そして時は流れ誕生日当日。


 二日前からユキマサはいない。

 ふだんからそれほど彼と会話を交わさないので、ハヤテの生活に変化はない。


 朝起きて朝食と弁当を作り、学校に行って帰って夕食を作り、寝るだけの日々だ。ただすこし物足りないだけの、しかしすこし前までは普通だった、いつもの日常だ。


 しかし、その日は案の定異変が起きた。

 午前中だけの学校から帰ってくると、研究所の前で男が待ち伏せていた。


「やあ。ユキマサ君は残念ながら不在だから、きみだけでも呼ぼうと思ってね」


 長身痩躯、黒いロングコート。おおよそ警部とは思えない男がハヤテのほうを向いて微笑んだ。セイジロウだ。


「お前が私を呼びたいだけの口実だろ」

「おや、私はそんなつもりはないのだがね。きみが会いたいかと思って」


 ハヤテは頭に血が上って、彼の腹めがけて拳を振るう。しかし難なくその拳は彼の掌に包まれ、かわされてしまう。


「嘘だよ。きみの言う通り。キリガヤ君とパーティしたくて来ちゃったんだ」

「来ちゃったんだ、じゃない!」


 ハヤテは実際嫌がっているのだが、この男は何を言っても無駄だろう。


「……私が行きたくない理由はみっつだ。ひとつ、ユキマサの誕生日祝いに私が行くのは居心地が悪い。ふたつ、お前の家は遠い。みっつ、お前が嫌い」

「ええ、ひどいなあ」


 セイジロウは口ではそう言いながらも、全く傷ついている様子はなかった。しばし考えるそぶりを見せて、再び口を開いた。


「いいの? 今日はユウコがおいしいご飯作ってるんだよ」

「それはユキマサのための料理だろ」

「ううん、ちゃんとキリガヤ君の分もあるさ。ユキマサ君にも食べてもらいたいなら持ち帰ってももちろん構わない」


 卑怯な男だ。自分の好奇心や欲望を満たすためなら自分の娘までだしにする。


「……」

「ブリ大根の季節じゃあないか」

「……いい。わかった。行ってやる」

「わあいやったー!」


 あくまでユウコのためだからな、と添えて、ハヤテはセイジロウの家へと向かった。



 十二丁目。最寄駅から徒歩二十分のところに、ヤマナシ邸はある。


 和風の城のような外見だ。広大な敷地内に日本家屋と蔵と離れが建ち、その周囲を漆喰しっくいの壁と堀が取り囲んでいる。もともとセイジロウの伯父が住んでいたそうだが、伏龍街に赴任した際に譲渡されたという。


 サラとは事情は違うが、彼も資産家のひとりだった。


「さ、入って入って」


 セイジロウに言われるがまま門を通り、長い庭を通って玄関へ向かう。引き戸を開けると、セイジロウが「ただいまあ」と大きな声で叫んだ。


「キリガヤ君連れてきたよ」


 そう言うと、奥から物音がして、ふたりの女性が出てくる。姉のユウコと妹のナツコ、どちらもセイジロウの実の娘だ。


「え、うそ、お父さんほんとにハヤテちゃん連れてきたの?」


 懐疑的な視線で見てくるユウコ。


「どうせユキマサ兄さんかあたしたちを盾にしたんでしょ。サイテー」


 懐疑的を通り越して犯罪者を見るような目で見てくる妹のナツコ。


 ふたりとも、最後に見たときよりだいぶ大人になっていた。幸恵が死んだとき、ユウコはたしか五歳で、ナツコはひとりで歩くことさえできなかった。


 自分が爛漫らんまんに過ごしてきた十数年を、ひとつの形で突きつけられたような気がした。それは嬉しくもあったし、同時に怖くもあった。


「お父さんなんかほっといて、わたしたちと遊びましょ、ハヤテちゃん」


 ユウコはハヤテが靴を脱いで上がるや否や、腕を引いて奥へと案内した。こういう強引なところは父親譲りらしい。


「年を取らないのはユキマサさんから聞いてたけど、本当に何も変わらないのね」


 ユウコは廊下を歩きながら、ハヤテの顔をまじまじと見てきた。ナツコが「あたしはユキマサ兄さんの空想上の人だと思ってた」とこともなげに言う。


「かわいいね、ハヤテちゃん。写真で見たより、ずっと」


 ナツコが横からハヤテの顔を覗き込む。彼女はコーネリアと同じくらいの歳のはずなのに、えらく大人びて見えた。


 そのまま居間を抜け、その隣の和室へ連れていかれる。ユウコは部屋に入ると手を離し、押し入れに向かって歩いた。


「わたし、ハヤテちゃんに着せたい着物があるの。付き合ってくれないかしら?」


 拒否権はなかった。着飾るのは好きなので、拒絶するつもりもないのだが。


 ユウコは押し入れから臙脂えんじ色の小紋を出し、そのまま着付けを始めた。ナツコは常にハヤテの傍に控え、姉の着付けを手伝っている。


「ハヤテちゃんはユキマサさんやお父さんとどういう関係なの?」


 ユキマサが自分の技術についてどれくらい話しているのかがわからなかったので、とりあえず濁して話すことにした。


「うーん……何というべきか。ユキマサの家族で君たちの父の旧い友だ」

「あら、じゃあもしかして年上?」

「そうだな、だいぶ上だ」


 あまり考えたくないが、ユキマサが今年で二十六になるということは、幸恵が今生きていたら五十前後になっているだろう。


「ええ、じゃあハヤテちゃんじゃ嫌よね? なんて呼ぼうかしら。おばさん?」

「姉さん、おばさんはないでしょ。こういうときは、お母さんって呼ぶんだよ」

「ハヤテちゃんにしてくれ……」


 心は年をとっても、鏡を見ればいつでも変わらず金髪の少女が映る。コーネリアは成長の過程を見ただろうが、今となってはそんなこともできない。身体とともに若々しくあろうとする精神は、きっと他人からの呼び名の影響もあるのだろう。

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