第2話 彼女の部屋で


 その男は黒い短髪に黒い目、陽に焼けた肌と太い眉毛が精悍な男らしい顔をしている。


エルフの青年は、自分とは正反対の人族だな、と素直に思う。


「団長、こいつを王都まで連れてってやってくれ」


突然入って来て、そんなことを言い出す女性に怒っているわけではなく呆れている様子だ。


「はあ」


まだ寝ぼけている団長と呼ばれた男が、女性の後ろにいる青年を見た。


エルフの青年は軽く礼を取る。


「雇って欲しいとは言いません。 ただ、この街を穏便に出たいだけです」


「あー、エルフか」


団長らしい男性は頷き、女性に視線を移す。


「お前、どこで拾って来たんだ。 まあいい、なんとかしよう。


それと、俺は団長じゃねえ。 団長代理だ」


そう言って男性が椅子から立ち上がる。


エルフの青年より頭一つ大きな身体の団長代理は、ぐうっと身体を伸ばした。




 聖騎士団の本隊はすでに王都へ向かったらしい。


この街にいるのは騎士や傭兵の内、出発が遅れた負傷者二十人ほどだ。


教会所属の聖騎士が護衛として数名付いている。


 団長代理はエルフの青年をじっと観察した。


「怪我人の包帯をもらって来て頭に巻いとけ。


服は、そうだな。 女性用を着せてやれ」


部下の女性にそう指示を出すと、机に移動して何やら書類を書き始める。


「ああ、分かった」


女性はそう答えると青年を手招きして廊下に出た。




 二人はその建物を出て別の建物に入る。


エルフの青年は頭からフードを深く被って、俯いたまま早足で廊下を歩いた。


女性が立ち止まり鍵を開ける音がするということは、こちらの建物は女性用の宿舎らしい。


「入っていいぞ」


そこはおそらく、この女性の部屋なのだろう。


入るように促される。


「……お邪魔します」


エルフの青年は一瞬躊躇ったが、おとなしく中に入った。


「ここで待っていてくれ」


そう言って女性は再び部屋を出て行った。


 戻って来た時、女性は滲んだ血が洗っても落ちなくなった包帯と、所々生地が薄くなっている服を持っていた。


エルフの身体は華奢で中性的である。


さらに、このエルフの青年は男にしては小柄で見るからに痩せていた。


「ほら、早く脱げ」


女性は顔を背けたまま指示をする。


「あ、ああ」


エルフの青年はマントを足元に落とし、上着を捲り上げた。




 女性の目が見開かれる。


「あんた、なによ、その傷」


思わず出た言葉が、今までと違って案外女性ぽい。


そんなことを思いながらエルフの青年が上着を脱ぎ、貧相な上半身が現れる。


青年の身体は痩せこけて肋骨が浮き出ているだけでなく、あちこちに痣や傷が数え切れないほど見られた。


「んー、なにって言われても」


エルフの青年はポツポツと事情を語る。


「見つからないように食事は一日に一回だし、傷を治す薬や魔法は勿体なくて使わないから」


自分の凹んだ腹を撫でる。


 青年は常に気配を消す魔法に魔力を使い、姿を見せるのは仕事にあり付く時と、食事をする時だけだった。


「子供の頃、森を出て、それからずっとそうやって生きてきた」


妖精族というのは人族のように餓死したりはしない。


ただ動けるだけの最低限の栄養と魔力があれば良い。


エルフの青年は「気にしないでくれ」と女性から受け取った女物の服を着る。


垂れ目の薄幸そうな女性が、出来上がった。




「頭の包帯は私が巻いてやろう」


「頼む」


エルフの青年は床に座り、包帯を持った女性がその髪に触れる。


燻んだ金色の髪に隠れた頭皮にも無数の傷。


「痛くないのか」


「ああ」


女性には、その返事が「もう何も感じない」というふうに聞こえた。


「耳に触れるぞ」


エルフにとって象徴でもある尖った耳は、他者には滅多に触らせないと聞いている。


女性が気を遣って訊ねるが、青年はビクリとも動かなかった。


