!」

「理由なんかあるもんか!」

 どこの馬の骨とも分からない奴に姉ちゃんが奪われる。

 彼氏とやらをぶっ殺す理由なんてそれだけで十分だ。

「それじゃあ純一兄ちゃんを渡してよ!」

「ダメだ」

「アンタだって姉ちゃんに彼氏ができたらそいつをぶっ殺すんだろ!? それじゃあ俺にそいつを渡してくれたっていいじゃないか!」

「俺の姉ちゃんを重岡千佳なんかと一緒にするんじゃねぇ!」

「なんだと!? 僕の姉ちゃんのほうが優れているんだ!」

「ふざけるな! 俺の姉ちゃんは何があっても俺を大事にしてくれるんだぞ!」

「僕の姉ちゃんは真夜中に隣町の病院まで僕を連れて行ってくれたことがあるもん!」

「それなら俺の姉ちゃんは俺に座薬を入れてくれたぞ!」

「うるさい! アンタが何と言おうと僕の姉ちゃんは世界一なんだ! アンタが何と言おうがアンタの姉ちゃんなんか足元にも及ばないんだよ!」

「クソ野郎!」

 鹵獲したブーメランをピストルベルトから引き抜き、ヤンデレに向けて投擲した。その背後に隠れるように突撃。

 扱いに慣れているのだろう。地面を抉るように迫るブーメランをヤンデレは華麗に回避した。しかし近接格闘には慣れていないようだ。彼が振り回すランボーナイフを弾き飛ばし、俺はヤンデレを再び地面に張り倒した。ヤンデレの腕に足を掛けてうつ伏せにさせると、全体重をかけて膝で体を拘束する。

「重岡千佳が俺の姉ちゃんより優れているだと?」

 ホルスターの隣に装備したコンバットナイフを引き抜いた。

 黒くて短いブレード。

 太陽光が反射せず、格闘戦でも取り回しに困らない。

 見栄えなんてものは考慮されていない。正真正銘、戦うための刃物だ。

 俺はうつ伏せに組み伏せた奴の髪を掴んで頭部を持ち上げ、刺しやすいように首筋を露わにする。

 ライフルもピストルも必要ない。

「野郎ぶっ殺してやる!!!」


【SOTARO IS DEAD】


『お前はバカか!?』

 死亡早々に姪乃浜が叫んだ。

『誰が殺れと言った!?』

「こいつをぶっ殺せば全て解決する!」

 ヤンデレを鎮圧しようが殺害しようが任務達成に変わりはない。

 強いて違いがあるとすれば重岡宗太郎という腹の立つシスコン野郎をこの世から葬ることができる。

『宗太郎、任務を忘れたか?』

「そんな下らないことはどうでもいい」

 任務なんかより姉ちゃんのほうが大事に決まっている。

 だから早く俺を生き返らせて戦場に戻してくれ。

 そして実弾を寄越してくれ。

 1発で全てを片付けてくる。

『宗太郎、ありさは優秀な隊員だ』

「そんなの当たり前だ!」

『入隊して4カ月、確か宗太郎と同じぐらいの経験の頃だ。プロポーズ支援のため、ありさは輸送機で空挺降下して森林の中に潜伏する単独任務に参加したことがある。その作戦では恐れていた通りヤンデレ事件へと発展した。しかしありさが現場に突入し、1人の死傷者も出さず、そして自身も死亡することなくヤンデレを鎮圧した。もちろんヤンデレを殺害することもなかった。宗太郎はすでに1回死亡してしまったが、ありさとは血を分けた姉弟だろ? それならありさと同じようにヤンデレを殺害せずに鎮圧できるはずだ』

「……俺は姉ちゃんほど優秀じゃない」

 姉ちゃんは本当に優秀な隊員だ。

 俺は姉ちゃんと同じような成績を残せるわけがない。

『うちの部隊で単独任務に出た事があるのはありさと宗太郎だけだ』

「姉ちゃんと俺だけ?」

『その通り。部隊の歴代隊員で2人だけだ。ありさと同じ成果を残して帰ってきたら、ありさ自身が大喜びするぞ。素養試験を1位で突破したときのように褒めてくれるはずだ』

 姉ちゃんが褒めてくれるだって!?

