第七話 鏡の入った箱と、さっちゃんと

「それって、かなり珍しい話だと思う」


 翌日、講義が一緒になった小春へ、半田はんだたちの体験談を語って聞かせると、彼女は形のよい眉を思案気しあんげに歪めて見せた。


「普通、怪談って実体験とか、人から聞いた話が多いでしょ? でも、これは当事者たちが、なんの体験もしないで戻ってきてる。目の前で〝なにか〟が起きたけど、解らないまま、ずっと部外者として成立しているわけ」


 つまり?


「おじさんが、高く買い取りそうな話って事」

「その件だが、自分も一枚噛ませて欲しい!」


 小春が耳元の十字架を弄りながらつぶやいた直後、横から口を挟んできたのは十辰だった。

 相変わらずの爽やか笑顔で、彼は言う。


「幽霊屋敷の話、調べさせてもらったからな」



§§



 嵯峨根十辰には、小学生の妹がいる、らしい。

 あったことはない。


 彼の家は、裕福ではないと聞き及んでいる。

 片親で、お母さんがなんとか家計を支えているのだとか。

 十辰が大学へ通えているのは、だから本人の努力に寄るところが大きかった。

 特待生の資格を得て、その上で、学業や素行そこう態度に影響が出ないよう神経を使い、この男は必死で労働にいそしんでいるのだ。


 妹に自由な未来を残してやりたいからと、ただその一事だけで。


 あまのじゃくなどと俺も、皆も揶揄やゆするが。

 その実、妹思いのいい兄ちゃんなのである。

 ……薬が必要になるほど、にして家計を支えている、本当にいいやつなのである。


「というわけだ! 自分にもセンセーとやらを引き合わせて欲しい。頭ならばいくらでも下げよう。是非都合つごうして欲しい!」


 だから、拝み倒されてしまえば、俺も小春も嫌とは言えなかった。

 日頃から十辰には、バイトの紹介とか、勉強とかで相談に乗ってもらっていたし、見捨てられるほど付き合いが浅いわけでもない。


 一応、センセーの都合もあるだろうからと、先に連絡をいれた。

 すると、当の水留浄一センセーは。


『幽霊屋敷の続報を聞けるだって? まったく構わない、いつもの時間に連れてきてくれ。なんならもっと早くてもいい! 報酬ははずむから、素晴らしい話を頼むぜ切人くん!』


 ……ドン引きするぐらい乗り気だった。

 さすが奇人変人浄一センセーである。

 そういうわけで、俺のアパートに、悪友二人が集まる運びとなったのだ。


『じゃあ、はじめようか。まずは自己紹介。ぼくは水留浄一。しがない怪奇作家さ。それで君が――』

「嵯峨根十辰だ。はっはっは、思ったよりも胡散臭い風体をしている御仁ごじんだ! これは確かに金を払ってまで怪談を聞きたがる顔だな! 切人、付き合う人間は考えたほうがいいぞ!」


 考えてたら真っ先におまえを切ってるよ。


「違いない! ツラの皮が厚くてすまんな!」

『元気があるねー、若者はそうでなくっちゃ。では、早速聞かせてもらおうか。幽霊屋敷の話というのは?』

「うむ」


 十辰が、爽やかに笑いながら、言った。


「極めて初期に出回った、あの家にまつわる怪談話だ」



§§



土岐洲町ときすまちの幽霊屋敷。ここに、誰も住まなくなったのが二十年前だと自分の調べで解った。これから語る噂は、それからしばらくして、十二年前ぐらいから流布るふしはじめたものとのことだ」


 女が、立っているのだという。

 家の前に、ぽつーんと、血色の悪い女が立っていて手招きをする。

 それが、たいそうな美人なのだとか。

 誘われるまま付いていくと、いつのまにか暗い家の中で一人きりになってしまう。


「周囲を伺っていると、突然赤ん坊の泣き声が四方八方から響くらしい」


 たまげて逃げ出すも、数日後には熱病で倒れてしまう。


「そうして枕元で『あの子らにむくいろ』と声がするのだという」


 だから人々は、あそこを幽霊屋敷だと噂した。


「次は、もう少し古い。誰も住まなくなって、すぐの頃から囁かれはじめたという噂だ」


 かの邸宅には、宗教狂いの一家が住んでおり、信仰している〝なにか〟へと捧げるため、全員が自殺したという。


「もっとも、これが事実ならばさすがに記事になっているだろう。一方で、このヴァリエーションとおぼしき話がある。どこかで尾ひれが付いたのかもしれない。屋敷の中で、祭壇さいだんを見たという話だ」


