第14話 アリエス

「え……!?」

「あれ……?」


 寝ぼけたまま、オクトは目の前の女性をじっくりと見る。

 綺麗な金髪。ほっそりとした手足に、小ぶりながら確かな主張をしている双丘。全体的にしまった体つきをしながらも、出るところはきっちり出ていた。


「おお、綺麗だな」


 口から漏れ出たその言葉を聞き、アリエスの顔が真っ赤に染まる。

 そして、次の瞬間アリエスは手を振り上げた。


「オ、オクトの馬鹿!!」

「あべしっ!!」

「は、早く出て行ってよ!」


 アリエスに浴室から締め出されてから、オクトは呆然としていたが、暫くして、正気を取り戻した。


(……は? え? ア、アリエスがいた? 胸があったし、くびれもあった。やっぱりアリエスは女の子だったんだ!!)


「アリエス! アリエース! お前、やっぱり女の子だったんだな! 男にしては可愛すぎると思ってたんだよ! 体つきも女性らしいと思ってたし、やっぱりそうだったんだな!」


 正気に戻った瞬間、興奮した様子で浴室の扉をバンバン叩くオクト。デリカシーの欠片もない行動に、浴室の中で焦っていたアリエスの額に青筋が浮かび上がる。


「うるさーい! セクハラだよ! セクハラ! 本当、最低!」

「おいおい、何怒ってるんだよ。寧ろ、嘘をつかれてショックを受けてるのは俺の方だぞ。あーあー、信じてたのに、悲しいなぁ。この心の傷は、アリエスと一緒にお風呂に入らないと、治らないなぁ」

「棒読みじゃないか!」

「ええい! いいから、あと少しだけ見せてくれ! 寝ぼけてたせいでちゃんと見れなかったんだ!」

「絶対にやだ! 寝ぼけてたって言う割にはちゃんと見てたじゃないか!」


 必死に浴室の扉を開けようとするオクト、逆に扉を開けさせまいとするアリエス。

 最初こそ互角に思えた二人の戦いは、オクトが切り札を出すことで大きく動き出す。


「……っ!? なにこの力……!?」

「ひゃははぁ。アリエス、俺の天恵はタコだってことを忘れたのかぁ?」

「ま、まさか八本の触手を!?」

「そうだ! アリエスの腕は精々二本。そんな細い二本の腕で俺に勝とうなんざ、百年早いぜえええ!!」

「くぅ……!」


 歪な笑みを浮かべ、徐々に扉を開けていくオクト。扉の隙間から湯気が漏れ出ると共に、少しずつ浴室の中が露わになる。


「オクト、お願い……やめてよ……」


 あともう少しでアリエスの身体が露わになる。その直前で、オクトの耳に飛び込んできたのは今にも泣きだしそうなほど弱弱しいアリエスの声だった。

 その声を聞いた瞬間、オクトは思わず扉のドアノブから触手を放す。


「あ、わ、悪い……」

「今だ! 聖剣!」


 そして、その隙を逃すアリエスではない。アリエスが一声上げるとともに、壁に立てかけられていた聖剣がオクト目掛けて飛んでいく。


「な!? し、しまったああああ!!」

「ごめん、オクト。できたら、この一撃で今日のことを忘れて!!」


 主のため、そして昨日やられたことへの恨みをはらすために、聖剣はその鞘を振りかぶる。


「忘れん、このことは絶対に忘れんぞおおおお!!」


 血走った眼で叫ぶオクトに、聖剣が降り落とされる。

 そして、オクトは床に倒れ伏した。オクトが動かなくなったことを確認してから、アリエスは寝巻を身に付け、浴室を出た。

 そして、オクトの身体をベッドの上に寝転がらせ、オクトの頭を優しく撫でた。


「ごめんね、オクト……。でも、ボクは男であるべきなんだ。いや、男じゃないといけないんだ……」


 アリエスは寂しげにそう呟く。

 そして、オクトの頭から手を放そうとした時、突然オクトが目を開けた。


「あ、もうちょい頭撫でててくれ。久しぶりに頭を撫でられるって気持ちいもんだな」

「あ、え……? オ、オクト!? 気を失ってたんじゃないの!?」

「ふっ。アリエス、タコには九つの脳があると言われている。頭を叩いたところで、俺の触手はアリエスが女であることを知っているし、俺の触手の意識は消えていない。お前がいくら俺の記憶を消そうと頭を叩いても、無駄なのさ」


