第4話 開き始めた心

沈黙が流れる。時間が止まったかのように静寂に包まれた教室。窓から吹き抜ける風にカーテンが旗めく音だけが微かに響いている。


「遅くなってごめん」

「ううん、ごめんね。絵具臭いよね」

「……平気。寧ろ安心した」

「安心?」

「そう。寺里さんが今にも──」


今にも消えそうだったから。危うくその言葉が零れそうになり、口を噤む。


「何でもない」

「……そっか。あのさ、ここじゃなくて屋上移動しない?」


一瞬気まずそうに視線を逸らす。だが、その後直ぐに彼女は私に向きなおった。


「別にいいけど、立ち入り禁止じゃないの?」

「屋上、空いてるよ」


スケッチブックを持ちながら寺里さんが図書室を出る。半信半疑でついていくと、所々錆びているドアが視界に入った。ぎしりと音を立てドアを開けるとフェンスからいく筋もの光が差し込み、その向こうに街が広がっていた。私は寺里さんに倣って隣に腰を下ろす。


「紫乃花ちゃん、今日学校どうだった?」


そういえば、学園生活の話をするためにここに来たんだった。色々ありすぎて忘れていた。よくわからない夕神君に付きまとわれたし。特に昼休みだ。いきなり私の隣の席に座ってきて音楽プレーヤーを奪われた。勿論すぐ返してもらったが。


「一日中変な人に付きまとわれた」

「え!?ま、まあ紫乃花ちゃん美人だからね……気を付けて」

「いや、正しくは私の幼馴染の友達なんだけど」

記憶をたどって一日の出来事を語る。最初は楽しげに聞いていた寺里さんが、ふと空を見上げた。

「幼馴染か、いいなぁ。私にはそんな人いないから」

いったん言葉をきり、寺里さんが思い出したように私を見る。

「あ、友達は……どう?」

「友達、は──」


私を懸念するように尋ねる寺里さんの瞳は何もかも見透かしてしまうように揺れていて、思わず視線を逸らした。


『紫乃花ってさ、話しかけにくくない?愛想ないし』

『わかる。しかもなんか調子のってない?』

『勉強できるからって偉そうだよね』


ふと、忘れかけていた言葉が頭によぎる。それは毎日呆れるほど耳にしてるクラスメイトの言葉と嘲笑。自覚はしている。私の性格で友達が離れていくのは当然だと。だから幼馴染である燐斗以外、深く関わらない。そう思ってきたのに。割り切ってきたのに。


「どうして……」


どうして寺里さんはそんな優しい目で私を見るんだろうか。私に近づくのだろうか。やめてほしい。そんなことされたら個人的な心情をまじえてしまう。――友達でいたいと思ってしまう。心に隠していた思い。寺里さんと出会ってから私は変わっている。現に今日だって旧校舎を去ることができなかった。


「あのね。私にとって紫乃花ちゃんは憧憬だよ」


私の状況を悟ったのか、寺里さんが呟く。


「どういうこと?」

「紫乃花ちゃんに会って、が変わった。私……難病があるの」


他人事のように告げる寺里さんに言葉が出ない。


「幼い頃から入退院を繰り返してたんだ。高校は行けると思ってたんだけど、無理だったみたい。高1の春、入学二日後に病気が悪化して今も入院中」

「じゃあどうして今…」

「一週間、外出許可をもらったの」


この一週間、午後からこの旧校舎で絵を描いていたらしい。高1のころこの学園に合格したものの、すぐ入院しなければならなかった寺里さん。彼女は久々に外出許可をもらうことができ、思い出であるこの学園に来たという。流石に新校舎には勝手に入れないので、毎日出入りは可能な旧校舎の図書室から新校舎を眺めていたらしい。


「一人で絵を描いていたとき、紫乃花ちゃんが来てくれたんだよ。それが嬉しくて初対面なのに駆け寄って話しかけちゃった」

「いつまでこの学園にいるの?」

「今日までなんだ。数日後に手術があるの」


静かにこぼす寺里さんの髪が揺れる。口を閉ざし、心を埋め尽くす後悔を押さえつける。早く彼女の存在に気付いていたら彼女の孤独を少しは拭えたのかもしれない。


──私は寺里さんに何ができる?


答えなんて分かり切っている。側にいること…ただそれだけだ。

 寺里さんは私のおかげで世界が色づいて見えたといっていたが、それは私も同じだ。寺里さんが世界の色を塗り替えたくれた。今まで友達なんていらないと、関わると面倒なだけだと考えていた私。だが、本当は心の隅では気軽に話せる人を求めていたのかもしれない。関わることが嫌いなら、仲良くなりたい一心を露わにしてくる寺里さんを拒んでるはずだ。それができなかった理由は勘付いている。初めてだったのだ。彼女が初めて自ら私に近づいてくれた人だった。ただの興味本位で近づいて来ているわけではないと不思議と伝わってきて、それが新鮮で、心地よかった。彼女となら話せる……そう思い始めていたのに。

 唐突に聞かされた寺里さんの真実を知ったのにも関わらず、無言になる私自身に嫌気がさす。こういう時、思いやりのある燐斗だったらどんな言葉をかけるのか。無表情で悶々と考えを張り巡らせ、私なりの言葉を出す。


「寺里さん…何か願いある?」


気の利く言葉。励ましの言葉。真剣に考えたがどれも違う気がして、私はこの場の空気にそぐわないであろう言葉をストレートにぶつけた。安易な言葉でも、私にできる寺里さんの願いを叶えたい、という偽りない気持ちをこれでも表現したつもりだ。違う言い方があるのかもしれないが、私にはこれが精一杯だった。

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