友人の条件、祝詞の真言




 朝日が雲の隙間から顔を出すまで、比奈夫と話せる限りのことを話した。

 肝心な部分はロックがかかったように喉が閉じてしまうから、大した内容ではないけれど……それでも、穢多えたについて比奈夫は意外と興味を示してくれた。

 僕と違って日本史を選択していたせいか、授業で詳しく教えてもらったらしい。


「日本史教師がたまたまそっちの分野に明るいだけかと思ってたけど……この村に縁があるなら頷けるなぁ。テストにでない範囲を延々話すもんだから、退屈だったぜ」

「僕は存在すら知らなかったよ……」

「神道は特に死を穢れとして嫌うから、俺は印象に残ってたんだろうな。てか、いまさらそんな昔の話を言われてもなぁ〜困っちゃうよな」

「僕も同意見だけど……。僕らより上の世代は、そう思ってないみたい」

「なんだっけ? その、やばい神様のおかげで差別からは逃れられたんだろ? その対価としてのイヤな仕事を、お前の叔父さんが押しつけられていて……って感じか?」

「まあ、そんな感じ」


 大ざっぱに纏めるとそうなる……と、思う。

 僕の中の『やばい神様』や、叔父さんが関わっているノロイについては伏せておいた。言いたくても、言えないし。


「俺が親父から聞いたのはもっと平和的だったけど……たしかに、そうだな。叔父さんが急に村から出て行きたいなんて言うのは変だもんな。それも、お前や兄を置いて。だって、出て行ったら次は誰が叔父さんの担っていた役割を果たすんだ? って話だし。俺が親父から聞いたのは、その場しのぎの言い訳だったのか」

「ううん。きっと、比奈夫の親父さんの言葉も一部は本当なんだと思う。上手な嘘には、本当のことを混ぜるべきだって言うしさ」

「そんなもんかよ」


 もうすっかりドリンクバーには飽きたのか、比奈夫は空になったグラスを意味もなく目の前で軽く振る。


「やっぱり、もっとちゃんと事実を教えてくれる人を探さないとな。変に主観が入ると、妙に捻れて伝わって適わない」

「……本当は、父さんに話を聞けたらいいんだけど」


 沈黙を続けるスマホは、父さんが相変わらずの昏睡状態であることを伝えている。


「俺の家の中で手がかりが見つかるなら、好きに探せばいいぜ」

「ありがとう、比奈夫」

「ま、大した成果は得られないと思うけどなぁ……。俺だって、生人剥しょうにんはぎについて調べようとしたけど、サッパリだったし。昔の資料はたくさん倉庫に眠ってるけど、あれを全部調べるのはなかなかに骨が折れるだろ」


 胤待たねまち神社は村が出来る前から歴史があるらしいから、それは膨大な量なのだろう。


「……ちょっとだけ、心当たりがあるんだ」

「心当たり?」

「うん。叔父さんが持ってきた本って、まだ胤待神社にある?」

「ああ、神棚の奥にあると思う。……が、盗むつもりなら鍵をつけるぞ」

「盗んだりなんかしないよ。ただ、ちょっと借りるだけだから。すぐに返すって」

「……俺に言わず、胸に秘めといてくれたら共犯者にならなくてすんだのに」

「悪いね。でも、そもそも比奈夫が僕に生人剥を教えたから……」

「そう言われると、なんも言えねぇけどさ……」


 別に本気で比奈夫のことを責めているわけではない。

 でもこうして茶化しておかないと、うまく息が吸えないのだから仕方ない。

 比奈夫の家にある本は叔父さん作の偽物らしいけど……偽物なら偽物なりに、なにか使い道があるはずだ。


「ごめん、出来るだけ迷惑はかけないようにするから……」

「あ? いや、逆だよ、逆逆」


 眼を逸らして考え込んでいた比奈夫は、驚いたように僕を正面から見据える。


「逆?」

「俺への迷惑なんて、すきなだけかけたらいい。特に俺は最初、お前のことからかってたわけだし」


 心臓がイヤな方向に跳ねる。

 そんな、比奈夫まで、叔父さんみたいに罪悪感で僕に優しくしていたみたいなことを言われたら……。


「か、からかわれた覚えはないんだけどなぁ……」

「覚えはなくても、俺は違うの。善行で、過去の悪行は覆らない。起こってしまったことは変えられない。罪滅ぼし、贖罪しょくざいなんて感情は結局自己満足でしかない。でも、それがきっかけで他者への理解が深まるのなら、それは望外ぼうがい僥倖ぎょうこうだな」

