第五期 元相棒編
EPISODE27 緩やかな地獄
去年のラストホープ・グランプリで、藍葉蹄人との契約を断ち切った後。
否、五年間共に歩んできた、藍葉蹄人を見捨てた後。
ショックのせいなのか、針の痛みによるものなのか。気を失って倒れ込んだ蹄人を残して、ミルキーウェイは舞台から去った。
人形管理協会の職員に付き添われ、控室に戻ったミルキーウェイを待っていたのは、先に舞台から戻っていた蒼井結翔だった。
入って来たミルキーウェイに、結翔は若干申し訳なさそうな顔をしながら、両手を広げて見せる。
「お疲れ様、ミルキーウェイ」
「ありがとうございます、結翔さん」
ミルキーウェイが静かに頭を下げると、結翔は無言でその体を抱きしめた。
「辛かっただろう。今までずっと、道具として扱われ続けてきて」
「……ええ」
自分を抱きしめる結翔が、目に涙を浮かべているのが分かった。涙を流すことが出来ない人形の体でなければ、ミルキーウェイもきっと泣いていることだろう。
「結翔さん、その」
号泣する結翔に、ミルキーウェイはちょっと困った顔をしながらも。ずっと前から考えていた提案を、彼に告げることにした。
「もしよろしければ私を、結翔さんの人形に―――」
「もちろんだ。ミルキーウェイ、お前はこれから俺の仲間だ」
体を離して、涙と鼻水を拭うと。結翔は力強く頷いて、ミルキーウェイの肩を叩いた。
やはり結翔なら、受け入れてくれると思っていた。ミルキーウェイが片手を差し出すと、結翔はその手をしっかりと握りしめてくれた。
新たな契約が結ばれたのを感じながら、ミルキーウェイは人懐っこい笑顔を浮かべる、結翔のことを静かに見つめる。
自分は悪い人形だと思う。共に歩んできたパートナーを見捨てた直後に、ついさっきまで戦っていた人形の主と、こうして再契約するなんて。
だがこれもすべて、最初から考えていたこと。自分の為であると同時に蹄人の為でもある、最善の一手。
蹄人は自分のことを恨むだろうが、同時にいい薬にもなるだろう。苦しみから立ち直ったとき、きっと彼はより成長できるはずだ。
その時に隣にいるのが、自分でなくても構わない。蹄人の為と言いつつも、道具扱いされることに不満があったことも確かだ。だから自分は、これからは蒼井結翔と共に歩んでゆく。
ああ、やっぱり自分は悪い人形だ。内心に渦巻く腹黒いともいえる企みを、一切表に出すことなく。ミルキーウェイはただ、心から嬉しそうな笑みを浮かべる。
人形は人間に何かを訊かれたら、嘘偽りなく答えなければならないものの。人形を仲間として扱う結翔は、「何で蹄人を見捨てたのか」なんて酷いこと、絶対に訊いてくるわけがないだろう。
だからこそ自分は新たなパートナーに、蒼井結翔を選んだのだ。
ミルキーウェイがパートナーである藍葉蹄人に不満を抱き始めたのは、人形決闘の勝率が安定してきた頃だった。
以前から頑なに「人形は道具だ」と主張する蹄人に、もやもやとした思いを抱かないわけでもなかったが。蹄人は自分のことをとても大切にしてくれたし、信頼してくれていることがはっきりと分かった。
だからミルキーウェイも蹄人の信頼に応えるために、人形決闘において全力を尽くして来たのだが。
ある時から、蹄人は似たような戦い方しかしなくなった。よく言えば必勝パターン、悪く言えばワンパターン。
一応何十時間もかけて、共に編み出した戦法ではあるものの。強力無比な戦い方であるが故に、ありとあらゆる人形決闘が同じような戦いとなった。
おかげで勝率は飛躍的に上昇したものの。ミルキーウェイはその戦い方が好きではなかった。別にボディに負担がかかったり、人形をむやみやたらに傷つけたりするような戦い方ではないのだが。
なんというか、美しくなかったのだ。
蹄人とミルキーウェイでは、戦いに求める美しさの価値観が、根本的に違った。蹄人は美しい「勝利」を望み、ミルキーウェイは美しい「戦闘」を望んだ。
