第22話

 赤い顔で俯いたまま手を引かれて歩く。頭の中は疑問符でいっぱいで意味のある言葉が浮かんでこない。


―なんで?なんで??なんで???


 ハナはよくじゃれついてほっぺたにキスしたりするけど、唇にしたことはない。男の子でも唇は柔らかいんだと変に冷静な感想は浮かんだけど、多分そういうことじゃない。

 聞かないよって言ってしまった手前、本人に聞く訳にもいかない。


―人工呼吸じゃないよね?


 頭と身体がふわふわして心臓の鼓動がおかしな具合に跳ねる。掴まれた手が熱い。前を歩くオミの表情は見えなくて、何を考えているのか分からない。見てもきっと分からない。ていうか今見たら頭が爆発するかもしれない。


 ぐるぐる考えているうちに、家の前まで来てしまった。常夜灯の灯る門扉の前で足を止めて振り返ったオミは、僕を見下ろしてくすりと笑った。

「見えるとこ全部赤い」

 僕の手首を握ったまま、もう片方の手でうなじに触れてくる。後ろ髪の生え際から衿のきわまで撫でおろした手の平の動きに全身にぞくぞくと震えが走った。

「どこまで赤いのかな?」

 疑問というより確認のような独り言をもらしたオミに汗ばんだ肌を指で辿られる。もうどうしていいか分からない。


「…もう離して」

「考えた?」

 身をよじる僕の言葉を遮るようにオミが尋ねた。顔を上げる勇気がなくてモソモソと口の中で答えた。

「わかんない」

「ふーん」

 さっきからとても意地が悪い。ハナとの取り決めとやらはどうなってるのだろうか。

「き…規約には違反してないの?」

「うーん、そう来たか。…嫌だった?」

「………分からない」

「じゃあ、保留」

 オミは楽しそうに僕の首筋を撫でる。ぞわぞわが止まらなくて生理的な涙が浮かんでくる。


―それどういう措置そち


 恐る恐る彼を見上げると、悪戯を企む表情で、唇に人の悪い笑みを浮かべている。見えない黒い尻尾が見える気がする。

「あら〜、オミくん。帰りも送ってくれたの?ありがとね~」

 玄関の方からお母さんの声がする。オミはサッと悪い表情を引っ込めて爽やかな笑顔を作った。

「人酔いしちゃったみたいで。心配だから送ってきました」

「この子人混み苦手だもんね。オミくんがついててくれて良かったわ」


―お母さん!騙されてる!助けて!


 オミは門扉に隠れて見えない僕の手首を、握った指の腹でさわさわと撫で回している。心臓が爆発しそうな音を立てて、こめかみにどくどくと血が集まった。

 涼しげな顔をしたオミはそんな素振りを毛ほども見せずお母さんと会話を続けている。

「明日もお邪魔してもいいですか?夏休み明けにテストあるし、ヨウに数学教えて欲しいって頼まれてて」

「いいわよー。この前はありがとね。この子数学苦手すぎて申し訳ないくらい」

「大丈夫ですよ。人に教えると復習になるんで。午前中の部活終わったらお邪魔しますね」


―勝手に話を進めるなー!


 お母さんは嬉しそうにニコニコしている。そういえばあの人面食いだった。ほんとかどうか分からないけどお父さんの事も顔で選んだって言ってたっけ。

 この前テストで平均点以上取れた事もあって、外面の良いオミはすっかりお母さんのお気に入りだ。

「じゃ、お昼ご飯うちで食べなさいよ」

「ありがとうございます」

「ヨウ、良かったわね〜。ご飯出来てるから早くおいで〜」


―良くない!頼んでないし!いや、頼んだけどなんか違う!

 

 追い詰められた僕の口はパクパクするばかりで言葉が出てこない。オミはお母さんが先に家の中に入るのを確認して僕の方に向き直る。

 長い指がするりと浴衣の袖の内側に潜り込み、肘の内側を撫でてから離れた。 

「ちゃんと考えて。宿題ね」

 去り際にニヤリと笑うその頭に、ねじれた黒い角まで見えた気がした。


―あいつ…優等生の皮を被った悪魔だ…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る