The 7thバトル ~幼女とスターボックスカフェ~

 都内スターボックスカフェ。

 スタイリッシュな店内のカウンターで、背伸びをしてメニューを見つめる少女。


「この、ストロベリークリームふらぺちーの……、あんど、ホワイトチョコレート、うぃず、チーズケーキ……? ってやつください」


 生麻愛姫。

 品行方正。成績優秀。ちょっと生真面目。

 ご近所にも自慢できそうな立派な児童である。


「俺はアイスコーヒーで」


 そんな愛姫の後ろから、特にメニューも見ず適当に注文する男。

 松井逸馬。

 堕落腐敗。職務怠慢。重度のロリコン。

 どこに出しても恥ずかしい犯罪者予備軍である。

 

 先日の夜約束した通り、いつものように勝負をして負けた逸馬は、賭けの約束通り愛姫をスタボへと連れてきていた。

 会計をする際、客からもらったギフトカードを出し、残高のポイントが引かれる。

 本来賭けの対象であるそのカードは愛姫の物になるはずだったのだが、愛姫が「行ったことがない」、「一人だとお店に入れない」、「あんたも頼んでいいから連れて行きなさい」の三段階を経て逸馬がカードを持つことになった。

 最初から連れて行くつもりではあったものの、そこまで上から命令されると思っていなかったので逸馬は半ば呆れていた。

 

 しかし楽しみにしていたのは間違いないらしく、店を見つけるなり「ほら! あそこよロリコン!!」と入店前から愛姫は気分を高揚させていた。

 念願と言わんばかりに白と赤がカラフルな商品を受け取ると、その豪華さにさらに上機嫌になる。


「なんなんだよその無駄に長い名前の飲み物。本当に美味いのか?」

「わかんない!」


 そう言いながらも、愛姫は珍しく満面の笑みである。

 そして、一口飲むとその顔に驚愕を浮かべ、二口飲むと頬が緩み、三口目には至福の表情に染まった。

 いつものしっかり者の印象と違い、無邪気な少女そのものだった。

 そんな愛姫を逸馬が不可解そうに観察する。


「……そんなに美味いのか、それ?」

「うん!」

「あのさ、ちょっと一口」

「絶対いや!」


 逸馬が言い切る前に即座に切って捨てる。

 そして、まるで取られまいとするように飲み物を自分の身体の影に隠した。

 