 キリッとした目つきでアリエスにそう言い放つオクト。かっこつけているつもりかもしれないが、その正体はセクハラ魔。

 そんな男に「お前が女だってことは絶対に忘れないよ(ニチャア)」と言われたアリエスの身体は微かに震える。

 しかし、男として育てられてきたアリエスはそれが女性が男性に対して身の危険を感じた時の信号だと分からなかった。


「さて、アリエス。そろそろ観念してもらうぜ。あ、頭は撫でたままで頼む」


 オクトの子供のようなお願いに苦笑いを浮かべつつ、アリエスはため息を一つついた。

 そして、オクトの顔を見つめる。


「うん、もう言い逃れは出来ないね。ボクは、アリエス・ルミエールは女なんだ」


 どこか寂し気に、そして懐かしむようにアリエスはそう言った。


「よし、なら俺の恋人になってくれ」

「え?」

「恋人がダメなら婚約者でもいいぜ」

「……普通、こういう時って何で男のフリしてるのかって聞いたりしない?」

「ああ、そうか。じゃあ、聞かせてくれ。アリエスは好き好んで男のフリをしてるのか?」

「そうだね、その話をするにはまずボクが幼い頃の話を……」

「いや、それはいい。アリエスの気持ちだけ聞かせてくれ」


 神妙な面持ちで話しだそうとするアリエスの言葉をオクトは遮った。

 そして、真剣な表情でそう問いかける。


「気持ち?」

「そう。アリエスの心の中は男なのか、女なのかを聞いてる」


 その質問にアリエスは戸惑う。

 自身の心の中が男か女か、そんなこと考えたこともなかったからだ。


「……ボクは男だよ。勇者アリエスは男だって、決められたんだから……」


 迷った末にアリエスはうつむき気味にそう答えた。そう答えることが自分を男として育ててきた父である国王や、男の勇者アリエスを求める世界のための答えだと思ったから。

 そんなアリエスの内心を他所にその返事を聞いたオクトは首を傾げる。


「じゃあ、ずっと男として生きていくのか? これから先、ずっと」

「……そんな未来の話、知らないよ。少なくとも今のボクは勇者だ。そして、勇者アリエスが男であることを皆望んでる。だから、ボクは旅に出る時に男として振舞うって決めたんだ」

「そうか」


 オクトはそれ以上、問いかけはしなかった。

 ほんの少しだけ不機嫌そうな顔をしながら、オクトはアリエスに背を向けて寝転がる。

 その様子を見たアリエスは、視線を下げた。


「今まで騙しててごめん。それと、出来たら今日のことは忘れてくれると嬉しいな」


 アリエスの言葉にオクトは返事を返さない。

 その背中を見て、アリエスは苦笑いを浮かべながら布団の中に入った。


(オクトはきっと、ボクが女の子だって言って欲しかったんだろうな)


 オクトが望んでいる言葉をアリエスは十分理解していた。オクトがアリエスに向けた表情が他でもないアリエスに女の子として生きることを望んでいた母のそれとよく似ていたから。


 横目でオクトの方を見る。オクトは相変わらずアリエスに背を向けていた。

 本来のアリエスは、それこそ勇者となる前のまだ一人の幼女だったころのアリエスは控えめながらもよく母親に甘える子だった。

 だが、勇者として鍛錬が始まってからは誰かに甘える回数は格段に減った。勇者として強くなくてはならない、一人で戦える力を、心を身に付けなくてはならない。

 幼いアリエスにとって、邪王を封印した伝説の勇者の存在は余りに大きすぎた。

 そして、彼女はその真面目な性格故に皆が語る理想の勇者増を目指してしまった。


(オクトはボクを一人の女の子として扱ってくれるんだろうね。でも、それじゃボクはオクトに甘えちゃう。強くて、頼りになるオクトに……。でも、それは皆が思う勇者じゃない。それに、オクトとも後二日の関係だ。……オクトに甘えても、別れが辛くなるだけだよ)


 自分が勇者じゃなければ、自分の心がもっと強ければ、自分が女の子じゃなければ……たらればを言い出せばきりがない。

 それでも、今、アリエスが生きている世界でアリエスは勇者なのだ。その現実から目を背けることは出来ない。 


 アリエス・ルミエールは静かに瞳を閉じる。

 次に目を覚ませば、再び彼女は勇者として振舞うだろう。弱音を吐かず、気高く、強く優しい。

 そんな勇者になりたいと願う彼女はどこまでも普通の女の子であった。

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