異域之鬼

江野ふう

起 壱

 私が那由汰なゆたに出会ったのは、玄武門の薄暗がりのなかでした。

 西の空から急に暗くなりましてね。稲光が見えたかと思うと耳をつんざくような大きな音がして、雷が近くに落ちたなと思いました。私は慌てて門に入ったのです。


 その時の私はまさに職を失わんとする瀬戸際のところで、ほぼ無一文でした。

 師事していた先生が行方を暗ませたのです。困りました。偉い先生でした。土岐とき朱時あけときというんですけどね。名前ぐらいは聞いたことありますでしょう?――ない?東西一の仏師ですよ。仏様を彫ったなら極楽浄土がうつつに現れたと。噂が噂を呼んで、はるばる都からも注文が来ましてね、行方を暗ませたというのも、先生が都に行った際のことでした。

 留守を任されていた私は、そのことを手紙で知りまして、釼持けんもつ国から先生を探しに出てきたのです。


 門に入った私は後悔しました。

 折からの飢饉のためか、そこかしこに亡骸が打ち捨てられていました。老若男女いたと思います。腐乱が進んでいて区別ができる状態ではありませんでしたが。

 ひどい死臭が漂っています。あまりの臭いに私は我慢できずにしばらく嘔吐していました。涙目になりながら、何度もゲェゲェ吐いているとそのうち、腹の中も空になって、透明な体液だけが出てきます。

 このままだと、私もここに横たわる名もなき屍と同じになるかもしれない。ここにいてはいけないと思いました。ここで一晩明かすぐらいなら、土砂降りの中ひと思いに雷に打たれたほうがマシじゃないか――。

 そう思ってもと来た道を引き返そうと闇雲に足を出したら、足元にあったモノに引っかかって転びました。何だと思って拾ってみると、髑髏しゃれこうべです。


「ひゃっ」


と声を上げたのを覚えています。自分でも情けなくなるような声でした。

 後ずさった拍子に背後にあったむくろを踏んで、後ろに転んだ。あの骸のぬるりとした感触も忘れられません。肉の腐ったのを踏んづけたのです。

 転んで尻餅をついた際に床に手をついたものだから手も汚れましてね。手のひらを見ると赤くはないんですよ、緑色なんです。血は腐ると緑色なんですね。


「ひゃあああああああ!!!」


 腰が抜けました。四つん這いになって無我夢中に這いずり回っていると


「うるっせぇなぁ!いっそお前を死体にして黙らせてやろうか!?」


 という声が響きました。


 薄暗がりのなかに自分の他に生きた人間がいるとは思いませんでした。

 驚きましたが、同時に同じく生きた人間がいるから助かったという妙に嬉しい気持ちになりました。安堵したのでしょうか。罵られたというのに心がウキウキしたのです。

 それで、声のしたほうを振り返ると、白い光がぼうと見える。

 なんだろうと思って目を凝らしてみると、それは抜き身の太刀でした。

 顔の前で鞘から太刀を引き抜いた大男が、にぃと歯を見せわらっています。

 

 死んだ人間よりも生きている人間のほうがずっと恐ろしいと申しますが、全くその通りでございます。背筋がゾッと凍りました。


「すみません!すみません!どうか!!!命ばかりはお助けください!!!」


 私は必死で命乞いをしました。

 すぐさま逃げたかったのですが腰が抜けていてうまく立ち上がれません。

 

「だーかーら!うるせぇから黙れって言ってんだろ……ったく」


 那由汰は怯えきって小さくなっている私を見て呆れていました。

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