The Last game -アイネ・クライネ-

 挙式が始まると、控え室でのチャラけた空気もすっかり鳴りを潜めた。

 愛姫は別人みたいに綺麗で、新郎も胸張ってキリッとしてやがった。

 愛姫を任せるに値すると思ったから認めたけど、あれだけ堂々とされるとそれはそれで腹が立つ。


 司会によって進行していく式の中、チャペルの前で行う人前式は荘厳で、窓から光が差し込んだ純白の堂内は文字通り神聖に感じた。

 主祭壇の前で向かい合った二人は、普段喧嘩ばかりしてるように見えないほど尊く見え、映画のワンシーンを切り抜いたように絵になる。


 というか、そんなことより愛姫との勝負がすでにやばい。

 開始早々から現在進行形で負けかけてる。

 何だったら隣の姉貴とかすでに化粧落ちるぐらい泣いてるし。


 ギリギリ耐えながら、誓いの言葉や指輪の交換、誓約の宣言などつつがなく行われていく。

 別に負けちまってもいいと思ってはいたが、何とか堪えられたのは二人があまりに立派だったからかも知れない。

 感心して、すげーなこいつらって思わず見入っちまったんだ。

 多分、俺と紗妃だったら、肝心なところでボケたりミスったりしてもっと緩い空気だったかも知れない。


「それではこれをもちましてお二人の絆は深く深く結ばれました。二人の悠久の幸せを祈りまして、本挙式を閉会とさせて頂きます。これより、新郎新婦のご退場です。皆様、今一度大きな拍手にてお送り下さい」


 挙式も終わりを告げ、フラワーシャワーと拍手に包まれながら二人がチャペルを後にする。

 二人とも良い顔で笑ってて、周りも笑ってて、何というか祝福ってこういうものなんだろうなって思った。

 こいつら今この一瞬だけで言えば、この国で一番ぐらいには幸せ者なんじゃないかって馬鹿みたいなことを本気で思った。

 


 その後、庭園で記念写真を撮り終えた俺は、披露宴を前に屋外の喫煙所で一息付いていた。

 時間帯のおかげか人も少なく、束の間ベンチに腰をかけて肺を不健康に煙で満たす。


 ポケットから手に収まりそうなほど小さな写真立てを取り出すと、口には出さず紗妃に語りかけた。

 見てたか? お前の娘、あんなに綺麗になったぜ、って。

 想像も付かないよな、あんな小っちゃなガキだったのにって。


 まるでこの日のために撮ったよう、お呼ばれ用の青いドレスを着た紗妃が写真の中で笑っている。

 あいつはいったい、この写真を撮ったときどんな気持ちだったかな。

 きっと、愛姫の幸せな将来を信じてたから、こんな顔してるんだろうな。


 なぁ、紗妃。その想像は当たったよ。

 だって、あいつら何の心配もないほど幸せそうなんだからよ。

 お前だったらきっと、今愛姫としてる勝負もすぐに負けてたんじゃないかな。

 それを想像したら自然と笑いが零れて、俺は写真をポケットにしまうと会場へと向かった。



 披露宴は、挙式と打って変わって賑やかなものだった。

 なにせ乾杯と同時に生バンドの演奏をぶちかます程度にはタガが外れており、主賓のスピーチもぶっ飛んでたし、ファーストバイトではパイでも投げ付けられたのかお前? と思うほど新郎の顔はクリームだらけになった。

 様々な演出や催しものがなされ、歓談中は至るところで笑い声が響く。

 

 そして元から頼んでたのもあり、わりと早い段階で俺の出番も回ってきた。

 後半に出るゲストの余興がやたらレベルが高いって分かってたからな。

 序盤のハードルが低いうちに消化するのが無難だ。


 俺の余興、それは新郎との漫才だ。

 愛姫には隠していたので、相方として当然のように新郎が前に出てきたときには面食らっていた。

 会場も不意を突かれたらしく、登場しただけでややウケだ。

 

