第3想定 第12話

 ヤンデレがライフルを乱射した広場には誰も残っていない。

 残っているのはヤンデレに射殺された民間人か、それか俺に排除された敵対勢力の死体だけだった。

 右手に出現した拳銃USPのスライドをコッキングして初弾を装填する。そしてサムセイフティをかけて撃鉄ハンマーをロックする。USPはダブルアクション拳銃。つまりトリガーを引くとハンマーが起きて発砲可能状態になり、そのままハンマーが落ちて発砲という2つダブル動作アクションが連続して行われる方式を採用している。しかしこのUSPはシングルアクション、つまりハンマーが起きた状態で運搬し、トリガーを引いてそれを落とすだけという射撃方法も選択できる。

 SSTの他の隊員たちはダブルアクションを使用している。

 そして俺と姉ちゃんだけはシングルアクションを使っている。

 ダブルアクションは拳銃を抜いてただトリガーを引くだけ。ハンマーを起こすという動作が必要となるためトリガーが重くなり、その重さが安全機構となっている。まぁトリガープルが重いのは初弾だけだけどな。2発目以降は排莢のためにスライドが後退したときにハンマーが起こされるからシングルアクションになる。

 それに対してシングルアクションは発砲直前にサムセイフティを解除するという動作が必要になるがトリガープルは軽くストロークも短くなる。そのため初弾からより精密な射撃が可能となる。確実にサムセイフティを解除するための訓練が必要になるけども俺や姉ちゃんは実銃に触る前からガバメント系のエアガンで遊んでいたからそちらのほうが慣れている。

「さてと……」

 俺は少し移動して栗野の元に歩み寄る。

 地面に転がった彼女の死体をひっくり返し腰の装備品を確認する。

「なんだヒップホルスターか」

 常に拳銃を持っていると片手が塞がってしまう。

 拳銃を持ったまま格闘戦はできないことはないがヤンデレから凶器を奪う時などに不都合が出てしまう。そのため拳銃を携行するためのホルスターがあったほうが便利だ。

 栗野のクラスは西部開拓時代のコンセプト喫茶をしていた。店員たちが西部劇に出てくるようなガンマンや保安官のコスプレをしていてその小物としてホルスターを装着していたことを思い出し、俺は栗野の死体からホルスターを貰っていこうと考えたのだ。

 しかし彼女が装備していたのはヒップホルスターだった。

 俺、ヒップホルスターは使ったことがないんだよなぁ。

 普段俺が使用しているのはレッグホルスターだ。これは複数のベルトで太ももに装着するホルスターであり自然な動作で拳銃を抜くことができる。仕事でも遊びでもそれを使っている。

 確かに栗野が装備しているヒップホルスターは誰にでも簡単に使える万能タイプだ。しかし実戦で慣れていないことをするのはできるだけ避けておきたい。ちょっとした不慣れが大きな隙に繋がって命取りになってしまう。

 これは仕方ない。

 片手が塞がるというデメリットを選択してでもこの装備は避けておいたほうがいいだろう。教室に置いているバッグにレッグホルスターを隠しているがそれを取りに行く時間ももったいない。もしも近くを通ったら拾っていこう。

 俺はヤンデレの捜索に向かうために栗野のそばから立ち上がった。

 何気なく周囲を見回すと多くの死体が転がっていた。

 ヤンデレが乱射したのはマガジン1個分ぐらいだったがそれでも多くの被害が出ている。

 その中には俺のクラスメイトも混ざっていた。

 そして太ももに何かをつけた男子生徒の死体が転がっていた。

 近づいて確認するとそれはレッグホルスターだった。おそらく栗野と同じクラスの生徒だろう。彼にとっては気の毒だけども俺にとっては丁度よかった。途中で教室に寄ってホルスターを拾っていく手間が省けた。

 彼のホルスターを貰うと右の太ももに装着して拳銃をぶち込み、何度か抜い《ドローし》てみて位置を調整する。

 よし、これで万全だ。

 装備を整えた俺はヤンデレを捜索するためにその場を後にした。


 土足のまま校内に突入する。

 戦場に行儀なんてものは存在しない。

 ヤンデレは銃器を使用していた。乱射された銃弾によって砕かれたガラスが床に散乱しているかもしれない。ガラス片の中を裸足で駆け抜けるなんてごめんだ。そんなことができるのはニューヨーク市警のジョンマクレーンぐらいだろう。

 不運の度合で言えば俺もいい勝負だけどな。

 教室をひとつひとつ検索していく。

 この棟のこのフロアには1年生の教室が入っている。

 それぞれの教室はヤンデレの侵入を食い止めるためにドアが施錠されていた。しかし家鴨ヶ丘高校の建物はそんなに立派なものではない。木製のドアは簡単に蹴り破ることができた。

 複数の教室を捜索したが中にいるのはヤンデレに怯えた民間人だけだった。拳銃を構えて突入してきた俺に驚いて彼女たちは泣き叫んだが気にしている場合ではない。もしも反撃してきたら撃ち殺せばいいだけだ。

 1年1組の教室から始まり3組まで検索したところで遠くから銃声が聞こえた。

 隣の棟から聞こえてきた。

 この音は9ミリパラベラム弾のものだ。

 ヤンデレの凶器はアサルトライフルであり使用している弾薬は5・56ミリNATO弾。そして機動隊の鬼塚が装備している拳銃の弾薬が9ミリパラベラム弾。

 つまり鬼塚が交戦しているのだ。

 まずいぞ。

 鬼塚の任務は民間人の避難誘導。きっと彼女の近くには民間人がいるに違いない。

 俺は渡り廊下を走って渡り、隣の棟に移動すると壁に身を寄せる。

 銃声は一定の間隔を置きながらまだ聞こえてくる。

 ここの棟の廊下は屋外にむき出しになっている。1階は犬走みたいなもので、2、3階はベランダみたいなものだ。

 タイミングをはかって廊下に飛び出して左右のクリアリングを行う。複数人での行動であれば同時に飛び出してそれぞれの方向を確認すれば良いが単独での行動時には1人で2つの方向を確認しなければならない。

 てっきり廊下で銃撃戦が行われていると思っていたが違っていたようだ。

 銃声の元へと進撃していく。

 銃撃戦が行われていたのは調理実習室だった。

 調理実習室には複数の調理台が設置されている。遮蔽物が多いため身を隠すことができるがそれはヤンデレも同じだろう。

 それにしてもこれは面倒だな。

 壁にはガス炊飯器を動かすためのガス管が通っている。下手に発砲すればガス爆発の危険があるだろう。

 正確な照準が求められると同時にヤンデレになるべく発砲させないように立ち回る必要がある。

 気配を周囲に溶け込ませて調理実習室のドアの近くまで忍び寄る。そしてタイミングを整えて突入した。

 入口のすぐ近くには鬼塚が拳銃を構えて立っていた。彼女のさらに奥には複数の女子生徒が怯えた様子で調理台の裏に隠れている。そして彼女が拳銃で照準している先にはヤンデレ化した高田が女子生徒の人質を盾にしていた。

 人質となっていたのはよりにもよって舞香だった。

 しかし彼女が人質になっているからといって取り乱してはいけない。

 ヤンデレまでの距離は8メートル。

 そして舞香の横から高田の頭部が見えている。

 何の問題もない。

 ヤンデレに向けて突撃しながら5発だけ発砲。舞香を犠牲にすることなく全ての銃弾が高田の頭部に着弾していた。

 一瞬だけ沈静化した高田から舞香を奪還する。そして後ろの鬼塚の方へと突き飛ばした。

「鬼塚! 頼む!」

「りょ!」

背後から彼女らしい了解の返事が返ってきた。俺は振り返ることはなかったが確かに後ろで鬼塚が舞香を保護して調理室の外へ連れ出した気配がした。

「また宗太郎なの?」

「悪いけど事情を聴かないといけないんだよ」

「やだ」

「俺を信じてくれ」

「……そんなものを向けているのに?」

 高田は俺の手元を指さした。

 まぁそれを要求しているのであればそうするしかないな。

 俺はUSPにサムセイフティをかけてホルスターに戻した。

「これでどうだ?」

 何も武器を持っていないことを示すために手をひらひらと回して見せた。

 ヤンデレはこれを狙っていたのだろう。

 彼女の手にFAMASが出現した。

 しかしこちらは手ぶらとはいえ近接格闘の射程圏内だ。

 高田が銃を指向すると同時に俺は間合いを詰める。

外に払うように右手でフレームを握り、左手で銃床ストックと持ち上げるように彼女からライフルを奪い取った。そのまま銃口で高田の腹部を突いて隙を作り、流れるかのような動作でチャージングハンドルを引いて薬室チェンバーに新しい弾丸を送り込む。

