EPISODE24 道具からの信頼
いつもの駅裏、いつもの雑居ビルの地下。
巻が扉を開くと、エプロンと箒を装備したカットが出迎えてくれた。
「お帰りなさい、巻。デートは楽しんできましたか」
「ま、そこそこというところかな」
「……十分楽しんできたみたいですね」
頬を赤く腫らした蹄人を見て、カットはにっこりと笑う。落ち着いているようで、やはり巻のパートナーと言ったところか。
そんなカットの肩を抱いて、巻は蹄人に対してにやにやした表情を浮かべながら言う。
「そうだカット。調律に使う資材のいくつかをちょうど切らしていることだし、これからこのまま買い物に行かないか」
「いいですねえ、部屋の掃除も終わったことですし」
「……また私がいない間に、部屋の掃除してくれやがったのか」
手早くエプロンを外して、箒を片付けると。綺麗になった部屋を見回してから、カットはいつも通り巻の傍らに立つ。
「それじゃ、帰って来たばかりで悪いけど、行ってくるわ」
「……いってらっしゃい」
「あ、そうそう―――スカーレットは、工房の方にいるぜ」
わざとらしく片目を瞑った巻は、カットと共に部屋から出て行った。
一人残された蹄人は、息を大きく吸って吐き出し、不安な気持ちを出来る限り整える。それでも早まった心臓の鼓動は、どうにもできなかったが。
工房へ続く扉に手をかけて、ゆっくりと開いていくと。中で動く気配がして、蹄人は思わず手を離しそうになる。
が、決意を固めた以上、ここで逃げるわけにはいかない。蹄人はしっかりとノブを握りなおして、一気に開くと中に踏み込んだ。
巻の言葉通り、工房に置かれた施術台の上にスカーレットは腰かけて、ぼんやりと天井を見つめていた。入って来た蹄人を見ると、当然ながら驚いたように目を見開く。
「蹄人……」
「スカーレット……」
気まずい沈黙が流れて行った。話すために来たはずなのだが、上手い言葉が見つからない。
とりあえず蹄人が、スカーレットの隣に並んで座ると。スカーレットは指で自分の頬を軽く叩きながら言った。
「その顔、どうしたんだ」
「巻に殴られた。お陰様で、目が覚めたんだけど」
出来るだけいつもの調子で蹄人が答えると、スカーレットは少しだけ笑ってくれた。
笑った後に、また沈黙。相変わらず、切り出し方が分からない。
どのくらい黙り込んでいたのだろうか。不意にスカーレットが立ち上がると、蹄人の正面に移動した。
「蹄人」
「……何だ」
「まずは私から、君にこれを言うべきだと思う」
ゆっくりと、スカーレットは蹄人に対して、深々と頭を下げた。
「済まなかった。自分から『道具として扱って欲しい』なんて言っておきながら。君のことを裏切り、君の心を傷つけてしまって」
「……」
「この件に関して、非は完全に私にある。私が99の挑発に乗らなければ、こんなことにはならなかった」
蹄人はしばらく、頭を下げるスカーレットを見つめていた。自分が今どんな顔をしているかは分からないが、スカーレットのことを睨みつけていないことを、心の底から願っていた。
「はー……」
長々と息を吐き出し、蹄人は一瞬目をつぶると。手を伸ばし、スカーレットの深紅の頭に触れる。
人間の髪とは違う頭髪の感触を確かめながら、蹄人はほんの数秒間だけ、スカーレットの頭を撫でると。手を引っ込めて、そっぽを向いた。
「……僕は根に持つタイプの人間だから、このことは絶対に忘れないけど。お前がそうやって謝ってくれるなら、まあ、ひとまずは許してやってもいいかな」
「蹄人……」
「勘違いするなよ、あくまでもひとまずだからな、ひとまず」
強調する蹄人に対して、顔を上げたスカーレットは、にこにことした心底嬉しそうな笑顔を浮かべて見せる。
「ありがとう、蹄人」
「……うん」
三度目の沈黙が流れてゆくが、今度は気まずい雰囲気が、いくらか緩和されていた。
「スカーレット」
どれくらい黙り込んでいただろうか。パートナーの名前で沈黙を破った蹄人も、立ち上がって振り向き、スカーレットのことを真っ直ぐ見据える。
「その……僕もお前に謝らなきゃいけないことがある」
スカーレットがしたのと同じように、蹄人は深々と頭を下げた。
「お前が隣にいるにも関わらず、僕は何かにつけてミルキーウェイのことを考えてしまっていた。相棒がこんな有様じゃ、お前があの時99の挑発に乗ってしまったのも、仕方のないことだと思う」
「……そうか」
「お前が心に闇を抱えてしまったのは、お前の心の闇に気づけなかったのは、全て僕の責任だ。辛い思いをさせて悪かった、スカーレット」
「……そうだな」
蹄人がゆっくりと顔を上げると、そこには優しい微笑があった。先程の自分も、同じような顔をしていたらいいのにと、蹄人は心の底から思った。
いや、今からでも遅くない。きっと今スカーレットに対して、同じような微笑を浮かべているのだと、蹄人は思うことにした。本当にそうだとしたら、ちょっぴりだけ恥ずかしかったが。
「スカーレット、巻が帰ってくるまでまだ時間はあるだろうから、ゆっくりと、話さないか」
