第四話 赤いコートの女

『上半身の怪は、文字通り下半身、あるいは脚部を失っている幽霊が、這いずってやってくる恐怖を形とした怪異だ。上半身の怪という呼び名にピンとこないなら、てけてけ、肘掛ひじかけ女なんてのが有名どころかな』


 ああ、てけてけは知ってる。

 学校の怪談にもなっているやつだ。

 小さい頃、小春から嫌ってほどのその手の話はされたから覚えている。

 俺のリアクションが面白いという理由でだ。


「いま考えると、純然たる嫌がらせだよな」

「まあまあ、きりたん。じゃあ、あたしが話したっていう〝てけてけ〟は、どんな話だった?」


 そりゃあ……下半身のない女の子が、手で走って、凄い速さで追いかけてくる、みたいなのだ。

 考えるだけで目眩めまいがする。

 まずビジュアルが最悪だし、尋常じんじょうのものではない。


『うん、実に典型的な上半身の怪だね。一目で、生きている人間ではないと解る。一方で、肘掛け女というのがいる。これは、階段に備え付けられたフェンスの上で、やけに背の高い女が、いつも腕組みをしているというところから始まる』


 毎日毎日、女はフェンスの上で腕組みをして、こちらを見ている。

 いつでも上の階から、階下の語り手を見おろしている。


 あまりにも相手が美人で、ずっと見られているものだから。

 ひょっとして気があるのではないかと思って話しかけると、「そっちに行ってもいい?」と問われるのだという。


『これに了承すると、女はフェンスから降りてくるんだ。しかし階段をくだってきたのは上半身だけだった、という筋書きでね」


 ……待ってくれ。

 この話、聞き覚えがあるぞ?

 聞き覚えというか……身に覚えが……


『そうだ、重要なところに気がついたね。君が田舎いなか遭遇そうぐうしたという背の高い女。八尺様はっしゃくさまの亜種。山姫。これも、上半身だけがへだてる物の上に出て、見たものを追いかけてくる怪異だ』


 ――――。


『繋がっただろう? だから、ぼくは君のことを気に掛けていたのさ。もしかすると、上半身の怪に目をつけられているんじゃないかってね。あるいは――君が話をしたことで、呼んでしまったのではないかと』


 

 なんだ、その不吉な言葉は……? え……?


「きりたん。おじちゃんの繰り返しになるけど、この手の怪異にはつきものの逸話いつわがあるの。噂をすると影がすっていうように、上半身の怪は、話をしたひと、聞いたひとの元へやってくるんだよ」

「なっ」


 ま、待ってくれ。

 それじゃあ、俺は自分からオバケを呼び寄せていたっていうのか!?


『可能性の話だ。ただ、君は過去、神隠しに遭遇している。伝統も信仰も失われているとはいえ、隠れキリシタンの末裔まつえいが、日本で神隠しに遭う。これは実に怪奇的なちだ。どんな巡り合わせがあっても、不思議じゃあない。怖い話をすればオバケが寄ってくる。結縁けちえんす。怪談とは、立派な降霊術こうれいじゅつのひとつでもあるんだ』


 そんな。

 冗談ばっかりいって。


「なあ、小春からも言ってやってくれ。あんまり脅かすと、俺の心臓が止まっちまうって」

「覚えてる、きりたん? 小さい頃にあたしが語った怖い話。てけてけじゃなくて、〝さっちゃん〟の噂」


 待て。待てよ。

 なんで続ける?

 素人の俺でも解る。

 その続きは――


「あれも、面白半分でお話をすると、夜、手足や命を奪いに来るって内容だったよね……」

「小春!」


 思わず声が出た。

 俺がビビりなのは仕方がないし、幽霊屋敷に入ったのは自己責任だから構わないけど……よりにもよっておまえが、そんな、不意打ちまがいのことをするかよ!?


「最後までちゃんと聞いて。大事なのは、これにはちゃんと対処法があること。それから……」

『君が体験した一連の怪異事件には、やはり共通点がある、ということだよ、切人くん。この事件、放置するには少し危険かも知れないね。なんというか、とらえどころがないくせに、やけに恣意的しいてきなんだ……絡みついてくるような、悪意を感じる』


