堕ちた聖女の願い

わたくしは己の罪深さを知っています。だから処刑には何の異存もありません。

 ただ、一つだけ心残りがあります。お集りの皆さま、わたくしの懺悔と心残りを聞いていただくため、どうかしばしのお時間をいただきますようお願い申し上げます」


 処刑台の上で後ろ手に縛られながらも凛として立つフェルの姿は美しい。丸刈りにされ、拷問で顔にも身体にも醜い痣が無数に散っているにもかかわらず、彼女の姿は見る者に有無を言わせぬ気迫と清冽せいれつな精神を感じさせるものだった。


「終戦からはや半年。戦地に駆り出された人々もようやく家路につき、平和な日々が戻って参りました。

 その中で、王家は女性や子供たちを戦場へ送り、無惨むざんな地獄で野垂れ死にさせた事実を隠蔽いんぺいしようとしています。

 復員兵はわずかな年金で口を封じ、戦死者に至っては公的記録から抹消して存在自体がなかったかのように装っています」


 切々と訴える彼女の言葉は事実だ。

 ここは小さな街と森林に飲まれかけた寒村がいくつか寄り集まっただけの、吹けば飛びそうな北辺の小国だ。それが大陸全土を巻き込んだ大戦の渦に放り込まれ、大国の侵略の魔の手を逃れるためには女子供も総動員せざるを得なかった。


 そして戦後、我が国は侵略者どもを退け、平和な暮らしを取り戻すことができた。これから我が国が繁栄を勝ち取るためには、女子供を盾にして我が身を守った過去は邪魔になる。

 だから復員兵は年金で口を封じ、戦死者は戸籍から抹消して最初からいなかったことにしたのだ。


 豊かで華やかなのは王宮内の王侯貴族だけ、誰もが困窮していた。悲惨ひさんで血みどろの戦場の記憶は、誰にとっても忌まわしく、一刻も早く忘れ去りたいものなのだ。だから遺族も復員兵もわずかな金で口を噤んだ。


「平和な日々の中、陰惨いんさんな戦場で血に塗れおぞましい行為を強いられた、惨めな記憶の残滓ざんしは誰しも消し去りたいものでしょう。

 しかし、人は記憶と記録から消えてしまえば簡単にその存在を失ってしまいます。わたくしの戦友、六人の衛生兵たちも戦場でその生命を散らしました。

 そして戸籍からも学校の卒業名簿からも抹消され、遺族はいつの間にか姿を消し、彼女たちの生きた証はもはやわたくしの記憶だけです。わたくしが生命を失えば、彼女たちの存在は永遠に失われてしまうでしょう。

 ですから今ここにわたくしの処刑に立ち会う皆様には、わたくしの代わりに彼女たちの存在を覚えていてほしいのです」


 全てなかった事にするのが今を生きる誰にとっても都合が良い。それをこの女は台無しにするつもりだ。一体何のために。そんなことをして、誰が得をするというのか。


 やはりもっと早く殺しておくべきだった。全ての名誉を奪われ賤しい売女として惨めに屈辱に塗れた姿を晒すことで、彼女の名声とそれにまつわる不都合な真実を葬り去るつもりだったが、秘密裏に病死に見せかけ消しておいた方が良かったのではないか。

 僕のそんな後悔とは裏腹に、彼女の言葉は淡々と続いていた。

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