取引6 確認セレブリティ


 時刻はちょうど午後のコマが始まったくらい。ものの見事にサボってしまった訳だが、これも秘密を守るため。何せ変に目ざとい根尾は、米太の様子を見るや否や、


『……何? もしかして、マッチングアプリかー? 十八禁ー?』


 などと、めんどくさい絡みを無遠慮にかましてくる始末だ。言い訳に困った米太は、


『……悪いが俺は、長めのトイレに行ってくる。後は聞くな。察してくれ……』


 当たり障りのない答えをしたつもりだったが、ガタ、と椅子から根尾がずり落ち、


『え……、え……! 米ちゃんっ、……まさかお前っ! ……ごゆっくり』 


 何故か赤い顔をして、やけに動揺していたことを考えると、若干の不安もある。が、今は仕方ない。心底後が面倒くさいけど、仕方ない。米太は自分を強引に納得させ、指定されたパソコン室の扉を開いた。


「あ、ベイタ……こんにちわ」


 遮光カーテンの閉まった室内には、窓に向けて垂直に二列ほどパソコンが並んでいる。午後イチの講義中ということもあってか、ミア以外に人はいない。そこそこの金持ちが集まるらしいこの私立大学では、そもそも自前のパソコンを持っていない生徒なんて、ほぼゼロに等しいのだ。

 そのせいか、さほど広くない空間を圧迫するように、壁際に背の高い空の金属ロッカーが複数並べられていた。半ば物置代わりに使われているらしい。

 ミアは壁側の列の奥の席に座って手を振っている。改めて二人きりを意識した米太がぎこちなく隣の席に腰を下ろした。


「……どうも」

「? どうしたのですか、なんだか少し、顔が赤い気がしますが?」

「いや、何でもない。……そっちこそ、何か調べものか?」


 ミアの席のデスクトップのモニターには、どこかの写真が写っていた。見覚えがある風景だな、なんて思っていたが、


「……ノン、少し眺めてただけです」


 すぐに画面をロックして隠してしまった。ミアは米太に向き直り、笑顔で口を開く。


「……それで? 今日は、何を教えてくれるのですか、ベイタ?」 


 緑の瞳が、好奇心に輝く。綺麗だけど、子どもみたいなミアの様子に、


「……ちょっと待った。その前に一つ確認させてくれ」

「ウィー、なんでしょうか?」

「昨日、お金の話しただろ……その、999万のこと」

「ウィー。それが、どうかしましたか?」

「……なんというか、その、冗談だよな?」


 冷静に考えると怖くなってきたのだ。いくらお金に困っているからと言って、一千万に近い金額を「あげます」と言われて、素直に受け取ってしまえるほど米太は純粋でも世間知らずでもない。何かしらの裏があるに決まっている。一晩悩んだ結果、辿り着いた結論は正直『美人局つつもたせの可能性が最も高い』というものだった。


(とはいえこれまでの様子を見てた感じ、裏がありそうな感じはない。むしろ世間知らず過ぎるあたり、そのままな印象だけど……)


 いっそのこと冗談であってほしいと願いつつ、意を決して質問した米太だったが。


「? ノン、冗談じゃありません。ベイタが色々教えてくれたら、ちゃんと全額お支払いするつもりですよ?」 

「……マジ?」

「ウィー」


 米太は思わず頭を抱えた。


「……失礼かと思うが、正直、信じられない。第一アンタは俺を悪徳業者だと思ったから、購入ボタンを押したのであって、お金を払うつもりは……」

「ノン、それは違います」

「え?」

「確かにあの商品に、あれほどのお金を払おうとは思っていませんでした。でも」


 言葉を区切り、ミアが身を乗り出して言う。


「……お値下げをお願いした上で、お譲りいただこうとは思っていました!」

「な」

 

『あ、悪徳業者の方!』


 昨日の鋭い一喝と、一連の投げ技、締め技が脳裏によみがえる。こっちからすると突然の暴力と罵声だったが、今の発言から考えるとつまり……、


「まさか……値下げ交渉、だったのか? ……あれが?」

「ウィー。……何か問題がありますか?」

「……大アリだよ、まったく」

「う……」


 呆れかえる米太と、恥ずかしそうに視線を逸らすミア。


(ズレている、とは思っていたが、いくらなんでもめちゃくちゃだろう。ヤクザか、マジで。しかも、交渉しようにも一度購入しちゃってるし。浮世ビギナー、恐るべし。……しかし)