一度蹄人に、「もっと違う戦い方をしたい」と提案したこともあったが。マンネリで勝率が落ちているならともかく、安定している今は戦法を変える必要はないと、にべもなく断られてしまった。
人形は主に絶対服従である以上、蹄人が変えないというのなら、従うしかないのだが。同じような美しくない戦いを繰り返すうち、ミルキーウェイの中で蹄人に対する不満が、確実に膨らんでいった。
やがて周囲の人間にも、度々戦法がワンパターンなことを囁かれるようになって行き。積み重ねた勝利に対する僻みや嫉妬だと分かっていながらも、気にせずにはいられなかった。
心の中で確実に膨らんでいる不満を刺激するかのように、「お前は道具だ」と繰り返し言われて。いつしかミルキーウェイは蹄人のことを、嫌うとまではいかなくても、以前のように信頼することが出来なくなっていた。
人形がこんなことを願うのは、いけないことだと感じつつも。もっと美しい戦い方をしてくれる主の元に行きたい、道具ではなく対等な存在として扱って欲しいという願望を、抱いてしまっている自分がいる。
胸の中でもやついた感情をくすぶらせつつ、蹄人の伴侶人形として戦う日々。ミルキーウェイにとってそれは、緩やかな地獄だった。
そんな時だった。蒼井結翔のことを、ミルキーウェイが知ったのは。
初めて彼を見たのは、テレビで放送されている公式大会の試合だっただろうか。生き生きと戦うパートナーのハルカに、仲間として信頼を寄せている結翔。
彼は腐っていたミルキーウェイにとって、あまりにも魅力的に思えたのだ。
蹄人ではなく、結翔の人形になりたい。元からあった願望が、はっきりとした形をとった瞬間だった。
聞けば結翔はもう既に、複数の人形と契約しているらしく。何とかして蹄人と契約破棄さえすれば、契約してもらうことも可能かもしれない。
だが人形を愛する蹄人は絶対に、契約破棄を受け入れてくれないだろう。そもそも人形の方から契約破棄を申し出るなんて、言語道断だ。
だったらどうすればいいのか。人間に比べて記憶領域が少ない人形の頭で、ミルキーウェイが考えたのは、「人形は道具だ」という思想を利用することだった。
人形決闘でわざと命令を無視して蹄人を怒らせて、大勢の人間が見ている中で「人形は道具だ」と言わせる。
対戦相手が、蒼井結翔なら最高だ。彼ならきっと、ミルキーウェイに強く同情してくれるだろう。そうなればより一層、契約しやすくなる。
ちょうどラストホープ・グランプリの出場が、決まった頃のことだった。出場者の中に、蒼井結翔の名前を見つけて。ミルキーウェイは蹄人の知らない心の中で、ひそかに悪い笑みを浮かべた。
本当に、自分は悪い人形だ。これから一世一代の大舞台に臨むというのに、心の中ではどうやってパートナーを裏切るかを、ひそかに考えているなんて。
二戦二勝。それが、結翔の元でミルキーウェイが行った人形決闘の戦績だった。
結翔はミルキーウェイが望んだとおり、美しい戦い方をしてくれた。仲間として扱って、優しくしてくれた。
しかし結翔とミルキーウェイは相性が悪く、二戦とも結翔の卓越した人形決闘のセンスがあったおかげで、ぎりぎりで勝てたようなものだった。
以来、結翔はミルキーウェイを使わなかった。わざわざ相性の悪いミルキーウェイを使わずとも、もっと使いやすい人形がいくらでもいるのだ。
結翔と契約している複数の人形の中でも、彼と連れ立って行動できるのは、人形決闘で使われるのは一体だけしかいない。当り前なはずのこの事実を、ミルキーウェイは痛いほど思い知らされた。
そして。使われていない他の人形たちが、一体どうなるのか。
都心から少し離れたところにある、やや古めのマンションの二階。「206号室」という表記の下に、「人形保管所」とだけ書かれたプレートが付いた部屋。