「別に奪いやしねぇよ。いいじゃねぇか一口ぐらい」

「あんたは好きでコーヒー頼んだんでしょ。飲みたいなら自分で頼みなさいよ」

「いや、一個丸々は胸焼けしそうだし」


 逸馬は別に苦手ではないが、甘い物が好物というわけではない。

 しかし愛姫があまりに美味しそうに飲むので、少し興味が惹かれたのだ。

 当然それ以外にも下心はあるのだが。


「私の分が減っちゃうじゃない。絶対あげないからね」

「おい、そんな急いで飲む必要ないだろ」


 警戒した愛姫が残りの半分をクピクピ喉を鳴らして飲み込む。

 やがてストローからは氷だけになった水切れ音が鳴った。 


「腹壊すぞ」

「暑いから大丈夫だもん」

「そういう問題か? まぁいいや、飲み終わったんなら出ようぜ」

「……そ、そうだね」


 なんだか歯切れの悪い返答だった。

 確かにカフェに来て飲み物を飲み終えたら即店を出るというのは少々事務的過ぎる。

 しかし、愛姫の反応の理由はもっとシンプルなものだった。

 愛姫がもう一つの新商品のポスターをチラチラと見ているからだ。 


「……あー、やっぱ俺も甘いの飲みてぇわ。買ってくるからちょっと待ってろ」

「え、うん」


 逸馬が愛姫の様子を察して席を立つ。

 腰の高いカウンター席で愛姫が足をパタパタとさせて待っていると、その頬に冷たい物が押し当てられた。


「うひゃっ!? な、なに!?」


 振り返ると、逸馬がポスターに載っていた新商品を差し出してきた。


「ほら、先飲んでいいぞ。俺は最後に一口飲めれば充分だから」

「へ!? なんで?」

「お前、食い物のことだと分かりやすいんだよ。というか飲み足りないならさっきもでかいの頼めばよかっただろう」

「だって、高いんだもん」

「結構ポイント入ってるカードだから大丈夫だって」

「本当に飲んでいいの?」

「いらないんだったら俺が一人で飲むけど」

「いる!」


 そう愛姫が商品を受け取って口を付けると、先ほどと同じように表情をコロコロと変化させた。

 夢中で気付いてはいないが、その様子を見ながら逸馬も口の端を釣り上げる。

 それは微笑ましく見守るような優しい表情では決してなく、邪悪な含み笑いだった。

 なにも逸馬は善意だけで愛姫に飲み物をおかわりさせたわけではない。

 先ほどは失敗に終わった目的を果たすためだった。


「はい、残りはあんたが飲みなさい」

「わりと残ってるな。本当に一口分だけでよかったのに」

「あんたの言うとおり、いっぱい飲み過ぎるとお腹壊しちゃうかもだし」

「ほー。そんじゃ遠慮なく」


 逸馬がしてやったりとばかりにプラスチックカップを受け取る。

 当然、お目当ては容器の中に入ってる飲み物に対してではない。

 その目は、愛姫の小さな桜色の唇が口を付けていたストローの先端を凝視していた。

 紛れもなく真性のそれだった。


「あ、ちょっと待って」


 しかしいざ逸馬が飲もうとした瞬間、愛姫がそのストローをパッと取り替えた。


「あああああああ!? テ、テメェ、なにしやがんだ!」

「な、なにがよ?」

「これ俺がさっき飲んでたコーヒーのストローじゃねぇか!」

「だって、さっきのストロー、私が使ってたやつだし」

「俺は別に気にしねぇよ!!」

「私が気にするの!」

「はぁ!? 間接キス気にするとか小学生かよ!?」

「小学生よ!」

「くそったれ、そうだったぁー!!」


 逸馬が急に大声をあげるので、愛姫だけでなく、店内の客まで驚いて二人に目を向けていた。

 誰か一人ぐらい通報しててもおかしくないような内容だ。


「お客様、店内では他のお客様もいらっしゃいますのでお静かに……」

「あ、はい、本当すみませんでした」


 店員に注意されたところで逸馬が正気に戻る。

 なにも逸馬は、普段から女児の使用品に興味を持つ危険人物というわけではない。

 ただ、愛姫を相手にするとそのからかい甲斐ゆえに内なる好奇心を刺激されるのだ。

 必然、理性のタガが外れた際の姿は変質者のそれに限りなく近かった。


「恥ずかしいからやめてよね」

「はい、すみません……」


 店員に続き小声で愛姫に叱責されると、思わず敬語になり意気消沈する。

 しかしそれは反省しているというより、目当ての獲物にありつけなかった卑しい獣の落ち込みだった。


 ドリンクを飲み終え、逸馬が半ば無気力な顔をしてフラフラと店を出る。

 対照的に愛姫はなんだかんだあったものの満足顔だった。

 外は夕暮れであってもまだ夏の熱気を保ち、湿った生ぬるい空気が二人を包む。


「あれ、そっちから帰るの?」

「あん? どっちからでも距離はそこまで変わらないだろ」


 やや不思議に思いながら、愛姫が逸馬の少し後を付いていく。

 そのまま交差点の付近まで歩いていくと、対岸がやたらに人でもみくちゃになっており喧騒の激しさが増した。

 都心のど真ん中にあってなお、その人混みは異常と思えるほどだ。

 様々な食べ物の混じった臭い、スピーカーから流れる笛と太鼓の音、交通規制で人波を整理誘導する警察官。


「お祭り……?」

「すげぇ人だなおい」


 溢れ返らんばかりの群衆を見て、半ばうんざりした声で逸馬が呟く。

 逆に神社の祭りに気付いた愛姫はソワソワとした足取りになった。 

 祭りがあることは知っていたが、行く予定もなかったので正確な日取りを知らなかったのだ。

 夏休みに祭りに行くというのは、例え偶然だとしても、少し立ち寄る程度のものでも、愛姫の真っ白な夏休みのスケジュールの中ではことさら大きなイベントに感じられた。

 長い横断歩道を渡りながら少し前を歩く逸馬に追いつき、遠慮がちにその袖を引く。


「……ね、ねぇロリコン。ちょっとだけ見てっちゃダメ?」

「は? なに言ってんだお前?」


 逸馬の怪訝な返答。

 それを受けて、ふっと愛姫の表情が固まった。

 同時に「あぁ、そうだよな」と冷静にもなる。

 別に逸馬が自分に付き合う必要なんてないのに、何を期待してしまったんだろうと、反省にも近い後悔を覚えた。

 図々しかったかも知れないと、少しだけ恥ずかしくもなった。


「そ、そうだよね、ごめ」

「祭り寄るためにこっちから帰ってるに決まってんだろ。夜飯にもちょうどいいしな」

「――っ」


 そう言われて愛姫は不意に立ち止まった。

 すぐに気付いた逸馬が振り返り、横断歩道の途中で固まっている愛姫に声をかける。

 

