序Ⅵ ルスト、イリーザ隊長として任務に出発する

 メイラが侍女たちに命じて用意してくれた着替え一式がベッドの上に並べられると私は命じた。


「ありがとう、脱ぎ着は自分でするわ」


 私の言葉に侍女たちが下がっていく。あとに残されたのはメイラと私だけだ。

 この館にいる時、私人の令嬢としては使用人たちの手を当たり前に借りている。上流階級の令嬢たるもの、リスペクタビリティと言う考えのもと、使用人に生活を委ねるのはそれ自体が一つの権威であるからだ。そう振る舞っているのは、私がこの邸宅で私人としてくつろいでいるときだ。


 でも、そうした時間はそうそうあるものではない。今の私がこの邸宅に来るのは時々の休暇のときだけだからだ。

 当然、仕事となれば別だ。自分の意志で、そして自分の手ですべての衣装を着替えることにしている。

 エンパイアドレスを脱ぎ下着のブラレットとパンタレットの姿になる。そして、まずは銀灰色のレギンスを履く。

 次に絹と木綿の混織の白のボタンブラウスを身に着け、その上に袖なしのロングの黒い襟付きボタンジャケットを着る。

 さらに肩の膨らんだパフスリーブのボレロ・ジャケットを上に着込み、首筋には2つの愛用のペンダントを下げる。淡い緑色に光る楕円のペンダントと、3つの円が重なった独特の意匠のミスリル銀のペンダントだ。耳にはイヤクリップを、髪には赤いカチューシャも忘れていない。

 腰には先程のクリスタルプレートの念話装置をはじめとする小物を収めたベルトポーチを巻き、両手には極薄の革製の手袋をはめた。さらに足にはショートブーツを履く。

 最後に、フード付きのコートを羽織って出来上がりとなる。


「お嬢様、コレを」


 私の傍らからメイラが差し出してきたのは、私が愛用するステッキハンマー型の武器で、フェンデリオルには民族的な武器として伝わる〝戦杖〟と呼ばれるものだった。その中でも私自身の戦い方に合わせた仕様になっており、軽量かつ極めて頑丈な総金属製の代物だった。そして、それもまた精術を行使可能な精術武具であるのだ。

 それを受けとり上下逆さまにして腰のベルトに手挟んだ。


「ありがとう、あなたも支度して頂戴」

「承知いたしました。お嬢様」


 メイラはあくまでも私の専属の侍女だ。私が屋敷の外に出て仕事の日々に戻れば、それに同行して私の生活を支えてくれる。そんなとても大切な存在なのだ。


 メイラが立ち去るのと同時に入れ替わりに姿を現したのはセルテスだ。


「エライアお嬢様」

「何かしら?」


 すでに仕事用の装いになっている私の姿を見て納得したような表情になっている。


「そのご様子ですとすでにご承知なのかもしれませんが、フェンデリオル正規軍参謀本部より、お嬢様とそのご同僚に対して重要任務が下命されたとの通達がございました。のちほど正規軍本部より迎えの馬車が派遣されるとのことです」