「……なんか、比奈夫にしては難しい言葉を使うね」

「バカにしたな? まあ、今回の合宿で知った受け売りだから、お前が感じている違和感は正しい。合宿中、ずっと考えていたのは越生のことだったんだ」

「僕のこと?」

「最初、俺らの悪ふざけをお前はいつも硝子玉みたいな眼でジッと見ていた。なんの感情も抱いていないような……人間のことを観察しているような、そんな薄気味悪い顔だった。……って、これは悪口じゃないからな? 正直な気持ちだから」

「それなら、なお悪いと思うんだけど……」

「ばか、もう水に流せよ。俺がお前に普通に接するようになったら、周りもお前への態度を改めた。それぐらい、くだらない違和感なんだよ。だから、お前は何も悪くない。もしも悪があるとすれば、個々の『違い』を『間違い』だと感じてしまう多数派の方だ」


 僕には、皆と違うところが多少ある。

 僕にとっては小さな違いだけれど、皆はそうは思わなかったのだと、この時はじめて知った。


「俺は俺がしたいと思ったから、お前と友人でいる。そこに余計な感情はない。きっかけは良くなかったかもしれないけどな。だから、お前もお前がしたいようにすればいい。度が過ぎるようなら喧嘩になるし、仲違いしたらそれまでだ。自分に枷を掛けてまで、継続させる関係に発展性はない。いつかどこかで、手放す日がくる」

「手放す、日……」


 そんな日が来るなんて、考えたくもない。

 手放したくないから、壊れないように崩れないように積み上げてきたのに。

 でも、それが相手を縛るもので、互いのためにならないのなら……、それなら……。


「だけど」


 比奈夫は弄んでいたグラスをテーブルに置く。

 安っぽいファミレスのグラスが、ガベルのように響いた。


「いつか決別の日が来るとしても……迷惑をかけあうのが、かけあってもなお交流が続くのが、友人って奴だろ?」

「………」


 違うか?と、比奈夫は返答を促す。

 僕はすぐには反応できず、口ごもってしまった。


「あぁ、ちょっとくどかったか?」

「いや、そんなこと、ないよ。……比奈夫はきっと、いい神主になるね」


 一つのことに固執せず、なんでも柔軟に取り入れてそして出力できる力は、不特定多数を導く際に必要不可欠だと思う。


「ありがとな。ま、神道には仏教と違って統一された教義や経典なんてないから、フツーは説教なんてしないんだけど。でも祝詞のりとをわかりやすく伝えるために、勉強しないといけないんだよ」

「祝詞?」


 僕の頭の中に、何度も不気味に響いた不気味な文字列が思い浮かぶ。


「神主がなにかする前に、ゴニャゴニャ唱えるアレだよ。神に捧げる重大な発言だから、決して読み間違えたり唱え間違えたりしないようにって重々言われるんだが、ありゃワザと噛ませようとしているとしか思えないんだよな〜」


 わらみみわらはなわらくちわらめ

 わらくびわらかたわらむねわらし

 わらふわらほとわらまらわらあし

 わいらいはいらいけふうしかわず

 しゅじょうさいどのかたはいのう


「比喩、列挙、反復、対語、対句みたいな修辞が多すぎる。善言美辞を尽くしてより格式高くしようとしてるんだろうが、俺に言わせれば逆に失敗してるね。同じ言葉に二重の意味を持たせたり、音を優先して削ったり、長年の魔改造のせいで、現代人にわかりやすく分解するのがどれだけ大変か……」


 腕を組んで愚痴っぽく続ける比奈夫に向けて、僕はアンケート用紙の裏に殴り書いたひらがなを見せつける。


「な、なんだよ……これ」

「比奈夫、これ、なんだと思う?」

「俺が聞いてるんだけど? えーっと、でも、話の流れ的に祝詞か? 見覚えはないけど……ん?」


 これは一度、叔父さんに説明してもらった言葉たちだ。

 でもそれも、比奈夫の父親の解説のように子供にとって不都合な事実が隠されているかも知れない。

 叔父さんのことを信じていないわけじゃない。

 疑ってもいない。でも、真実は見る方向によってひとつじゃないから。

 より強く信じるために、僕は自分の意志で自分のことを選び取りたいんだ。

 

「……あれ? これ、どこかで……」

「知ってるの!?」


 比奈夫はちょっと頭を抱えて、それからパチンと指を鳴らした。


「そうだ、あの本だ」


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