かがみをみるな



 真子と連れだって病室を出たら、少し離れた場所で村長と赤間加々美あかまかがみさんが話しているのが見えた。


「パパ!」


 真子は父親に駆け寄る。

 赤間さんは僕を一瞥すると一瞬驚いた様子だったけれど、すぐにまたポーカーフェイスに戻った。

 真子は胸に抱いていたヒイラギの花束を赤間さんに渡している。

 てっきりお見舞いの品だと思っていたけれど……違ったらしい。ちょっと恥ずかしい。


「や、やぁ小籠くん。いつも真子と遊んでくれてありがとう」


 真子の父親は村長という肩書きに似合わず、いつも自信なさげにしている。

 だからこそ『村の問題は、村長の耳に入れる前に解決すべき』という暗黙のルールがあるんだけど。

 でも、決して村長に人望がないわけではない。

 だって村の人間の多数の推薦があって、藤堂家は村長をもう何代も担っているのだから。

 

「いえ、こちらこそ。父のこと、本当に助かりました」

「大変だったね。村の代表として、出来ることは少ないかもしれないけれど……惜しみなく、力を貸すからね」

「はい、ありがとうございます」


 僕も村長も、互いが延々と頭を下げ続ける奇妙な空間がしばらく続いた。


「ねぇ加々美さん、アタシ、まだお勉強しないとダメ? 越生くんともっとお話したい」


 視界の端で、真子と赤間さんがコソコソと言葉を交わす様子が目に入る。


「……ダメですね。あなたのためでもあるんですから、しっかり勉強して下さい」

「むー……」

「そんな眼で見ても、ダメです」


 そういえば、赤間さんは真子の家庭教師をしているんだった。

 でも確か、赤間さんの仕事は『拝み屋』という、真子には天地がひっくり返っても必要ないような履修科目だったような気がする。

 それとも、全く別の教科を教えているのだろうか。器用そうだもんな。


「なにか、困ったことがあればなんでも言いなさい。お父さんが目覚めるまでは、我らのことを父親だと思ってくれればいいから」

「はい……」


 こう言ってくれるのはとてもありがたい。

 困っていることは色々と頭を掠めたけれど、僕は喉までせり上がった問いを呑み込む。

 なぜだか、村長に話してはいけないような気がしたから。僕も、暗黙の了解に縛られるクチらしい。

 僕、真子、村長、赤間さんの四人で病院の裏口から出る。

 赤間さんは僕と全く面識がないという仮面を貫くことにしたのか、もう視線さえ寄越さなかった。

 見事な無視に気を取られて、つい開く前の自動ドアに盛大におでこをぶつける。


「あいたっ!?」

「大丈夫? 越生くん」

「う、うん……平気平気」

「どうしたんでしょうね。センサーが反応するはずなのに。あとで病院に連絡しておきます」

「いえいえ、僕が不注意でつっこんだだけなので……」

「でも、タンコブになってるよ。アタシが手当してあげる! いいでしょ? パパ?」


 べつに大した怪我ではなかったけれど、一人娘に上目遣いでおねだりされては、村長はひとたまりもなかったらしい。

 赤間さんと一足先に家に戻っているから、あとでタクシーでも捕まえて帰ってきなさい、と言いつけられた真子はうれしそうに僕の腕をとって病院へと引き返していく。


「ちょ、ちょっと待ってよ真子。ひっぱらないで」

「こっちこっち。お薬と包帯はね、この部屋にあるの」


 連れられたのは、奥まった場所にある医療用品の保管庫。

 ……きっとこういうものは在庫管理がなされているから、むやみやたらに使わない方がいいと思うんだけどな……。


「なんで知ってるのさ」

「この病院は、昔から良く通ってるからね」

「昔から……って?」

「越生くんは知ってるでしょ? アタシ、友達が少なかったからさ、いつも1人遊びして怪我してたのよ。さすがに今は、そんなに腕白じゃないけど」


 言われてみれば、記憶の中の幼少期の真子は、膝小僧やほっぺたや手首にしょっちゅう絆創膏を貼っていた。


「なーんだ、大した怪我じゃないや」


 喜び勇んで各種医療器具を棚から取り出した真子だったけど、ほんの少し赤みを帯びただけの額を見てガックリと肩を落とした。失敬な。


「だから、大したことないって言ってるのに……」

「いいじゃん、アタシ、赤間さんのお勉強苦手なんだもの」

「赤間さん?」


 向こうが無視を決め込んだ手前、僕の方から彼女の職業を明かしては辻褄が合わない。なんとなく適当に返事をしてやり過ごすか……。


「そう、さっき一緒だった背の低い女の人ね。あの人、いろんなおまじないを教えてくれるんだけど……すごいスパルタでさぁ。例えば、さっき持ってたヒイラギあるでしょ? あれの育て方とか、寝る前の変なルーチンとか……あと、一番困るのは、アタシに『』って言うこと」

