EPISODE39 日常的な夜

 やれることはすべてやった。

 途中日向美衣華の挑戦という邪魔はあったものの。仕上がりは当初の想定を超えて、素晴らしいものになったと確信している。

「よくやった、スカーレット」

 練習用のセットアップボトルの中。銃口を下げたスカーレットに、蹄人は優しく囁いた。

 目の前には、中心をきっちりと撃ち抜かれた無数の的が、不規則に移動していた。本来は規則的な動きしかできないところを、巻に頼んで改造してもらったのだ。

 もっとも。これは「練習」の後の、仕上げのようなものなのだが。撃ち抜かれた無数の的が、スカーレットの仕上がりを物語っているだろう。

「このぐらいにしておこう。お疲れ様」

 蹄人の言葉に、スカーレットは頷いて。二人の意識がゆっくりと分離する。

 視覚同化が解除されて、蹄人が顔を上げると、ちょうどスカーレットがドームの外に戻って来たところだった。

 もはやすっかりお馴染みとなった、巻の工房兼自宅。といっても今は、巻はカットとミルキーウェイを連れてかいだ医師に言っているため不在なのだが。

 ごちゃごちゃと物が置かれた、薄暗い部屋の中。スカーレットはソファーに腰かけた蹄人の隣に並び立つ。

「……」

 ポケットからスマートフォンを取り出して、電源を入れると。画面には「12月30日」の日付が表示されていた。

 二週間という時間は、長いようで案外短いものであり。期末テストと毎日の練習に追われているうちに、あっという間に過ぎ去ってしまった。

「蹄人、不安、なのか」

 無言で画面を見つめる蹄人に対し、スカーレットが心配そうに顔を覗き込んでくる。蹄人はそんなスカーレットに軽く微笑み、スマートフォンを仕舞った。

「大丈夫。ただちょっと……実感が湧かなくて」

 大勢の観客が見守る中、どん底へと叩き落されたあの日。何度も悪夢を見て、もう二度と人形と契約することはない、独りで生きていくのだと、諦めきった毎日。

 雨の中でのスカーレットとの出会い。人形決闘部を壊滅させ、萌木極に煽られて、梅太郎と再会した。

 そして。あの時自分を見放したミルキーウェイと和解して。明日、今度はスカーレットと一緒に、あの時の対戦相手だった蒼井結翔に挑もうとしている。

 本当にこの数か月は、色々なことがあった。スカーレットとの出会いも、ミルキーウェイとの和解も、蒼井結翔との再戦も。あの日からずっと塞ぎ込んでいた自分には、思ってもみなかったことだった。