 ネタは頑固なしゅうとと生意気な婿の喧嘩漫才だった。

 しかも合間合間でお互いに愛姫のことを引き合いに出し、ちゃっかり二人揃って愛姫を当てこする内容になっている。

 距離感が近ければ笑いの沸点は下がるからな。

 会場の殆どが相方の新郎を知っているうえ、内容も分かりやすい身内ネタにした甲斐もあってか結構な笑いを取ることが出来た。


 いつもなら怒るだろう愛姫も、呆れながら俺と新郎のやり取りを笑っていた。

 ただ、漫才を終えた後に三人で撮った記念写真には、きっちり愛姫に頬をつねられた俺と新郎が写っていた。



 ※ ※ ※



 その後も催しや色直し、友人知人からの余興やメッセージなどで盛り上がり、気付けば閉宴に近付いていた。

 俺はすっかりと落ち着いていて、どこかフワフワとした気持ちでそれを眺めていたんだ。

 普段の生活から切り離されたように陽気で、現実感がなくて、だけどいい物だなって思えて。


 その中で愛姫が華やかなドレスに身を纏って、幸せそうに微笑んでいる。

 一番後ろの席からでも分かるほど、心から喜んでることが分かる。

 もう何もかもあいつは大丈夫なんだなって思ったら、今日人生が終わっちまってもいいなって思えた。

 何かをやり切ったときのように、今日が一つの区切りなのだなと思えた。


 そして披露宴も間もなく終わりを告げる中、新郎新婦の挨拶へと移った。

 この後には俺も家族代表の謝辞として挨拶がある。

 ただ不思議と緊張はなかった。

 それより、愛姫が何を話すのかが気になっていた。


 場内が静まり返る中、マイクの前に立った愛姫の手には原稿のようなものが握られていた。

 あいつのことだからてっきり暗記してくるだろうと思ってたのに意外だ。

 用紙を広げて一息付くと、顔を上げて静かに口を開く。


「皆様、本日はご多忙の中、私たちのためにお集まり頂きありがとうございます」


 そして、次の言葉でその手に持っていたものが原稿ではないことが分かった。

 誰に宛てた物なのかが分かった。


「感謝の尽きないこの日のことを、今までのことを、お母さんに伝えたくて手紙を書いてきました」


 ここで紗妃への手紙かよ。だからあんな勝負持ちかけたのか。

 これで泣くなとか無茶言いやがって。

 本気で勝ちに来てるなあいつ。


 場内の来賓の多くは愛姫の背景を知っている。

 それだけに、亡き母親に宛てた手紙という言葉を聞き、その内容を固唾を吞んで見守った。


 愛姫が視線を少しだけ落とすと、強く透き通った声で話し始める。

 そこに記されているだろう文章を、丁寧に一語一語拾っていく。


「お母さんへ、今日はなんと私の結婚式です。

 あれから十数年が経って、私もお母さんと同じ年頃になりました。

 私にとってお母さんはお母さんのままで、同年代になっただなんて思えなくて、いつまでも自分が子供のままのような気がします。

 長かったはずなのに、あっという間だったような不思議な気持ちで、自分が大人だなんてまだまだ思えません。

 けれど、少しだけあの時のお母さんのことが分かるようになりました。


 あの頃のお母さんは、私にとって少し冷たく感じました。

 私のことを思ってくれているのは分かっていたけど、なんでもっと一緒にいてくれないんだろうって、なんで私だけがって、そんな風に感じていました。

 もっと私を見てほしかった。

 もっと毎日あったことを話したかった。

 仕事で夜遅く帰ってくるのを待っていたことをよく怒られたけど、例え怒られても一緒にいたかったんです。

 大変そうだったから言えなかったけど、何で私の気持ちを分かってくれないのかって毎日思っていました」


 出会った頃のこいつか。

 確かにあのときの愛姫は荒んでいた。

 まるで誰かに見付けてもらうためみたいに、公園で一人ブランコを漕いでいた。


「ただ、お母さんと同じ年頃になって、それがどれだけ大変なことか分かりました。

 歳の差が縮んでいくほど、子供の頃は当たり前に大人だと思っていた存在が、一人の人間なんだと分かりました。

 それなのに、お母さんは自分の時間がないぐらい働いて、私の将来を思って行動していて、大事なことや苦しいこともずっとずっと隠していました。

 

