第12話 ベタ雪

 職場の忘年会は、仕事締めの二十八日にあった。いつもはもう少し早いのだが、今年はどこかの部署の案件が詰まっていたらしく時期がずれこんだ。だからか、参加しない人間も多かった。根暗な同期はいなかった。私にしても、散々欠席しようかと思い悩んだが、今後の人間関係が気がかりで、結局、一次会だけ出席することにした。席は部署毎に纏められて、自然、いつも静電気を散らしている女性陣との会話に加わることになった。会話の内容は子育てのことや今年の業務の愚痴、それに、他部署の噂話。その会話の殆どを、相づちだけで乗り切ることが出来た。

 しかし、あと三十分で終わるというところで、二十四日に擦れ違った先輩と目を合わせてしまった。

「そういえば、相羽さんクリスマスにすすきので男の人と歩いていたじゃない」これみよがしに彼女が言うと、忽ちそれが話題の中心になり、要らない注目を浴びることになった。

「相羽さん、彼氏いたの!?」別の先輩も驚いて、「いや、ただの友達ですって」と笑いながら流そうとすると、例の擦れ違った先輩が「とか言って、手繋いでた癖に」わざとらしいタイミングで補足情報を付け足す。事実を考えれば、繋いでいたというよりは、引っ張られていた。それからは、私が一言も言わぬ間に、木元が線の細い長身であること、二重であること、独特な雰囲気があることが、彼女の主観で語られていた。彼女が連れていた、恐らく年上の、冴えない男に関しては年収と職業しか聞いたことが無い。

 そして、彼女達の興味の矛先は木元の職業に向かい始めた。もう話を流すことは不可能な雰囲気、隣に座っていた先輩が小声で、「芸能関係?」と聞く。彼女は私の直属の上司で、新人の時代はよく面倒を見て貰った。木元が働いているのかは甚だ怪しいところだが、一応そうだと答えた。すると、彼女は声を大にして、「芸能関係!」と驚いて見せた。すると、彼女たちは余計ざわついた。

 得意な気分は全く無かった。「恋人では無い」という言葉も、全く通用しない。どういう行動を伴えば良いのかも見当が付かない。この集団の前では、この間の河南以上に会話が不能、それから初めに話を切り出した先輩、大して近くも無いホテル街の位置関係を、あたかも私たちが向かっていたかのように説明し始めた。これには流石に困惑を通り越して憤りを感じ、「そういえば、先輩と歩いていた人ってお父さんですか? 家族仲良いんですねえ」わざとらしく無知を装うと、むっつりと黙った。周りの人間も、それで察した空気、頃合い良く、閉会の挨拶を社長が始めた。


 その日は気持ちがくさくさしてしまって、そのままサクラさんのバーに向かった。地下に向かう階段の入り口、シャベルを雪に突き立てた木元が佇んでいる。中途半端に除雪され、道路脇には腰の高さほどの雪。それに寄りかかって、手袋もしないで、彼はこの間と全く同じ服装でいる。私を見ると、「おう!」元気よくいつもの挨拶をする。

「なにさ、しっかり働いてるじゃん」

「いや、雪かくのも緩くねえわ。ちょっと手伝ってくれる」

 見ると、彼は額に汗を浮かべている。真冬に汗をかくと、あっという間に凍える。ダウンコートを着込んでいても、しっかり体は冷えるのだった。押しつけられたシャベルを、おざなりに雪に突き刺し始めた。持ち上げるとかなり重い。表面は粉雪だったのに、地面の方は水気を吸った重い雪になっている。

「うわ、すごいベタ雪」

「ほんと、そうよ。きっついわ、腰」

 木元は、彼が積み上げたらしい雪に尻を埋めて、タバコを吸い始めている。煙草の先の赤い光、蛍のように脈を打つ。

「年末になって、良くも悪くも人間関係が動いたわ。私」

「俺もだわ」木元は平然と同調した。「演劇だけやってれば満足だと思ってたんだけどな。俺もいい歳ってことなのか、色々期待されるようになっちまった」

「劇団の人とは、忘年会した?」

「そういうのはわざわざ開かないでも、稽古終わりにいつも飲んでんだわ」

「そっか」

 木元の生活が堪らなく羨ましい。楽しいことばかりではないことは知っている。客が来ないことも、将来の不安も、彼の吐く愚痴で知っているけれど。

 境界の人……私と木元は、その概念に近い。敢えてそうなろうと思って生きてきたわけでもないのに、ぼーっと生きてきて、いつの間にかそうなった。北に行けばマジョリティがあって、南に行けばマイノリティがある。どちらが肌に合っているというのでもないが、どちらも嫌いなわけではない。私たちは、どうしようもなく個人なのだ。将来のモデルとする先例を知らず、だから、誰かに亡命の手伝いを頼まれたとき、自分がどう行動するのかが分からない。

 木元はどうなんだろう。

 雪を掻き上げる最中、ふと、そんな思いが湧いた。私の書いた台詞と、ト書きの行動、それらに意味を与えるのが彼の役割。それでそのまま尋ねてみると、「それは、観客の解釈に依るだろう」という答えが返ってくる。そこで思い出したが、「境界の人」に明確な終末は無いのだ。小国の女の手助けをするかどうか、そこは舞台では語られない。ただ、彼は悩んで、悩んで、それっきり。彼が亡命の手助けをするかどうかは、観客の想像力に委ねられる。脚本を書いていて、私自身が複数の未来を想像して、決まらず、いや、決めない方が良いのかも知れない。そういう経緯でけりをつけたのだった。だから、記憶がぼやけていた。その事実に気が付いたとき、ちょっと愕然とした。私はそんなに木元の舞台に興味が無かったのだろうか。

 いや、違う。

 知らぬ顔をしていたのだ。自分自身の未来、過去のこと。

 雪の降らぬ、真冬の晩だった。つんと鼻を突くほどの寒さ、少し離れたメイン通りの方から、車の雪を跳ねる音、救急車のサイレン、イルミネーションの光が喧噪らしく漏れ出ていた。私たちのいる通りは、それを味わえるくらい静かだった。

 地下の方からサクラさんが顔を出して、「そろそろ戻っておいで~」と言った。

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