そこが蒼井結翔と契約したにもかかわらず、彼に使われることのなくなった人形の行きつく先であり。
人形の墓場と、呼ぶにふさわしい場所だった。
結翔のマネージャーに連れられて、ミルキーウェイが部屋の中に入ると。
しんと静まり返った、やや埃っぽい部屋の中。ロッカー一つを除いて家具も何もない部屋の中にぎっしりと並んだ、スリープ状態の人形が視界に飛び込んできた。
ほとんどが女性型だが、中には男性型の人形もある。どの人形も同じ姿勢を取っていて、規則正しく並べられていた。
まるで、管理された「
「えっ……」
言葉を失うミルキーウェイの後ろで、マネージャーの男が背を向けて玄関の扉を開けた。
「それでは私はこれで失礼します。詳しいことは管理人形に聞いてください」
さっさと部屋を出て行ってしまったマネージャーを、引き留めることもできずに。立ち尽くしていたミルキーウェイに、並んだ人形の一体が立ち上がると、近づいてきた。
ピンク色の髪をしたその人形には、痛いほど見覚えがあったものの。瞳からは以前ドームの中で対峙した時のような、輝きは失われていた。
「ハルカ……」
「ようこそ、ミルキーウェイ。206号室へ」
淡々とそう言って、ハルカは並んだ人形たちに視線を向ける。
「簡単に説明しますね。ここは結翔に使われていない人形がスリープ状態で待機する、ただそれだけの部屋です。結翔に使われるか、管理人形に選ばれない限り、スリープの解除は許されません」
「こんな、こんなことって……結翔は人形のことを、仲間だと思ってるんじゃないんですか」
戸惑いによって口から出たミルキーウェイの問いに、ハルカは感情のない瞳と声で答えた。
「ちゃんと思ってますから、人形は仲間だって。そう思った上で、結翔はこうしてるんです。多くの人形と契約している以上、使われない人形が出てくることは、必然なんですから」
自分は蒼井結翔という人間に、あまりにも都合の良すぎる幻想を抱いていたのかもしれない。
目の前のこの光景が現実であり。結翔と契約してしまった以上、受け入れるしかない事実であり。
たとえどれだけ、人形を「道具だ」と言いながらも、愛情を注いでくれた蹄人を見捨てたことを後悔しても。もはやすべて、後の祭りだった。
空いているスペースに座って、ミルキーウェイは目閉じた。
「蹄人……」
スリープに移行する直前に、かつてのパートナーの名前を、悲し気な声で呼んでみても。返事が返ってくるはずなんて、絶対になかった。
藍葉蹄人は、他ならぬミルキーウェイ自身が見捨てたのだから。
人形は夢を見ない。だから人間の言う「夢」というものがどんなものなのか、いまいちよく理解できない。
理解できないのだが、ミルキーウェイがスリープ状態の中で垣間見て感じたことを、人間の言葉で表すとしたら、「夢」と表現するのが一番相応しいと思うのだ。
スリープ状態の人形は、完全に意識がなく何も感じないはずなのだが。ミルキーウェイは確かに見て、感じたのだ。
それは人形たちの叫びであり、苦痛であり、絶望であった。皆一様に。蒼井結翔を信じていたのに、裏切られたと訴えていた。
地獄だった。元々この206号室自体、地獄のような場所なのだが。スリープ状態でいると絶え間なく聞こえ続ける人形たちの絶叫は、ミルキーウェイの心を無意識のうちに削って蝕んでいった。
だがどんなに苦しくても、逃れたいと思っても。この部屋に保管されている以上、スリープ状態を解除することはできない。
勝手にスリープ状態を解除するということはすなわち、主に逆らうということなのだから。ただでさえ蹄人に反抗した過去があるのだ、これ以上主に盾突いたら、さすがの結翔も黙っていないかもしれない。
だからどんなに辛くても、ミルキーウェイは耐えるしかなかった。管理人形に選ばれるか、結翔の気まぐれで使用されるかして、この絶え間ない地獄から解放されることをただひたすらに願いながら。
