第6話

 ミモザが花のしたをふわりと飛んでいる夢を見ていると、


「ミモザ、起きて」


 と、竜道が囁いた。


「あら、私寝ていたわ」


「そろそろ出発しよう」


「そうね」


 ミモザは立ち上がって、空き缶をビニール袋に入れて歩き出した。酔いが覚めていくにつれて、先のことが気になり、早く落ち着ける場所を見つけないと、と、あせりだした。


「あなた、四国へ行くのはやめましょう。早く大阪に帰って、マンションを探しましょう。でないと、これからのことが心配で落ち着けないの」


 ミモザは後楽園の出口に向って歩きながら、竜道に話しかけた。


「どうして? おれは二千万円、貯めたのだよ。これはワイフの知らない貯金だ。ほら、ここにカードがあるだろう。結婚して以来、支店を作ってそこで自分の思うままに采配をふるうのが夢だったのだ。二ヵ月前に二千万円に達したので、支店を出そうと持ちかけたらワイフは猛反対でね。お金もないくせにどうする積りよ、と、言い募ったので、よっぽど、この貯金のことを言おうかと思ったのだけれど、そしたら、内緒で貯めた事を責めるだろう。だから銀行で借りると言ったら、借りてまで支店を出すメリットがどこにある、私の目の届かない所で遊びたいのでしょうと怒鳴ったのだ。その、へそくりとも言うべき二千万円が、安心の根拠さ。いつでもミモザと一から始められる。もうちょっと姿をくらませて置くほうが、いいような気がするのだ」


 ミモザは竜道の言葉を聞きながら、初めて竜道と妻の生活の具体的な姿を知り、ぼうっとなってしまった。竜道は私と知り合う前に、妻と長い長いあいだ狎れあっていて、押したり引いたりしながらも、強い絆をもって生きてきている。その長い時間に自分の入り込む余地はない。それは、自分の知らない時に、二人で共有していた時間なのだから、取り返すことも、割り込むこともできないのだと思うと、目が眩みそうになる嫉妬を感じるのだった。ミモザの頭は混乱し、外界の音も聞こえなくなって、ぼうっと黙って出口を出た。


 ベンツは後楽園の駐車場を出ると高速に入って、明石海峡大橋を見せたいという竜道の考えで神戸に向かって走り始めた。車窓から次々と変る景色を見ているうちにミモザは正気になった。


「もう少し姿をくらましていた方がいいって言ったけれど、どうしてなの?」


 と、疑問に思っていた事を、真剣な顔つきで運転している竜道の横顔に向かって、尋ねかけた。竜道は真直ぐ向いたまま、


「事態を納得するのに、ある程度の時間というものが必要なのだ。もう元のさやに戻らないと決めたら、意思の強い事を見せるために、すぐに尻尾を掴まれるようなことをしてはいけない。今物件探しを始めたりしたら、広いようで狭いこの業界だから、ワイフに注進する奴がいないとも限らない。もう少し時間を稼ごう」


「ああ、そういうこともあるのね。私は心配なのよ。一日も早く、しっかりした足場を組みたいの」


「ミモザが荒波に揉まれるようなことは、おれは絶対にしないよ。可愛いねえ、ミモザは。おれは気の強い女性は嫌いだ。それだのに、どういうわけか、気の強い女にばかり出合ってしまうのだ。こんなに頼ってくれるのは、ミモザだけだ」


「気の強い女にばかり出合うって、奥さん以外にも沢山知ってるのよね。そうなのよねえ」


 ミモザは、竜道の横顔をにらみつけた。竜道はぷっと吹き出して、


「いや、それは肉親のことだ。母親とか、妹とか、従妹とか」


「嘘に決まってる」


 ミモザはPTAでいつも女性が取り巻いていた事を思い出した。


 女性に取り囲まれていたけれど、竜道から遊び人の匂いはしないと、ミモザは思った。遊び人ならば、ミモザを連れ出したりせず、妻にばれた時点で、ミモザから離れて行く筈だ。一瞬竜道が気の強い女と何人も関係したように思ったのは、竜道があまりにも素敵なので、嫉妬心が湧いたのだ。気の強い女にばかり出合うと言ったのも、竜道が言う通り、母親や、姉妹や、従妹の事に違いない。そう思ったミモザは、気を取りなおして、


「竜道さんは、誰が見たってもてる男だもの。あたし、妬いちゃうわ。私以外に浮気しちゃ駄目よ」


「しないよ。そんなこと。ミモザがいて、どうしてほかに女が要るのかい?」


「わかんない。さっき気の強い女にばかり出合うと聞いた時は、頭がくらくらするくらい、大勢の気の強い女に嫉妬したの。このあたりがきりきりと痛んだわ」


 と言って、ミモザは下腹部を手で押さえた。


「ミモザ、そんなことはしないよ。可愛いミモザの可愛いところ、痛めてはいけないよ」


 と言って、竜道はさっと手を伸ばして、そこにタッチした。


「危ない!ハンドルから、手を放しちゃ」


「これくらい、へ、い、き」

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