第2話 七年ノ沈黙、始動

花たち一行は表通りから裏の小屋に行くと、そこには一頭の栗毛の馬がいた。

立派なその馬は目の前にある餌を夢中で食べていたが、佐吉の姿を見つけるとすぐに食べるのをやめ、すっと顔をあげ嬉しそうにふんっと鼻息を鳴らした。


「おはようナヤ」


ナヤと呼ばれるその馬は仔馬だった頃に出会い、今や誰よりも隣にいる時間が長い。そんな彼女は佐吉の親友であり、家族である。


佐吉は両手で愛おしそうにナヤの顔を撫でなでるとナヤの顔に自分の顔を寄せた。

そんなふたりの時間を邪魔しないようにしていた花は、佐吉の表情が彼の家族にむけるものと変わらないのを感じて嬉しい気持ちになっていた。


「あぁ、すみません。日課になっているもので」


「気にしないでください。それよりナヤに会うのはいつぶりだろう。すごく懐かしい気がするな」

実際にはひと月ほどしか経っていなかったのだが、花にとってはそれも長い時間に感じていた。

その後、佐吉は麻の縄をもってきてナヤの後ろに商売で使う道具や食材をしばりつけ、準備ができるとまず花が乗り、その後ろに佐吉が乗った。

春のまだ寒い風が吹く中、花は深く袖頭巾をかぶりなおした。


              ♢



しばらくみずみずしい森の青葉と太陽の光を反射してきらきらと光る川を横目に走り続け、半時ほどしたところで一行は坎ノ地にたどり着いた。

花たちのいた兌ノ地とは違い、どこか静かで張り詰めた空気が漂っている。


そこからまた奥へ進み中心街へ行くと先ほどまでの空気感は少し緩和され、兌ノ地と同じように賑わっていた。

そこからなるべく人目につかないよう脇道をはいり、坎ノ地の奥へと向かっていった。

近づくほどに伝わる冬の凍り付くような冷たさをもつ空気感に自然と身が引き締まる。


そんな緊張感のせいか時間が経つのも忘れ、いつの間にか人々のにぎやかな声もなくなった頃、気づくと目の前には千里にも続くかと思われる白い壁と人の背の何倍もの高さを誇る大きな門が現れた。


何度来ても慣れる事の無いそれは、まるで来るものを拒むかのような冷酷な空気を纏っていた。


佐吉たちは門番に気づかれないよう木の陰に隠れると、音がたたぬようにゆっくりと地面へ降りた。



「ナヤが乗せられるのはここまでです。…花様、どうかお気をつけて」



佐吉は右手を左胸にあてお辞儀をし、花も「ありがとうございます」と言って軽く頭を下げた。

花は佐吉たちが再びナヤに乗って中心街へと去っていくのを見ると、花も門番のほうへと歩きはじめた。


黒の衣を纏い全身黒ずくめの様相をしているその門番らは、金色の鍔のついた薙刀を持ち、まるで人形のように静かにたたずんでいた。


しかしそこには確かな殺気が混じり、来る者を拒んでいるようだった。時は夕刻に近くなり辺りは少しずつ橙色に染まっている。


隠れていた草むらからも完全に抜け、門番の前まで行くとさっきまでのとは比べ物にならないほどの殺気を感じる。



すると次の瞬間、ものすごい勢いで薙刀が花の首元に当てられた。



しかし花はそれに動じることなく袖頭巾のひもを緩めそれをとると、落ち着いた様子で口を開いた。



「兌ノ地より参りました。泗水山茶花(しすいさざんか)と申します。どうかここをお通しください」



後ろでひとつに縛られた長く艶のある紺色の髪が風に揺られ確かに泗水家の者だと分かると、門番たちは首元にあてていた薙刀をすばやく手元に納めた。


顔はもちろんの事、この宇多ノ国を治める五つの垂迹神(当主のようなもの)のうち、水の神の神気を授かった者にだけあらわれる紺色の髪の毛も、花が垂迹神の血筋であることを証明していた。



「申し訳ございません。被り物で御尊容が分かりかねた故」



「気にしないでください。坎ノ守(かんのかみ)にも話は通してあります」



「畏まりました」


そう言い門の端にある金属の板を槌で鳴らすと、重く頑丈な門が鈍い音を立てながら徐々に開いていった。


そして全て開ききると、目の前には視界が揺れるほど大きな高尚で煌びやかな社があった。それを見た花は足がすくみそうになるのを懸命に抑え、目前に迫った目的地へと急いだ。


その間花は、今日は何を話そうかとひとり想像し、楽しい気持ちになっていた。


(久しぶりに町の子供たちや佐吉さんに会えたことを話そう。あ、ナヤのことも言わないと)