「いい提案だ。ちょうど私も、君とじっくり話したいと思っていたところだ」
改めて施術台に並んで座ると、蹄人は一度天井を見上げた。まず何から、話せばいいだろうか。
蹄人が考えていると、隣に座るスカーレットが口を開いた。
「カットに言われたんだ。道具だって、持ち主を信頼していいんじゃないかって」
静かに足を揺らしながら。スカーレットは蹄人が、見惚れてしまうような顔で言う。
「蹄人。君が望んでくれるなら、私はお前の『道具』であり続けよう。元はといえば私が望んだことなんだし、ミルキーウェイのことがなければ不満はない」
「スカーレット……」
「ただ、一つだけ頼みがあるんだ。たった一つだけ」
言葉を切って、隣に座るスカーレットは、蹄人に対して片手を差し出した。
「お前のことを信じていいか、藍葉蹄人」
人形を道具として扱う人形師と、道具として扱われることを望む人形。
歪ともいえる両者の間に、足りなかったものは。否、ずっと前からそこにあったのに、見えていなかったものは。
「ああ。もちろんだ、スカーレット」
差し出された、硬い感触のする手を取って、蹄人は力強く頷いて見せる。
「僕もお前のことを信じるよ。僕の何よりも大切な、相棒のことを」
敢えて陳腐な言葉で表現するのならば、それは。「信頼」なのだろう。
最初は同情と依存により、契約したかもしれないが。今はもうすっかり、掛け替えのない存在になってしまったものだ。
握った手を、一度離して。蹄人はスカーレットの体を、軽く抱きしめる。スカーレットは驚いたようだが、抵抗することはなかった。
お互いの存在と想いを確かめるような、短いハグ。体を離した蹄人とスカーレットは、顔を見合わせて笑い合った。
ああ、本当に自分は馬鹿だ。スカーレットが、契約破棄したいなんて言い出すはずがないのに。ただ確かめることをしなかっただけで、スカーレットはずっと自分のことを、信じてくれていたのに。
信じることが出来ていなかったのは、自分の方だったのだ。信じていると己に言い聞かせただけで、実際にはこれっぽっちも出来ていなかった。
ただし、それももうお終い。隣に座るスカーレットに対し、蹄人は初めて、己の感情にどこまでも正直な笑顔を浮かべて見せた。
二時間後。
帰宅した巻とカットは、両手いっぱいに紙袋を抱えていた。
「いやー調律の道具だけ買いに行くつもりが、色々目移りしちゃってね……これだから人形用具専門店は魔境なんだ」
紙袋をソファーの上に置いて、わざとらしく肩と腰を叩く巻の横で、カットが相変わらず雑然としたテーブルの上に、総菜やおこわのパックを並べる。
「出来合いで申し訳ないですが、蹄人さんもどうぞ」
「ありがとう、カット」
礼を言って、蹄人は割り箸を手に取ると、近くのパックを開いて、中に入っていた里芋の煮物を口に運ぶ。咀嚼するたびに湿布を貼った頬が傷んだが、とても美味しかった。
「たまには総菜も悪くないな」
「たかってる奴が何を言ってるんだか」
呆れた表情を浮かべる巻だったが、突如にやりと笑って見せる。
「その感じじゃ、ちゃんと仲直りできたみたいだな」
煮物を口に運ぶ手を止めて。蹄人は背後に控えている、スカーレットと顔を合わせる。
そして箸をおくと腕を組んで、しかめっ面をしてみせた。
「別にぃ……いつまでもスカーレットを、お前に預けておくわけにもいかないからな」
「はいはい。安定のティトって感じで安心した」
にやにやと笑う巻に、スカーレットが微笑んだのが分かった。蹄人は頬を膨らませると、おこわのパックを開いてかっこむ。
しばらくは巻と共に、夢中で夕食を胃袋に突っ込んだ。思えば今日は、バナナとハンバーガー一つしか食べていないのだ。これで腹が空かない方がどうかしている。
ある程度夕食を食べ終えたころ。蹄人は箸を置くと、スカーレットに視線を向ける。
「ところで、スカーレット。次に挑む相手が決まった」
「挑む相手って、見つかったのか、満足いく強さを持った、人形決闘の対戦相手が」
「ああ。といっても申し込むのはこれからなんだけど」
ポケットからスマートフォンを取り出して操作すると、蹄人はスカーレットに対して振って見せる。
画面には「蜂山先輩」と記入された、連絡帳のページが表示されていた。
「有難い忠告をくれたかつての恩人に、僕とスカーレットの絆と実力を見せつけてやろうと思ってね」
不敵に笑いながら、蹄人はスマートフォンを操作する。
スカーレットとの契約破棄を勧められたことを、別に怒っているわけじゃない。怒っているわけじゃないのだが、口実として利用するには、あまりにも都合がいい。
和解して、新たな一歩を踏み出した自分たちが。実力を試すにはあまりにも、蜂山梅太郎の存在は都合が良すぎるのだ。
「うわ、悪い顔してるよ」
呆れる巻の前で、蹄人は挑戦状とも言える文章を打ち込むと、送信ボタンをタップした。
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