 あの頃のお母さんの苦労は、どれだけ考えても分からないのかも知れません。

 なんであんな風に出来たのかも分かりません。

 だって、この歳になっても、私はまだまだ子供だから。

 自分の気持ちだけでもいっぱいで、お母さんみたいになんて、絶対出来ないって思うから。 

 辛いのに、怖いはずなのに、私に笑いかけてくれてた顔を思い出すと胸が苦しくなります」


 淀みなく話し切ると、そこで愛姫は少し眉根を寄せた。

 心苦しそうに、手紙というよりはまるで実際に目の前で紗妃が聞いているかのように語りかける。

 

「お母さんはずるいよ。

 だって、全然そんなの気付かなかった。

 私は、私のことしか考えられなかった。

 病気だなんて、夢にも思わなかった。

 どれだけ、孤独で、苦しくて、不安だったか、一人で頑張り続けてたか、想像も付かないよ。

 なんであんな風に頑張れたのか、分からないよ。


 お母さんは、世間知らずで不器用で要領だって良くなかった。

 きっと今じゃ私の方がしっかりしてるし、上手く生活だってしていけるって思う。

 けど、そんな不器用なお母さんだからこそ、一人で私を育てて、病気のことも隠して、毎日を過ごすことは、誰よりも人一倍大変だったんだって分かる。


 それなのに、いつだって本当に私のことを考えてくれてた。

 きっと投げ出したい時だってあったはずなのに、喚きたいはずなのに、最後まで私の前で大好きなお母さんでいてくれた。

 それがどれだけ凄いことかは、今なら分かるよ。

 大人になったなんて実感は湧かないけど、一つだけ。

 私がお母さんからどれだけ愛されていたのかが、大人になってやっと分かったよ」


 少し切なげな表情で、けれど芯の通った言葉で紗妃にそう告げる。

 やっぱりあいつは立派だな。


 つまりこれは、懺悔であって、感謝であって、自慢なんだ。

 紗妃に対して、分かってあげられなくてごめんなさいって、ありがとうって、それだけ凄い母親だったんだって、そう言ってるんだ。


 この大舞台で、緊張することもぶれることもなく、胸を張って。

 心から言ってるんだろうなって、聞いていて伝わってくるほど。

 すげーよな、紗妃。

 全部全部、お前があいつのために頑張ったおかげだ。

 ちゃんと、愛姫には全部伝わってるんだ。

 きっと、お前のおかげであんなに真っ直ぐ立っていられてるんだ。

 なんだかそれが嬉しくて、お前のことが誇らしくて、思わず頬が緩んじまうよ。


 愛姫が背筋を伸ばして手紙を読み続ける。

 その新婦の毅然とした姿勢とは裏腹に、会場には鼻をすするような音も聞こえてきた。


「そんなお母さんが亡くなって、私は一人になると思ってました。

 お母さんが病気だって分かって、死んじゃうのが嫌で、悲しくて、私もお母さんも何も悪くないのにって、なんでこんなことになるんだろうって。


 そのときは将来のことなんて何も考えられなくて、世界が終わってしまうんだって本気で思ってました。

 ずっと暗いままなんだろうって、もう何もないんだろうって。

 何でなんだって、お母さんが死んじゃうならもうどうでもいいんだって。


 けどね、お母さん。

 私は今こうして、前を向いて生きていけてるよ」


 そこで愛姫が、その言葉通り顔を上げて前を向いた。

 その瞳は、紗妃に語りかけてるはずなのに、何故か真っ直ぐに俺を捉えていた。

 手紙はもう、少しも見ていなかった。


「ねぇ、お母さん。逸馬が、私を守ってくれたよ。

 私をここまで育ててくれたんだよ」

 