別にこいつを高田に撃ち込むつもりはない。もしも発砲するのであれば沈静弾が装填されている腰の拳銃USPを抜けばいい。

 しかし俺はあえていつでも撃てるようにライフルを操作した。

 高田の状況を見るに完全な素人とは思えない。

 ヤンデレが使う凶器は本人の狂気が具現化したものだ。

 通常であれば包丁やナイフといった日常で使ったことがあるようなものが凶器として出現する。身近なものだから不思議ではない。

 しかし高田の狂気はライフルとなって出現した。

 日本でそんなものに慣れ親しんでいるやつはあまりいないだろう。

 さらに中庭で乱射する彼女の動作は素人とは思えなかった。もちろんプロには敵わない部分はあったが、少なくとも高田はきちんと銃床ストックを肩に当てて頬付けをして射撃をしていた。そして何より発砲しないときには指をトリガーガードの中には入れていなかった。何も知らない素人であれば撃たないときでもトリガーに指を掛けっぱなしにしているはずだ。

 少なくとも彼女はライフルの知識を持っている。

 そんな高田の目の前で本来の操作を省略することはできなかった。もしも奪ったライフルをコッキングしていなければ発砲する意思がないと見破られていたかもしれない。

「!」

 あっさりとライフルを奪われて一瞬だけ混乱した高田だった。しかし俺が射撃準備を完了させると同時に彼女の手には拳銃が出現した。

 銃口が指向される。

 しかし俺は空いていた右手だけでそいつをもぎ取った。いくらバレーボール部で鍛えているとはいえ筋力では俺のほうがはるかに上だ。さらにこの近接した距離での格闘戦は俺の独壇場だった。

 奪った拳銃を遠くにぶん投げる。

 本当はマガジンと初弾を抜いて捨てるほうが安全だったけども片手がライフルで塞がっているこの状況でそんなことをしている余裕はなかった。そもそもあの銃はヤンデレの狂気が具現化したものだから時間経過で消滅してしまう。万が一それを拾ってヒーローにでもなろうと考えるバカがいればFAMASの5・56ミリ弾でハチの巣にしてやる。

「なんで邪魔するの!」

 激高した高田は調理台の上に置かれていた包丁を手にした。そしてそれを感情の赴くままに振り回す。

 俺は振り回されるその刃物をバックステップで回避する。

 刃物を相手にした格闘戦の訓練は積んでいる。

 彼女が繰り出すその斬撃は無駄な動きが多いものだった。完全に感情に支配された彼女の大振りの包丁を回避するのは容易だった。

 人を殺すときに殺意を剥き出しにするやつは素人だ。

 プロは何の感情も持たずに殺害する。

必要だから排除する。

 何かの感情を抱いたとしても決してそれを表に出すことはない。罪悪感があれば手加減をしてしまう。殺意や憎しみに支配されてしまえば銃弾を無駄に消費してしまう。

 だからプロは何の感情も露わにすることなく目標を殺害する。確実に致命傷を与え、確実に息の根を止めるために。

 それがプロと素人の違いだ。

 もしも人を殺す機会があればこれを参考にしてほしい。

 高田が一歩踏み込んで包丁で斬りかかる。

 しかし俺も一歩下がってそれを回避した。

 彼女は単純だった。

 なかなか命中しない斬撃に苛立ったようでその包丁をまっすぐに突き出してきた。しかしそれも想定内。ヤンデレの背後コールドゾーンに回り込んでその刺突を避けると、その突き出された右手に俺の右腕を絡め、左手で彼女の肩を押し込んだ。関節を固定された高田は抜け出すことができずにあっさりと床に膝をついた。

 調理室内に鬼塚が戻って来た。

 この教室の中では複数の生徒たちが身動きを取れなくなっている。舞香を室外に連れ出して落ち着かせた鬼塚は取り残された生徒たちを守り、隙を見て連れ出すために戻って来たのだ。

 彼女は警戒しながらも俺の背後を通過し、教室の奥で腰を抜かしている女子生徒たちの近くに占位した。いざとなったら身を盾にしてでも守り通すつもりらしい。さすがは機動隊員だ。

 背後は任せた。

 俺は高田の対応に集中する。

 彼女の手を引いて立ち上がらせてやった。

「邪魔をしているんじゃない」

「嘘!」

「これは恋愛沙汰なんだろう。俺が仲を取り持ってやる」

「宗太郎に話したくない」

 あーだこーだ、と俺と高田は揉める。

 それはヤンデレ鎮圧と同時に取り残された生徒たちから気を逸らす目的もあった。

背後から感じられる高田の気配は、すぐそこに民間人が隠れていることを悟られないように立ち回り、そして一瞬でも隙があれば脱出させる準備を整えている。すでに彼女たちの存在を知られているかもしれないが、知られていない可能性も考えて行動する必要があるのだ。

 俺は高田から奪い去ったFAMASを持ったまま、いつでも撃てるという雰囲気を醸し出して対応する。もちろんこの銃に装填されているのは通常の銃弾だから本当に発砲する事はないが、それでも俺がすぐに発砲できるという状況を維持するのはこの作戦を有利に進めるうえで重要だった。

 ひたすら高田とやり取りを続ける。

 しかし「話をしてくれ」「絶対に嫌」の応酬で会話は全然前に進まない。

 そんな膠着した状況のなか、廊下の向こうから誰かが接近してくる気配がした。

 きっと外には舞香がいるはずだ。鬼塚が連れ出して戻ってくるまでそこまで時間はかからなかった。かといってあの状況の直後では腰が抜けて自力では移動できないはずだ。

 接近してくる気配は教室の入り口で止まった。きっと動けなくなっている舞香に気づいたのだろう。

 立ち止まった人物はすぐに動き出し、調理室の中に入って来た。

 くそっ。

 俺は高田の対応に集中しておきたかったが、その入って来た人物を把握しないわけにはいかない。

 一瞬だけヤンデレから目を離し、入って来た人物を確認した。

「ねぇ何かあった?」

 それは同じクラスの女子生徒だった。

 彼女はうちのクラスの模擬店で店長役を務めている生徒だ。たしか模擬店の会場で高田がライフルを乱射していたときは休憩に入っていたはずだ。

 ヤンデレ事件発生からそこまで時間が経っていない。銃声も来場者の悲鳴にかき消されて気づかなかったのだろう。来場者の悲鳴だってひなたたちのクラスの出し物である西部劇カフェのイベントによるものと勘違いしていてもおかしくはない。

 入室してきたクラスメイトに鬼塚が拳銃を指向する。

「やめろ! 撃つな!」

 俺の制止に反応して鬼塚は銃を下した。

 鬼塚は機動隊の隊員であってSSTの隊員ではない。

 SSTであれば問答無用で射殺しているが、機動隊では事前に警告をしたうえで発砲することになっている。警告する時間的なゆとりがあったことで俺の制止が間に合ったのだ。

「なにやってるの~?」

 いつ流血事件に発展してもおかしくはないこの状況をそのクラスメイトは理解できていないようだ。

 それも当然。

 高校の制服を着たやつらが銃を持っているのだ。しかも片方は毎日のように顔を突き合わせているクラスメイト。この状況で特殊部隊による作戦が実行されていると理解できるやつはこの平和ボケした日本のどこを探しても見つからないだろう。

 ましてや彼女は今日の文化祭が開催されたと同時にひなたの突撃を受けていた。ひなたのクラスでは全員がアメリカ西部開拓時代にうろついていたゴロツキや保安官の服装をしてモデルガンを腰にぶら下げていた。そのコンセプトカフェを見たこともあって今の状況はなおさら何かのイベントに見えたのだろう。

「ねぇねぇ、これって何かのイベント?」

 彼女は目を輝かせて質問を繰り返す。

 きっと休憩上がりのこいつはまだ模擬店に行っていないようだ。その場所に行っているのであればこの調理室がイベント会場ではなく戦場であることを理解できるはず。まぁそもそもハチの巣になった死体がゴロゴロと転がっているあの現場を見たら普通の人間はマトモに動けなくなるだろうけどな。

