第10話 哀しき思い出

「大丈夫だ、傷は浅いぜ?」

 チタムがささやいているのは、明らかに気休めだった。

 バーツが、カッとチタムに口を開こうとする。

 だが、兵は静かになって、かすかにまぶたをもちあげた。

「ほんとだってば。ほら、もう、楽になってきただろ?」

 瞳をのぞき込むチタムの穏やかさは、兵のすすり泣きを誘発した。

 力づけられ、心が緩んだものだろう。

「安心して、今は眠れよ」

 負傷兵は、まぶたを閉じ、今まで渾身の力ですがりついていたチタムの手を、ふうっと手放した。

「ありがとうよ……」

 体が弛緩し、息まで静かになるのを待ってやってから、チタムは立ち上がった。

 見ていたカクパスは、今の瞬間にバーツのチタムを見る目に変化が兆したのかどうか、観察しつつも、

「ティリウ将軍が命を下しました。大人たちの隊を差し置き、遂に、ボクらの隊に」



 十七隊は、ティリウ将軍の帷幄いあくに招かれ、直に接見を受けた。

「〈凶運のチタム〉を、出撃させる。エブ将軍を救うには、針の穴を通すような冷刃の能力者が必要だ。しかし、それをやれと、わたくしは命じる」

 皆は補佐を、完璧な補佐を。

 そう命じられて、しかし、暴れた者がいた。

「冗談じゃないでござる! 一発で決めなければ、吾が祖父は、殺されてしまう!! ティリウ将軍!!」

 噛みつくバーツを、将軍の大喝が制した。

「チタムは一発で決める。それは疑わずともよい!」

「じゃあ言い変えるでござる!! 吾が真の思案は、裏切りにあり!! この男が、祖父を救うと見せかけて、殺すのではないかと、吾の存知がうずくのだ!! 心配なのだ!!」

