取引35 予想外エクスペクト



 ミアの邸宅の、とある執務室。

 窓のないその閉鎖的な部屋で灯かりもつけず、ただパソコンのモニターの光だけが、暗闇の中で煌々こうこうと輝いている。その光に照らされているのは、燕尾えんび服のジャケットを着こんだ老執事、ジョエルの姿だった。モニター上に映る何者かとビデオ通話をしているようだが、その言語は互いにフランス語だった。


「(……はい。全ては順調でございます。今回の件は想定の範囲内、むしろ遅いくらいでした。全く問題ございませぬ。……ご安心を)」


『(しかし、ジョエル、公世子のことはよいとして、手塩にかけた義理の娘に反旗を翻されるとは。飼い犬に手を噛まれるとは、まさにこのことよ。……この件も、そなたの中では想定内とでも言うのか?)』


「(……確かに、いささか予想外ではございましたが、所詮コマはコマ。いざとなったら容赦なく捨てることも可能ですゆえ、今は放っておいても結構。……公女様がたにも、束の間の自由を謳歌していただくことにしましょう。……焦らずとも、いずれ時はやってきます)」


「(……それよりも、もう御一方が問題にございます。ここだけの話、未だに消息がつかめず、こちらも捜索に躍起になっております。どうやらそう遠くに行った痕跡はないように思いますが、正直、現在の消息は不明です。……ですがこのジョエル、必ずや見つけ出してみせます。公国に誓って……)」


『(……よい報告を期待している)』


 ビデオ通話が途切れ、そのままパソコンのモニターをタッチして、監視カメラの映像を再生する。画面の中には、ミアがいた。ちょうどジョエルを一喝した時のもの。その様子を眺めるジョエルの口元は、いつの間にか笑っていた。


「……フ、ハハハッ、……クハハッ……」


 引き出しを開けてワイングラスをとり、ボトルを傾けて一杯あおる。しばらくの間、何かを回想するように宙を見つめてから、


「……まだまだ、これからです。我々の復讐は。……そうでしょう、シャル?」




◇◇◇◇◇◇




「……?」


 ミアの邸宅からの帰り道、着信音がしてスマホを取ると、画面には公衆電話からの着信。米太は顔をしかめながら、


「もしもし?」


『おあー、俺だァ、……ちょっといいかぁ?』


 プ、と問答無用で通話を切断する。忘れていた父への怒りがこみあげてくるのを抑えつつ、逆にこれで不機嫌になるのも癪なので、何も聞かなかったことにして記憶を忘却の彼方に処分……、


 再び、着信音。しばらく放置していても一向に切れる気配はない。少し迷ったが、この間のこともあってどうしても気が進まず、そうしているとついに着信音が切れた。


(……これでいい。今さら、話すことなんてないし。……どうせまた、借金が増額したとかそういう……)


 三度目の着信音が鳴る。さすがにイライラしてきて、さっきまで抑えていた怒りが再沸してきた。一言文句でも言ってやろうと、ガムシャラにスマホをタップして通話を開始し、


『もしも……』

「――うっせぇッ、何回もかけてくんな! 電話代がもったいないだろうが、クソ野郎!」

『……ッ、ご、ごめん兄さん……、ごめんね?』


 スピーカーから聞こえてきた声の違和感に一瞬脳がフリーズし、


「……ほ、蛍!? いや、今のは違くてッ!」


 焦って弁明する米太は、だったが、もう遅い。


『うぅ……、兄さんに、クソ野郎って言われたよぅ……』

「す、すまん! 親父と間違えた!!」


 電話越しから今にも泣きそうな声が聞こえ、米太は、あたふたする。せっかく色々と一段落した後なのに、また兄妹の関係がぎくしゃくしてしまうのは、何とか避けたかった。


(……何もかもアイツのせいだな、マジで疫病神か……!)


 改めて父に恨み節を漏らしつつ、


「……それでッ? どうしたんだ蛍。何か用なのか?」

『……う、うん。あのね兄さん、びっくりしないで聞いて欲しいんだけど、……お父さんの借金、なんか大丈夫になったんだって!』

「……は?」


 蛍の言っている意味が理解できず、思わず聞き返す。蛍は興奮した様子で、


『……なんでも、株が当たって利益が出たとかで、こないだの借金の半分は返済できちゃったんだって。……だから、さっき怖いオジサンたちが来て、取られたものを返してくれたの!』

「……………は?」

『おかげでバイトをする必要もなくなったから、約束通りお店にはお金を持って謝りにいってきたよ。……あれ、兄さん、聞いてる? おーい、兄さん相づちがないよー、おーい……』


 身体の力が抜け、その場に米太は、崩れ落ちる。


(……じゃあ、この一連の俺の奮闘は……、全部、無意味……? 冗談きついぜ……、マジで……)


 電話口からは、蛍が米太を呼ぶ声が聞こえる。言いようのない徒労感に苛まれた米太は、自らの境遇を嘆きつつも、


(……いや、無意味ではないか……)


 脳裏に浮かんだ『ウィー』の響きに、そっと笑顔を見せた。


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