「高田ちゃん、これもうちのクラスの展示物?」

 ちくしょう。

 この女、ヤンデレ化している高田に話題を投げかけやがった。よりにもよってバカみたいに能天気な話題を。

 それが火に油を注ぐことになったのは十分に予測ができた。

「なによこの女!」

「またまた~」

「私がこんな気持ちになっているっていうのにっ!」

 能天気なバカがさらに油を注ぐ。

 案の定、高田が激高。そして飛び掛かる。

 その2人の間に俺が割って入り、FAMASを使って高田を張り倒した。そして脚を絡めて彼女を拘束する。

 今日が文化祭であるということで事情を知らない奴にはイベントにしか見えないようだ。

 俺が持っているのは玩具ではなく本物であるということを見せつけてやる必要がある。

 廊下に面した窓を照準。

 トリガーを引きっぱなしにして銃弾をバラまく。かなりの連射速度を誇るG2モデルのFAMASは一瞬にして窓ガラスを穴だらけに。

 この銃が本物であると理解したクラスメイトは腰を抜かしたのだろう。その場にへたり込んでわなわなと震えている。きっと実銃というものを初めて見たはずだ。それに予想以上に大きい銃声の驚いたのかもしれない。

 どちらにせよ腰を抜かしてその場に座り込み、変なことも言わずにおとなしくしていてくれるのであれば俺としては大助かり。

 しかし腰を抜かした人間を移動させるのは大変だ。

 俺はこいつをその場に置いておくことを鬼塚に指示を出した。

「俺はアンタを撃ちたくないんだ」

 高田を拘束したまま再び話し合いに入ったがそれでも高田は俺に心を許してはくれない。

 窓に向けて発砲したさっきの射撃は状況を理解できないクラスメイトに状況を教えるために実施したものだ。それと同時に必要ならば発砲する意思があるということを高田に伝えるための威嚇射撃という意味もあった。

 俺が発砲するところを目の当たりにしたというのに口を割らないとは、いったいこいつはどこまで強情なのだろうか。

 もう一度だけ威嚇射撃をしてみせようか。

 弾倉マガジンを外して重量を確認する。

 89式小銃の連射速度は速くても1分間に850発。それに対してこのFAMASのG2は遅くても1分間に1000発は発射できる。普段の作戦や訓練で使っている89式であれば連射しても何発撃ったか体で覚えているが、今日初めて使う上に異常に連射速度が速いこの銃では残弾の感覚を掴めなかった。

 さっきの威嚇射撃では何発の弾薬を消費したか正確に把握できなかった。

 しかし高田の凶器がG2モデルのFAMASで助かった。

 この銃に装着されている弾倉マガジンはSTANAGマグだ。普段使っている89式小銃のマガジンとほとんど同じ。

 重量を確認したのちにマガジンを銃本体に戻した。あの重量であれば残弾は12発。薬室チェンバーの中を入れると13発だ。

 これだけ残っていれば十分だ。

 実際にこいつを高田に向けて発砲することはないが、威嚇としては十分だ。

 俺は兵装を確認したのちに再び高田とのやりとりを続ける。

それにしてもこのFAMAS、なかなか消滅しないな。

 ヤンデレの凶器はそのヤンデレ自体の狂気が具現化したものだ。狂気が一定のレベルを超えたときに凶器という形になって出現する。裏を返せばその一定のレベルを超えなければ凶器は出現しないし、出現している凶器は消滅してしまう。

 俺はSSTに入隊してまだ4カ月ほどだが、これまでに戦ったヤンデレが凶器を出現させるのは殺意をむき出しにして襲ってくる一瞬だけだった。

 しかし今回の高田は違う。

 ここ調理室で高田との戦闘が始まってからしばらくの時間が経過している。戦闘開始とほぼ同時に奪い取ったFAMASはいまだに現存している。数分程度だけどここまで長く凶器が形を保っているというのは俺が出動した対ヤンデレ戦闘の中では最長であり異例のことだった。

 要するに高田の狂気は常に強いレベルを維持している。

 凶器が出現するほどの狂気なんて普通のヤンデレはごく一瞬しか保てない。そのレベルの狂気を高田は戦闘開始からずっと持続させているのだ。

 こいつは普通のヤンデレじゃない。

 そもそもヤンデレ自体が普通じゃないけどな。

 俺は高田の手を掴んで立ち上がらせると、再びただ冷静に語り掛ける。

 彼女は俺の力には敵わなかった。

 高田は強制的に立たされるがそれでも狂気はそのままだ。

 このシチュエーションであれば普通は俺に惚れてもおかしくはないんだけどな。

 彼女がヤンデレ化したヒントを何とか掴もうと俺はあらゆる方面からアプローチを続ける。こいつを片付けないことには今回のヤンデレ事件は解決しないからな。

 その途中、新たな気配を感じ取った。

 1人じゃない。2人だ。

 そいつらが調理室に入ってくることを警戒し、俺はハンドサインで背後の鬼塚に合図を送る。新たな気配の持ち主の対応は鬼塚に任せるが、いざというときは俺も対応しなければならない。

 高田に注意を払いながらその気配を追尾する。

 その気配は調理室の入り口付近で止まった。

 たしか舞香がそこで腰を抜かしているはずだ。きっとその人物は腰を抜かしている舞香を心配しているのだろう。俺はいますぐにでも舞香のそばに寄り添っていたいけども、舞香を守るためにはこの場所を離れるわけにはいけないのだ。

 誰だかしらないけども、駆け寄ることができない俺の代わりに動けなくなっている舞香に寄り添ってくれるというのは心強く、そしてありがたかった。

 近寄って来た人物が舞香に声をかける。

 その予想は的中した。

 いや、うれしいんだけどさぁ……。

 う~ん……。

 舞香を心配してくれたのはありがたかったが、問題は声を掛けた人物だった。

 それは俺も良く知っている奴。

 野球部の後輩であり、女性関係にだらしない史上最低のクソ野郎。

 隼人だった。

 平気で二股を掛け、それがバレて破局したかと思えばまた別の女子生徒を引っかける。

 そんな奴が舞香に寄り添っているのだ。

 これはヤンデレ鎮圧作戦なんてやっている場合じゃない。

 他の民間人が犠牲になるって?

 そんなこと言っている場合じゃねぇだろ。

 舞香をそんな奴に関わらせるなんてできない。

 はやく高田の奴をぶっ飛ばして舞香のもとに駆け付けなければ。

 この作戦をいかに早く終わらせるか頭をフルに回転させる。

 しかしその必要はなくなった。

 隼人が調理室の中へと入って来たからだ。

「先輩なにやってるんっすか~」

 入って来た気配は2人分。

 片方は隼人のもの。

 そしてもう片方の気配。

これは確実に舞香のものではなかった。

俺は舞香と長い時間を共にしているのだ。それだけ長い時間を共有しているのであれば彼女ではないことを理解するのは容易だった。

まぁ俺が一番長く時間を共有している姉ちゃんの気配は分からないけどな。だって姉ちゃん、気配が周囲に溶けているのがデフォルトなんだもん。

「廊下で彼女さんが泣いていたんっすけど?」

「これが終わったらすぐに行く」

 だから舞香と会話するんじゃねぇ。

 舞香には俺がいるから隼人なんて必要ねぇんだよ。

「後回しにしていたら俺が貰っていきますよ~」

「!」

 ヤンデレ鎮圧なんて悠長なことはやっていられない。

 任務なんてどうでもいい。

 少しでも早く舞香の元に駆け付けなければ。

 いや、それだけじゃ不十分だ。

 隼人は舞香に手を出そうとした。

 それは許されるようなことではない。

 高田を鎮圧する前に隼人をぶっ殺してやる。

 俺は高田から目を離し、背後の隼人にFAMASを指向。

 顔面を照準。

 敵までの距離は約8メートル。

 この距離であれば隼人が動いていたとしても外すほうが難しい。

 その気に入らない顔を吹っ飛ばしてやる。

 発砲しようとトリガーに指を掛けた。

 しかしそれと同時にFAMASが消滅してしまった。

「!?」

 凶器の消滅。

 それはヤンデレの狂気が低下したことを意味していた。

 戦闘開始から高レベルの狂気を維持していた高田が少しだけ落ち着いたのだ。

 状況が変わった。

 すかさずホルスターからUPSを抜き、どのような状況になってでも対応できるように準備を整える。

 隼人が登場した直後に高田の様子が変わったのだ。こいつが今回のヤンデレ事件解決のカギを握っていると予想して状況を観察する。

 良かったな隼人。

 俺がバカだったらこのUPSでアンタの頭を撃ち抜いているぞ。

 抜いたUSPは高田にも隼人にも向けることはなく俺は周囲の環境を確認する。

 一時的に鎮静化した高田。

 危険な状況に腰を抜かしているクラスメイト。

 取り残された生徒を守りつつ周囲を警戒する機動隊員の鬼塚。

 ヘラヘラと冗談にもならないことを抜かしやがった隼人クソ野郎

 そして隼人の隣にはどこかで見た記憶がある女子生徒が立っていた。

「隼人くん……」

 とろけるような声で高田はそうつぶやいた。

「……誰っすか?」

 面識がないのだろう。

 隼人は高田に質問をした。

 SSTに入隊してから半年も経っていない俺だけどもすぐにこの状況を理解した。

 きっと高田は隼人に好意を寄せているのだろう。それが何らかのきっかけでヤンデレ化したに違いない。

 そして隼人は女子生徒と一緒に調理室へとやってきた。文化祭で男女が行動を共にするということは2人が特別な関係である可能性がある。

 隼人とその隣の女子生徒の関係性は分からないけども、高田は隼人に想いを寄せている。ヤンデレ化している高田はその女子生徒を敵視し、彼女に対して殺意を抱く可能性がある。仮に隼人と女子生徒が恋人関係でなかったとしても、2人が同じ行動を取っているというだけで十分にヤンデレが殺意を抱いてもおかしくはない。いくら事情を説明したとしてもヤンデレの耳には入らないのだ。