 いつの間にか、スカーレットが蹄人の隣に座っていた。無言で差し出された片手に、蹄人は己の手を重ねる。人形特有の硬く冷たい肌触りが、今はむしろ心地よかった。

「……スカーレット」

 掛け替えのないパートナーの存在を確かめながら、蹄人はスカーレットに囁く。

「僕と契約してくれて、ありがとう」

 心からの感謝と共に蹄人が静かに頭を下げると、スカーレットは呆れたようにはにかんだ。

「契約をしてくれと頼んだのは、私の方じゃないか。こちらこそ、私と契約してくれてありがとう、蹄人」

 確かにあの時。スカーレットの方から契約を求められたのだ。自分を道具として扱ってくれる、だからこそ蹄人と契約したいのだと。

 最初の頃はお互い、前のパートナーによって刻まれた傷がまだ残っていて。その傷を埋め合うように、結びついたともいえる。

 それが今じゃ、最高の相棒になってしまった。まったく、この世界に変わらないものは何もないと、つくづく思い知らせてくれる。

「僕の『道具』として、明日は共に戦ってくれるか、スカーレット」

 あえて「道具」という言葉を使い。蹄人が問いかけると、スカーレットは目を閉じて頷いた。

「もちろん。私はいつだって、藍葉蹄人の最高の『道具』だからな」

 信じられるのは、己の腕と「道具」のみ。人形決闘の世界で、いつだってそれは変わらないと思っている。

 たとえ二人の関係がどれだけ変化しようと、変わらないものもあるのだ。変わらないからこそ、尊いものもあるのだ。

「……本当に」

 スカーレットが目を開くと同時に、今度は蹄人が静かに目を閉じる。

「君と出会えてよかった」

 返事はなかった。その代わり握られた手に、優しく力が籠められるのが分かった。

 心地よく満たされた沈黙が、部屋の中を支配する。目を開き、スカーレットと見つめ合っていると、この世界に二人だけしか存在しない気がしてくる。

 人形と人間、人形師と道具。違いこそあれど、お互いの心は確かにつながっていることが、はっきりと感じられた。

 どれぐらいそうしていただろうか。不意に扉が開く音がして、蹄人ははっと我に返った。

 同時に部屋の電気が付き、両手に紙袋を持った巻が、入り口付近でにやついていた。

「ただいま。これはまたお熱いことで」

「……うるさい」

「はいはい。それより、メンテ用の道具と夕食買ってきたぜ。奮発したんだから、感謝しろよ」

 巻に続いて、それぞれ袋を持ったカットとミルキーウェイも、部屋の中に入ってくる。カットの持つレジ袋からは、総菜のいい香りが漂ってきていた。

「今、支度しますね」

「ん、頼む。ミルキーウェイはこっち。それ、全部メンテ用のやつだから」

「分かりました」

 てきぱきとテーブルの上を片付け始めるカットの横を、巻とミルキーウェイが工房に向かって歩いていく。

「マッキー」

 そんな巻の背中に蹄人が声をかけると、巻は立ち止まって振り向いた。

「何だよティト。メンテするにしても、まずは飯ぐらい食わせろ」

「ありがとう」

 いくらスカーレットのメンテナンスに必要なものがあるとはいえ、紙袋4つも買うなんて明らかに多すぎる。そもそも夕食とメンテ用の道具を買いに行くだけなら、巻とカットだけで十分なのだ。

 それでも巻が、ミルキーウェイを連れて行ったのは。蹄人とスカーレットを、二人きりにするためなのだろう。巻のさりげない気遣いには、本当にいつも助けられている。

 巻は軽く息を吐くと、紙袋を揺らして蹄人に背を向けた。

「明日、絶対勝てよ」

 否定も肯定もしないところが、巻らしい。工房に入る巻の背中に、蹄人は小さく頷いた。

 言われなくても、そのつもりだ。ミルキーウェイとの関係が、歪み切った状態で挑んだ前とは違う。強く結ばれたスカーレットと一緒なら、蒼井結翔にだって勝つことが出来ると、冗談抜きで思っている。

 そして、もしも蒼井結翔に勝ったときは……なんていう考えを、蹄人は素早く断ち切ると、テーブルの上に視線を向けた。

 テーブルの上はすっかり片付いて、カットが用意した皿に、フライドポテトや唐揚げを並べている。美味しそうな総菜の数々に、蹄人は自分が空腹であったことを思い出した。

「蹄人」

 無意識に腹部をさする蹄人に、スカーレットが声をかける。

「しっかり食べて、しっかり休んでくれ。私が万全でも、君が万全でなければ勝負にならない」

「……言われなくても」

 目の前に置かれた箸を手に取って、「いただきます」と呟いてから、蹄人はマカロニサラダを口に運ぶ。

 カットの料理も最高だが、総菜も悪くはない。マカロニサラダのほのかな酸味をしっかり味わってから、蹄人は支度を終えたカットを呼び止める。

「そうだカット」

「はい、どうしましたか」

「もし僕が勝ったら、その時はいつもの夕飯を用意してくれないか。僕にとっては、それが何よりのご馳走だから」

 蹄人の頼みに、カットは即座に頷いて、模造繊維の服の袖をまくる。

「もちろんですとも。実はそのために巻に頼んで、料理オプションをアップデートしてもらいましたから」

「それは楽しみだ……期待してる」

 蹄人が食事を再開すると、工房から巻とミルキーウェイが戻って来た。巻も蹄人の前に座り、広げられた総菜を食べ始める。時々人形たちと、何気ない会話を交わしながら、皿の上の総菜はどんどん減っていった。

 いつもの食卓に、いつもの会話。明日は大晦日で、エデンズ・カップの開催日で、蒼井結翔との再戦がある。だが前の晩は、普段と何も変わらない、日常的な夜が過ぎてゆく。

 これでいい、むしろこれがいい。下手に気張ると緊張して、眠れなくなってしまうだろうから。意識を張り詰めさせるのは、朝起きてからで十分だ。

「ごちそうさま」

 買ってきた総菜を綺麗に片づけた蹄人が箸を置くと、巻もお茶を一口飲んで頷いた。

「それじゃ、明日は楽しみしてるぜ。チケットは取れなかったけど、カットと一緒に生放送見てるからな」

「もちろん、楽しみにしていてくれ」

 蹄人とスカーレットがほぼ同時にそう言って、ガッツポーズをして見せると、巻とカットは顔を見合わせて噴き出した。

「……応援してます」

 後を追うようなミルキーウェイの呟きにも、蹄人は静かに頷く。

 大勢の支援者がいる蒼井結翔と違って、自分を応援してくれる者は少ないけれども。巻たちの言葉には蒼井結翔のファンが送るものの、何十倍もの感情と意志が籠っている。

 たとえドールマスターだろうと、負けるわけにはいかない。勝負事に使う言葉ではないが、あえて言うならそう、絶対に。

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