「……じゃあ、払おうと思えば払えたと?」

「ウィー。多少割高なので、さすがに少しは考えますが……」

「少し、ね。少しだけなのね、そっか、わかった」

「? どうしたのですか、ベイタ。顔色が悪いようですが?」

「いや、何でもない」


 心配そうなミアの視線を遮るように、両手で顔を覆う。大体わかってきた。もし言ってることが本当ならこれは恐らく、とんでもないお金持ちのご令嬢だ。昨日の発言でも一部垣間見えていたが、金銭感覚が一般人のそれとは大きくかけ離れている。


「あのさ、アンタ……」

「ノン、アンタではありません。ミアと呼んでください、ベイタ」

「おう、すまん。じゃあ、ミア。失礼だけどちょっと確認したいことがある。財布を見せてもらってもいいか?」


 財布。それは持ち主の経済状況を表す鏡だ。財布が汚いほど持ち主はお金に無頓着むとんちゃくであり、お金も逃げていくとは、よく言われることだ。もしこれで安っぽい財布だったり、仮にブランド物でも使用感があったりするなら、発言の信憑性しんぴょうせいはかなり疑わしくなる。


「財布、ですか?」

「ああ、見せてくれないか?」

「ええと……困りましたね」


 ミアの発言に、米太はドキリとする。


「……何が困るんだ? 財布くらい。まさか……」


(まさか、見せられないような後ろめたい何かがあるのか? やっぱり、騙して……?)


「ノン、見せたいのは山々ですが、持っていないのです」

「え?」

「ウィー。より正確に言うと、生まれてから財布を持ったこと自体がないのです」

「……なッ、……じゃあ、買い物はどうやってッ?」

「……? 付き人が払いますが? 多分、カードで」

「……」


 絶句する。ぶん殴られた気分だ。財布を見ればうんたら、とか言ってた自分が猛烈に恥ずかしい。


「あ、……でも、見たことはありますよ? 素敵ですよね、小物入れみたいで!」

「そ、そうですか……、ゴフッ」

「ベイタ? 大丈夫ですか、また顔色がッ?」

「……俺、財布を小物入れ、っていう人に初めて会ったっす……」


 気力を持っていかれつつ、米太は頭を働かせて作戦を変更する。人の身なりを確認する手段として残されたのは……。


「……あの」

「ウィー」

「……本当に、本当に失礼なんだが……」

「構いません。この際、ベイタの気が済むまで確認してしてください」

「……本当か?」

「ウィー、わたしもベイタに信用してほしいですから」


 綺麗に微笑むミア。その笑顔に後押しされるように、米太は口を開き、


「……じゃあ、その、服を脱いでもらってもいいか?」


「…………えっ」


 意味を誤解したらしいミアが、瞬時に顔を沸騰させる。


「なな、何言っているのですベイタ! 他に人がいないからって、そんな! ……み、見損ないました!」

「違う違う! いや違くないけど、語弊があるのも無理はないよな! そういう意味じゃないんだ! ……ただ、なんというかその、……服を確認したくて!」


 こちらも顔を真っ赤にして答える。数テンポおいてから、


「ふぇ?」


「……ほら、どんな服を着てるのか、っていうのは、ミアが本当にお金持ちかを確かめる一つの方法かなって! あくまでも見たいのは服だから!」

「……」


「あれ? どうして不満そうに?」

「別に、不満じゃありません」

「いや、でもなんかさっきとはぜんぜん顔が……」

「……そんなことありません!」


 語気を強めたミアは、頬を膨らませて視線を外す。急な態度の変化に米太はミアの真意を測りかね、


「……な、なーんてな、じょ、冗談だよ。ほら、冷静に考えてどうかしてるだろ? ……本当すまん、今のは忘れてくれ!」


 慌てて謝罪し、誤魔化そうとする。しかし。


「……ノン」

「え」


「お断りです、ベイタ」


 ミアの一声に、米太はさらなる混乱の渦へと叩き込まれることになる。

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