デゴー2

 小屋の前、座って遠くを眺めてる。メギーが内側で咳き込む音が聴こえる。右手にはサイダー瓶があるけど、中身は殆どない。ケツがヒリヒリする。あれ、いつの間にやったかな。腰を摩りながら、一瞬途方に暮れた。僕にはやった記憶が無かった。だいぶ長い夢をみていたような、でもその内容は何一つ思い出せない。もっと前、一番最近の記憶を探る。

 そうだ、僕は家で一人で寝ていた。どうしても今日は学校を休ませてくれと母親に言って、んでもって黙りこくる僕を見て彼女はこう言った。私たちが悪いの?

 兎も角僕は頑なに動かない(というより動けない、言葉も発せない)ので、彼女は渋々とした顔で郵便局へ仕事に出た。ふと、誰もいなくなった家はどうも広く思えて、開けた窓から入ってくる初夏の匂いだとかが髪をさっと撫で摩っていて。うーんと椅子に座り込んだ僕の目に映った母親のグラース産の香水を一気に飲み込んだ。喉に流した瞬間に、食道の粘膜を剥ぎ取るような痛みが走って、一気に嘔吐感が湧き出したものだから、洗面所に行く暇もなく吐いてしまった。朝飯を食べるのを忘れてしまっていたから、僕の口から出たのは胃液と香水の混じった匂いの強い液体だけだった。その匂いに耐えれなくなって、僕は二階に登ってベッドに横たわった。

 その間、母さんの「私たちが悪いの?」って言葉を反芻し続けた。すごく嫌な言葉だった。僕が悪い見たいな言葉だ。僕が悪いのか、こう育てたアンタらが悪いのか、僕はずっとそんなことを考えて眠れなくなっていた。その時、ふと強く風が部屋に入り込んで、草の匂いと香水と胃液の匂いが混ざり合って、それが引き金に発作が起こった。

 ガクン、心臓の音が大きくなって、目の前で見えてる天井の景色と同時にまた別の景色が僕の前に広がった。大きな怪物、それはヒトのような、獣のような、とにかく僕の身体の何万倍もありそうな大きな怪物が目の前にいて、僕はそいつに何か言われる。この言われるまでの間が、まだ僕が現世に意識を保っていられるリミットだった。僕は何度も体験したからそれをよく知っていた。

 酷く焦った。来てしまった、どうしよう、何か、何か他のことを考えなければ。ベッドから這い出て浅黒い床板に頭を何度も打ち付けながら、ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ、と何回か叫んだのを覚えてる。それから先の記憶は無い。その怪物に何か言われてしまったのだ。

 そして気づいたらいつもの小屋の前でサイダー片手に呆けてる。僕は一体何をしていたんだろう。小屋の中でスナッフを吸ってるだろうメギーに尋ねようと、僕は立ち上がってドアに手をかける。

「なあ、今何時?」

「……んん、えぇっと、うーん、三時、ぐらいじゃ、ないかな」

 ベッドに裸のまま座り込むメギーは俯きがちに答えた。

「今日ってさ、いれてたっけ」

「んぇ、何を」

「ケツにだよ」

「あぁ、挿れたけど、えっと、何だっけ、何だか随分、俺も、必死だったからなぁ……」

「どゆこと、めっちゃいれたってこと?」

「うぅむ、いや、なんか、こう、随分、なんか嫌がって?た?」

「僕が?」

「うぅん、覚えて、ないの?発作?だっけ」

「おーん、何も覚えてねーや」

「へぇ……変なの」

「それちょっと頂戴よ」

 僕はメギーの隣に座って、手元に渡された深緑のパッケージをしたスナッフを鼻に近づけた。三回ぐらい吸うと一気に身体が地についた感覚になって、地面と溶け合うような感覚が好きだった。

「これってさ、合法なの?」

「合法、だよ、こわいなあ」

「これってさ、どこで買ってんの?」

「街、今度、持って来たげよっか」

「えーそりゃ嬉しいなあ……うぅ」

 唐突に来た脱力感に、頭は重くなって俯きがちになる。風も、草の葉が擦れるのも、虫も、丘の下に闊歩する人間の息遣いも、遠くでなる鐘の音も、地鳴りも、全てが混ざって、それに何だかホワイトノイズのような騒めきがよく聴こえるようになって、僕は目を瞑る。

「ありゃあ、いいねぇ」

 メギーの声が聴こえてくる。

「今日はさ、なんか、良かったよ、すごく。なんか、すごい、がつん、と来たなあ。多分、君も本気、だったね」

 歯切れの悪い発音は、この状態だと逆に聴きやすくなる。母さんの甲高い声とは段違いで、一つ一つの言葉がふっと匂いとなって香ってくるように思える。言葉じゃなくて、もっとフワッとした、フワッとしたものな気がする。

「痛くして、ごめんね、腕、痛いだろ、背中、もさ」

 そう言われてふと腕を見ると、強く握ったんだろう、真っ赤に腫れ上がった手形が両碗に握りしめてあった。そういえば背中も少しピリついてる気がする。

「それよりもケツが痛いよ」

「ごめんね」

 メギーは言う。顔が想像できる。きっと呆けた、また遠くを見つめている気がする。僕はプワプワとした頭を上げると、勢い余ってベッドに倒れ込んだ。その衝撃はずんと身体の芯まで伝わって、骨が鈍く共鳴している感じがした。


 

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