「おい、何してんだクソガキ。危ねぇだろ、早く行くぞ」

「……うん」


 逸馬が何気なく愛姫の手を取って神社の方へと歩いていく。

 手を引かれながら、愛姫は何とも言えない気持ちになっていた。

 当たり前とでも言うかのような逸馬の言葉と行動に、驚きとも戸惑いとも言えない感情を抱く。

 同時に、母親に手を引かれながら数年前に祭りに行ったことを思い出した。


 途端に愛姫は逸馬に対してどう振る舞っていいかが分からなくなった。 

 単なる顔見知りで、お互いの利のためだけに勝負するような関係で、ただのロリコンで、それで他人で。そのはずで。


「ここの祭りはでかいからな、人ゴミはうざってぇけどやっぱテンション上がるわ」

「でも私お金持ってないし……、なんか悪いし……」

「はぁ? 本当になに言ってんだよお前」

「え?」

「ただ単にタダ飯食わせるわけねぇだろ。食い物屋以外にも色々あんだぞ。勝負にはもってこいだろうが」 


 愛姫の戸惑った様子には微塵も気付かず、逸馬がいつもの軽い調子で言う。

 それが愛姫にとってはかえって嬉しくて、落ち着くものだった。

 まるで様式美のように繰り返してきた悪態が自然と口に出る。


「ふん、じょーとーよ、全部おごらせてやるわ。――っていうか、いつまで手握ってんのよ!」

「人が多いし、お前がちっこいから繋いでただけだろ。……というか、そうか」


 無意識だったため、逸馬はそこで初めて愛姫の手を握っていたことに気付く。

 そしてそのまま、流れるような動きで握っていた方の手の匂いを嗅いだ。

 

「な、なにしてんのっ!?」

 

 その行動に戦慄を覚え、思わず逸馬の足を蹴る。

 

「き、きもい! 本当きもい!! ちょっとは良いやつって思ったのに!!」


 なおもゲシゲシと足を蹴り続ける。

 しかし愛姫の体重は軽く、腰も入ってないことから大人の逸馬には対して効果がなかった。


「いてぇな、そんな怒るなよ。お前の手少し汗ばんでたから、何か匂いするかなって思っただけだろ」

「きもい! 変態、本当にド変態!!」

「ちょっとした興味本位だろ。何の匂いもしなかったから安心しろよ」


 言葉の通り、逸馬に悪気は一切ない。

 それは純粋なる好奇心の類いだ。

 しかし、一般人と嗜好が異なるその行動は、普通の人間から見たら奇行に他ならなかった。


「別に手ぇ繋げとは言わないけど、はぐれんなよ。はぐれたら置いて帰るからな」

「この神社からだったら一人で帰れるから平気だもん」

「へー、祭りの日って、子供が一人で遅くまで残ってると屋台の怖いオッサンに攫われたりするんだけど、それでも平気なんだな?」

「……そんな子供騙し通じないからね」

「いや、子供じゃんお前。それに知ってるか? 日本って年間に八万人も行方不明者出てるんだぞ。お前の学校って全校生徒どれぐらいよ?」

「え? ……確か400人ぐらい」

「八万人ってそれの二百倍だぞ? おかしいと思わないか? そんな大量の人数がたった一年で消えてるんだぞ? その中の何人かが祭りで攫われててもおかしくないと思わないか?」

「お、思わない! それにそんなたくさんの人が行方不明になってるっていうのも嘘なんでしょ?」

「残念でしたー。国から出てる正確な数字ですー」

「ほ、本当に?」


 逸馬がくだらない内容で愛姫をからかいながら神社へと進んでいく。

 正確には行方不明者のうち九割五分はその後に見付かるのだが、逸馬は敢えてそのことは言わなかった。

 限定された事実だけを伝え、信憑性を帯びさせる。逸馬は変質者に加えペテン師の素質もあった。


 神社の大きな朱色の鳥居を潜り参道に入ると、両脇には所狭しと屋台が並んでいた。

 人が川のように流れ、そこかしこから笑い声や食べ物の匂いが漂ってくる。

 屋台と同じように道に沿って吊り下げられた提灯、すれ違う浴衣の人波、少し開けた広場に頭を覗かせた矢倉。

 夏の風物詩らしい光景が広がっていた。


「そういえばロリコン。あんた仕事は大丈夫なの? またサボってたら怒られるんじゃない?」

「あぁ、今日はもう仕事ねぇよ。元々休みの予定だったしな」

「え? でもあんた一昨日……」

「あぁ!? クソガキ、あれ見ろ! 型抜き屋だ!! くっそ懐かしいなおい! 最近のガキは知らねぇだろ!!」


 訊ねかけた愛姫の言葉を聞かず、逸馬が懐かしの屋台に気付いて足早に歩いていく。

 先ほどの逸馬の話しを信じていたわけではないが、はぐれないように愛姫がその背中を追った。

 愛姫の頭に浮かびかけた疑問は、付いて行くのに必死ですっかりと消えてしまった。

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