第19話 琥珀色の出汁



「いったい何を作るのよ?」

「そいつは出来てからのお楽しみだな」


 待ちきれずに、後ろから首を突き出して手元を窺う私にナツメは苦笑する。


 彼が魔法鞄から取り出したのは、新鮮なラピッドラビットの肉とオニオン、それから見慣れない長細い筒状の草と、真っ黒い板状の何かだった。


「その板状のものは何……?」

「ああ。昆布って言う海藻があってな、これはそれを干したものだ。海産物なんかは特に、干す事によって旨味が凝縮される。今回はこれで出汁を取るんだ」

「出汁?」

「そう。フォンの一種だよ。料理の基本だ。個人的には、汁物なんて出汁をきかせておけばどうにでもなると思っている」


 フォンの一種と言われて思い出すのは、やはり大将の店で口にしたビーフシチューの事だった。

あのフォン・ド・ヴォーの風味は絶品だった。


 ごくりと再度、無意識に唾を呑み込む。


 ナツメは鍋に少量の水を張り、火にかける。

湯が沸くのを待つ間に、固く絞った清潔な布で昆布の表面をさっと拭き、鍋がグラグラといって湯が沸騰し始めた頃に火から下ろし、そこに昆布を投入する。


 何故昆布を水洗いしないのかと訊ねると、表面の旨味成分まで洗い流されてしまうから、との事だった。



「出汁の方はこのまま放置だ。本当は煮出す前に暫く水につけておいた方がいいんだけどな」

「そうすると、今回のやり方と何が変わるの?」

「出汁が取りやすくなるんだよ。あと、時間があれば兎の骨から取ってもいい。だけどお前、何時間も待てないだろう? だから、今回は手っ取り早い方法をと思ってな」


 調理には手際の良さも重要な要素の一つだ。

それを体現するかのようにナツメは出汁が煮出されるのを待つ傍らで、肉とオニオン、それから筒状の草を刻んでいく。


「その草は何?」

「これは長葱だ。別の呼び方だと、リーキ、ポッロ、ポロネギだっけか? 野菜の一種で、まあスタンダードなこの料理にはあっても無くてもいいんだが俺は入れたい派だ。鍋物やスープなんかには定番の食材だな」


 ナツメが当たり前のように語る知識は私とってどれも耳新しいものばかりで、どんな味がするのだろうかと想像を膨らませる。

ナツメが作るのもスープか何かだろうか?


「よし、出汁はこんなもんだな」


 そんな声と共に鍋の蓋が取られると、ふわっと礒の香りが鼻先を漂った。

食欲をそそるその香りに身を乗り出せば、澄んだ琥珀色のスープがお目見えをする。


 ナツメは琥珀色の出汁の中から、お玉で昆布を掬い取った。


「あ……」


 好奇心に負けて手を伸ばした私にナツメは間抜けな声を発した。

それに構わず皿の上に出されたそれをひょいと摘まんで口に入れる。


「……不味くはないけれど、味があまりしないわね」

「そりゃあ当たり前だ。そっちは出し殻だからな。こいつをひと口飲んでみろよ」


 独特のねっとりとした歯に貼りつくような食感に戸惑いながら感想を述べると、ナツメは小皿を差し出してきた。

そこには黄金に輝く出汁が僅かに注がれており、水面からは幾筋もの湯気がゆらゆらと立ち上っている。

その湯気が運ぶ香りに誘われるようにして、小皿に唇を寄せる。


 黄金の水平線は揺らぎ、傾いて私の口の中に飲み込まれた。

舌先に触れてはじめて熱々だった事を思いだし、はふはふとやりながらも初めての味に目を見開く。


「美味しい……」


 月並みな表現だけれど、それが一番適当な表現に思えた。

フォンといえば代表的なものは動物由来のもので、植物を煮込む事でこんなにも深い味わいを楽しむ事が出来るのかと驚く。


 一息に飲み込んでしまった事を後悔した。

脂っこさが無く、すっきりとした風味ながら、後を引く旨味がある。


 もうひと口、貰えないだろうか?

そんな思いで空になった皿とナツメの顔を恨めしげに交互に見比べると、彼は笑いながら皿を受け取った。



「おかわりは無しな」

「なっ、この鬼ー!!」

「お前、望むがまま、望まれるがまま、欲望の為すがままにおかわりしてたら、全部飲み干しちまうだろうが」


 期待させておいて、さらっとおかわり無し宣言をするナツメは性格が悪い。

それでも、反論された内容を否定しきれないのだから、仕方なかった。

自分でもやりかねないと思ってしまうのだから――。



 ナツメはカットした兎肉の表面を軽く焼き、オニオンも軽く炒めてから先程の昆布出汁と長葱、それから砂糖を入れて新たに鞄から取り出した謎の黒い液体を鍋の中に掛け回す。


「これは醤油またはソイソースと言って、俺の故郷では万能調味料との呼び声が高い。特に、この醤油と出汁の組み合わせは最強と言っても過言ではないな。こっちには無いだろうと思って諦めかけていたところに大将が平然と使っているのを見て、無理を言って交換条件付きで分けて貰ったんだ。かなり貴重な代物なんだからな?」


 今度はナツメが先回りする形で説明をしてくれた。

大将の薫製きんせいと聞いて、ますます興味をそそられる。

小皿に少量注がれたそれをよく見ると、黒ではなく赤褐色をしている事が分かった。


「さっきと違って結構塩辛いから、ちょっと舐めるくらいにしとけよ」


 そんな言葉に従い、小指の先にちょこんと付けて口に含む。

舌先でそれを掬い取った瞬間、最初に感じたのは塩気だった。

続いて、ふくよかな甘みが口内を支配する。


 不思議でたまらないのはさっきの出汁にしろ、この醤油にしろ、それが基礎調味料に属する事だった。

ナツメの話では、彼の故郷の人々は大抵の料理にこのの醤油や出汁を使うらしい。


 特に出汁の方はそのまま飲んでも美味で、それで完成系では無いのかと首を傾げてしまう。


 しかも醤油に至っては調理段階だけでは無く、各々が自分の好みに合わせて食事のテーブル上で使うケースも多いというから驚かされた。


 料理人はしばしば、自分の料理を作品と呼んで愛でている。

それゆえに、盛り付けまでこだわって絶妙なバランスで調整され、完成された自分の作品に手を加えられるのを嫌がる者が多かった。


 パンに付けるジャムやバターがテーブルの上にあるのは珍しくないが、ソースは料理と同じ皿に添えられているか、さもなくば料理そのものに掛かっているのみだ。

料理人の、作品へのこだわりが理解出来るだけに、ナツメの話は信じがたかった。


「まあ、ひと口も手をつけずにジャブジャブ掛けてしまえば大抵の場合、さすがに顰蹙(ひんしゅく)を買うけどな」

「テーブルの上にご自由にお掛け下さいと言わんばかりに置いてあるのに、自由に掛けたら怒られるなんて理不尽だわ」

「物には限度があるって事だな」


 ナツメの故郷のテーブルマナーは複雑奇怪だと思った。


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