SMELL【短編】コーヒーも煙草も香水も…

けなこ

1 -惟月《いつき》、29歳side-



きみと別れて3年くらい?

付き合っていたときの2倍?3倍?


『いつ空いてるの』


突然送られて来たLINEのメッセージ。

少し暗い空で輝く月の見慣れないアイコン。

誰か違う相手に送ろうとして間違えたのかも。

…無視すればいいのに、直ぐに返してしまった。


『普通に今空いてるけど』


送ってはみたものの、

こんな夜中にまさか来るなんて思わないし。

3年もたったんだ。3年。

…結婚して、子供もすぐ出来ていたら

その子はもう歩き回るし話し相手にもなる歳だ。


付き合っていた期間に海勇みおは学校を卒業し、

社会人になり、僕が属する華やかな仕事に就いた。

アパレルのデザイナーだからか

もともとお互い交友関係は激しかったけれど、

海勇の仕事が順調になってから

態度がおかしくなったのだけは覚えている。


呼び出し鈴がなっても、

まだ海勇が来るとは思いもしない。


『… 惟月いつきさん、あけて』


俯いた顔、機械を通した低い声じゃ、

最近よく来る男かも…なんて思うくらい。


返事もせずにドアを開けると、

懐かしい香りと共に強引に部屋へ入って来たのは

少し不貞腐れている様子の…5つ歳下の元恋人。

きみは前の前……何個前の恋人だか忘れたよ。


「…どうしたの」


「え?別に…元気かな、って…あとさ、

帰れなくなっちゃってさ…朝までいていい?」


不貞腐れては無いか。

いつも不機嫌そうな顔をしていた。

そしてたまに甘えるのも上手くて。


「…タクシーで帰りなよ…」


「惟月さんのコーヒーが飲みたい」


事務所や、ホテルや、BAR…こんな夜中でも、

彼が寛げる場所はいくらでもあるはずなのに。

僕が淹れるコーヒーよりも美味しいものも。

…たまたま僕を思い出したのかな。

この部屋も、コーヒーの味も。


海勇は基本何を考えてるのか分からなかった。

付き合っていても

あれしたい、これしたい言われなかったし、

2人で特に何もしない事が多かった。

離れていても詮索や束縛などお互いしなかった。

うやむやな方が傷付かないって分かっているから、

恋人としての関係が終わりそうな時期は

いつも全てうやむやにしていた。2人とも。



「あ、そのマグカップ、まだあったんだ」


「ああ、いる?海勇のだからあげるけど」


「…いや…いらない」


ハッキリ断られたマグカップは

2人で出かけてお揃いで買ったもの。

シンプルで指に馴染むから使い続けていた。

僕のイニシャル'I'のカップを1つ置いておくなら

海勇の'M'を置いておいても一緒な気がした。

たまに'M'も自分でも使ったりして。


注いだコーヒーをソファ前のテーブルに置き、

海勇の隣…から少し間をあけて座った。


「……」


「よく恋人に捨てられなかったね、

昔の男のイニシャル入りマグカップなんて」


「…そんな事…

そんな束縛とか嫉妬するような人とは

続かないからな、僕。

しかも…勝手に人のモノ捨てさせないよ」


「……そう…」


海勇がマグカップを手にしてコーヒーを啜った。

……飲む時の癖、変わっていない。

眉毛を上げて集中して飲むのが小動物みたいで…


「ん?何?」


「いや…」


「…癖、の事?昔、可愛いって言われた事ある」


「ぁー、そうだっけ…」


「言った事すら忘れてんのかよ…

…今の俺も…可愛い?」


「ぁー、可愛いよ…」


口先だけの言葉になってしまった。

現に、今感じたのは

昔の海勇とは何か変わってしまったな、と。

そりゃ3年も経ってるんだから当然だけれど。

僕も何かが変わっているかな。

…感情への疎さに拍車がかかっただけか…


「…ホント…適当だな…

まぁ無理矢理言わせた感じだけど…

まだ恋人も含めて女も男も泣かしてるんだ?」


「?それは海勇じゃないの?

落ち着いた相手出来たの?」


「…出来たり、出来なかったり…」


「ほら…」


'女も男も泣かしてる'…確かにそう。

けど、自分の事を棚に上げて海勇に聞けるくらい

自分ではそれが普通なんだ。


好きになった相手にすら心を開けない。

素直になれない。

怖いのかも知れない。

自分の心が壊れるのが。

不安定な感情が溢れ出すのが。

いずれ嫌われる、いずれ捨てられる、と

抱えてしまう不安。

それなら初めから空っぽにしておけば壊れないし

深く考えず、抱えずにすむ。


うやむやが心地良いんだ。



僕もコーヒーを飲むと、彼の視線を感じた。

何故か安心する視線、心地良い瞳。


何も考えずに、不安を抱えずに、

彼と過ごした日々もあったな。

コーヒーと混ざった隣からの香りが懐かしい。


この香水は、僕の香水だった。

…もともと付けていたわけじゃなくて

海勇と、初めて身体を重ねた時に付け始めた。

2人の香りと混ざったこの香水を

暫く僕達は共有していた。


懐かしい香水のせいで

強く重ねた身体の疼きが蘇る。


「…その表情、懐かしいな」


「……」


「誘ってる?……わけないか…

けど、気持ち良くしてあげようか?

好きでしょ?何も考えずに頭を空っぽにするの。

……あげてくれたしコーヒーのお礼に」


「…断る。面倒は避けとく。

海勇の恋人達に何されるか…」


「……そんな心配…

惟月さんが整理してって言うなら

簡単に全部切るんだけどな…なんてね。

ねぇ、タバコ吸っていい?」


「……あぁ、灰皿持って…」


「あ、大丈夫、これだから」


ポケットから電子タバコを出し、

大人びた仕草で吸い出した。


なんでこんなに普通に過ごせているんだろう。

3年も前に別れたはずなのに。

別れる間際、'もう耐えられない'と怒られてから

連絡がなかったから嫌われたとばかり思っていた。


深呼吸のように深く息を吸い、吐いてから

海勇が僕を見た。


「…また来ていい?」


「え?また?3年後?」


「もうそんなに時間は必要ない」


電子タバコの知らない香りに少し苛ついたからか

少し冗談で言ったのに、低い声で返された。


「……」


「分かったから。…やり直したいって」


ソファの隣で

体全体を僕に向くように座り直す海勇。

その真っ直ぐな視線から

逃げるようにコーヒーを飲もうとすると

カップを取られ、テーブルに置かれた。

そして、ジリジリと距離を詰められ、

唇が重ねられる。


「…………僕は分からないけど。

僕は何も変わってないから、

また海勇を怒らせるだけだし…

逆に海勇は変わったみたいだけど…」


「うん。変わったね。

だからもう業界の上下関係もチャラにして。

そして、惟月さんに対して、束縛するから」


「束縛…されたくない」


「…じゃあ、逆にして?以外と楽しそう。

するのもされるのも」


余裕な顔して笑う海勇。


また、人を好きになったとしても、

素直にはなれないのにな。

不安も抱きたくないのにな。


それでも、笑う海勇につられて笑ってしまう。


僕は変わらなくても、

海勇が楽しいなら……笑ってくれるなら……


今度は笑いながら

唇を食べるように重ねてくるから


僕もまた笑ってしまった。



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