取引11 次郎インターレース

 

 ついに、作戦決行の時がやってきた。昼休みの学食では、生徒や教授でごった返している。しかし、活気にあふれる喧騒が、ある人物の降臨によって静まり返る。


「ここです、メリッサ。今日のお昼はここにしましょう!」

「……ミア様、本気ですか……?」


 学食の入口に、まるで周囲と似つかわしくない二人の美少女が立っている。金髪の少女、ミアは今日に限って、ひらひらした白いワンピースに身を包み、飾りのついた帽子や白い手袋も相まって、場違い感が半端じゃない。


『おい……留学生じゃん』

『ウソだろ、学食で会えるなんて、奇跡じゃね? これは夢か?』

『可愛いー、写メとってもいいかな?』

『バカ、失礼でしょ! 目に焼き付けるだけにしなよっ!』


 雑然としていた食堂が、一気に囁き声で埋めつくされる。そんな空間で一人。お独り様席に密かに腰掛けた米太は、横目に二人の様子を観察する。すぐさま、ミアの声が響き、 


「本気に決まっています! 今日はどうしても、ここの次郎系ラーメンとやらを食べたい気分なのです!」


『『……次郎系!?』』


 ミアの発言に、食堂内の空気が一気に張り詰める。

 

『次郎系って、……あの?』

『体育会系でも完食者が少ないという、あの油ギトギトでガッツリな期間限定メニューを、セレブ留学生が!?』

『大丈夫!? 普通盛りでも相当だよ?』


 爆発的に周囲のひそひそ声が拡大し、いつの間にか人も集まってきた。そんな空気の中、メリッサは半ば呆れた顔で壁に合ったメニュー写真を指差し、


「……ミア様、まさかとは思いますが、この山盛りのやつですか? いくらなんでもさすがに好奇心が過ぎるのでは……ほら、食堂の席も満席みたいですよ」


 メリッサの声に、ミアがわかりやすく残念そうな顔をして、


「ええ……、でも……わたし、どうしても食べたいのです……」


 その瞬間、聖書で海を割ったモーゼの如く、


『『ど、ど、どうぞ!!!』』


 食堂の人流が真っ二つに別れ、中央の席が空いた様を米太は、目撃する。


「見てくださいメリッサ、空きました! ラーメン屋さんはお客の回転が早い、というのは、本当だったのですね!」

「ここはラーメン屋じゃないですが。……多大なる善意のご協力、感謝です」


 メリッサが周囲に頭を下げつつ、意気揚々と厨房付近に移動する二人。その挙動に食堂中の人間が注目する中、


「次郎系ラーメン、全部増し、2つでお願いしますね!」


『『『なんだってえええぇえええええ―――!?』』』



◇◇◇◇◇◇



「……被害者、ビジネス? 初めて聞きました。どういうことですか?」


 ポカンとするミアに、米太は解説する。


「誰かに危害を加えた加害者ってのはな、取引において、常に不利なんだよ。そのことを利用した被害者がつけ上がって、無理難題を押し付けてくる、そういうことが巷にはよくあるんだ。中には、初めからお金が目的で、自分から被害者を装う輩もいる。それが被害者ビジネスだ」

「く、詳しいのですね。……まさか米太、そういう経験が?」

「いや、それはない。……が、正直に告白すると、お金のない時に、効率だけ考えて試案だけしたことはある。……恥ずかしいが」

「そ、そんなに大変な時期があったのですね。……ごめんなさい。もっと早く出会えていたら、わたしが米太のこと、助けてあげられたのに」

「え?」

「ウィー」


 裏表のない、無垢むくな緑の瞳。あまりの綺麗さに、米太は思わずあっけにとられ、


「う、そ、それは今となってはどうでもよくてだな! つまり、俺が被害者、ミアが加害者になることが今回の被害者ビジネスの策の全容だ。あらかじめメリッサさんに「俺が善人」だと印象付けることによって、ミアが提案する俺へのお詫びは断りづらくなるだろ?」

「ベイタ、ベイタ、質問があります」

「なんだ?」

「わたしが、ベイタの加害者になるのですか?」

「そうだ」

「つまり、わたしがベイタに危害を加えると?」

「そう」


 応えた瞬間、ミアの顔がみるみるうちに曇り、


「ノン、イヤです」


 拗ねたような表情で、口を尖らせる。


「といってもな、まずは監視の目を撒かないことには……」

「それはわかっています。……でも、よりにもよって恩人の米太に……」

「そう、それだよ!」

「え?」


 米太の声にミアが曇った顔を上げる。 


「メリッサさんがその申し訳なさを察するからこそ、この作戦は意味がある! 人間誰しも、自分よりも大事な人が負う痛みにこそ、敏感にお金を払うものだ! 生命保険とか、学資保険とかはそういう心理をついたビジネスなわけで。そもそも、被害者になる俺がいいと言っているんだから、ミアが気にする必要はないんだ」