 そうなれば俺がするべきことは明確だ。

 隼人をダシに高田がヤンデレ化した理由を探る。

 それと同時に高田の攻撃から女子生徒を守り抜く。

 そして最後に隼人をぶっ殺す。

 これで完璧だ。

 なにより優先しなければいけないのは女子生徒の護衛だ。

 俺の担当はヤンデレの鎮圧。

 そして機動隊員である鬼塚は民間人の保護。

 しかしこの女子生徒は高田に殺傷される可能性が極めて高い。必然的に彼女を守るためには愛情保安官もヤンデレの攻撃にさらされることになる。狂暴化したヤンデレは俺が対処したほうが有利だ。

 それに隼人と行動を共にしていたことから何らかの鍵を握っているかもしれない。

 俺は鬼塚に向けてハンドサインを送った。

 この女子生徒の護衛は俺が担当する、後ろの民間人の護衛を続けろ、と。

 鬼塚は了解のサインを送ってきた。

 さて、しばらく高田の動きを見ておこう。

「隼人くん……私、ずっと見ていたんだよ……」

 高田は囁きながら、ゆらりと足を踏み出した。

 万が一、高田が狂暴化しても隼人たちの前に割って入ることができるように、俺も彼女の動きに合わせて前進する。

「私、知っているから。隼人くんに彼女がいること……」

 ほう。

 高田も知っているのか。

 隼人とは同じ野球部に知っているから俺は知っていたけど、まさか女子バレーボール部に所属している高田まで知っているとは。

 高田は隼人の事を知っている様子だが、どうやら隼人は高田とは面識がないようだ。

 つまり一方的に知っているだけ。

 学年も違えば部活も違う。

 その状況でこいつの交際関係を知っているということか。

 ……隼人って意外と人気なんだな。

 まぁ俺の足元にも及ばないだろうけど。

「その彼女ってどんな人か知らないけどね、きっと私のほうが似合うと思うの」

 高田がその言葉を発すると、隼人の隣に立っていた女子生徒の眉がぴくりと動いた。

 その様子を知ってか知らずしてか、高田は口説き続ける。

「だから今の彼女と別れて、私と――」

「!」

 高田の発言を女子生徒が遮った。

 何か言葉を発したのではない。

 隼人の隣に立つ女子生徒から強烈な殺気を感じ取ったのだ。

 こいつもヤンデレ化しようとしている!?

 USPをそいつに指向した。鬼塚も警戒するが狂暴化したヤンデレの対処は機動隊には荷が重すぎる。ここは俺1人でヤンデレ2人を相手にしなければならない。

 この2人のヤンデレを同時に格闘戦で対処できるように、俺は数歩だけ前進して絶妙な距離を確保する。

 このヤンデレたちをどのように鎮圧するか。

 警戒しながらそれを考えていると思い出した。

 あいつは隣のクラスの奈多だ。

 俺がSSTに入隊して2回目の作戦で戦ったヤンデレだ。

 教室が違うこともあってあの時から会っていなかった。

 ちくしょう。

 高田は隼人に想いを寄せている。

 そして隼人の隣には奈多が立っている。

 この2人が互いに殺意を抱いているのは誰が見ても明らかだった。

 ましてや奈多は過去に隼人絡みでヤンデレ化した経緯がある。

 今回のヤンデレ鎮圧作戦は高田の対応をするだけだと思っていたが、ここでとんでもない別のヤンデレの登場だ。

 過去に複数のヤンデレと戦った事はある。SST隊員になって初めてヘリコプターで出動した家鴨ヶ丘高校での作戦。あの現場には3人のヤンデレが存在したが、ヤンデレ化した姉ちゃんの一撃によって他2人のヤンデレは瞬殺された。

 今回の作戦でもヤンデレ化した高田と奈多の殺し合いに発展することを想像するのは容易だった。

 過去の作戦ではヤンデレ化した姉ちゃんにはちっとも歯が立たなかった。鎮圧の目途が立たないまま3つのライフを全て失い、最後の最後には拳銃が暴発して俺は肺に重大なダメージを受けた。呼吸が困難になり出血は止まらず、意識が遠のいていく瀕死の俺を見た姉ちゃんは鎮静化した。

 あの時の俺は入隊したばかりということもあり有効な戦闘はできなかった。

 しかし今回はそういうわけにはいかない。俺はまだ新人には違いないが入隊して4カ月近くが経過している。それだけの訓練を積んでいて前回のようはヘマをすれば次に出勤したときに殺されるだろう。愛梨の手によって。

 それに今回の作戦では俺が瀕死になったとしても、こいつらは正気に戻ることはないはずだからな。

 ゆらり、ゆらり。

 狂気をはらんだ奈多は不気味に近寄ってくる。

 俺は射撃姿勢を普段使っているウィーバースタンスから至近距離射撃に有利なCARシステムに切り替えた。

 腕を伸ばして拳銃を体の前で保持する通常の射撃姿勢は近距離での戦闘では問題なく使えるが、手を伸ばせば敵に触れるほどに接近された至近距離での射撃には不利になる。拳銃の取り回しは難しくなり、さらには銃を構えた腕の下に潜り込まれる危険もある。そしてなにより拳銃を奪われる可能性が高くなる。近距離や至近距離での戦闘では武器を奪われることを警戒しなければならない。

 このCARシステムは閉所戦闘CQB近接戦闘CQCの考え方をもとにイギリスの元警察官によって開発された射撃方法だ。

 そうそう。CARシステムといえばアメリカ国家安全保障局の某秘密工作員が使っていることで有名だな。

 奈多はいまだに接近を続けている。

 いつ凶器が出現してもおかしくはない状況で近寄ってくる。

 俺は胸の前で両手を組み、体と並行になるようにUSPを構える。

 専門的に言うとハイポジションという射撃姿勢だ。

 CARシステムは4つの構え方に分類される。このハイポジションは超至近距離での戦闘に特化した射撃方法だ。銃を胸で保持するため照準器サイトを使用することはできないが至近距離戦ではそんなものを使わなくても当てられる。

 その姿はまるで棺桶に納められた死者が両手を組んでいるかのようだ。一説によるとあの合掌のポーズは両手に武器を持っていない清い心を表しているらしい。まぁ俺はこの任務に失敗すれば棺桶の中に入って本当にそのポーズをしなければならなくなってしまうんだけどさ。死体が原型を留めていればの話だけど。

 奈多は未だにゆらゆらと接近を続けてくる。

 しかし凶器が出現していない。

 今回の作戦で対処しないといけないヤンデレは2人。

 単純に考えると消費する弾薬も2倍だ。

 USPの装弾数は15発。

 調理室に突入したときに5発を消費した。

 残弾は10発。

 これだけあれば十分に連射が可能だ。

 それに加えて予備弾倉は2本。

 合計すると残弾は40発。

 なんならこの状況で射撃を始めてもいいが、作戦が長引いたときの事を考えると可能な限り弾薬を節約しておきたい。鬼塚の拳銃も同じ弾薬を使っているから分けて貰えばいいけども彼女の9ミリ拳銃と俺のUSPでは弾倉マガジンの形状が異なる。弾薬をマガジンに詰めなおすなんて作業はとうてい不可能だ。