 それならば何としてでも良い成果で任務を成功させなければならない。

 たしかに重岡宗太郎の奴には腹が立つ。

 しかし俺が姉ちゃんに褒められるためにはどうでもいい。

 重岡宗太郎は馬鹿な奴だ。自分の価値観が全てだと思ってやがる。馬鹿は自身の価値観が全て正しいと思っているから面倒なのだ。そんなやつは放っておけばいい。

 重岡千佳よりも上岡ありさの方が優れていることは誰が見ても明らかだ。

 俺が姉ちゃんに褒められるためには、重岡宗太郎がどうであろうが知ったことではない。

「姉ちゃんは俺の頭を撫でてくれるか?」

『もちろん撫でてくれるはずだ』

「ぎゅっと抱きしめてくれるか?」

『おそらくな』

「それじゃあキスは!?」

『……本人に聞くといい』

 さぁ姪乃浜!

 早く俺を戦場に生き返らせるんだ!

 俺は何としてもこの任務を成功させなければならない。

『それから宗太郎、ブーメランには注意しろ』

「もちろんだ」

『………………』


【CONTINUE】


「アンタだって姉ちゃんに彼氏ができたらそいつをぶっ殺すんだろ!? それじゃあ俺にそいつを渡してくれたっていいじゃないか!」

「俺とアンタを一緒にするんじゃない」

 バカとは自分の価値観が全てだと思い込んでいる。

 誰かがいくら諭しても話を聞こうとしないからバカは困ったものだ。

 しかしいくら重岡千佳が優れていると熱弁しようが、俺の姉ちゃんのほうが優秀であることは揺るぎのない事実だ。

「いつまでも姉に甘えるな」

「お前に何が分かる!」

 重岡宗太郎の手にランボーナイフが出現。

 彼はそれを投擲しようと振りかざす。

 しかしこの交戦距離でナイフが銃に勝つことはない。

 村に銃声が響いた。

 ヤンデレが一瞬だけ正気に戻る。

 鹵獲したブーメランを引き抜いて彼に投げつけ、それを追うように突撃。

 正気を取り戻した直後ですぐに反応できなかったのだろう。ヤンデレはよろけるようにブーメランを回避。しかし本命は格闘戦だ。足がもつれた細身の少年を組み倒すことは難しい話ではなかった。

「そろそろ自立しろ!」

「赤の他人が口を出すな! 僕は姉ちゃんがいないと何もできないんだ! 姉ちゃんだって僕がいないと何もできない!姉ちゃんこそが僕の生きがいなんだ!」

「シスコン野郎が宗太郎の名を名乗るんじゃねぇ!」

 口を開けば姉ちゃん、姉ちゃん。

 姉離れできない奴なんて宗太郎の名の面汚しだ。

 全国の宗太郎に謝ってこい。

「!」

 本能的に脅威を感じた。

 背後、しかも上空から迫っている。

 俺は迫りくる脅威を確認することなく、本能を信じてその場から飛び下がった。ヤンデレの相手をしている場合ではない。脅威が過ぎ去った後に再び張り倒せばいいだけだ。

 俺が飛びのいたことでヤンデレが自由になる。

「僕から姉ちゃんを奪うつもりなら――」

 ヤンデレの顔面に何かがぶつかり、彼の発言を遮った。

 固い音を立てて地面に何かが落下。

 それはブーメランだった。

 回避したはずのブーメランが戻ってきて顔面に直撃したのだ。

 頭に血が上っていて忘れていたが、さっき俺が死亡したのはどうやらブーメランが戻ってきて後頭部に直撃したからだろう。まったく武器が自分のところに戻ってくるなんてとんだ欠陥兵器だ。

 ヤンデレは両手で顔を抑えながら、年甲斐もなくわんわんと泣き叫んでいる。

 彼の手からボタボタと鮮血が漏れてきた。

「宗太郎!」

 自動車の影から重岡千佳が飛び出してきた。

 弟の身に何かがあったことに気付いたのだろう。

「待て!」

 俺は彼女を制止する。

 しかし彼女は歩みを止めることなく、鼻血を垂れ流す重岡宗太郎の前に膝をついた。

 まったく弟が弟ならば、姉も姉か。

 俺は似たもの同士の姉弟に呆れつつ、ポーチから手錠を取り出した。

「痛い事はしない。大人しくしろ」

 重岡宗太郎の腕を取り上げて手錠をかける。

 これならば再びヤンデレ化したとしても攻撃手段は限られる。重岡千佳の安全も確保されるだろう。

 俺が安全措置を取っている間に重岡千佳はポケットからハンカチを取り出して弟の患部に押し当てていた。彼女のおしゃれ着は重岡宗太郎の血液で赤く染まりつつある。しかし姉はそれを気にすることなく、血が噴き出してくる弟の鼻をひたすらハンカチで押さえ続けた。

