舞台に出た瞬間、ユキマサと目が合った。彼は拍手をしながら、ハヤテの姿を見て微笑んだ。


 オースティンが入場し、次に相手役の男子生徒、セヤマが入ってくる。ハヤテは、ナレーションの第一文を読み上げる。


「時は、二十世紀の初め。戦争の時代まで遡ります。クロエは恋人のヴィクトとともに、小さな小屋で暮らしていました」


 オースティンが前へ出る。エンパイアドレスの薄い記事が、スポットライトを受けてきらきらと輝く。


「ヴィクト、今日の配達は何時からなの?」


 相手役の男子生徒に、髪をかきあげながら尋ねる。その動きがあまりにも自然で、思わず息を呑む。オースティンの顔をした誰かがそこにいた。


「今日は八時から。日が沈んだら帰ってくるさ」

「じゃああなたの好きなパンを焼いて待ってるわね」


 彼女は恥じらいも見せず踊るように舞台の中心まで歩く。そこでくるりとターンをしてみせた。


 オースティン演じるクロエは、戦争をどこか遠くに感じていた。一方戦争は日ましに熾烈しれつになり、やがて空に戦闘機が飛び交うようになる。


「昨夜未明、隣国が空襲を行いました」


「頭を守れるくらいの鍋をちょうだい」


 街には戦争の様子を報道した新聞が舞い、空襲に備えて鍋などを買い込む主婦たちが街に満ちている。


「ヴィクトは……」


 ふと、クロエが空を見上げる。そこにあるのは教室の天井だが、ハヤテには青い空が見えた。視線がつ、と左に移動する。彼女は見えない飛行機を追っている。


 彼女は毎日ヴィクトの帰りを待っていた。彼は心配する彼女をよそに毎日帰ってきた。


 ある日の朝──ヴィクトは空軍に招集された。操縦士がどうしても欲しいという要請が下ったのだ。


 ヴィクトは、国から届いた軍服を着ていた。


「ヴィクト、どうしても行かなくちゃダメなの?」


 彼は頷いて、諦めたように笑う。


「ああ。国からの要請だから」


 ヴィクトはドアを開けて、家から去った。申し訳程度の貴重品と、日記を持って。


 彼は帰ってこなかった。骨さえも、戻ってこなかった。墓を建てようと親戚たちがはやし立てるが、クロエは耳を貸さなかった。


「ヴィクトは……帰ってくるのよ」


 連絡が来ないだけで、彼はどこかで生きていると。

 きっとどこかで自分に会いに行こうとしていると。


 彼女はそう信じて疑わなかった。


 ──しかし、そのまま戦争は終わった。


 ヴィクトは、ついに帰ってこなかった。


 最後、教会のシーンに移る。


「あの人は死んでしまった」


 クロエは喪服のような真っ黒のドレスを着て、ステンドグラスに向き合った。


「なら、……」


 右手でナイフを持って、首にぴたりと当てる。


「わたしも……」


 す、とナイフの刃を引く。クロエの体から力が抜け、膝から崩れ落ちる。


 どさ、という硬質な音だけが、教室に響いた。


「……以上で二年七組の発表を終わりにいたします」


 ハヤテの声を合図にして、教室に拍手の音が響く。舞台から退場する際、ちらりとユキマサの表情を伺った。彼は拍手もせず、呆然とどこかを見ていた。


 ……たしかに、恋人に送る手紙にしては重い内容だったかもしれない。ハヤテは後悔を僅かに抱きながら、奥へ消えた。

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