第3想定 第2話

 格納庫にバリバリと響いていた音が止まった。

 取り外したナットを俺に渡すと、高橋さんは開放されたタイヤを自動車から取り外した。

「ここに三角形の印があるだろ? そしてここから線を引いたこの部分。どうなっている?」

 高橋さんがタイヤを地面に置くと、接地面を指でまっすぐになぞった。

「溝が無くなっていますね」

「こんな感じで平らになっていたら交換のサインだ」

 古くなったタイヤを寝かすと、彼はさっきまでタイヤがはめ込まれていたボルトにグリスを塗る。そしてさきほど俺が運んできた新品のタイヤを手にする。ほら、さっき言っていた部分はちゃんと溝があるだろう。そう説明したのちに彼はタイヤを装着した。

 俺が差し出したナットを受け取ってボルトに着ける。

「まずは素手で軽くつけてやる。そして電動ドライバーで締めてやるんだ」

 格納庫に再びバリバリと工具の音が響く。

「一つ締めたら次は対角線のこいつだ」

 再び工具の轟音が響く。

「次はこれ。その次はこいつ。そして次はこいつ。最後の仕上げで全部を締め上げて終わり」

 高橋さんは説明しながらすべてのナットを締めていき、あっという間にタイヤ交換は完了した。

「タイヤってどのくらい使えるんですか?」

「走行距離にもよるが四年も使ったら交換したほうがいい。まぁその前にこの車両は来年の四月に退役だけどな」

「というかこの車両って73式ですよね?」

 灯火類には金属製のガードが装着されたオリーブドラブ色のオープンカー。自動車に詳しくない人でも『ジープ』と答えるこのシルエット。1973年に陸上自衛隊に制式採用された汎用小型車両の『73式小型トラック』の一期型だ。

 しかもこの形式は1997年には生産終了となっている。

 まさに旧車だ。

 自衛隊でもこの型式の車両は火器の運用に必要なものを除いて新型への更新が始まっている。

「こいつは五年ぐらい前に当時の隊長が自衛隊から格安で買ってきたやつだ。都城駐屯地に耐用年数切れで退役する車があるって聞いて交渉したらしい」

「いや、耐用年数が切れてるって大丈夫なんですか!?」

「部品がまだ残っているから大丈夫だ」

 そういう問題じゃねぇよ。

 車体自体にガタが来ていたらいくら部品が新しくても意味はない。

 というかヘリコプターむくどりも海上保安庁のおさがりだったよな。うちってどれだけ予算がないんだよ。

「それで次はどの車が来るんですか?」

「96年式の二期型73式」

「V16Bですか」

 旧式化や排ガス規制に適応できなくなったジープタイプの一期型の後継として調達が開始されたのが二期型。こいつの生産が始まったのが1996年だから今度やってくる車両は最初の時期に製造された個体というわけだ。

 話は逸れるがこの新型73式は名称が2001年調達車両から『1/2tトラック』に変更されている。新型装備ではなく旧型車両の装備更新という扱いだったが、いつまでも「73式」はおかしいということでこの名称になったのだ。

「ちなみに次に来るやつも都城駐屯地のおさがりだ」

「……いくらで買ったんですか?」

「部品は別で百二十万」

 まぁ妥当なところかな。

 二期型の73式は六人乗りだ。SSTの部隊をまるまる乗せて移動できる。しかも幌を外せばオープンカー仕様になり重機関銃を装備することもできる。悪路走行だって平気だ。そこらへんを走っている普通の車を導入するよりも、戦場で使用することを想定して開発されている自動車のほうが使い勝手がいいだろう。