 今までの様子と打って変わって、途端にその言葉尻が震え始める。

 その声は、まるで幼い子供のようにか細くて、必死に訴えかけるような響きだった。

 今までで一番幼い印象を与えるほど、無防備で、等身大の言葉に聞こえた。


「一人ぼっちの私に寄り添うみたいに、ずっとずっと側にいてくれたよ。


 本当に、本当に嬉しかったよ。

 だって、私は逸馬のおかげでお母さんの前で笑っていられたから。

 きっとあのままじゃダメになっていた私を、奮い立たせてくれたから。

 一人だって思っていた私に、これからも一緒にいてくれるって言ってくれたから。


 その言葉の通り、いつだって逸馬は一緒にいてくれた。

 私は馬鹿だから、数えきれないぐらい逸馬に迷惑だってかけてきたのに。

 申し訳なくて、疑って、面倒臭い性格で、自分のことが嫌いになりそうで、だから逸馬が私のことを嫌いになっても仕方ないって。


 だって、怖かった。逸馬が、本当は嫌々私のことを育ててくれてたらどうしようって。

 私は素直なんかじゃないから。可愛くなんかないから。

 ありがとうって、いつだって思ってたのに、言葉にすることなんて出来なかったから。


 でもそんな私を、逸馬はちゃんと叱ってくれた。

 安心しろよって、当たり前みたいに側に居続けてくれた。

 すごいなって、頑張ってるなって、しっかり私を見て、認めて褒めてくれた。

 時には喧嘩して、けどすぐに馬鹿なことで笑いあって、そんな毎日がすごくすごく温かくて、たくさんの思い出と愛情をくれたよ」


 遠目で見ても分かるほど、愛姫の頬には涙が伝っていた。

 先程までと違い、詰まりながら、それでも俺を見ながら必死で言葉を続ける。


「ずっとずっと大切に思ってくれてたって知ってるよ。

 可愛げがないってあれだけ言ってたのに、そんな私のことを、いつだって誰よりも大事にしてくれてたの、伝わってたよ。

 だらしないくせに、面倒臭がりなくせに、必死に私のために、ずっとずっと頑張ってくれてたこと、分かってたよ。

 血だって繋がってないのに、逸馬がそこまで頑張る理由なんてないはずなのに、お母さんと同じように、私のことを想ってくれてるって感じてたよ」


 なに言ってんだ。

 俺なんかが紗妃と一緒だなんてそんなわけ……。


「ねぇ、私の気持ちは、ちゃんと伝わってたかな。

 どれだけ感謝してたか、どれだけ何かを返したいって思ってたか、どれだけ私にとって大切な存在だったか、伝わってるかな。


 一人に、なった私の、手を取ってくれたこと。

 一人になろうとした私を、抱き締めて、くれたこと。

 いつも、側にいて、守ってきてくれたこと……。

 どれだけ逸馬がくれたものに、救われてきたか、ちゃんと伝わってるかな……?

 少しでも、この気持ちは届いてくれてるかな……?」


 その言葉の最後の方は、聞き取れないほど涙で滲んでいた。

 それでも、大粒の涙を零しながら、俺のことを見つめ続けていた。


「ねぇ、逸馬。

 お母さんだけじゃないんだよ。

 あなたがいたから、私はこうしていられるんだよ。

 あなたのおかげで、今があるんだよ。

 だからこうして私は、笑ってこれたんだよ」


 涙で頬を濡らしながら、愛姫が俺に微笑みかける。

 それは、今まで愛姫がくれた言葉以上に、色んな気持ちが伝わってくるようだった。


「今までありがとう、逸馬」


 けれど、強く瞑った目から一際大きな涙が流れて、すぐにその表情は崩れた。

 そして最後に一言、愛姫が絞り出すように呟く。


「今までありがとう、――お父さん」


 そのまま手紙を握っていた手を下ろすと、天を仰ぐように愛姫が子供みたいに泣いた。

 いくつもいくつも流れる涙を、手の甲で懸命に拭う。

 誰もが言葉を失い、広い式場に静寂が下りて、愛姫のしゃくりあげる声だけが響く。


 そんな中、新郎が優し気な顔で手を叩き始めた。

 力強く拍手の音がこだまする。

 それに気が付かされたように他の来賓からもいくつかの拍手が鳴り始め、それは波紋のように客席に広がり、やがて土砂降りのような音となって会場を包み込んだ。


 どこか遠くに聞こえるようなその音の中、俺は呆然と愛姫を見詰め続ける。

 顔を上げた愛姫と目が合うと、あいつはまた顔をくしゃくしゃに歪めて涙を拭った。


「…………ははは、なんだよあいつ」

 

