しゅじょうさいどのかたはいのう



 叔父さんは開いた『本』の中へ、右手いっぱいに掬った歯を次々に放り込んでいく。

 誰のものか、いつのものかわからない歯を躊躇いなく素手で掴む姿に圧倒されたけれど、明らかに本の容量と歯の数が合わないことに気付いてようやく頭が動いた。


「……叔父さん? それ、どうなってるの?」

「この『本』は、日胤村ひたねむらの人々がワイラハイラと契約した時に交わされた、血判状けっぱんじょうを束ねて革で表紙をつけたものです」

「けっぱんじょう?」

「誓いの強さを証明するための書類……ですかね。中心を避けて、円の形に署名をするのは誰が首謀者かわからないようにするための工夫です。今は、円の中心がくり抜かれているせいで本のように見えていますけど……」


 叔父さんの肩越しに見える本の中身は底知れぬ闇が広がっていて、貪欲に誰かの歯を飲み込み続けている。


「ワイラハイラは満足するまで、この本を出現させ続けます。本の大きさと供物の大きさは比例しませんから、こうして延々と作業ができるわけです。便利ですね」


 叔父さんの右手は話している間ずっと、本と墓石を往復している。

 もう相当な量が本の中に移動しているはずなのに、墓石の中身はそれほど減っていない。


「便利……、かな?」

「便利ですよ? 歯やら耳やら、小物ならいいんですが、大物を本のサイズに解体するのは手間でしょう? たとえば、胴体とか、腕とか。それに、脚とか……」

「それにしても、このままじゃキリがないって。手伝おうか?」

「ダメです」


 僕は袖を捲って叔父さんに手を貸そうとしたけれど、それは左手で遮られる。


「えっちゃんは、こんなものに触れてはいけません。ギリギリ見るぐらいです」

「で、でも……」

「大丈夫ですよ。もう、指の先が底についていますから」


 全然安心できない「大丈夫」だ。


「ホラ、これが最後の一つです」


 そう言って、叔父さんは指先で摘んだ歯を本の中に放り込んだ。その途端、本はひとりでに閉じて本は煙のように消えてしまう。


「……えっ!?」


 以前、耳をしまった時は消えたりしなかったのに……!?


「コレは本物ですから、こんな手品ができるんですね」

「本物?」

「これまでえっちゃんに見せていたものや、胤待神社たねまちじんじゃに渡したものは私が作ったレプリカです。革製品の加工は私の趣味ですから、上手いものでしょ?」

「僕には見分けがつかないけど……なんでそんなことを?」


 偽物と本物を使い分けるなんて、途方もない手間のように思える。


「本の秘密を知るのは、もはや否穢多いなえただけです。村の方々は、本は一冊だけだと思っているので、私が毎回胤待神社に本を借りに行くのが形式美になっています」

「面倒くさくない?」

「それで、私を管理している気になっているんですよ。私がまた、一人で勝手なことをしないように、と」

「勝手なこと、って……叔父さん、いったい何をしたのさ?」


 『わらくち』の回収を終えたはずなのに、叔父さんはその場にしゃがみ込んだまま動かない。

 

「……えっちゃん」

「なに?」

「……なんだか最近、好奇心旺盛ですね」

「だって、叔父さんが思わせぶりなことばかり言うから」


 僕は振り向かない叔父さんの後頭部に向かって喋り続ける。


「私はずっと変わりませんよ。これまでも、何度も私はえっちゃんに似たようなことを語りかけましたが、オカルトマニアの妄言として取り合ってくれなかったじゃないですか。私はその度に、興味のないことを話してすみませんって謝りましたね」

「そうだっけ? ごめん……でも、聞き流していた自覚はあるかもしれない。なんでだろ……」

「えっちゃんの中のワイラハイラが、えっちゃんが自分自身に疑問を持たぬよう、意図的に興味を制限していたのでしょう。……えっちゃんはやっと見つけた、大事な存在ですから」


 ようやく僕を振り返った叔父さんは、しゃがんだまま僕を手招きした。

 誘われるまま、僕は隣で膝を折る。


「……すこし、お話しましょうか」


 そう言って、手近にあった木の枝で砂利になにやら書き始めた。


「おそらく、私の家で倒れた時にこのような文言が聞こえたと思うのですが……」



 ——わらみみわらはなわらくちわらめ——

 ——わらくびわらかたわらむねわらし——

 ——わらふわらほとわらまらわらあし——

 ——わいらいはいらいけふうしかわず——

 ——しゅじょうさいどのかたはいのう——

 


「あんまりよく覚えてないけど、たぶんこんな感じだったかな?」

「これらはワイラハイラへ捧げる祝詞のりとであり、ワイラハイラの悲願ひがんでもあります」


 叔父さんは、まず上3行を四角く区切る。


「この辺りは、供物くもつについてですね。みみ、はな、くち、め、くび、かた、むね、あし……はわかりやすいですが、し、は四肢ししですね。ふ、は五臓六腑ごぞうろっぷ、ほと、まら、は共に性器の昔の呼び名です。本当はもっと長かったらしいのですが、語感や唱えやすさを重視した結果、現存するばかりになったようです」

「へぇ……」

「大丈夫ですか? 興味がなくなったら、いつでも言ってくださいね」

「あぁ、うん、平気平気。……続けて?」

「では……この部分ですが」


 ——わいらいはいらいけふうしかわず——


「わいらいはいらい、というのはワイラハイラの変化系です。けふ、は今日。うしかわず、はワイラハイラを示す別名です。関係者が土を掘って死骸を漁る姿が牛や蛙にみえたから、という説がありますが、詳細は不明です。そして……」


 ——しゅじょうさいどのかたはいのう——


「しゅじょう、は衆生しゅじょう、これは生きとし生けるものすべて。さいど、は済度さいどさい、救済、つまり救いのことで、ど、はと表して……転じて、渡すという意味です。つまり、衆生済度しゅじょうさいど……生きるもの全てへの救済ですね。かたはいのう、は片背嚢かたはいのう背嚢はいのう、は昔のリュックサックのことです。あるいは、かたわ、いのう、かたわ異能いのう。つまり、かたはいのうとは……自分ではないものと、共に過ごすということです」


 言葉だけでは理解しきれない部分を、叔父さんは地面いっぱいに書いて教えてくれた。

 馴染みのない言葉ばかりで、イマイチ頭に入らない。


「うーん……?」


 頭を捻る僕をみて、叔父さんはスッと立ち上がった。そして、今まで自分が書いた文字を乱暴に足で消してしまう。


「あっ……」

「やっぱり、えっちゃんの中にまだ……いますよね」

「いや、単に僕の理解力が……」

「いいんです、肩をもたないでください。ワイラハイラの望みはつまり、共生きょうせいすること……」

「きょうせい?」

「共に、生きると書きます。片背嚢かたはいのう、すなわち寄生して生きる代わりに、衆生済度しゅじょうさいどを約束したのです。そしてその衆生しゅじょうには……私たちは、含まれないんですよ」


 叔父さんは一瞬の真顔のあと、また左右非対称に微笑む。


「まぁ、愚痴を言っても仕方のないことです。そういうふうに、生まれて、そして死んでいくのですから。……さて、帰りましょうか」



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