 銃を突きつけられている状況でも奈多はゆっくりと接近を続ける。

 それに合わせて俺もジリジリと後退していく。

 最初は高田と奈多のちょうど中間あたりに位置を取っていたが、その両者との間隔も狭まっていく。

 これ以上の後退は危険だ。

 奈多との距離を確保するよりも背後の高田との距離を確保しておきたかった。

 俺は後退を中止するがそれでもお構いなしと奈多は詰め寄ってくる。

 そして俺たちは目と鼻の先に。

 これは人間同士が近接する距離ではない。

 もはや恋人同士の距離だ。

 奈多は狂気が宿った瞳で俺の顔を凝視する。

 一瞬の隙も見せまいと俺も彼女の顔を見つめる。そして気づかれないように彼女の手元を警戒する。

 しばらくの沈黙が流れ、その空気が打ち破られた。

「……どいて!」

 不気味な怒号と同時に奈多の手には巨大なノコギリが出現。

 それと同時に背後からも狂気を感じ取った。

「!」

 無駄撃ちなんて躊躇している場合ではない。

 俺は胸の前で構えていたUSPから3発の銃弾を発射した。

 鎮静弾が着弾したことで奈多は一瞬だけ正気に戻る。

 そこを俺は彼女を突き飛ばし、顔面を隠すように拳銃を保持するエクステンディッドポジションに切り替えて再び3発の銃弾を発射。

 さらに素早く振り返りながらUSPを右手から左手に持ち替えトランジションをして、高田に向けて同じ射撃姿勢で発砲。

 同じタイミングで狂暴化したヤンデレを2人同時に鎮静化させた。

 しかし油断することはなかった。

 今回の射撃で装弾を全て撃ち切った。USPのスライドはホールドオープン状態で停止している。

 すぐさまUSPを右手に持ち替える。そしてポケットから予備弾倉を引き抜きながら、マグキャッチレバーを押し下げて弾倉マガジンをリリース。空になったマガジンを床に捨てて新しいマガジンをぶち込み、スライドストップレバーを操作して初弾を装填。

 徹底的に訓練した素早いコンバットリロードはヤンデレの反撃を許さなかった。

 通常であれば空弾倉は回収している。しかし今回は空弾倉を放り込むダンプポーチを持っていなければ、そのような悠長なことをしている時間的な余裕もなかった。ましてや放棄した空弾倉には残弾が残っていなかった。わざわざ危険を冒してまで回収する必要なんてものはない。

「鬼塚! こいつを引き離せ!」

 脱出不能に陥っていた生徒たちを守っていた鬼塚に指示を出した。この事件に巻き込まれた民間人に護衛を付けておきたかったけども俺が倒されてしまえば鬼塚が最前線に出なければならない。そして特殊部隊の俺が倒されるぐらいであれば機動隊の鬼塚はなおさら歯が立たないだろう。そして最後には民間人が犠牲になってしまう。

 集中して戦力を注ぎ込むのは作戦の基本だ。

 俺の主な任務はヤンデレの鎮圧。

 そして民間人の保護。

 それは機動隊員である鬼塚も同じだ

 この目的を達成させるためには俺たちが倒されるわけにはいかない。俺たちが倒されたら後ろの民間人も同じ運命をたどってしまう。俺たちが戦死して2階級特進して終わり、で済むわけがない。

 民間人の護衛は大事な任務だ。

 しかし彼女たちを守るためには戦闘員の生存を優先しなければならない。

 俺の指示を受けた鬼塚は尻餅をついている奈多の元に駆け寄った。

 それと同時に隼人も彼女の元に駆け寄った。

 奴にはヤンデレという概念はないだろう。

 しかし自身の恋人が突然狂暴化し、その手にノコギリが出現した。それに加えて誰よりも尊敬して人生の目標としている俺に襲い掛かろうとしたのだ。隼人がとっさに動いたとしてもおかしくはなかった。

 しかし隼人を犠牲にするわけにはいかない。

 奴は高田がヤンデレ化したきっかけを握っているはずだ。

可能なら後ろに下がっていてほしかったけども、同時に奈多のすぐ近くに置いておきたいという考えもあった。隼人は奈多と恋人関係だ。ヤンデレ化した奈多と過去に戦ったときは隼人と遭遇したというちょっとした出来事で鎮静化した。

 今回の作戦は高田の鎮圧を目的として始まった。その途中からヤンデレ化した奈多が乱入してきた事で余計に難易度が上がってしまった。

しかし隼人が隣にいることで奈多が落ち着いてくれるのであれば大助かりだ。

 俺は鬼塚に向けてハンドサインを送った。

 そこの男はそのままにしろ。ただし危険が迫ったら守れ。と。

 さらに姪乃浜に向けて無線を入れる。

「姪乃浜、警察官アヒルたちはどうなっている」

『民間人の退避で手こずっている』

「ヤンデレが増えた。民間人ヒヨコ逃がし売りたい。警察官アヒルってくれ」

『了解。すぐに増援を送る』

『頼んだ。突入手袋は俺が指揮落とす』

 近所の日向警察署から出動した警官隊はすでに到着している。しかしパニック状態に陥っている民間人を非難させることに難航している状況らしい。

 戦闘が発生している調理室には自力では動けない民間人が数人いる事。そして彼女たちを退避させるために警察官を送ってほしいと要請した。

 もちろんそのまま無線を送ったわけではない。

 奈多はすでに気づいているはずだけども、近くに民間人が隠れていると高田は気づいていない可能性がある。すでに気づいているのであればどうしようもできないが、可能なかぎり彼女たちの存在を秘匿しておきたい。

 身動きが取れない民間人の存在と、その救出要員を要請する無線。

 きちんと俺は隠語を使って送信した。

 そのままの文章で送ってヤンデレにこちらの情報をバラすほど俺は馬鹿ではないのだ。

 俺の背後では2人がかりで奈多を押さえつけている。

 片方は機動隊員の鬼塚だ。戦闘技術ではSSTには敵わないがそれでも専門的な訓練を受けている。それに俺の姉ちゃんのシゴキにも耐えて機動隊員になったのだ。もしも再び奈多が狂暴化したとしても時間を稼いでくれるだろう。

 そしてもう1人は民間人の隼人。狂暴化したヤンデレとは想像もつかないような筋力を発揮する。しかし野球部に所属していてそれなりの体力を持っている隼人ならばある程度の時間を稼ぐことができるだろう。

 隼人がヤンデレから殺意を向けられているのであれば何とでも守らなければならない。

 しかし今回の2人のヤンデレは両方が隼人を奪い合っている。お互いの殺意がお互いに向かっているのであって、その意思は隼人には向かっていない。

 戦場では使えるは何でも使うべきだ。

 一応、隼人は民間人だ。それもあって俺は奴に指示を出さなかった。しかし隼人が自発的に奈多を取り押さえるのを手伝ってくれたのはありがたかった。恋人が押さえつけることによって奈多が正気を取り戻すきっかけになるかもしれない。

 それに鬼塚だけが取り押さえている状況でヤンデレが攻撃を行ったらその目標は自動的に鬼塚となる。しかし隼人も同じ行動をしていることで攻撃目標となる確率は低下させることができる。

 鬼塚が戦闘不能になったら戦力が低下してしまうが、隼人が動けなくなったとしても問題はない。そもそも奴は戦闘技術なんてものは持っていない。民間人の負傷者が増えるだけで愛情保安庁の戦力には何の影響もない。

 それに隼人は馬鹿だ。

 さらに言うと無駄に行動力がある。

 戦場では行動力のある馬鹿が最も邪魔になる。まさに隼人みたいなやつのことだ。

 負傷して動けなくなってくれさえすれば俺の邪魔をすることもないだろう。

 奈多を背後の2人に任せて、俺は高田とのやり取りに専念する。

 いくら俺が話を聞き出そうとしても頑なに口を開こうとはしなかった。

 しばらくの間、俺たちはその押し問答を続けた。

 そして膠着状態から進展がない状況のなか、要請していた応援部隊が到着した。

『こちら日向署員よりSST。調理室の入り口付近に到着』

「SST、了解。現在膠着中」

『突入してもよいか?』

 その無線は鬼塚も聞いていただろう。

 しかし俺は念入りに鬼塚と確認した。「味方だから撃つな」というハンドサインを鬼塚に送る。彼女は「もちろん」とでも言うように了解のサインが送られてきた。

 閉所戦闘CQBで注意しなければならないのは味方への誤射フレンドリーファイアだ。多くの死角が存在する閉所ではどこから敵が出てくるか分からない。それに加えて交戦距離もかなり短い。

 いつ敵が現れるか分からない。

 いつ敵に撃たれるか分からない。

 戦場でその恐怖にさらされた人間は体内で大量のドーパミンが放出されて興奮状態に陥る。いわゆるコンバットハイというものだ。この状態では冷静な判断は困難となり、味方を誤射してしまう危険があるのだ。