「福岡SSTなんて去年国産のピックアップトラックを新車で二台調達したらしいぞ」

「それって一台で四百万ぐらいするやつですよね」

 二台で八百万。

「防弾ガラスとか装甲とか改造したらしいから軽く一千二百万は超えているだろうな」

 嘘だろ。

 うちの十倍じゃねぇか。

 そんなに予算があるなら宮崎にも分けてくれよ。

 こっちは危険手当すらないんだぞ。

 自衛隊のおさがりで我慢しろよ。

「新しい車が来たらこいつはどうなるんですか?」

「基地の端っこでモスボールだろうな」

 モスボールとは再使用を想定して劣化防止処置を施して保管しておくこと。現役装備の故障などで員数が減ったときに予備の装備として現役復帰させるのだ。

「別にこいつはすぐに走れなくなるわけじゃないからな。修理不能になったら速攻でスクラップ行きだけど」

「うちって事故ったりするんですか?」

「事故ってわけじゃないけど、今年の始めにありさが一台お釈迦にしたな」

「え?」

「隊員を突入させるために大型ダンプで建物に突っ込んだんだ。その作戦は何回かやっていたがとうとう車軸がゆがんで廃車だ」

「極道の抗争じゃねぇか」

 今は抗争がない平和な時代だ。

しかしもし仮に抗争が発生しても今時そんな無茶はしないだろう。

「SSTってヤバいやつが多いからなぁ」

 脱ぎまくるムキムキマッチョマンの変態。

 男の金玉を平気で掴むやつと蹴るやつの双子。

 やたらと後輩をボコボコにする教育係。

 戦闘員ではないが目の前にいる高橋さんだってヤバいやつの一人だ。

「宮崎の二班は特にヤバいやつしかいないって全国的に有名だ。郁美なんて七管本部から出禁食らっているからな」

「何をやらかしたんですか」

「七管の本部長と次長の股間を握り潰した」

 あの野郎何をやっているんだよ。

 七管の本部長の階級は一等愛情保安監(甲)。

 次長はそのひとつ下の一等愛情保安監(乙)。

 それぞれ軍隊で言うところの中将と少将だ。

 それに対して加害者の郁美が二等愛情保安士。

 一等兵が将官に何をやっているんだよ。

「よし。整備は終わりだ。もう行っていいぞ。副隊長を見かけたらタイヤ交換が終わったって言っておいてくれ」

「了解」


 高橋さんから解放された俺は控室に来ていた。

 並べられた机には姉ちゃんたちが書類作成をしていた。

隣には副隊長が座っている。探す手間が省けて助かるぜ。

「副隊長、タイヤ交換が終わりました」

「おう」

 SSTの副隊長でもあり整備士長でもある鍋島一等愛情保安正は俺の報告を受けると上官である隊長を呼び寄せた。

「おい隊長姪乃浜

「はい副隊長」

「部品が心もとないぞ。車両の装備更新の手続きは順調なんだろうな」

「今のところ順調です」

「今の車が壊れたら予備の部品がないぞ。確か長崎に予備役の車両があっただろ。念のためいつでも借りられるように根回ししておけ」

「分かりました。連絡を入れておきます」

「今すぐにやれ」

「了解」

「ついでに台所の照明を修理しておけ」

 副隊長の指示を受けて隊長姪乃浜はすぐに指令室へと向かった。

 うちの部隊の書類上のトップは姪乃浜だが、実質的なボスは副隊長なのだ。

 さて、やることがなくなったぞ。

 いまごろ愛梨たちが体力錬成をしているだろう。そっちに合流しようか。

「姉ちゃん、愛梨たちのところに行かない?」

「この書類が終わったら合流するよ」

「それって何の書類?」

 今後俺もその仕事ができるようにならないといけない。姉ちゃんが作成していた書類を覗き込むと、その用紙をずらして見やすいようにしてくれた。

「教育隊を編成?」

「そう、県警からお客さんが来るからね」

 お客さんという名の訓練生ということか。

「それって今月に警察学校から初任科生が来るやつだろ?」

 警察学校の初任科課程は大卒で六か月、高卒は十か月で卒業となる。大卒組はすでに卒業して現場実習に入っているが彼らは呼び戻して、今回の初任科課程全員で愛情保安庁との合同訓練を行うのだ。普段なら八、九月に実施しているようだが今年は都合がつかなくて大卒組が卒業後に実施することになったらしい。

「いや、それの計画書はこっち」

 そう言って姉ちゃんは別の書類を見せてくれた。

 お、去年卒業した部活の先輩である基山先輩の日程が俺の勤務日と一緒だ。

 別に嬉しいってわけじゃないけどな。

「こっちの書類は十二月に受け入れるやつだよ」

「初任科課程との合同訓練って一回だけじゃないのか?」

「それは一回だけだね。それとは別にあるんだよ。合同訓練じゃなくて教育する側で」

 教育する側?

「宮崎県警でやらかしちゃった警官を預かって訓練するんだよ。どちらかというと再教育かな?」

「それって前に姉ちゃんが教えてくれたやつ?」

 俺はまだ参加したことはないが、結婚制度を崩壊させるような悪質な事件に関して情報収集や暗殺などの作戦が実施されることがある。そのような極秘作戦中に警察から職務質問を受けることがある。まぁそれは警察として当然の職務なんだけどもSSTとしては困るから解除コードが設定されている。その解除コードを伝えたにも関わらず職質を続行するなどしてSSTの作戦が困難になると予想される場合には武力行使で排除することになっているのだ。

 たしか姉ちゃんに教えてもらったケースだと対物ライフルを使用した愛梨の狙撃によって警官一名が頭部を吹き飛ばされたらしい。

「それって今年の春にあったやつでしょ。まぁそんな感じだね。あの時は再教育にはなかったらしいけど」

「愛梨に消されたから?」

「いや、撃たれなかった他の警官は依願退職したらしい。SSTに連れていかれるくらいなら辞めたほうがマシって言っていたらしいよ。彼らの上司の課長と署長はうちの七管本部に呼ばれてドヤされたらしいけどね」

