第六話 霊能力者・碓氷雲斎

「いやいやいや、ほーんとっ、たいしたことないから」


 処置室から出てきた小春が、顔の前で左手を振って見せた。

 ヘラヘラと笑っていたが、右腕には痛々しいギブスが巻かれている。


 あの後、彼女は当然救急搬送きゅうきゅうはんそうされることになったのだが、奇跡的に事なきを得た。

 どうやら、咄嗟とっさに受け身を取ったことで、命の危機を間逃れたらしい。

 古武術最強か?


「よかった……俺は、てっきり」

「てっきりなにさ」

「……いや、マジでよかったよ」

「ちょ!? 撫でるな! 髪が乱れ――せからしかね!」


 残った方の手で殴りかかってくる彼女を、甘んじて受け容れながら俺は安堵の息を吐いた。

 本当によかった。

 生きていてくれて、それだけで嬉しい。


 正直、なんでこんなバカな真似をしたんだと怒りたかった。

 俺なら大丈夫だったのにと。


 けれど、不死であることを彼女へひた隠しにしていたのは俺の方なのだ。

 小春はなにも悪くない。

 ただ、俺がバカすぎたと言うだけのことなんだ。


 そうして、失いかけてようやく解った。いまさらになって痛感した。

 俺は、小春のことを――


「あたしのほうこそ、やっと借りが返せて一安心って感じなんだけどね」

「……命を賭けるほどの貸しなんざ、俺は作った覚えがねーよ」

「そう……だよね」

「おう。つーか、あー」


 この一大事を、浄一センセーにも、小春の両親にも知らせていないことに気がつく。

 慌てて電話をかけるが、どちらも出ない。

 仕方なく、メッセを飛ばしておく。


「じゃあ、帰ろっか」


 携帯を閉まっていると、唐突に小春がそんなことを言い出した。


「帰るって、頭の検査とかあるだろ」

「言い方! それだとなんかあたしが残念な感じになるじゃん!」


 残念なのは前からだ。

 そうではなくて、頭を打っているかも知れないし、一応検査入院とかになるんじゃないのか?

 あと、突っ込んできた車の運転手は?


「検査は全部終わったよ。異常はないってさ。運転手さんの過失とかはあたし知らないし……だから、帰る」

「医者が許可を出したのかよ?」

「お医者さん以外が言ったら問題でしょ」


 それは、そうだが……今度は困惑のため息を吐き。

 とりあえず俺は、小春へと手を差し出した。


「ん」

「なに?」

「手、握ってやるよ。おまえ、危なっかしいから」

「…………」


 なんだ、その気色の悪い笑みは。


「なんでもなーい。ほら、行こっ!」


 手を取られ、俺は歩き出す。

 俺たちは、歩き出す。

 きっと、何事もない日常へ。


 ……けれど。

 どこかで解っていたのだ。

 もう、そんなものは残っていないと。

 後戻りは出来ないと。

 小春は……なんらかの祟りによって、怪我を負ったのだと言うことが。

 俺には、理解できていたのだ。


 だから。


「やっと帰ってきたな! ふたりとも、事情はあとだ。この方の話を聞いてくれ!」


 アパートの前で、嵯峨根さがね十辰じゅうたつが待ち構えていても、驚きはしなかった。

 その隣に、頭からすっぽりと頭巾ずきんをかぶった、いかにもという格好をした女性が立っていてもだ。


 小春が、俺の手を握る。

 俺はそれを握り返し、十辰へと尋ねる。


「何事だ? あと、その人は誰だよ」

「この方は」


 俺の、もうひとりの悪友は、答えた。


「霊能力者の碓氷うすい雲斎うんさいさんだ。切人、おまえにとって水留浄一が信頼する先生ならば、自分にとってはこの人がそうだ。おまえさんらに取り憑いた悪霊を、除霊しにきてくれたのだぞ!」



§§



「初めまして。わたくし、碓氷雲斎と申します。生まれ持っての名前ではありません。洗礼名せんれいめいのようなものだとお考えください」


 喪服のように黒い服装をしたその女性は。

 頭巾をとりながら、実に丁寧な口調で名乗りを上げた。

 楚々そそとした顔には銀縁ぎんぶちの眼鏡がはまっており、どこか怜悧れいりな印象を受ける。


「しかし、お兄さん。わたくしが言うのもなんですが……あなた、異常ですね。なんらかの神に誓いを立てたりしていますか?」

「俺が? いや、普通にクリスマスもハロウィンも楽しんでるけど……」

「お百度参ひゃくどまいりを十数年間かさず続けたというような経験は?」


 あるわけないだろう、そんなもの。


「そうですか……であれば、やはり〝やつら〟におかされているのでしょう。恐ろしい連中です」

「…………」


 とりあえず、こんな話を外で出来るわけもないので、お引き取り願うか、家の中に入れるか決めなければならなかったのだが、


「水留先生にも、除霊については了承を取っている。むしろ、先生が姪御めいごさんをご心配されて手配てはいされたのだ」


 と、十辰が強弁するので、押し切られて家に上げてしまった。


 無論、違和感はあった。

 けれど、小春のことを放置出来ないと思っていたこともあって、つい決断してしまった。


 碓氷うすいさんは部屋の中を一瞥いちべつすると、その形のよい眉をひそめてみせた。

 それから、部屋の角や、風呂場、押し入れなどへと手をかざし。

 やがて、重苦しい息を吐く。


「……よくないものに取り憑かれていますね」


 よくないもの、ね。

 たしかに、ろくでもない経験をしているが。

 だからといって、霊能力者なんて胡散臭うさんくさいものを、頭から信じられるほどお花畑でもない。

 そっと小春に目配せをすると、彼女は心得たとばかりに頷き、携帯を取り出そうとした。

 それを、碓氷なにがしが強く止める。


「いけません。すでに〝やつら〟は、この部屋を見張っています。いま外部に連絡を取ると、非常によくないことが起きるでしょう」


 よくないこと、とは?


