第4話

 数週間後、信介が大量の食料と共に村を訪れた。兄である元治は精悍な顔立ちをしていたが、信介は凛々しい顔立ちをしている。そのため、村の女衆が信介を一目見ようと押し寄せた。

「まあ、素敵なお人! 涼やかな風でも吹いてそうだわあ。」

「ねえねえ、妻はいる? いないなら、うちの娘はどうかしら。」

 なんて、皆好き勝手に信介へ話しかけていた。信介は慌てていたが、やがて蕩けるような笑みで対応し始め、その様に女衆はより信介へと釘付けになった。


「この村の女の人たちは、皆元気があって喜ばしいですね。」

 我が家に来た信介はにこにことしていた。

「そうだな。元気がありすぎるくらいだ。」

「ところで、雨殿は?」

「ああ、雨は若葉のところへ手伝いにいっている。」

 雨は、週に何日か若葉の元へ行き、医薬の勉強を教えてもらっていた。雨は頭が良いらしく、若葉もよく褒めていた。雨自身も学ぶことが楽しいのか、よく若葉と勉学の話をしている。俺も、雨を見習って何か勉強を始めようかな。

「さようで。実は、ヤシオ殿にお話しがあるのです。」

「なんだ。」

「はい。最近、近辺で戦が起きているのはご存知ですか。」

「……ああ。」

「それでですね。次はこの村が襲われるのではないかという噂があるのです。」

「なっ……!」

 何で、この何もない村を襲おうとするんだ。村の人たちはいつだって優しくて、あたたかいものを俺に与えてくれる。そんなの絶対嫌だ。

「俺は、どうすればいい。」

「ヤシオ殿には、そうですね――」

 俺は信介の策を聞き、それに乗ることにした。信介は良かった、これで村も安泰ですねと笑っていた。



 作戦決行の日、雨に肩を叩かれた。

「どこ行くの?」

「ああ。ちょっと山の境目に行って山菜を取ってくるよ。」

 信介には、作戦を他言無用で願いたいと言われているので話さなかった。むやみに村人を不安にさせたくもない。

「ふーん。行ってらっしゃい。」

 雨は俺を訝し気に見ていたが、あっさりと手を振った。と、思いきや唇と唇が重なった。柔らかい。頭をしっかり掴まれたと思うと、雨の舌が割り込んできた。

「んっ……ふ。」

 ぴちゃぴちゃと水音がする。舌と舌が絡み合い、互いの唾液を嚥下し合う。俺の頭はふわふわして、まるで夢の中にいるようだった。しばらくの間、ずっと唇はくっついたままだったが、やがて離れていった。……しまった。やってしまった。

「良かった?」

 雨が満面の笑みで問う。

「良いわけないだろ、阿呆が!」

「いや、絶対気持ち良かったね。だって、ヤシオならおれを引き離すことなんて簡単でしょ。」

 俺はうっ、と言葉に詰まった。そうだ、自分がわからなくなるくらいには口吸いは気持ちよかったのだ。初めて唇を交わしてからというもの、俺はずっと雨に流されて何度もしてしまっている。これは非常にまずい。

「おれとしては、あともうちょっとかなって思ってるけど。」

「……行ってくる。」

 顔が熱くなるのを感じた。こんな自分を見られたくないと思った。俺は草鞋を履いて、約束の場所へと向かった。



 約束の場所は何の障害物もないだだっ広い平野だった。ここで間違いないだろうか。がさがさと音がした。どうやら来てくれたらしい。

「信介――、」

「動くな、鬼。」

 冷ややかな声を浴びせられる。俺は、人間に拒絶されていた日々を思い出した。そうだった、鬼は鬼。人間は人間。領分を間違えてはいけない。

 俺は銃を持った武士たちに囲まれていた。先導しているのは、信介だった。

「兄上は愚かです。鬼など、全て狩りつくすべきです。」

 信介は俺……、鬼を睨み付ける。

「鬼は、僕達からすべて奪う。あいつらは、人間の何もかもを踏みにじって生きている。鬼に、良いも悪いもあるか。」

「信介。」

「僕の名を呼ばないでください。不愉快です。」

 信介は嫌悪感を剥き出しにしていたかと思えば、急に笑い始めた。周りの武士もその様子に動揺していた。

「ははははは! 鬼が! 人間のように幸せに暮らす村などあってはならないんですよ! ……そんなもの、壊してやる。」

 肌が粟立つほど低い声音だった。待て、壊すとはどういうことだ? 胸の鼓動が早くなっていく。俺は何かを見落としているんじゃないのか。

「村の皆に何をするつもりだ!」

「……つもり、じゃないです。もうしましたよ。鬼の棲む村はこれでおしまい。ああ、かわいそうに。鬼であるお前さえいなければ、村人が全員毒で死ぬことはなかったのに。」

 背中に冷たい汗が流れるのを感じた。毒?