「見せてみろ」

 タクティカルグローブを外し、素手で重岡宗太郎の顔面を掴んで眼球をチェックする。

 衛生的には医療用手袋を着用したほうが好ましいがこの状況ではそんな事を言っている場合ではない。いつ再び交戦することになるかは分からない。

 下瞼したまぶたを抑えて彼の眼球を確認する。内部の事までは分からないが、眼球には外傷が認められない。

 顔面の骨を触ってみるが特に異常はなさそうだ。痛がる素振りもない。

「大丈夫だ。致命傷はない」

 悪くても鼻骨骨折ぐらいだろう。

 こればかりは病院で検査をしなければ分からないが、折れていたとしても大した怪我ではない。

「いったん横にするぞ」

 俺は重岡千佳と協力しながら患者を横にさせる。しかしそのまま地面に寝かせることに抵抗があったのだろうか。重岡千佳は服が血で汚れることもいとわずに重岡宗太郎を自身の膝の上に寝かせた。

 わんわんと泣き叫ぶ弟の頭を姉が優しく撫でている。

「10分もすれば血が止まる。口に溜まった血は吐き捨てろ」

 患者の衣服を緩めながら励ます。

 ハンカチでは血液を吸い取れなくなったようだ。溢れ出た血液が重岡千佳の膝を濡らす。

「巡査! 氷とタオルを持ってきてくれ!」

 民間人の避難誘導と現場封鎖に当たっていた大分県警の警察官に大声で依頼する。

 ポーチから医療キットを取り出し滅菌パックを破ってガーゼを取り出す。

 重岡千佳は役に立たなくなったハンカチを捨てると、差し出されたガーゼをひったくって弟の鼻に当てる。

「姉ちゃ――」

「話さなくていいから」

 重岡宗太郎は何かを話そうとしたものの血液が気管に入ったのか咳込んだ。

 それ以上体に負担が掛からないように姉が黙らせる。

 それでも弟は話し続けた。

「この服って新しいやつでしょ?」

「うん。さっき純一に買ってもらった」

「姉ちゃん、ごめん」

 戦闘していた時とは予想もできない弱々しい声だった。

 彼の瞳には涙が浮かんでいた。

 鼻の痛みに泣いているのか、それとも罪悪感に泣いているのか。

「最後のデートで買ってもらったのに僕が汚しちゃって」

「そんなこと気にしなくていいから」

 姉が弟の頭を優しく撫でている。

 泣きじゃくっている重岡宗太郎は年齢より幼く見えた。ついさっきまでランボーナイフを振り回していたとは到底思えない。

「でも地元で最後のデートだったんでしょ?」

「地元で最後って?」

「姉ちゃんが先に上京して、そして後から純一兄ちゃんも上京して、都会で一緒に暮らすんでしょ?」

 姉と離ればなれになりたくないと泣き叫んでいる。

 わんわんと喚くその姿はまるで幼稚園児のようだ。

「すぐに戻ってくるから」

「戻ってくるって言っても帰省するだけじゃん」

「違う違う」

 重岡千佳は笑いながら否定した。

「私は都会に出て社会人経験を積んでくるだけ。修行が終わったらこの村に戻ってくるから」

「都会でずっと暮らすんじゃないの?」

「宗太郎も純一の性格を知っているでしょ? アレが都会でやっていけるわけないじゃん」

 ふと視線を外して新郎のほうへ振り返った。

 彼は自動車の影に隠れてこちらの様子を怯えるように伺っていた。

 たしかにあの性格では都会の荒波にあらがうことは難しそうだ。

「……本当に戻ってくるの?」

 重岡宗太郎が泣きじゃくりながら声を振り絞る。

「もちろん帰ってくるよ。純一が都会で生きていけないのもあるし、私がいなくなったらご近所さんたちが悲しむからね」

 重岡千佳が自信たっぷりに断言した。

 まるでこの村の紅一点であることを自覚しているようだ。きっと生まれた頃から地域ぐるみで可愛がられながら育ってきたのだろう。

「姉ちゃん、約束だよ」

「もちろん。私がこの村を捨てるわけがないじゃん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る