 屋敷には、あちらこちらに小箱が置いてあるという。

 この箱を開けると、中には鏡が入っている。

 どの鏡も、すべて同じ方向を向いており、その先は――奥座敷。


 奥座敷には注連縄が張り巡らされていて、祭壇が設けられている。

 仏壇のようにも見えるこの祭壇には、観音扉が付いていて、開けると中には、皿が入っているという。


「皿の上には、動物の牙がひとつ、乗っかってるとさ」


 それは、絶滅したニホンオオカミのものではないかと、噂されているという――


「これらが、自分の調べられる範囲で聞き及んだ、可能な限り古い形の土岐洲町幽霊屋敷の怪談だ。いくらほどになるだろうか?」


 語り終えた十辰が、間髪をいれず、センセーにお伺いを立てる。

 和服の怪奇作家は、しばらく考え込んでいる様子だったが、ややあって顔を上げ、小さく笑ってみせた。


『うん。実に怪奇的だ。あとで講座を教えてくれ、振り込んでおくよ。値段は――このぐらいでどうだろうか』

「ありがたし!」


 片手を開いて見せたセンセーを見て、十辰が満面の笑みを浮かべる。

 こちらを見てくるので、ハイタッチで応じてやった。


「……む?」


 しかし、そこで気がついた。

 小春とセンセーが、難しい顔で見つめ合っていることを。

 どうしたんだ?


「ちょっと気になることがあってさ……きりたん、今日聞いたって話、おじちゃんにも話してもらっていい?」

「どれだよ」

「先輩が行方不明なやつ」


 ああ、あれか。

 俺は既に――怖いから――記憶のかなたへと追いやっていた怪談を引っ張り出し、語る。


 先輩に誘われて幽霊屋敷に繰り出していったが、中へ入れなかったこと。

 風の音が不気味な悲鳴のようで、うるさかったこと。

 助けに入ろうとしたら、先輩が飛び出してきたこと。

 その先輩が熱を出して連絡不振になったこと。


「あとは……」

「鏡だよ、きりたん」

「あー、言ってたな。飛び出してきた女の先輩が、鏡がどうとか譫言うわごとをつぶやいてたって」


 でも、それがどうしたっていうんだよ?


『切人くん。鏡というのはね、古来より邪気を払うものとされてきた。反射する、と言い換えてもいい。部屋の中心――祭壇に向けて鏡が置かれていたのなら、それは祭壇の中身を封じ込めようとしていた、ということだろう』


 なるほど。

 それで?


『君は自分で言ったんだぜ。屋敷に入ったとき、あちこちに小箱が置かれていたって』


 ……え?

 いや……たしかに小さな箱は見たよ。

 見たけど、それは関係ないだろう?


『あるさ。大ありだ。君は小箱を見た。先輩とやらは鏡だと言った。そうして小春ちゃんと十辰くんの話だ。屋敷の中には箱に収められた無数の鏡がある。これを見たものは熱病に浮かされる。理由はひとつ、祟られたから』


 つまり、俺が見たあの箱の中には、鏡が入っていて。

 その鏡はすべて――


「赤い少女を、向いていた……?」

「そういうことだよ、きりたん。つまり、赤い少女はニホンオオカミの――」


 小春がそこまで言いかけたところで、アラームが鳴った。

 思わず、ビクリとなる。


 十辰の服薬タイムだ。

 彼はこちらに断りを入れて、懐から薬入れを取り出し、また水もなくボリボリと錠剤をかみ砕き、飲み干していく。

 すっかり口の中を空にしたところで、「おお、そういえば」なんてわざとらしく、彼は声を上げる。


「じつは、もうひとつ話があるのだ。こちらにも値段をつけてもらって構わないだろうか?」

『どんな話だい?』

「妹から聞いた話なのだが」


 悪友は。


「なんでもいま、小学生の間で――〝さっちゃん〟という噂話が、流行しているらしい」


 じつに最悪なタイミングで、その言葉を口にした。


『…………』


 すべてを聞き終えて、センセーは渋面を浮かべる。

 何度も角張った顎を撫でて、言葉を吟味ぎんみして。

 それから、俺たちへと向き合って――


『どうやらこの怪異は――感染し、広がっていくものらしいね』

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