 二人は憎たらしいほど真剣な表情で。

 おそらくは俺を怖がらせるためだけに。

 そんなことを、のたまったのだった。



§§



「まいどありがとうございますー」


 気のない挨拶を受けながら、コンビニを出る。

 人の恐怖をあおるだけ煽って、小春は家に帰り、センセーは風呂に入ってしまった。

 なにがセンセーともっと話してみようだ、恐怖が深まっただけじゃないか。


 正直、夜道を一人で歩くのも恐ろしい俺が、それでもコンビニくんだりまでやってきたのには事情があった。

 小春が口にした〝さっちゃん〟というオバケについて、俺はしっかり覚えていたからだ。


 さっちゃんはね、電車で足をなくしたよ

 だからおまえの足を貰いに行くよ

 今晩だよ、さっちゃん


 などという、トラウマ間違い無しの歌を、幼い頃あのバカから聞かされた。


 この歌を聴くとその夜、さっちゃんがやってきて、手足を鎌で切り落としていくと、まことしやかに語られていた。

 なぜ切り取るかには、幾つか理由があって。背が小さいからとか、歌の通り事故で手足をなくしたからうらみでとか、無駄すぎるヴァリエーションに富んでいた。

 唯一の救いは、さっちゃんのを枕元に置いておくと、それを持って退散してくれるらしいことだ。


 当時小学生高学年だった俺は、布団の中でブルブル震えながら――布団から足がはみ出すとそこを切られるという話もあったから――この対処法にすがって事なきを得た。

 今回も、なんとかしてもらおうということで、さっちゃんの好物――バナナを買い求めに来た、というわけである。


「いや、マジで怖いんだよ、俺は」


 御朱印帳と、小春からもらった魔鏡をポケットの中で握りしめながら、ひとりごちる。

 死なないのと、怖くないのは別問題だ。

 不死身の存在だからといって、物陰からワッと大声を出されたら飛び上がるほど驚くだろうし、グロ画像とか見たら気分が悪くなるだろう。


 なにより、神隠しの経験は、俺に不可思議の存在を認知させ、恐怖を拡大した。

 おかげで子どもの頃から、恐いものが沢山たくさんあった。


 トイレの花子さん、歩く人体模型、口裂け女、河童……

 目に映るなにもかもが、俺には恐ろしくて。

 できるだけ信じないようにして。

 それでも〝いる〟と、知ってしまっていたから。


 だから、両親に禁じられても、俺はあの廃神社へ通うことを辞められなかった。

 どうか助けてください。助けてくださるのなら、なんだってしますからと、そう祈った。


   /■■を失う恐怖とは、俺が最も忌避するものだからだ。


 まあ、秘密基地にして遊んでいたのは、事実だが……


「そういえば、前に帰省したとき見つけられなかったんだよな、神社。取り壊されちまったのか?」


 などと恐怖を誤魔化ごまかすようにひとりごち。

 バナナの入ったビニル袋をぎゅっと握りしめ、足を速めた。


 今日は早く寝よう。

 眠れないかも知れないけれど、頭から布団をかぶろう。

 大丈夫だ、枕元にバナナさえ置いておけば問題ない。


 自分に何度となく言い聞かせながら歩き。

 最後には、ほとんど走るような速度で家へと向かい。


「――え?」


 と、そこで声が出てしまった。

 景井荘かげいそうの前に、女が立っていたからだ。


 緋色ひいろのコートを身にまとった、金髪の女が。


「――――」


 心臓が激しく脈打つ。

 呼吸が荒くなる。

 落ち着け馬鹿、過剰反応だ。


 この寒い時期である。

 コートの女性ぐらいいる。モデルみたいな長身の女だって、いないわけじゃない。それがたまたま、金糸を束ねたような亜麻色あまいろの髪している確率は、ゼロではない。


 血をイメージさせる色に、すこし過敏になっているだけだ。

 大丈夫、大丈夫だから――

 なにも気づいていないというていよそおって、自分を必死にだましながら、女の横を抜け――


愚か者ふーけもんが。引き返すなら、いまが限度だァぞ? 気張るのも大概たいがいにしておけや。この先にあるのは〝じゅすへる〟が術中じゅっちゅう、ろくなもんじゃねー。おまえさんは、そんなに誘惑されたいのかい?」


 びくりと、身体が震える。

 足が、止まってしまう。

 女が、いつかどこかで聞いたような、はすっぱな口調で話しかけてきたからだ。

 ねっとりと、絡みつくように婀娜あだっぽい声音。


 恐る恐る振り返り、俺は悲鳴を上げそうになった。

 女は、マスクをしていた。

 真っ白な彼女の顔が、半分ほども隠れてしまう、大きなマスクを。


「あー、それから。〝まさん〟は食べるな。おまえさんにゃ、無用の長物だ。私は美人だろう? 美人の言うことは聞いておけってことよ。あと、出来るなら鏡とモロコシを準備して――」


 俺は。

 女の台詞を最後まで聞くことが出来なかった。

 なぜなら――年甲斐としがいもなく悲鳴を上げて、逃げ出したから。


 赤いコートに、大きなマスク。

 それは、あまりに有名な都市伝説。


 口裂け女の特徴、そのままだったからだ。

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