霊障れいしょうと呼ばれる類いのものです。とくにそちらのお嬢さん――あなたは既に、〝やつら〟からマーキングをされています」


 その一言で、俺の心臓がドキリと跳ねた。

 碓氷さんの視線は、小春の右腕に注がれていたからだ。


 まさか、見えているのか?

 あの〝傷痕〟が?


「小春」

「……じつは、もうコールしちゃったんだけど」


 おい。


「でも、おじちゃん出ないんだよね。きりたんが送ったメッセは、どう?」


 言われて思いだし、携帯を取り出す。

 既読マークは付いていない。

 センセーまで、情報が届いていない……?


「これで解っていただけたと思います。〝やつら〟は恐ろしい力を持っています。それがあなたがたを妨害しているのです。このままだと、お嬢さんにも、お兄さんにも、実害がおよぶでしょう」

「……さっきから、やつら、やつらって言ってるけどさ」


 それは、一体なんなのか。

 はっきり口に出来ない理由でもあるのか?


 そんな風に、疑いの眼差しを向けると、碓氷さんは十辰と顔を見合わせ、小さく首肯した。

 そうして。


「やつら、とは――のことです」


 なんだって?


「あなたたちに害をなそうとしているのは――〝狗神いぬがみ〟です」



§§



「あまり猶予ゆうよはありませんが、順序立てて話しましょう。幽霊屋敷の住人……犬辺野いぬべのは、代々物筋ものすじの家系でした」


 彼女はそのように前置きして、語りはじめた。


「狗神。これは平安時代から続く呪術です。何匹もの犬を同じ箱に入れ、餌も水も与えず飢餓状態にして共食いをさせる。さらに生き残ったモノを追い詰め、限界になったところで目の前に餌を置き、飛びつこうとした刹那、首を切り落とす。この首を、四つ辻に埋めて多くの人間に踏ませる。踏ませることで、狗の怨念は膨れ上がり、力が増す。怨念のかたまりとなったいぬを用いて呪詛じゅそをなすものたちが、憑き物筋。なかでも狗神憑きと呼ばれるものです。一般的に、蠱毒こどくと呼ばれる術の源流ですね」


 それが、犬辺野家の真実だって言うのか?

 彼らがどこか遠くから連れてきたもの。家の中で大事にまつっていたものこそ、狗神であると?


「納得いただけませんか? 呪術という言葉が、嘘くさいと感じていますね? わかります。では――言霊ことだまとでも言い換えればどうでしょう? チクチクと心をくさすようなことを言われれば、誰でも気分がよくない。祟られているんじゃないかと告げられれば、自分が世界中の不幸を一身に背負っているような心地になる。ご経験があるのでは……?」


 俺は……。

 上手く、反論できなかった。


「とくにやつら……犬辺野家の協力者は各地にいます。社会の中に潜み、虎視眈々こしたんたん呪詛じゅそを打つ機会をうかがっているのです。ナイショにしたはずの悪罵や陰口が、瞬く間に広がっていくことを疑問に感じたことはありませんか? おおよそ、彼らが聞き耳を立て、そして吹聴するからこそ起こる現象です。これが、呪術の基本なのです」


 立て板に水を流すが如く語られれば。反論のしようもなく。

 ただ、やはり奇妙な違和感があって。


「さて、狗神というのはです。モグラやミミズのように地面を這い、コウモリのように羽を広げ、犬のように吠え声を上げる。狐を苦手とする言い伝えもありますが、眉唾まゆつばでしょう。一説によれば、ぬえというバケモノがいて、これをバラバラにしたとき、すべての憑き物は生まれたとされています。そのようなものを、ここ最近で目にしたことは?」


 ――ある。

 これに関しては、一発で解った。

 俺の部屋で這い回っていた何者か。

 やけに耳に付く犬の遠吠え。

 繋がっていく。

 いつか浄一センセーが言っていたように、点と点が。バラバラのピースが、合わさっていく。


「そのお顔で、すべて拝察はいさつしました。この部屋からは非常に強い〝狗神〟の臭いがします。早急にはらいの儀式を執り行わなくては、もしかすると」

「もしかすると、なんだって言うんだよ」

「いえ……すでに手遅れかも知れません」


 なに?

 問いただすと、碓氷さんは沈鬱ちんうつな表情で。


「隣の部屋や周囲にも、呪いが拡散している可能性があります。このまま捨て置けば……近いうちに、不幸なことが起きるでしょう」


 近い内に、ではない。

 すでに、小春は事故に巻き込まれている。

 手遅れというのなら、既に手遅れだ。

 けれど。


「もしも。もしもだ。あんたの言うとおりにしたら……こいつは、小春は助かるか?」

「きりたん」


 無事なほうの手で、ぐっと俺の袖を幼馴染みが掴む。

 けれど、もう他にすがるものはない。

 確かに違和感があったはずだけれど、いまはもう解らなくなってしまった。


「よく聞けよ、小春。俺は、おまえが不幸になるなんてまっぴらごめんだ。だから」

「……うん。解った。きりたんがそこまで言うなら、あたしも……いいよ」


 俺たちは頷き合って。

 自称霊能力者と、悪友を見据えた。

 彼女たちは大きく頷き。


「では、これより祓いの儀をり行います」


 ……微かに口元を笑みの形にして、そう告げたのだった。

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