「構わない」


女性が耳を覆い隠すように包帯を巻く。


 そうして、エルフにも、男にも見えない姿になった。


「助かる」


これなら何とか街を出られそうだ。


エルフの青年は女性に礼を言って薄く微笑む。


その頼りない笑顔に、何故か魔術師の女性の胸が痛くなる。




 女性は無理矢理、エルフの青年を自分のベッドに寝かせた。


「いいから、そこで寝ろ」


「いや、俺は男だから」


「朝までの短い時間だ。 気にするな」


譲り合いの末、女性が力づくでエルフの青年をベッドに押し込んだ。


 しかし目を離すと、エルフの青年はベッドから降りて床に寝転がるので、その身体を押さえ込むため、仕方なく女性も一緒にベッドに入ることにする。


「いや、しかし、俺は男でー」


エルフの青年が、女性に対して申し訳なさそうに眉を寄せる。


「はあ?、その身体で私に勝てるつもりか」


子供にも勝てないだろうと言われ、青年は無駄な抵抗をやめて目を閉じた。




 女性は、寝息一つ聞こえない痩せたエルフの身体に背中から軽く抱き付いている。


(これが男だって?)


学校でも軍でも、こんな男は見たことがなかった。


背丈はほぼ同じ。


男のくせに腕や胸の厚みがまるで無い。


顔は子供のように愛嬌があるのに、その身体は年寄りのように枯れている。


エルフは人族より体温は低いというが、その身体は死人のように冷たい。


しばらく抱き付いていると、少し温もりを感じるようになり、女性は安心してウトウトし始めた。




 夜明け前、そろりとベッドから抜け出したエルフの青年は毛布に包まった女性を見下ろす。


「変なヤツ」


育ちの良さそうな、白くてきれいな横顔。


手入れされた藍色の真っ直ぐな長い髪。


「なんで俺なんかに構うんだ」


自分から頼み込んだのは確かだが、ここまで面倒を見ようとするとは思わなかった。


夜中、背中に感じた温もりに眠れず、男として扱われていないことも虚しいと感じる。


それでも自分からは、その女性の身体に触れることも出来ない。


自分にはそんな資格は無いのだと分かっている。


「この街を出るまでの我慢だ」


エルフの青年は部屋の隅の壁に背を預けて座り、ベッドで眠る女性の姿に欲情する自分を抑え込んだ。




 予定通り、翌朝、遠征隊は王都に向けて出発しようとしていた。


何故か街の門は閉まっていて、たくさんの旅人や商人が困っている。 


「早く開けろ」


団長代理の男性が門番の衛兵に声を掛けた。


「すみません。 昨夜、罪人が逃げまして」


一人一人、身元を確認しないと外に出せないという。


「罪人を取り逃した上に、我々を足止めか」


低い声で抗議し、それでも疑われるのは業腹だと協力を申し出る。


「逃げた者の特徴は?」


「はあ、エルフの若い男で」


フンッと鼻息を吐き、団長代理は笑った。


「どこにエルフがいる。 お前たちの目はただの穴か」


その言葉に、足止めをくらっていた者たちも笑い出す。


「俺たちのどこがエルフだって?」


「どうやらアタシは男に見えるらしいよ」


口々に衛兵を囃し立てる。




 衛兵は仕方なく門を開き、若い男だけを足止めして調べ始めた。


「遠征隊は私が確認済だ。 怪しい者などいない」


団長代理はそう言いながら衛兵の確認作業に立ち会う。


「しかし大掛かりだな。 そいつはよほどの重罪なのか」


衛兵の一人が周りを見回し、こっそりと小声で答えた。


「いえ、領主の息子がエルフを見かけて声を掛けたら振られたってだけでして」


宿に戻らなかったエルフを捕らえるため、街の門を全て閉ざしているらしい。


「馬鹿らしい、行くぞ」


確認が終わり、遠征隊は街の外に出て行った。


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