「神聖王ででもあるつもりか。懼れ多くも、直感でのご託宣か」



 チタムは屋根に上った。

 平らに、屋根屋根の白い漆喰の平面が広がっている。

 四百歩の彼方に、敵が見える。

「やめさせるでござる、どうするのだ、今、チタムが裏切ったらどうするのだ」

 とバーツはまだ叫んでいた。

 だが、一笑に付され、怒られ、さげすまれる。

 チタムは前進。斜めに走った。

 敵へと距離を縮めていく。

 瓶かつぎのカーンも併走する。

「やめさせろ! あのチタムというのは、怪しい!! 誰もやらぬなら、吾が命を張ってでも止める!!」

 バーツに、やむなく飛びかかる兵士たち。

 チタムの邪魔をしないよう、縛り、さるぐつわをかませる。

 走っていくチタムとカーンは、危険を冒して、二百五十歩を切った。

 それより内に入ったとたん、アフからの刃が飛来し始めた。

 カーンはチタムを信じて、右へ、左へと不規則に刃を予測し避けるチタムに必死に動きをあわせる。

 疾走につぐ疾走、そしてジャンプ。

 大きく踏み切って路地を飛び越え、着地すると、また続く屋根の平面をひたむきに走破していく。

 二百歩に近づく。

 アフが冷刃エツナブを投擲し止めた。

 最後の刃は、やすやすとカーンとチタムに回避される。

 と見えたそのとき、空中で二十もの水刃に分散。

 速度はそのまま。

 散弾となって広範囲に、高速の矢。

 あっと息を呑む味方。

 降り注ぐ真下に、二人は捕らえられていた。

「きゃああああああ!!」

 誰も、こんな近接密集攻撃からは、逃げられない。

 瞬間、チタムが撃った。

 くい止める。

 あらかじめ握っていた水が打ち出され、二十もの刃のそれぞれと真っ正面から激突。パッと霧になって消えた。

 双方、風に。

 カーンの服は一部裂けたが、柔肌は無事だった。

 チタムもかすり傷のみ。

「なんと正確無比!!」

「多弾一打!」

「それに反射速度!!」

 味方からどよめき、そして喝采。

 そのときにはもう疾駆を再開している二人だった。

 走る。走る。

 チタムが合図して止まった。

 はあはあ汗をかきながら、カーンは瓶の蓋を破き払った。

 実弾となる水を運搬・補給する、瓶かつぎ。

 チタムは瓶かつぎだけいればいい。

 敵との距離や角度や風の影響を読んで攻撃手に指示を出す、目のいい頭脳労働者、〈天地測てんちそく〉はいらない。

 冷刃エツナブ使いの飛ばした水刃の飛ぶ軌道を左右するある鉱物を、事前に槍で打って排除するか、あるいは、味方の攻撃手の放った水刃の飛行に合わせて鉱物を一個ないし複数個投げ込んで、水刃の軌道を細かく修正し、曲芸のような飛び方をさせて、敵に着弾させたりする補佐役、〈逸らし屋〉こと〈石打ち〉もいらない。

 鉱物が埋設されていたり敵が衣服の下に身につけていたりしていても感知して、水刃への複雑な影響を計算する〈翡翠識ひすいしき〉も、必要としない。

 〈凶運のチタム〉は水刃使いの攻撃手で、自ら複雑な軌道計算の〈天地測〉まで兼ね、〈翡翠識〉の能力ももち、〈石打ち〉をもこなしてしまうという戦士だった。

 ただ、戦場においてのみ。

 チタムは、背の槍筒から投槍を引き抜くや、たて続けに打ちはなって、狙った場所だけを正確に破砕。

 敵が散布していた翡翠を、つまり水の刃の妨げにも味方にもなるこの世で一種類だけの鉱物を、今から撃つ水の刃に最適の配置に変えた。

 シンとかたずを飲む世界、チタムが今、遂に撃つ。

 チタムが水を投げ上げた、癖のあるその腕の動きに、ハッとした。  

 知り合いか?とバーツの目にはそれが遠目にも大写しに映った。

 バーツは、胸が鳴って、厭な予感で、筋肉という筋肉が萎縮し、息もできない。

 幼い頃、屋敷にやってきた継母をひとめ見た瞬間、バーツはまずいと直感した。

 父が言うので信じたら、父は、継母に暗殺されかかった。

 父は無事だったが、兄はそのとき命を落とした。

 長兄と次兄の、二人とも。

 あのときの痛さが甦る。心臓が泣く。

 一度信じないと決めた人間は、信じない方がいい。

 風邪をひいていた父と兄たち。

 継母は薬湯を運んで、彼らを救うフリをして、まったく逆の行いを。凶行を!!

 チタムが今、空中に水の刃を形成した。

 アフを倒そうとしているが、それは真か。

 祖父を救うフリをして、まったく逆の行いを。凶行を?!

 幼なかった頃、兄たちとともにバーツも風邪をひいていたのは、その前の数日、夜更かしをして体が弱っていたせいだった。

 召使いに読んで貰っていた物語が、面白くて面白くて、三人してせがみすぎたのだ。

 物語の中の勇気と知恵の英雄よろしくござる言葉を真似てはしゃいでいた日の翌日から、ござる言葉を使って弱々しく励ましあう日々に。

 だのに熱で、バーツは、最後のチャンスにも、隣の寝床に伝えられなかった。

『ああ、その薬は飲んではいけないと思うでござる』

と、言えていれば、言えていれば。

 今でもござる言葉なのは、バーツのささやかな誓いだった。

 あの幼い日の喪失感を、あの日の悲しみを、あの日のふがいなさを、情けなさを、悔しさを、決して繰り返さないための。

(祖父殿ぉおおおおおおお!!!!!!!)

 バーツの瞼の内側を、熱く濡らして、感情が溢れた。

 味方にさるぐつわをされたまま、狂ったように絶叫していた。

 あれ以来決して判断を間違ったことのないバーツが〈存知〉した人物。チタムの水の刃が、流麗な軌跡を描いていく。

 果たして、アフに?

 もしや、エブに。




――

この物語はフィクションであり、実在の団体・個人・事件とは一切関係ありません

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お読みいただきありがとうございます。

これからも面白い物語にしていきます。ぜひブックマーク・応援・レビューをお願いします。作者のモチベーションが上がります


 

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