第20話

 夜も更けてきたバカ騒ぎの中、俺は店先で一人タバコをふかしていた。 

 店内に喫煙所はあるが、今日は店の中で吸う気にはなれなかった。

 

 席が入口から近いせいか、店の中からはガキ共の声がよく響く。

 その賑やかさの中には、紗妃の柔らかい笑い声も含まれていた。 

 冷たい冬の空気と共に煙を吸い込みながら、悪くないなと、素直にそう思えた。


 輪の中で騒ぐのも嫌いじゃないけど、こうして少し離れた距離が妙に落ち着く。

 いつまでもこうして聞いていたい、あいつらを見守り続けたい、そう思った。

 自分がこんな風に思える日が来るだなんて、思ってもみなかった。

 

 二本目のタバコに手を伸ばしたところで、店のドアが開いた。

 後から入ってきた他の客かと思い一歩入口から端に寄ったが、出てきたのは愛姫だった。


「どうした? 主役が抜けてきてんじゃねえよ」

「いや、あの……」


 クソガキが後ろ手にドアを閉めると、しおらしく俯いて見せる。

 どうやら外の空気を吸いに来たって感じではないらしい。


「なんだよ?」

「あの、ありがとね、ロリコン」

「なにが?」

「お母さんが、服とか、今日のこととか、全部お金出してくれたって」

「あぁ……。ガキがくだらないこと気にしてんなよ。勝負の一環だろうが」

「うん。でも、嬉しかったから」


 愛姫は、いつからか俺にありがとうと言うことが増えた。

 それはおそらく、感謝と共に、不安の現れなのだと思う。

 こいつぐらい頭が良ければ、他人からの施しが無条件で続くだなんて、子供心ながら信じ切れないんだろう。

 だからその言葉は、いつだって遠慮がちだ。


「お前はさ、ガキの割に小利口すぎんだよ」

「なによそれ」

「俺は好きでお前との勝負を続けてんだ。だから、その無い胸張って堂々してろよ」

「な、何言ってんのあんた!?」

「お前はお前でちゃんと役目を果たしてるんだから、安心しろって言ってんだ」


 きっと愛姫は、俺に対して負い目のようなものがあって、時折、その強がりの裏には縋るような心細さが見える。

 こいつは利口だから、今の生活が俺に依存していることを重々承知している。

 けど、俺に素直に縋ることはきっと申し訳なさから出来なくて。

 だから、愛姫が俺に礼を言うたび、「お願いだからどうかこのままで」と訴えているようで、柄にもなく胸が締め付けられる。

 いじらしくて、健気で、苦しくなる。


「だから、もっと素直に笑っとけよ」

「え?」

「お前、普段紗妃の前じゃ上手く笑ってるくせに、今日みたいに自分のこととかだとちょっとぎこちないんだよ」

「そ、そんなこと……」

「小夏たちも心配してたぞ」

「……」


 そのまま黙りこくる。

 口では否定しても、ぎこちのなさは自分でも自覚があるんだろう。


「だって、お母さんは病気で大変だし、あんたはその、何ていうか、頑張ってくれてるし、私がそんな風に一人だけ喜んだりしていいのかなって……」

「本当に馬鹿だなお前は」

「なにがよ?」

「紗妃もそうだけど、お前が笑ってなきゃ頑張り甲斐がないだろ。俺がお前に作ってやるって言った時間は、ただ単純に時間を引き伸ばすとかそういうことじゃないんだよ。お前が紗妃と一緒にいる時間を取り戻して、二人揃って笑ってなきゃ意味がねえんだ」

「でも……」

 

 不器用なやつだ。

 何でもかんでも一人で抱え込みやがって。

 自分が喜んでしまうことを、不謹慎だとでも思ってるんだろうか。

 

「吐き違えるなよ。俺があいつの前で笑ってろって言ったのは、取り繕えってことじゃねぇんだよ。今ある時間を大切にしろってことなんだ。何かを大切にしてるとき、大事に思ってるとき、笑ってて何が悪いんだ。嬉しいとか楽しいって気持ちを噛み締めることのどこが悪いんだ」

「……」


 愛姫が何も答えず、俺の顔を見上げる。

 少しだけキョトンとした色を混ぜながら。


「ロリコン」

「あんだよ」

「なんかあんたがそういうこと言うと変」

「て、てめぇ……!」


 酒が入ってることもあり、顔に熱が集まるのを感じる。

 人が慣れないながら励ましてやってるってのに、このクソガキは本当に。


「あ、見てロリコン、雪」

「あ?」


 愛姫がすっかり暗くなった空を指差す。

 よく見ると、街灯に照らされ、小さな粉のような雪がちらついていた。

 まるで重力なんかないみたいに、ゆっくりと一つ一つ降り注ぐ。

 軽やかで、なんだか桜を思い出す。

 

「――なぁ、春になったら花見でも行こうぜ。もっと暖かくなったら去年は行けなかった山にもさ。夏になったらまた海に行って、それで、今年は難しいだろうけど来年には雪山にも連れてってやる」

「うん」

「全部、全部俺が連れてってやるよクソガキ。だから、お前はちゃんと笑ってろ」

「……うん」

 

 今度は素直に頷く。

 そのまま俺と愛姫は、寒いのに店の中には戻らずしばらく並んで雪を眺めていた。

 空の方を見ながら、ふと愛姫が呟く。


「……なんか分かった」

「何がだ?」

「あんたが頑張ってくれてるからこそ、私はそれを嬉しく思わなきゃなんだね」

「そうだな。それだけ聞くと、俺がすげー押し付けがましいやつみたいだけど」

「ううん、そんなことないよ」


 目を細めながら、首を少し傾けて俺を見上げる。


「ありがとう、ロリコン」


 そう言った愛姫の笑顔は、今まで俺に向けてきた中で一番穏やかなものだった。

 優しげで、信頼してるようで、真っ直ぐに俺を見ていた。

 この顔に応えてやりたいなと、掛け値なしに思う。


 ただ、そのまま頭をワシャワシャとやったら、いつも通り手を払い除けられた。

 店内に戻ると、雪が降り始めたことにガキどもは大騒ぎだった。

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