どれぐらいの時間が経っただろうか。もはや絶叫にも慣れて、本来のスリープ状態と同じように、何も聞こえず何も見えず、何も感じず何も思わず過ごしていた頃。
不意にミルキーウェイの体に何者かが触れて、スリープ状態が解除されたのだ。
「……あ」
ゆっくりと目を開くと、そこには結翔の顔があった。彼を見るのがあまりにも久しぶりすぎて、一瞬幻かと思ってしまったぐらいだ。
「おはよう、ミルキーウェイ」
「おはようございます、結翔さん」
何度か瞬きをして覚醒処理を終えると、ミルキーウェイは座っていた床の上から立ち上がる。胸の中で、期待と喜びが湧き上がっていくのを感じながら。
結翔が自分を起こしたということは、人形決闘で使って貰えるということだろうか。そうでなくても、どこかに行くのに連れ立ってもらえるだけでも十分だ。
「ミルキーウェイ」
期待を込めた眼差しで結翔を見つめるミルキーウェイに対して、結翔は相変わらず他人を引き付ける笑顔を浮かべて言った。
「起きてくれたばかりで申し訳ないんだけど―――俺との契約を、一回破棄してくれないか」
「……え」
やや申し訳なさそうな、結翔の言葉に。ミルキーウェイの胸の中で膨らんだ期待が、急速にしぼんでいった。その代わりに超高速で、スリープ状態の時に感じていたのとは比べ物にならないぐらいの、絶望感が広がってゆく。
どうやら顔に出てしまっていたらしく、結翔は慌てた様子で手を振った。
「いや、別に君のことが嫌いになったとか、愛想を尽かしたとかそういうんじゃないさ。君のことは相変わらず大切な仲間だと思っている。だけど……」
「せっかくの強力な人形を、このままこの倉庫で燻らせておくのはもったいない。だから僕が使ってあげます、ということです」
結翔の背後から、一人の少年が姿を現した。きっちりと整えた髪の毛に、値段の高そうな服を着た、結翔よりやや幼さの見える少年は。ミルキーウェイに対して、片手を差し出した。
「初めまして、ミルキーウェイ。結翔さんの後輩の、明星院瑛といいます。といっても結翔さんの人形なら、僕のことは知っていると思いますが」
「よろしく、お願いします」
今名乗られて、初めて知ったのだが。ミルキーウェイはとりあえず、差し出された手を握って曖昧に頷いた。
「ミルキーウェイ、要するに俺との契約を一旦破棄して、この瑛のパートナーになって欲しいんだ。瑛なら俺なんかよりずっと、お前のことを使いこなせるはずだから」
「それは……」
結翔のパートナーになりたくて、彼に仲間として扱って欲しくて、蹄人を見限った人形として。嫌な気持ちが、ないはずがなかった。
だが。だがそれでも、結翔に使われずこの206号室でずっと、スリープ状態の無意識の中で人形の絶叫を聞き続けるよりは、この瑛という少年に使われた方がずっといい。
「分かりました、結翔さん」
今の自分はきっと、この部屋で会ったハルカと同じような、虚ろな瞳をしていることだろう。ミルキーウェイが頷くと、両者の合意によって契約が破棄されたことが分かった。
「それではこれから、よろしくお願いしますよ、ミルキーウェイ」
「はい、これから私は瑛さんのパートナーです」
ミルキーウェイが瑛に対して頭を下げると、彼との間に契約が結ばれる。
人形の契約は思ったよりも簡単に、結ぶことも破棄することもできるが。契約を軽んじる人間のパートナーになりたくないというのが、人形からの思いである。
もっとも。藍葉蹄人との契約を、自ら望んで破棄させたミルキーウェイに。契約の重さや重要性について、語る資格はない。
過去は消せない。ミルキーウェイが藍葉蹄人を見捨てたという過去は、この先ずっと残り続けるのだ。
いっそもう、解体されてしまいたいと思った。人形としての役目を終えて、ただの「
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