 その顔を見て、思わず言葉が漏れる。


「勝負とか言って、自分が大泣きしてるじゃねぇか」


 本当、何が俺が泣いたら負けだよ。

 お前なんか終始泣きっぱなしじゃねぇか。

 まったく、本当にまったく……。


 そう俺が拍手の音に紛れるよう呟いていると、隣から肩に手をかけられた。

 横を見ると、姉貴がぐしゃぐしゃの顔でハンカチを差し出していた。


「逸馬ぁ……、よく頑張ったね……、本当に、今まで頑張ったね……」

「ばっ、かやろう……」


 ――くっそ。

 ふざけんなよ。余計なこと言いやがって。

 トドメ刺すんじゃねぇよ。


 ボタボタと幾つもの涙が頬を伝うのを自覚する。

 俺は滲んで輪郭が曖昧になったハンカチを掴み取った。

 力任せに目元を拭うと、テーブルに立てていた紗妃の写真へと目を落とす。


 だって、分かんねぇんだ。


 なぁ、俺は別に自分のことが立派だなんて未だに思えないんだよ。

 適当だし、無神経だし、ガキの頃あいつにとんでもない無理だってさせたし、良く出来た親なんかじゃないから。

 お前ほどあいつを愛せていたか自信がないし、俺じゃなくてお前が代わりにいてやれればなって数え切れないぐらい思った。

 今まで誇れることなんて一つもなかったんだよ。

 胸を張ってあいつの親だって、言っていいのか分からなかったんだ。


 けどさ、紗妃。

 少しだけ、ほんの少しだけ、自惚れてもいいのかな。

 あいつが今、あんなにも幸せそうにしてるのを、少しだけ自分がいたおかげだって思っていいのか。

 お前の代わりに、お前と同じように、愛姫を愛せてたと思っていいか。

 だってこんなにも、胸が満たされてるから。

 そして、この幸せを全部愛姫にあげちまいたいって、俺じゃなくていいから、その分あいつに幸せになってもらいたいって、そう思えるぐらいあいつが大切だから。


「……っ」


 くっそ。目からお湯が出てるみてぇだ。

 熱くて、止まらなくて、こんなの初めてで、困るだろ。


 この気持ちを何て言ったらいいんだよ。

 お前と愛姫がくれたものが大き過ぎて、涙が止まってくれねえよ。

 なのに哀しいことなんて一つもないんだ。

 ただただ胸がいっぱいで、言葉が出てこねえんだ。


「何やってんだい」

 

 俺が次から次へと出てくる涙を懸命に拭っていると、後ろからお袋にド突かれた。

 鼻水と涙が貸衣装に付くだろうがこの野郎。


「なに、すんだ、ババア……!!」

「次はあんたの番だろ。前に出て予定通り挨拶してきな」

「無茶言うんじゃ……、ねぇよクソ……。こんな顔、見せられっか……」

「別に上手く喋れなくたっていいんだよ」


 そう言うと、お袋が誇らしげに笑って俺のネクタイを整えた。


「あんたのその顔見りゃ、どんな気持ちか皆分かってくれるよ。さぁ、最後の仕事だ。汚くて最高のそのツラ、会場中に拝ましてやんな」

 

 無理やり俺のことを立たせると、勢いよく背中を叩いて送り出された。

 歯を食いしばって、ぼやけた視界で何とか愛姫の元へ歩いていく。


「びなざま、ほんじつは――」


 そのあとの俺の挨拶は案の定、涙でぐしゃぐしゃでまともに言葉になっていなかった。

 けれど、それを馬鹿にするやつなんて誰もいなくて、温かな笑いと祝福が会場中に満たされていた。


 そんな中で、愛姫も隣で可笑しそうに笑っていた。

 その表情は涙と笑顔に彩られて、キラキラと幸せな色で輝いているように見えた。

 

 なぁ、紗妃。今なら胸を張って言えるよ。

 こいつは、俺たちの最高のクソガキだって。

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