最終章 獣たちの黙示録

第一話 骨を喰らいて、骨を砕いて

 振り返った先には、下り坂が延々と続いていた。

 昼も夜も、多くの観光客や巡礼者でごった返すと聞くこの場所が、いまや人っ子ひとりいない。

 遠く彼方に見える夜景以外、灯りと呼べるモノもとぼしい。

 それが酷く不気味で、恐ろしい。


 視線を戻せば、白亜の天主堂がそびえる。

 天高く伸びる屋根は細長く、空には暗雲が立ちこめ。

 聖堂を包む瘴気しょうきは色濃く。

 本来ならば荘厳そうごんな雰囲気を与えるはずの外見が、しかしいまや伏魔殿ふくまでんの様相を見せていた。


 碓氷うすいが、入り口を開放し、無言で頭を下げてみせる。

 中へ入れといっているのだ。

 一つ大きく息を吐き。

 俺は、覚悟と共に内部へと踏み込んだ。


「待っていたぞ。生涯の友」


 チャーチチェアが列となって整然と並んでいる内部。

 コウモリ天井とよばれる、室内を広く大きく見せるゴシック様式の建築技術は、素人目にも見事だった。

 昼間ならば、陽光を受けて美しく輝く清冽なステンドグラスは、しかし、いまは暗く沈んでいる。

 だから、この中で一番目を引いたのは、祭壇を冒涜ぼうとくするように寝そべった、悪友の姿だった。


 嵯峨根さがね十辰じゅうたつ


 彼は祭壇の上に置かれた祭器すべてをぎ払い、涅槃仏ねはんぶつのような格好で俺を待ち受けていた。

 普段の快活かいかつな表情はなく、この数日で急激にこけた頬と、暗く落ちくぼんだ眼窩がんか、狂気的に引きつった口元が、まるで別人のような印象を与えた。


 彼は、儀式用の聖餐杯せいさんはいを片手に持っていた。

 中には、白いモノがゴロゴロと詰まっている。


 ――砕かれた骨だと直感した。


「気になるのか、これが? 碓氷先生、説明してあげてくれないか」

「はい」


 俺の視線に気がついた彼は聖餐杯をゆすり、カラカラと音を立てながら碓氷に解説を押しつける。

 背後の扉が閉まる音とともに、俺の横をすり抜けながら、自称霊媒師が語る。


「十二年前、わたくしたちは〝門〟の前兆を感じ、ひとつの儀式を行いました。けがれなき幼子おさなごの魂を三千あまり、〝主〟へと捧げたのです。〝門〟は開き、この世は犬辺野いぬべの末裔まつえいたちが望んだとおりになるはずでした。すなわち、一切衆生いっさいしゅじょうの救済です。しかし――」


 彼女は、俺を見る。

 なんの感情も浮かんでいない、消し炭のような瞳。


「儀式は失敗。代わりに、あなたが願いを叶えてしまった。〝きりんと〟の対極へと至ってしまった。そして失敗の責任を取り、十辰さまのご母堂ぼどう久埜くのさまは自らの命を捧げられました。まだ生を受けていなかった珠々じゅじゅ様と共に」


 それが、踏切投身自殺未遂の真相か。


「はい。けれど、久埜さまは奇跡の生還をとげられました。同時に〝門〟が降りてきて、彼女の口より入り、珠々様と一つになられたのです。そうして、とても素晴らしいことがおきました。彼女たちは肉の檻から解放されたのです……!」


 つまり、死んだと。

 随分といいように語っているが、つまりは事故の後遺症で長くはなかったということだろう。

 それ自体は悲しいことだが、小春をさらっていい理由にはならない。


「あいつはどこだ、十辰?」

「……説明を、最後まで聞く気はないのか、切人」


 ズズズッと、彼の背後で暗い影が立ち上がる。

 俺は口を閉ざし、もう一度眼鏡の霊能力者と向き合った。

 彼女は一つ頷き。


「十辰さまは、残された聖骸せいがいを体内に取り込む荒行を行われました。同時に、わたくしどもこの国の末端にまぎれた犬辺野の末裔たちは、〝門〟となった幼子たちの墓を暴き、骨をあつめました。それが、いまさかずきに満たされた仏舎利ぶっしゃり


 キリスト教に仏教に、随分と忙しく趣旨替しゅしがえしているが。

 本当のところ、あんたらが信じているものはなんなんだ?


 〝鵺〟のことを、センセーは〝悪魔〟だと言った。

 この教会に最もふさわしくないモノを、あんたらはまつっているんじゃあないのか?


「誤解です。わたくしたちが信じるモノこそが〝神〟。今宵、十辰さまは聖母久埜さま、聖霊せいれい珠々さまと三位一体をはたし、ここに〝門〟が新生するのです」


 それで、一通りの説明は終わったと言わんばかりに、彼女は脇へと退いた。

 俺と十辰が真っ向から視線をぶつける。

 彼は微かに笑い。

 俺は硬く唇を結んだ。


「……これが最後なのだ。切人、おまえとすこし話をしたかった。本心からそう思っているぞ」

「そうか」

「これでも自分は、おまえの無二の友人だと思っている。事実を知ってからも、いまも」

「……俺も、おまえのことは友達だと思ってるよ」


 だから、出来るならおまえも助けたい。

 悲劇だかなんだかまったく解らんが、運命とかいうやくいものに囚われているのなら、一緒に立ち向かってやる。

 だから、小春を返してくれ。

 それだけでいいんだ。それだけで、俺はおまえと同じ方を向いてやれる。


「……できない。彼女は必要なのだ。おまえをつなぎ止めるために。珠々とおまえをちぎらせるために……! 残された最後の秘蹟かじつとして!」

「だから!」


 俺は、キレた。


「なに言ってるか、さっぱりだっつってんだろうが優等生!」

「こういうことだ! 黙って見ていろ不死者……!」


 言うやいなや、彼は聖餐杯を高らかに掲げ。


「――――」


 その中身を、三千におよぶ骨の欠片を、自らの口の中に、流し込んだ。

 刹那、十辰の背後から伸び上がった〝闇〟が弾け。

 爆発。


 天主堂の天井が、吹き飛び。

 そして――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る