 SSTの任務の多くが閉所戦闘CQBだ。この緊張した状況下でも常に冷静な状態で目標を敵、味方、民間人に判別して攻撃する。いわゆる識別射撃の訓練を徹底的に行っている。

 その訓練は機動隊でも行われている。鬼塚の戦闘技術を疑っているわけではない。

 しかしこの作戦の基幹部隊であり現場で指揮を執っている俺としては安全確認を怠るわけにはいかない。1秒を争うような状況下であれば犠牲を覚悟の上で突入したりもするが、この膠着状態であれば安全に行動したほうがいい。

突入を許可するポジティブ

 その無線を受けて調理室の中に警察官が突入してきた。

 最初に入ってきた警察官がポリカーボネート製の透明なシールドを立てた。その後ろで2人の警察官が隠れている民間人のもとに駆け付ける。彼らはゴツいボディアーマーを装着し、腕や足にも防具を着けている。さらには頭にはシールド付きのヘルメット。

 ここの調理室は今回の作戦での最前線であり激戦地だ。

 さらにヤンデレは銃器まで使っている。

 被弾する可能性も考えて防御力の高い防具を装備した警察官を送ってくれたようだ。

 時間はかかるだろうが彼らの突入により、民間人が退避することで俺たちが背負っている重荷も軽くなる。

 しかし同時に彼らの突入はこの膠着状態を打ち破った。

 学校では見ることがない警察官。

 さらに警察署や交番ですら見ることがない重装備の警察官が突入してきたのだ。

 そのインパクトは高田のヤンデレスイッチを入れるのに十分すぎた。

 再び高田の手にはFAMASが出現した。

「隠れろ!」

 民間人を退避させようとしていた警官隊に指示を出した。

 それと同時に俺はUSPを高田に指向。

 俺はいつでも発砲できるように警戒していた。

さらに射撃の練度も俺のほうが上。

 どちらが先に射撃体勢に入れるかなんて明確だった。

「ねぇ隼人くん……」

 しかし高田は銃を構えなかった。銃口を真下に向けた状態ストレートダウンでFAMASを保持したまま隼人に語り掛けた。彼女はきちんとトリガーから指をはずしている。その立ち振る舞いはどうも素人には見えなかった。

「私とその女、どっちが隼人くんに似合うと思う?」

 銃口を向けていないとはいえライフルを手にした状態での質問は、まるで意に沿わない返事をすればすぐに発砲するとでも言うかのような脅迫的な意味を感じ取ることができた。

 さて、ここからどうしようか。

 高田は銃を下げている状態。

 この状態から射撃するには目標を照準する過程が必要だ。

 調理室内には隼人がいる。奴に想いを寄せている高田は隼人に向けて攻撃はしないはずだ。それに加えて隼人は鬼塚や奈多と近接している。ライフル操作の知識や技術をある程度持っていると考えられる高田がこの状況で発砲するとは思えなかった。

 仮に鬼塚や奈多を狙って発砲するとしても、隼人を誤射しないために精密な照準が必要になる。俺ならばこの状況でも一瞬にして2人だけを確実に撃ち抜けるが、高田の動きを見るにそこまでの戦闘技術は持っていないだろう。

 彼女の射撃技術であれば精密な照準のために時間がかかるだけでなく、失敗が許されないというプレッシャーにより発砲を躊躇する可能性がある。それだけの隙があれば俺が高田に対して先制攻撃を仕掛けることもできる。

 しかしそれは高田が隼人に殺意を抱いていないということが前提の話だ。

 隼人が馬鹿であることを忘れてはいけない。

 この緊迫した状況下で隼人が余計なことをしゃべり、高田から殺意を向けられる可能性も十分に考えられる。そうなればこの調理室の中に高田が撃ちたくない人物はいなくなる。 隼人が余計なことを言ってこの調理室内に撃ちたくない人間がいなくなったとしたら、高田は容赦なく発砲するだろう。しかもわざわざ照準して射撃する必要はない。トリガーを引きっぱなしにして室内を薙ぎ払うだけで全てが終わる。

 そのような事をされてはさすがの俺も対処は不可能だ。

 ましてや高田の凶器は高い連射速度を誇るFAMAS。しかも30発装填のSTANAGマグを装着したG2モデル。それだけの連射速度と装弾数を誇るライフルであれば室内にいる人間を一瞬にして肉塊に変えることは容易だろう。

 馬鹿な隼人は絶対に余計なことを言うはずだ。

「高田、よく聞け!」

 その最悪の未来を予想した俺は何かを言おうとしていた隼人を制止。すべてが丸く収まる方向へと話題を持ち込んだ。

「隼人は俺にとって弟みたいなものだ!」

 嘘だけど。

「そうそう、俺と先輩は本物のブラザーっすよ」

 隼人ふざけんな、ぶっ殺すぞ。

 なにが「本物の」だ。

 俺が言ったのは「弟みたいなもの」だ。この場をおさめるその場の方便だし、百歩譲っても偽物の弟だ。

 俺は姉ちゃんと2人だけで完全な姉弟。

 そこに余計な人物は不要。

 隼人は蛇の絵を描くときに足を描くか?

 蛇は胴体だけで完全体だ。

 蛇に足は余計なもの。

 大昔の中国では蛇に足を描いた馬鹿がいて、そいつがきっかけで『駄作』という単語ができたんだよ。

余計なことはするなって中学校で習っただろこの馬鹿。

「高田、聞いただろ? 俺と隼人は兄弟     ものだ」

「……本当?」

「もちろんだ」

 きっと隼人みたいなやつのことを『義務教育の敗北』というのだろう。

 しかし俺の話に隼人が乗ってきたことはありがたかった。

 高田が想いを寄せる隼人が俺と兄弟     ものであると認めたことで俺に対して少しだけ心を開いたようだ。

 俺を本物の兄弟と言いやがった隼人は許しがたかったけども、ヤンデレ鎮圧作戦としては好都合だ。

 隼人はこの作戦が終わった後に吊るし上げればいい。

 さて、どうやって社会的に抹殺してやろうか。

「隼人」

「なんっすか?」

「本当に高田のことを知らないのか?」

「知らないっすよ、マジで」

 彼女との面識を念入りに確認するけども本当に知らないらしい。

 どうやら高田が一方的に知っていて、なおかつその恋心も一方的なものらしい。

 それに高田は隼人の事をよく知っているとも言っていたな。

 きっといろんな場所で奴の事を見ていたのだろう。

 ストーカーと呼ぶやつもいるかもしれない。しかし気になる相手が近くにいれば自然と視線が吸い寄せられ、相手のことを詳しく知りたいと思うのは自然なことだ。

 さすがに家まで特定する、とかそういうレベルになったら愛情保安庁が捜査しないといけなくなるから勘弁してもらいたいけどな。

「隼人には彼女がいることは知っている。別に今の彼女と別れてこいつと付き合えとは言わない」

 高田は隼人に想いを寄せていた。

 女子の情報網はとんでもなく強力だ。

 その強力な捜査員たちによって高田は隼人の情報を探ったのかもしれない。そして隼人に彼女がいることを知ってしまった。

 人によっては想い人を略奪することもある。

 しかし高田はそのようなことをしなかったのだろう。

 俺のクラスには複数の女子グループがある。

 その中で特に発言力が強い2つのグループのうちの片方のボスに君臨しているのが高田なのだ。

 何も女子グループなんて高校だけのものではない。

 俺は中学校でもその団体の恐ろしさを見ていた。気に入らないクラスメイトは残酷な手を使ってでも潰し、その目標を見せしめにすることでクラスに恐怖政治を敷いている。

 しかし高田は違う。

 ガラクタを集めて展示物を作るという頭のおかしい事を言い出したときだって、それに反対するクラスメイトはいなかった。それは決して女子同士のギスギスしたパワーバランスが存在したわけではなかった。展示物担当の生徒の全員が嬉々として創作活動に取り組んでいた。