 姉ちゃんはケラケラと笑うが俺は全然笑えない。

 退職したほうがマシってどれだけヤバいんだよ、うちの部隊って。

 訓練中の姉ちゃんはめっちゃ怖い。だって拳とか蹴りとかが飛んでくるんだもん。

 それに姪乃浜は別の意味でえげつない。

 さらに浦上さんと高橋さんの筋肉コンビは控えめに言ってイカれている。

「今回の教育隊に配属されるのは一班の作戦中にやらかしちゃったのが二人。怪我も治ってリハビリも終わったらしいから手加減はしなくて大丈夫だね。それとは別に県民から苦情を受けて監察官室からも突き上げを食らって送り込まれたのが四人だね」

 しれっと流したが怪我をしていたのか。

 きっとSSTのやつによって病院送りにされたのだろう。

 任務のためなら犠牲はいとわない部隊だからな。

「それで担当する教官は?」

「ボクが教官で浦上さんが助教」

 終わった。

 ダブルで終わった。

 今回送り込まれる六人、完全に終わった。

「再教育って言ってもSSTがいつもやっているような内容だよ?」

「特殊部隊の訓練じゃねぇか」

 腐っても特殊部隊だからな、SSTって。

 システムを使って入隊訓練は省略されるが、それ以降の訓練はえげつないからな。

 キツすぎて何回か死んでいるからな?

 何かの文学的表現とかじゃなくて本当に死んでいるからな?

「レンジャー課程ほどじゃないから」

「それって人間を辞めたやつが行くところじゃねぇか」

 全国のSSTからすでに人間を辞めている選りすぐりの隊員をかき集めてその中から二十名を選抜。その二十名でさえ訓練が終わる頃には半分以上が消えてしまうのが初級幹部特別集合教育課程。通称、レンジャー課程。ちなみにこの通称は陸自のパクりだ。

まぁその人間を辞めたやつの一人が俺の姉ちゃんなんだけどな。ちなみに姉ちゃんが参加したときは二十人が挑戦して四人しか残ることができなかったらしい。

「事前に遺書と退職届を書かせるから大丈夫」

「それは大丈夫とは言わねぇよ!」

 遺書は俺も書いているけど。

 初日に姪乃浜に書かされたけど。

 姉ちゃんは自信満々に親指を立てているが、訓練中はその親指が下向きになることだろう。

「まぁ姪乃浜が教官するよりは楽じゃないか?」

 俺たちの会話に副隊長が割って入った。

「あいつはもっとヤバいからなぁ」

「陸自のヤバいところ出身ですからねぇ」

 二人は何かを含んだようにニヤニヤしている。

「姉ちゃん、姪乃浜ってどこ出身なんだ?」

「陸自で一番狂っているところ」

 ………………。

 まさか、第一空挺団か?

 ナイフが刺さった脚を包帯で応急処置しただけで訓練に参加し、重量物を担いで軽装の一般部隊を追い掛けまわし、わさびのチューブを直接吸うような人間ばかりが集まる部隊。

通称、第一狂ってる団の出身なのか?

「宗太郎、空挺隊員が誤ってM2を踏みつけて破壊したって有名な話があるじゃん。それって姪乃浜の話らしいよ」

「マジか……」

 M2とは第一次世界大戦末期にアメリカで開発された重機関銃だ。古い機関銃だが現在でも車載機関銃として使用されている。重量は本体だけで約四十キロ。誤って足元に落としたら粉砕骨折するほど頑丈な重機関銃をとある空挺隊員は尻で破壊してしまったらしい。しかもその隊員は全くの無傷。

「しかもあいつはフリーフォールも持っているからなぁ」

「ロシア語とフランス語も話せますもんね」

「防衛大を首席で卒業しているし英語はネイティブ。それに加えて無線と電気工事の資格も持っているしな」

「いや、それって空挺団どころか高橋さんと同じ部隊でしょ」

 防衛大首席卒業はともかく、それだけの技術を持っていたらどう考えても特殊作戦群顔を出しちゃいけない部隊を経験しているはずだ。

 というか電気工事の資格を持っていたから台所の照明の修理を命じられたのか。それにしても人間を辞めたどころか狂っているやつが部下にこき使われるなんてな。

「最盛期のときはありさや浦上以上に強かったと思うぞ」

「まじっすか」

「今の状態でも互角に戦えるんじゃないか?」

 訓練していない今の状態でバリバリ訓練している姉ちゃんたちとまともにやりあえるのか。

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