そう考えるうちに辺りはいつの間にか静寂につつまれており、目的の場所が近づいていることを知らせていた。



そしてようやくそこに着くと、目の前には古びた寺のようなものがあった。



それはあの大きな屋敷とは離れた所にあり、たくさんの木々に囲まれるようにしてそれは悠然と建っていた。


花は焦る気持ちをおさえ、青く輝く池の上にあるその建物に繋がる橋を渡った。池の中では色とりどりの魚たちはその綺麗な衣を輝かせながら優雅に泳いでいた。


思わずここが天の世界だと錯覚しそうなそこは、“泉天所(せんてんじょ)”と呼ばれ、その名の通り天のように美しい場所であった。



だが、花はあまりこの場所が好きではない。



確かに綺麗ではあるが、そこには人々の楽しそうな声も、互いにふざけ合い笑う声も聞こえない寂しいところだったからだ。



花は複雑な思いを抱きながら橋を渡りきると扉へと続く階段をあがった。

しかし固く閉ざされたその扉は決して開くことはない。




そのため花は仕方なくいつものようにその前で正座をしその横に木刀をおくと、扉の横にある小さな鐘に続いた紐を揺らし、一呼吸おいて話始めた。



「おはようございます、杏(きょう)様。今日は雲ひとつないとてもいい天気で気温も暖かく、春のはじまりとしては上出来な日です」




花が稽古を抜け出しても果たしたかった目的は、坎ノ守(かんのかみ)の嫡男である、“煌宝杏治(きほうあんじ)”に会うためであった。



「…最近はあまり来ることが出来なくてごめんなさい。決して来るのが面倒になったとかではありません。ただ鍛錬がいつも以上に厳しくて、なかなか抜け出す機会がなかったのです。でも、今日は必ず会いに来ると決めていました」


静かに流れる時間のなか、時折聞こえる魚のはねる水音だけが花の言葉とともに響く。


「退屈だとは思いますが、どうか気楽に聞いてください。って、いつものことですよね」


そう苦笑いで言いながらも、「でも本当に面白いことがあったんです。ぼくが稽古場でカエルを見つけた話なのですが……」と花は元気よく話しはじめた。


内容は本当にくだらないものばかりで、鍛錬の最中にお腹が痛いといって抜け出そうとしたらまんまと側付きに見破られたこと、下街の団子屋夫婦の喧嘩をとめるため割って入ったら誤って頭からお茶をかけられたこと。その詫びに団子を10本もくれたことなど、色々な話をした。


そして半刻ほど経った頃、ようやく話に区切りがついた。


「なんだか今日はいつもより話しすぎてしまいました……。今にもかわいた喉が引っ付きそうです。

では、太陽も傾いて参りましたので、今日はもう帰ろうと思います」



花の言った通り、辺りはすっかり橙色に染まり、西に沈みかけた太陽が一日の終わりが近づいていることを告げていた。

花は名残惜しく思いながらもゆっくりと立ち上がり扉に手を添えると「明日も必ず来ます」と言って、扉に背を向けて歩きはじめた。


(次に会えるのはいつだろう…。…杏様)



出来ればもっとここにいたい。離れたくない。



そう思っても、現実は思うようにはいかない。早く戻らなければ、側付きであるヨモギやワサビが心配するだろう。

花は離れがたい気持ちをなんとかおさえ、自分のいるべき場所へと歩いていった。




しかし、夕刻の冷たい風のなかに普段とは違う不気味なものを感じ、花は石段の途中で立ち止まった。



チクチクと鼻腔をさすような匂いがする。



花は腰にさしてあった木刀に手をおき、辺りを警戒するように見渡した。



だが、嫌な風は既に通り過ぎ、ただ水面が揺れる微かな音だけが響いていた。



(朝から動き回っていたし、きっと疲れているのだな)

と心の中で言いながらもう一度建物の方をみた。


(杏様、きっとすぐに会いに来ますからね)



しかし、建物に背を向け再び歩き出そうとした、その時――。



唸るような地響きが辺りに鳴り響いたと思うと、勢いよく地面が揺れはじめた。



(なんだ! 地揺れか?!)



そのあまりの大きさに花はよろめき、扉の前の石段にしがみつくようにしゃがんだ。

しばらくすると揺れは収まり、再び辺りは静かになった。



(なんだったんだ、今のは…。地揺れ、いや、何かうめき声が聞こえたような…)



次の瞬間、凄まじい風が花の傍をかけてゆきやがてそれは竜巻に変わると泉天所のまわりをかこみはじめた。


花は体が宙に浮きそうになるのを必死に堪え、なにが起こっているのかを確認しようと目を開けようとした。だがあまりの風の強さに思うようにいかず、薄目でしか辺りを見ることが出来なかった。



その間も一向に止みそうにない竜巻はますます勢いを増し、腕の力も限界に近づき石段から手を離しそうになる。



(どうしよう、このままじゃ中に飛ばされる…!)



すると、花の視界に黒いなにかが写った。

それは花の上を通過し、杏治のいる泉天所の扉のほうへとむかっていった。



だが花は目を疑った。



(なぜだ…!? なぜここに)



扉の前に立っていたのはここにいるはずのないこの国唯一の天敵、



――“餓鬼“だったからだ。


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