 俺が男だから知らないだけで本当はギスギスしているのかもしれない。

 それでも俺は高田の人柄がクラスメイトを引き付けているのだと思っている。

 他人の事を気にしている高田だからこそ多くの仲間たちから愛されているのだ。

 そんな思いやりのある高田は隼人を奪うことはできなかった。

 他人を思いやる気持ちと自分の中の本心がぶつかり合い、その結果としてヤンデレ化してしまったのかもしれない。

 フラれる前提で告白して玉砕する手段もあっただろう。

 答えを聞かなくても自分の気持ちを伝えるだけでも良かっただろう。

 しかし高田はそれができなかったのだ。

 勇気がなかったわけではない。

 高田のその行動が隼人と奈多の関係にヒビを入れることを恐れていたのだろう。

 まったく、お人好しが過ぎるんじゃないか。

 ここまで思いやりがある奴が俺以外にいるとは思わなかったぞ。

 今回のヤンデレ鎮圧作戦は俺の任務だ。

 しかし任務の話を抜きにしたとしても、高田の気持ちはどうにかして昇華させてやりたいという思いがあった。

 たしかにこいつはとんでもないやつだ。

 俺の壊れた携帯を展示物として晒そうとしていた。

 さらにはハンマーで粉砕するというアトラクションも考えていやがった。

 しかしそれでも俺のクラスメイトであることには変わりないのだ。

「じゃあセンパイ、俺はどうすればいいんっすか?」

 隼人が俺の意図を聞いてきた。

 奴はまったく状況を理解していないようだ。

 これだから馬鹿は困るんだよ。

 俺はため息を吐いたのちに話を続けた。

「だけどこいつの話を聞いてやってくれ。高田とは特に接点はないが、それでも大事なクラスメイトなんだ」

 高田、アンタは何も考えなくていい。

 自身の気持ちを伝えることで隼人と奈多の関係にヒビが入るかもしれないだなんて考えなくていいんだ。

 俺の任務はヤンデレを鎮圧して人々の恋愛を成就させることだ。

 平気で二股を掛けるようなやつや、ホイホイと彼女を乗り換えるような奴は俺たちにとって敵だ。そいつらの排除も俺たちの任務に含まれている。

 だから高田は深いことは考えなくていいんだ。

 もしもアンタの告白で隼人が奈多を捨てようものならば俺が速攻でぶっ殺してやる。

 隼人と奈多の関係にヒビが入ったのであれば俺が何とかしてやる。

 それが俺の任務なのだから。

 恋心なんてものは抑えることができない。

 それを無理やり我慢していたせいで今日はヤンデレ化してしまったのだろ?

 抑えきれない気持ちはどうにかして解放してやらないといけないんだ。

 必要であれば俺が手を貸してやる。

 気持ちが暴走してしまったら張り倒してでも止めてやる。

 奈多がヤンデレ化して襲ってきたら俺が防いでやる。

 だから何も考えずに気持ちをぶち撒ければいいんだ。

「………………」

 高田はいまだに戸惑っているようだった。

 俺の誘導により絶好の機会を得たというのに、高田は隼人を心配に、そしてなにより奈多に対して申し訳なさそうな顔をしていた。

 まったく女心って分からないなぁ。

 さっきはライフルで容赦なく奈多を撃とうとしていたのに、いざ絶好の機会が回ってくると躊躇するだなんて。

 さて、これからどうしようか。

 俺はこの後の展開をどのように持っていくべきか考えた。

 しかしその沈黙はすぐに破られた。

 隼人だった。

 困り果てた高田に助け舟を出したのだ。

 平気で二股を掛けてすぐに乗り換えるようなロクデナシだけど、こんなときは男前なんだな。

 さすがは隼人。

 状況を理解していない馬鹿って思って悪かったな。

 これからは空気を読める馬鹿って思ってやるよ。

「高田センパイ、でしたっけ?」

 今回の作戦で初めて隼人が高田の名前を口にした。

 その質問に高田は肯定した。

「もしかして俺の事、好きなんっすか?」

「………………」

 うつむいて黙り込んでいた高田だったが、その頭が僅かに沈んだことを俺は見逃さなかった。それはどうやら隼人も気づいたようだ。

「聞いただろ隼人。別に今の彼女と別れてこいつと付き合えだなんて言わな――」

「ないわー」

 ……は?

 俺の話を遮るように隼人が拒絶の言葉を発した。

「ムリムリ、絶対にムリっすよ」

 なにを言っているんだこの馬鹿!

 断るにしても言い方ってものがあるだろ!

 お前は空気も読めないのかこの馬鹿!

「おい隼人! 高田のどこがムリなんだよ!?」

「センパイ、気づいてないんすか~」

 隼人はいつものようなチャラい口調で話し始めた。

 さっきは男前でカッコいいと思っていたが、その見る影も残ってはいなかった。

「だって高田センパイって、おっぱい無いじゃないっすか」

「はあああぁぁぁぁぁ!!!???」

 お前、馬鹿だろ!

 そんなわけの分からない理由で断ったのか!

「センパイ、よく見てくださいよ。高田センパイってツルツルのペタペタ。まさにストーンってしてるじゃないですか。何もない平原っすよ。絶対に肋骨でゴツゴツしているはずっすよ」

 隼人はふざけるように胸の前で内側に向けた手を上下させていた。

 そのジェスチャーは高田の体形をあざ笑っていた。

 女子にとって自身の体形の事情はデリケートな話題だ。その領域は決して男が立ち入って良いものではない。

 しかしデリカシーなんてものを持ち合わせていない隼人はヘラヘラとそのふざけた動作を続けている。

 想い人とはいえさすがに感情がかき混ぜられたのだろう。

 隼人に何か言い返そうと高田が踏み出そうとする気配を感じた。

 それを俺は片手で制止する。

 彼女の前進を止めるために伸ばした手に柔らかい感触を感じた。

 これは高田の体だな。

 彼女の体には触れないように手を伸ばしたつもりだったが、どうやら彼女はかなり感情を揺さぶられていたようで、その1歩も大きかったようだ。

 高田、こいつは俺に任せてくれ。

 俺の責任でこいつを黙らせてやる。

「よく聞いとけ隼人!」

 お前は馬鹿だ。

 そんなお前にも分かるように教えてやる。

「女の価値は胸の大きさで決まるんじゃない! 胸の小ささで決まるんだ!」

 これ以上はないであろう大声で隼人を怒鳴りつけた。

 感情をむき出しにした俺に驚いたのだろう。隼人はあっけに取られていた。

 驚いていたのは隼人だけではない。

 取り押さえられていた奈多。

 取り押さえていた鬼塚。

 民間人の救出のために突入してきた警官隊。

 腰を抜かして床に座り込んでいるクラスメイト。

 その全員が驚いていた。

 俺は人前で怒るような性格ではない。

 いくら馬鹿にされようが見下されようが、俺は人を怒鳴ったことなんてほとんどない。特に怒りという感情も感じなかった。

 しかしこればかりは許せない。

 許せなかったからこそ衆目を気にせずに感情を露わにしたのだ。

「馬鹿で知能のかけらもない隼人は知らないかもしれないが、昔の絵画には女性がモデルとなっていることが多い。それは女性に魅力があるからだ。エロとかそういう低俗な魅力じゃない。そこら辺の普通の女性に芸術的な魅力があるんだ」

 この場の誰もがあっけに取られている。

 しかし俺はそれを気にせずに熱弁を振るった。

「たしかに高田はツルツルのペタペタだ。ろくに知識がないやつが見たら完全な貧乳に見えるだろう。お前はさっき「肋骨でゴツゴツしている」と言っていたな。それはお前が素人だからそのようにしか見えないんだ。しかし専門家の俺には分かる。高田は貧乳でありながら揉めるほどにはある。ゴツゴツしていそうだけど確かに柔らかい。現に俺の手は柔らかい感触を――」

 ………………。

 ん?

 俺の手には柔らかい感触?

