7

 とうとう雪が降りだすと、あっという間に寝雪となり寒さ厳しい真冬になった。


 あのスズメはすっかりなつき、雪が降りだす少し前からオイラのふところもぐり込んで過ごすようになった。懐いたのではなく、暖がとれる絶好の巣とでも思われたのかもしれない。しかもえさ付きの。


 仕方ないので夜はこっそり家に連れて帰った。するといつしか昼間もオイラの部屋に居つくようになり、捕まえようにも飛び回って逃げるのでそのままにしておいた。火を付けておく訳にはいかないけれど、部屋の中なら雪の降る外よりはずっと暖かいだろう。


 毎日少しだけ野菜屑を持ち帰っていることに親方も番頭さんも手代のおニイちゃんもきっと気が付いている。店先にスズメが来ないことに気が付かないはずもない。親方はパン屑を部屋に持ち込んでいる事にも気が付いていただろう。だけど誰も何も言わなかった。親方がいつも部屋はきれいにしろ、と言うのは前からだ。


 スズメはとても大人しく、棚の上のほうでオイラを見降ろしていた。水は小皿に入れてあげたけど、ある日、狭苦しそうに水浴びしているのを見て少し大きい椀に替えてあげた。


 何かしてあげるたびにスズメは頬をつつきに来た。頬をつつくのが好きなのか、嬉しいとスズメはそうするものなのか、わからないままオイラはスズメの好きにさせている。


 ただ、もう餌をくわえてどこかに飛び立つことはなくなった。今のスズメに仲間はいないのだろうか。


 新しい店を出す話は資金繰りがうまくいかないままだ。近頃は親方とヤツが言い争うことも増えた。


「大体お前の商売はどうなっている? お前が糸を持っているのを見たことがない」

「仕入れの最中だと言っただろ。この雪で遅れていると言っただろう」


殴り合いになったことはないが、切れたときの親方を知っているオイラは早々に自分の部屋に引っ込む。するとスズメが棚から肩に飛んできて小さくチュンチュンと耳元でさえずる。


「大丈夫だよ」

怒鳴り声に怯えているのだ。指先を目の前に出してやるとそっと頬を擦りつけてくる。


 可愛い、と思った。可愛いと思える存在がこんなに慰めになるとオイラはスズメから学んでいた。


 母ちゃんはオイラを可愛いと思ってくれていたんだろうか。オイラがいなくて母ちゃんは寂しくないんだろうか。物思いにふけっていると、チッとスズメが肩から棚の上に飛び移った。と、いきなりドアが開いた。


「よお、カワイコちゃん」

入ってきたのはヤツだった。


「ちょっと話そうや」

 話すことなんかない、そう言いたかったが言ったところで聞くはずもない。いつでも逃げ出せるように身構えるのがやっとだ。


「そう怖がるなって ―― お前、ずっと西にある街の出だろう?」

探るような目でのぞきこんでくる。

「思い出したんだよ、どこかで見た顔だと思っていた。お前、母親そっくりだな」


何が言いたい? オイラの母ちゃんを知っているのか? でも、だから?


「酒蔵の旦那、必死にお前を探しているよ。あんな金持ちに大事にされて『お坊ちゃま』って呼ばれてたんだって? あの旦那、相当お前を気に入ってるね。どんな尽くし方をしたんだい? 役人に探してくれって頼んでいるし、見つけてくれた人にはお礼に大金をくれるそうだ」


 顔から血の気が引くのが分かった。ひざの震えが止められない。


「お前の親方、役人と話を付けるため出掛けたよ。お前、結局売られちまうんだな。いいや、売られた先に戻されるだけか」


「親方がオイラを売ったりするもんか」

思わず叫んだ。

「オイラをちゃんと育てるって」


「じゃあ、なんで今いない? ここでこんな話しをしているのになぜ来ない? 家にいないからだ。どこに行った? お前を売りに行ったんだ」


ヤツのニヤニヤ笑いは何を物語る? 


 親方はどこに行った? まさか、ヤツの口車に乗って苦しい八百屋の修行より金持ちの『豊かな』生活のほうがオイラのためだと考え直したか? その上、礼金が手に入ればどちらにとっても良い事尽くめじゃないかと思いなおしたか? 


 いや、そんなはずはない。『衣食住足りたって幸せとは限らない』そう言った親方がオイラをあの屋敷に戻そうと思うはずがない、金に目がくらむ人じゃない。


 チュン、とスズメが棚からオイラの頭の上に降り立った。驚いて頭を動かすと、頭に乗っていられなくて、チチチとしきりに鳴きながら部屋を飛び回る。


「ごめんよ、びっくりしたね。こっちにおで」


「なんだ、その鳥は」


 手を伸ばしてヤツがスズメを捕まえようとするが捕まえられっこない。ヤツが入ってきて開けたままのドアからスイっと台所に出てしまった。そしてやっぱりチチチと鳴きながら台所を飛び回り、食堂を飛び回り、ヤツにつかまりはしないけれど、オイラのところにも戻ってこない。


「おい、何とかしろ、外に出しちまえ」


とうとう怒鳴り始めたヤツが外に通じるドアを開けた。


 慌てて閉めようとしてドアに駆け寄ると、あれだけ逃げ回っていたスズメが急にオイラの肩に降り、頬をツンツンと突いた。オイラをじっと見つめてドアを見た。行ってしまうのか?


 が、スズメは肩から動かない。視界の端にヤツがスズメを ―― いやオイラをか ―― 捕まえようと、身構えているのが映る。逃げなきゃ、逃げなきゃ何が起こるかわからない。


 オイラがドアの外に一歩踏み出すと同時にスズメはスルリとふところもぐり込んだ。ヤツの手が後ろで宙をつかむ気配を感じた。そこへ思い切り勢いを付けてドアを閉め、街の中へ飛び出した。


(そうだね。取りえず、今はこの家を出よう)


 走りだしたオイラを呼ぶヤツの声が後ろから聞こえる。かまわずオイラは全速力で走った。追ってくる様子はない。雪の中を走るなんて、きっとヤツにそんな根性はない。


 雪は深々しんしんと降り続いている。

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