「鬼であるお前には効果は弱いが、着実に回ってきているはずでしょう。足元が歪んで見えませんか?」

 息があがる。手の震えがとまらない。毒を入れるとしたらどこだ。まさか、と最悪の想像に吐き気が催す。礼と称して渡してくれた品々に毒を入れていたっていうのか……! 

「皆、お前に感謝して。喜んで食べていたっていうのに! お前はそれを踏みにじるのか! どちらが鬼だ!」

「は、鬼に与する者どもなど、知ったことではありません。」

 返ってきたのは嘲笑だった。今、目の前にいるこいつを殺してやりたい。内臓も全部引きずり出して、これ以上のない苦痛を与えてやりたい。

「ただね、一つだけ村人たちが助かる方法があるんです。」

 人間の皮を被った鬼が人差し指を立てながら言う。

「その毒の解毒剤を僕は持っています。」

「よこせ。」

 俺はクソ野郎の胸倉を掴んでいた。取り囲んでいる武士たちは、主君に当たるとまずいと思ったのか、動くことができない。

「解毒剤をあげても構いませんよ。条件はありますが。」

「なんだ。」

「お前のこと、滅茶苦茶にさせてよ。」

 耳元で囁かれた言葉に、俺は頷くほかなかった。



 入口は鍵付きの柵がうちこまれている。手には手錠、足には枷が嵌められている。それらは逃げられないよう、鎖に繋がれていた。ぐるりと周りを見渡しても、石しかない。いわゆる、座敷牢というものだろうか。

 俺は、解毒剤を渡すという取引のもと、やたらと立派だった鷲尾家の地下室まで連れて来られたわけだが、具体的に俺を一体どうするつもりだろうか。

「やあ、鬼。元気そうだね。」

「……村の皆は?」

「あなたの頑張り次第ってとこですね。」

「……?」

「あなたには今から地獄に耐えてもらおうと思って。」

 化け物は恐ろしいほどまでに美しく微笑んでいた。手を見ると、何か道具のような物を持っている。俺をどうするつもりだろうか。

「じゃあ、はい。まずは爪剥ぎだね。」

 俺の手を取って機材を親指にかけて、上へとあげる。

「あああああああああああああああ!!!!!」

 爪がぺりぺりと剥がれていく。血が滲んでいく。指先は真っ赤で、激痛が走っている。

「うるさいな。まだ一本目だぞ。」

「へ……?」

 親指を取り外したかと思いきや、次は人差し指を機材にかけた。やめろ、やめてくれ。


 ぺきゃっ


 爪の剥がれる音がした。声にならない叫び声をあげた。目には涙が溜まる。ああ、そうか。これは罰なんだ。一族の皆を見捨てて、俺だけがのうのうと生きているから。だから、俺はこれを喜んで受け入れるべきだ。それに、村の人たちも助かる。いいこと尽くめじゃないか。俺は笑った。信介は、俺を見て舌打ちをし、「気持ちの悪い鬼が」と言い捨てた。

 それからというもの、俺は拷問、もとい罪を贖う日々だった。信介は飽きもせず毎日毎日この座敷牢にやって来た。暇なのだろうか。

「今、失礼なことを考えましたね。今日の分の罰は倍にしましょう。」

 ああ、皆、元気にしてるかな。俺は、薄れゆく意識の中で、ぼんやりと村の皆のことを思った。



 おそらく一通りの拷問は行っただろう。また爪剥ぎから始めるのだろうか。そう思ったが、今日はなにやら様子が違う。

「お前の角に触れる。」

 信介は冷ややかに言い放った。俺は顔が青くなっていたと思う。鬼の角は、一種の性感帯だからだ。

 信介の指がするり、と右の角を撫でた途端、全身に快感の波が押し寄せる。

「ふっ……はっ、あ、あ!」

「あはっ、鬼でもそういう色っぽい声だせるんですね。良い表情じゃないですか。これ、お前にべったりくっついていた青年にでも見せたら興奮しそうですね。」

 そう言う信介がいつになく興奮していた。鬼の性感なんて高めて何が楽しいんだ。角が信介の掌に包み込まれ、上下にしごかれる。

「あっ、やめっ、は、あ、っああああ!」

 全身がびくびくと跳ね上がる。はあ、はあ、と息が乱れるのを整えようとするが、角への猛攻は止まらなかった。角にすり、と優しく触れたかと思うと、爪でかりかりと削られる。快楽に溶けて、狂ってしまいそうだ。すると、もう一つの方の角にも手が伸びてきた。