 女子の体というものは柔らかいものだ。何度も舞香と手を繋いでいるからよく知っている。だけどここまで柔らかくはなかったはずだ。

 しかし俺はこの感触と形を知っている。

 そして心地の良い安心を感じる。

 そう。

 まるで姉ちゃんと触れ合っているときの感覚だ。

 俺はその感触を感じている手を確認してみた。

 ………………。

 やっちまった。

 やっちまったよ。

 俺の手はまっすぐに高田の胸部へと延びていた。

 そして高田の胸を触っていた。

 いや、触るというようなものではない。

 掴んでいた。

 だから室内の誰もが驚いていたのか。

 ヤバい。

 ヤバいぞ。

 これでは同級生の胸を鷲掴みにした痴漢野郎になってしまう。

 しかも数人の警察官が目撃している。

 よりにもよって俺が呼び寄せた警察官たちだ。

 このままでは逮捕されてしまう。

 自分で呼んだ警察に現行犯逮捕されるだなんてマヌケすぎる。

 俺は冷静になって周囲を見回した。

 腰を抜かしているクラスメイト。とんでもないことを抜かしやがった隼人。さっきまでヤンデレ化していた奈多。そして同じ任務に就いている鬼塚。

 その全員が俺を軽蔑するかのような目で見ていた。

 警察官たちは呆れながらも戸惑っている。

 まずい。

 まずいぞ。

 このヤンデレワールドが消滅すれば、民間人の記憶からヤンデレ事件の部分は抹消される。しかし高田の胸を鷲掴みにしたことまで抹消されるかは分からない。

 よりにもよってクラスのボス的な女子が2人もこの場にいる。

 1人は被害者として。

 もう1人は目撃者として。

 万が一、記憶が残ってしまった場合には彼女たちによって言いふらされるだろう。

 そうなってしまっては俺の人生は終わってしまう。

 高校生活が終わって社会的に死亡するか。それとも他の女子の胸を鷲づかみしたことを知った舞香によって殺されるか。

 いずれにせよ【SOTARO IS DEAD】だ。

 しかし俺はSSTで数多くの作戦に参加してきた。

 多くの作戦でピンチを切り抜けてきた。

 俺にはできる。

 自分の力でこのピンチを切り抜けるんだ。

 俺は満面の笑みで親指を立てた。

 幸運を祈るグッドラック

 そう言うかのようにムスコ大佐もグッドサインを出している。

 クラスメイトのほうは仕方ないが、高田だけは味方につけるべきだ。

「アンダーは54にトップは62といったところか。Aカップ未満であることは確実だ。大きすぎず小さすぎず、ちょうどいい大きさだ」

 高田を褒めて、褒めて、褒めまくるんだ。

 きっと許してくれるだろう。

「確かに平原には何もない。多くの人間は平原を見ても何もないと言うだろう。しかし平原には植物が青々と生い茂り、一面に自然が広がっている。何もないところから何かの価値を見つける。これは芸術の本質だと思わないか? 何も無いように見えて確かに有る。高田は胸が無いように見えて確かに有る。柔らかくて、温かくて、そして普遍の安心を俺は感じた。官能的であり芸術的。それはまるで聖母の絵画を見ているかのようだ」

 高田を褒めまくって機嫌を取るんだ。

 彼女が満足してくれさえすれば、せめて高田の女子グループを味方につけることができるかもしれない。

 そうでなければ俺はクラスの全員を敵に回すことになるだろう。

 味方は俺だけ。

 敵は40人。

 1対40なんてとうてい勝ち目はない。その状況で勝てるのは太平洋戦争時代にタイムスリップした新型イージス艦ぐらいのものだろう。

 高田のグループだけでもいい。

 彼女たちを取り込むことができれば最悪の場合でも大手女子グループ同士の争いになる。その状況になれば多少は俺の社会的な地位も守られるだろう。

 いや、むしろクラスでの俺の地位が向上するかもしれない。

 そうなったらモテモテで困っちゃうな。

 舞香が嫉妬してヤンデレ化するかもしれない。

 まぁその時は俺が片付ければ済む話だ。

 今の俺がやるべき事はただひとつ。

 高田を褒めて味方につけるのだ。

 俺は渾身のキメセリフを口にした。

「感触は見事だった。いいサイズだ」

 ………………。

 やったか?

 高田は顔を押さえてフルフルと震えている。

 キマッた。

 これ以上にないほどに格好良くキマッた。

 きっとこれは伝説として永遠に語り継がれるだろう。

 女子というものは事あるごとに震える生き物だ。

 俺のあまりの格好良さに恥ずかしくなり、顔を押さえて震えているのだろう。

 あ~、これは惚れたな。

 隼人なんてつまらない男じゃなくて俺に乗り換えろよ。

 誰も尻軽だなんて言わないはずだ。

 あれほどの熱弁を聞かされて心が揺れない女子なんていないはずだ。

 顔を押さえて震えていた高田だったけども心が落ち着いたのだろう。彼女は俺に正対すると真面目な顔で口を開いた。

 お?

 来るか?

 告白するのか?

「宗太郎」

「なんだ?」

「死ねっ!」

「フンッ!」

 彼女の前蹴りが俺の股間に炸裂した。

 おいおい。

 普通の男子だったら動けなくなっていたぞ。

 毎日のように美雪からキン☆タマを蹴られている俺に高田の蹴りは通用しなかった。美雪の金的の威力が対物ライフルから発射される50口径弾だとすれば、高田の金的は18禁のエアガンから発射されるBB弾程度のものだろう。

 さすがにまったくのノーダメージというわけにはいかなかったけども、戦闘行動には何ら影響はない。

 顔を合わせるたびにキン☆タマを蹴ってくる美雪には悩まされていたが、まさかこのような形で約に立つとはな。

 スポーツであれば金的は反則行為だ。

 しかし戦場には反則なんてものはない。

 いくら卑怯な技を使ったとしても最後に生き残っていた者が勝者だ。

 俺たちSSTでは確実に敵の急所に攻撃を加えて致命傷を与えるように訓練されている。それは特殊部隊に限らず一般部隊でもそのように教育されている。

 これは何もプロしか知らない事ではない。

今回のヤンデレ鎮圧作戦で戦った高田はライフルの知識を持っていた。今後、そのような軍事的な知識を持つヤンデレと戦うこともあるかもしれない。きっとそういうヤンデレと対峙したときは、必ず金的を仕掛けてくるはずだ。

 戦闘では一瞬の隙ですら命とり。

通常ならば行動不能になってしまう金的を受けても戦闘行為を続けることができるというのは特殊部隊員としては大きなアドバンテージだ。

 可能であれば美雪の金的は受けたくない。しかしその訓練がいざというときに生死を分けるのであれば避けるわけにはいかない。

 よし。

 もっと美雪にキン☆タマを蹴ってもらおう。

 ………………。

 さてと。

 訓練計画は次の出勤日に提案するとして。

 この場をどのように切り抜けようか。

 高田は号泣し、腰を抜かしていたクラスメイトの胸に飛び込んでいた。

「……サイッテー」

 高田を抱きしめるクラスメイトは確かにそうつぶやいた。

「センパイ……。最悪っすよ」

 巨乳好きという変態の隼人まで呆れていた。

「台無しだよ……」

 あろうことか鬼塚も呆れていた。

 なんでアンタが引いているんだよ。

 俺たちはヤンデレ鎮圧という同じ任務に就いていただろ。

 民間人の救出任務に就いていた警察官でさえ、内股になって股間を押さえながら呆れていた。

 ヤンデレワールドの消滅と同時に民間人の記憶からヤンデレ事件の記憶は削除される。

 しかしラッキースケベ事件の記憶までは消えるとは限らない。

 高田は泣き、その彼女をクラスメイトが抱いて同情している。

 万が一、この記憶が残ってしまった場合には2大女子グループによって俺の総スカンが発生するだろう。

 しかも隼人と奈多のカップルも目撃している。こいつらは過去のヤンデレ鎮圧作戦の後に俺が二股野郎というデマを言いふらしていた。絶対に今回も言いふらすだろう。

 そして問題は鬼塚。

 愛情保安庁の身内である彼女からは絶対に記憶が消滅しない。

 鬼塚だけは信用できない。

 こいつは「大金を持ち歩いている野球部員がいる」という情報をどこかから入手して速攻でカツアゲした前科がある奴だ。そんな奴が今回のラッキースケベ事件を言いふらさないわけがない。

 ………………。

 まぁ仕方ないな。

 胸を鷲掴みにされたことがきっかけでヤンデレが正気に戻ったとしても、ヤンデレ鎮圧作戦が成功したことには変わりはない。特殊作戦においてはどのように作戦を行ったかではなく、どのような結果に終わったかが重要だ。

 任務達成のためならば手段を選ばない。

 任務達成のためならばある程度の犠牲はいとわない。

 それが特殊部隊というものだ。

 俺にできることはただひとつ。

 鬼塚のことは諦めて、他の連中から記憶が削除されることを祈るだけだった。


【MISSION COMPLETE】


 白い世界に視界が包まれ、任務成功の表示。

 それが消えると普段の学校が戻ってくる。

 そう、戻ってくる。

 ………………。

 ……戻ってくるはずだった。

 目の前には声を出して泣いている高田と、それを抱きしめるクラスメイト。

 軽蔑するような視線を送る隼人と奈多と鬼塚。

 唯一違っていたのは、それを隠れていたはずの女子生徒たち。彼女たちも同じような視線を俺に送っていた。

 まぁそんなのは大した問題ではない。

 一番の問題はこの場に舞香がいたことだ。

 ヤンデレ鎮圧作戦中に人質に取られ、俺が救出したのちに鬼塚によって廊下に退避させられたはずの舞香がこの場所に立っていた。

「………………」

 言葉を発しなかったが舞香は明らかに何かを思っている表情をしていた。

 おいおいおい。

 これってどう弁解すればいいんだよ。

 耳に突っ込んだイヤホン。

 その奥からは姪乃浜の溜め息が聞こえてきた。

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