「かがみ?」

「女の子に鏡を見るな、なんてヒドいと思わない? 男の子だって鏡は見ると思うけどさ、やっぱり、その重要度は違うと思うんだ。お化粧だってするし」


 一瞬、赤間さんの下の名前かと空目してしまった。あぶないあぶない。


「……そりゃ、確かに大変だね」

「でしょ!? でもパパの言いつけだからさ、守らないといけなくて」


 そう言いながら、真子は取り出したスマホのインカメラで自分の前髪を直している。


「真子、言ってることとやってることが違うぞ」

「いいのいいの、これは鏡じゃなくてカメラだから。似て非なるものだから」

「調子いいなぁ……」

「賢いって言ってほしいなぁ」


 望み通りの前髪に修正し終わったのか、真子はスマホを仕舞う。


「ねぇ越生くん、最近なにか変わったことはない?」

「あったら、真子に言ってるよ」

「………」


 真子は黙って僕の瞳を見つめる。彼女の瞳は髪と同じく色素が薄いから、改めて見つめられるとその非凡さに少しだけギクリとした。


「アタシ、心配なの」

「大丈夫だって、1人ぐらしも随分慣れたし……」

「違うよ。越生くん、あの叔父さん……倫他りんたさんがこわくないの?」

「こわい? どうして?」

「アタシにもなんでか分からないけど……でも、昔から、こわいの」


 理由のない恐怖。

 それは、案外と一番厄介なものなのかもしれない。

 幽霊の、正体見たり、枯れ尾花……とは良く言ったものだけれど、どれが枯れ尾花かすら、特定できないのだから。


「真子」


 でも、僕は真子が感じている違和感が、ここ最近の周囲の叔父さんへの態度を軟化させるヒントになると考えた。


「なんとなくでもいいから、なにが怖いのか教えてくれないかな?」


 真子の細い肩を軽く掴んで、友人として接する時とは違う真剣な声色でお願いしたら、真子はゆっくりと口を開いた。


「アタシの勝手な思いこみだけど……倫他さんが居ると、みんなちょっとずつ我慢強くなくなる気がする」

「我慢?」

「普段なら言わないようなことを、あっさり言っちゃうの。それも、だいたい悪いことね。まるで、が外れたみたい。倫他さんが子供だった頃、村の喧嘩の場には必ずあの子供がいるって噂になった……って、よくパパから聞いた。村じゃ、そういう噂はすぐに回って消えないよね。アタシも身に沁みて分かってるよ」


 真子は長い睫を物憂げに伏せる。

 程度は違えど、真子も根拠のない噂で敬遠されてきた過去があるから、自分と重ね合わせてしまったのだろう。


「だから、アタシだって馬鹿げた噂だって分かってるつもり。でもやっぱり……倫他さんは、左指がないことだけじゃなく、なにか根本的に……アタシたちとは気が。するの」


 違う。

 真子の言葉が頭に響いた。

 異端は須く排除の対象となる。

 ごく自然で一般的なことだ。

 僕1人だけが叔父さんを信じていても、数の暴力には適わないのかもしれない。

 そんな無力さが全身を襲う。


「……なんて、越生くんにとっては大事な家族なのに、失礼なこと言ってごめんね。思いやりが足りなかったよ。もっと慮ればいいのにね、アタシ」


 ガックリと落ち込む真子の肩を離して、僕は言った。


「いや、いいんだよ、僕が望んだことだしさ。言ってくれてありがとう。それに、真子は僕を心配してくれているだけで、叔父さんのことを悪く言いたい訳じゃないんだろ?」

「うん、もちろん」

「それなら、全然失礼なことじゃないよ」


 年齢の割には幼い笑い方をする真子は、僕にゆるされたことで瞳の色が分からなくなるぐらい眼を細めた。


「越生くん、ずっとアタシの友達で居てね」

「僕はそのつもりだけど?」

「えへへ、それなら、いいや」


 色素の薄い真子の眼が僕を射抜く。

 僕にとっては、慣れ親しんだ眼差しだった。




***




『倫他、なにを考えてるの?』


 村長と共に藤堂の家に戻ってきたものの、教えるべき相手を失って居心地を悪くした赤間加々美は暇を持て余して旧友にメールを打つ。


『あの子、邪眼じゃがんの娘と随分親しいじゃない。アタシが出来ることも限界があるわ』


 大きなソファに沈み込みながらも、膝小僧は行儀良くひっつけて離さない。

 一応、自分は客人だという自覚はあるようだ。


『囲い込んで制限して、お得意の甘言で倫他の思い通りにすることだってできるのに、なんでまだ野放しにしてるの?』


 赤間と旧友とのやりとりは、いつも赤間が一方的に送りつけて終わりだった。

 返事が返ってくるとは鼻から思ってないものの、あえて赤間は疑問系で送り続ける。


『倫他のやることに口は出さない約束だけど、自殺幇助をするつもりはないわよ?』


 案の定、ウンともスンとも言わないスマホを裏返して天井を仰ぐ。

 幼少期、荒屋あばらやで兄弟と過ごしていた頃には想像もできなかった高い天井に感嘆の声を上げていたら、珍しく返事が来たとの知らせ。




『こどもを護るのは、おとなの義務ですから』




「はぁ〜……」


 赤間は再び顔を天へと向ける。


「馬鹿だね。そういう意味じゃ、ないっての」




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