 ミアは少し考えた後、


「……正直、心苦しいですが。……でも、米太がそう言うなら、やってみます」

「そうこなくっちゃな。こうなったら絶対に成功させよう、被害者ビジネス!」

「……ベイタ、活き活きしてますね」

「そ、そんなことはないが……と、とにかく」


 米太がミアの肩に手をやり、


「――躊躇せず、思いっきりやれ!」



◇◇◇◇◇◇



 厨房の方に目をやると、ドンブリに山盛りのラーメンが二つ、徐々に盛られていく様が見える。こちらから表情は見えないが、きっとミアのことだ。好奇心に目を輝かせていることだろう。その隣では、メリッサが遠めに見てもわかるような不安そうな顔を見せている。それくらいでちょうどいい、と米太は、深呼吸をした。


(……大事なのはここからだ)


 ミアとメリッサの目の前に、お盆に乗った巨大なラーメンの山が現れる。お盆受けをスライドさせるようにして、レジへと移動し、メリッサが何やらカードを取り出して会計をしているようだ。

「よし」と、米太は覚悟を決めて、靴ひもを解き、カップ麺を手にお独り様席を立ち上がる。


「ミア様、……持ちます」

「……大丈夫、これくらい一人で持てますから」

「ならせめて、私が先に進みます。……ミア様は後をついてきてください」


 ちょうど向こう側から、重そうなお盆を両手で持ったメリッサとミアがやってくる。米太の身体に緊張が走り、それを悟られないようになるべく自然を装って、インスタント用の電気ポットが置かれたエリアについた米太は、お湯を注ぎながら、


「あ、確かキミは……」

「……花野井くん。……どうも」


 メリッサは驚いた眉をして、それでも足を止めないまま、


「すみません、……ちょっと今、余裕がなくて」

「だろうな、お気をつけて」

「……恩に切ります」


 何気ない会話をしてすれ違う。

 そして、準備はすべて整った。


 お盆を両手に、メリッサの後をゆっくりとついてくるのは、ミア。近くで見ると、左右にフラフラと見るからに危なっかしい。確かに演技をしろと言ってはおいたが、おそらくこれはマジのやつだ。その証拠に、ミアの挙動の危うさに全視線が注目しているのを肌で感じる。しかし、それはかえって絶好の機会であることを悟った米太は、ちらりとミアに視線を送り、


「あ、靴ひもが……」


 いかにもわざとらしく、しゃがみ込む。膝をつき、頭を下に下げたその瞬間。


「あっ」


 偶然か名演か、頭上で焦ったようなミアの声がして、


『『『――――ッ!』』』


 群衆が息をのむ音がする。見なくてもわかった。それでも確認のために視線を上げると、見事にバランスを崩したミアのお盆から、宙に舞う、一筋の次郎系ラーメンスープ。

 全て計算通りだ、と思った。


(このまま驚いたフリをして、次郎系のスープを頭から被る……)

(たとえ少量であったとしても、ニンニクと油にまみれたスープを被った俺は、この後の講義に出るわけにもいかないだろう。そして、申し訳ない気持ちに苛まれたミアが、メリッサにあることを提案すれば、メリッサは断れない。断れるはずがない)

(さぁ来い、ド派手に、頭からスープを滝のように……ハッ!?」


 しかし、スローモーションのように流れる世界の中で、米太は気付いてしまった。


「花野井くん!」


 視界の端から、メリッサが手を伸ばして飛び込んできたのだ。自分のラーメンを躊躇なく手放すとは、なんという判断力、たとえ自分の手を盾にしてでも、主の失態を未然に防ぐつもりらしい。


「えッ」


 一方で、正面でも何かが揺れ動く。見るとメリッサの挙動に驚いたミアが、足を滑らせてバランスを崩しているではないか。今度はドンブリごと大量のもやし、チャーシュー、スープなどラーメンの全てが宙に舞い、一度宙に浮いてから真下へ落下する。……尻もちをついたミアへと。


「――ッ」


 事態に気付いたメリッサが方向を変えようとするが、間に合わない。


「――――」


 鋭い声。何かがぶつかった音。それ以外、辺りはしんと静まり返る。

 しかし、不思議と陶器の割れた音はしなかった。群衆が息をのんで見守る中、ゆっくりと上半身を起こしたのは、


「……だい、じょう、ぶか?」


 ミアに覆いかぶさるようにして身代わりになった、米太。

 逆さになったドンブリを頭から被って、首から麺が垂れさがり、ポタポタとスープが滴り落ちる。


「……ベイ、タ?」


 ミアの驚いた声が、下から聞こえてくる。

 

(大丈夫、全て計画通り……)

 

 周りが暗くて見えないのは、きっと、頭の上に乗ったドンブリのせいだ。と、何故か身体に力が入らず、頭の重さに耐えきれずに、米太は後ろに倒れこむ。

 ガシャン、と今度こそ派手な音がして、


「ちょっと!? しっかりしてください! 聞こえますか!? ……救急車!」


 身体が宙に浮くような浮遊感を感じ、次第に意識が遠のいていく。薄れゆく意識の中で「……貧乏人のくせに、食べ物を粗末にした罰か」などと、冷静に思っていた。






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