 私は頷きながら答える。


「承知いたしました。準備は終えていますので迎えが到着次第出発いたします」

「御意」


 うやうやしく頭を下げるセルテスに私は尋ねた。


「それで、お母様はどうしてらっしゃいます?」


 そう問いかければセルテスは少し困ったような表情を浮かべた。


「ミライル奥様は自室のドレッサールームに引きこもってらっしゃいます。連絡をくださった大旦那様にもかなり苦言を漏らしていたようです」

「やっぱりね。そうじゃないかと思っていたわ。昨日は急な来客の来訪で休みのほとんどが潰れてしまったものね。せめて今日くらいはと思ってたみたいだから」

「おっしゃる通りです」

「でも安心して、近いうち別な形で埋め合わせするから」

「承知いたしました。奥様にもそうお伝えいたします」

「お願いね」


 そんな風にやり取りをしているうちに、さらに別な男性執事が姿を現した。筆頭執事であるセルテスの直属の部下だ。


「失礼いたします。正規軍本部よりエライアお嬢様をお迎えする御用馬車が到着いたしましてございます」

「すぐに参ります」

「はっ」


 そして、ちょうどその時外出用の装いに着替えたメイラも現れた。大人しめのリージェンシードレスのさらにその上にまとうアウタードレス。さらにもう一枚防寒用のハーフマントを羽織り、頭にはボンネット帽をかぶっている。そして両手にはトランク、私とメイラが仕事のために出歩いている時に用いるものだった。


「お嬢様」

「メイラ、参りましょうか。迎えも来たそうだから」

「承知いたしました」


 メイラが持ってきてくれた2つのトランクのうちの片方を手にする。そして、邸宅の正面玄関へと向かう。すると正面玄関ではすでに10名ほどの侍女が列を成して見送りの準備をしていた。

 正面玄関のその先には、黒塗りの軍用馬車が既に到着して控えていた。

 正面玄関付近にお母様の姿はない。その状況に少し心が傷んだが、仕事は仕事だ、こればかりはいかんともしがたい。


「お見送りご苦労」


 私が見送りの侍女に声をかければ10人の彼女たちは恭しく頭を垂れてくる。


「行ってらっしゃいませ」


 10人の揃った声が正面玄関ホールに響いた。私は傍らに控えるセルテスにも声をかけた。


「では、行ってくるわね」

「お気をつけて」


 そして歩き出し、馬車に乗ろうとしたときだった。


「エライア」


 私の背後から声がする。振り返ればそこに佇んでいたのは私の敬愛するお母様だった。


「お母様?」

「道中気をつけてね」

「はい、落ち着いたらまたご連絡いたします」

「ええ、待ってるわよ」

「はい! それではそれでは失礼いたします!」


 私が元気よく答えればお母様もはにかんで答えてくれた。

 モーデンハイムは上流階級の中でも軍事職に就く者が多い軍閥家系だ。お母様も、そういう家に嫁いできた身の上だ。軍の仕事に従事するということがいかに時間的余裕がないかは分かっているのだ。


「ええ、いってらっしゃい」


 にこりと微笑んで見送ってくれるお母様の表情に私は深く安堵していた。


「では行きましょう」

「はい〝ルストお嬢様〟」


 私には2つの名前がある。

 この由緒あるモーデンハイム家のご令嬢としての【エライア・フォン・モーデンハイム】と、

 軍の作戦に従事している傭兵としての【エルスト・ターナー】と言う2つの名前だ。


 セルテスは私をエライアと呼び、メイラは私をルストと呼ぶ。これは私との関わり合いの違いから来るものだった。

 私も歩き出し、邸宅の玄関から出て馬車へと乗り込んでいく。私の背後で使用人たちが恭しく頭を下げていた。


 馬車に乗り込み乗り降り扉を閉じて準備は整う。

 車内と馭者席との間にある小窓を開いて、馭者席の正規軍人に声をかけた。


「行ってちょうだい。まずはオルレア市街地内の私の隠れ家へ」

「はっ」


 私には国内の数カ所に隠れ家としてのセーフハウスがある。まずはそこに行ってメイラに待機してもらおう。軍本部にはそのあとだ。

 馬車の窓から見下ろせば使用人たちに混じるようにミライルお母様が私を見送ってくれていた。窓を開けて声をかける。


「では行って参ります!」


 大きく力強く答えればお母様も手を振ってくれていた。


――パシッ!――


 背中に鞭が入れられ4人乗りの4頭建て馬車は滑るように走り出した。


 私の名前は【エルスト・ターナー】

 職業傭兵をしている。

 2つ名は【旋風のルスト】

 そして【軍外郭職業傭兵特殊部隊〝イリーザ〟】の隊長を務めている。

 こうしてまた忙しい日々が始まったのだった。

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