「両方は嫌だ! 死んでしまう!」

「え? 快楽で狂い死ねるなら満足でしょう。」

 信介はしっかりと両方の角を持ち、激しく擦り挙げた。びりびりした快感が、股間を中心に広がっていく。俺のモノは確実に勃起していた。先走りも出ているような気がする。

「ふ……っ、はあっ、は、あ、」

「なぜ僕が鬼に詳しいと思いますか。」

「?」

 朦朧とした頭では何も考えることなどできない。角には絶え間なく触れられ続けた。強く、時に優しく。

「だってね、僕達兄弟は親を殺した鬼たちに、奉仕をしていたんですよ。」

「あっ、は、んんっ、はっ」

 奉仕。おそらく、それはご飯を作ったり、農作業を手伝うといったようなものではなく、性的な。

「十年ほど前のことでしたかね。戦続きで疲弊していたときに、町が鬼に襲われました。」

 今や、俺は強すぎる快楽に涙まで零していた。信介は淡々と語り続ける。

「力のあるものはすぐに殺されました。残ったのは、子ども達だけ。それで、命令されたんです。“命が惜しければ我々に奉仕しろ”ってね。」

 信介の瞳は虚ろだった。目の前に俺がいるにもかかわらず、誰も、何も、瞳に映し出していなかった。信介は俺の角を舌でべろりと舐めあげた。舌の生暖かさが伝わってくる。

「幸い、僕は後ろを使うことはなかったですが、無理矢理犯された子もいるでしょう。ああ、前はもちろん使いましたよ。精液を中に出してほしい、孕ませてって鬼の方からおねだりされてね。僕は怖かった。でも、兄上がいたから耐えることができました。どれくらいの日数そうだったかはわかりませんが、地獄でした。本当に、鬼には地獄がよく似合う!」

「っ、あっ、ああっ」

「何とか日々を過ごしていたところ、やっと鬼殲滅の精鋭部隊が派遣されて、僕達は救出されました。でもね、その頃には僕はもうだめだったんですよ。」

「あ~~~~~っ、やめ、そこ、いやだっ、あ」

「僕、鬼と交わることに夢中になっちゃって。必死に腰を打ち付けて。鬼を孕ませようとすることに、生きがいを感じるようになってました。……ねえ、ヤシオ。」

「ふ、は」

「僕の性玩具になってください。」

「なに、言って」

 信介は俺の尻を揉んだ。指を尻のすぼみまで滑らせていく。散々感度を高められていたので、そういった触れ合いにさえ反応してしまう。

「鬼は、ここに入れて交尾し、子を成す。雄雌関係なく。ああ、雌だと人間同様の器官があるんでしたっけ。だから雌の方が孕む確率が高くなる。」

 尻のすぼみを指でぐりぐりと押される。思わず息が漏れた。

「そうだ、僕の子どもを孕むといいですよ! 屈辱ですよね、他に愛しい人がいるのに他の雄の子を産むだなんて。」

 体に全然力が入っていないせいで、俺は簡単に背中を押され、四つん這いの恰好をさせられる。気付けば尻だけをあげる形になった。くそっ!

「まあ、その愛しい人は死んでるでしょうけど! ははははは!」

 愛しい人――、そうだ、俺はまだ。体に力を入れる。信介は反抗されると思っていなかったのか、慌てていた。

 ふと、ある顔が思い浮かんだ。いつもへらへら笑ってて、でも仕事に対しては一生懸命で。料理上手だけど、ちょっとしたことで拗ねる子どもっぽいところもあって。なんだかんだいって穏やかで優しいヒト。

「あめ」

 俺が愛しい人の名を呼んだとき、ガコン、と座敷牢の壁が壊れる音がした。

「ヤシオ!」

 俺が欲しくて堪らなかった、懐かしい声が聞こえた。

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