二章

第六話 貴女がくれたカツサンド

 伏龍街十丁目。


 夏の暑さがじわりと残る九月の初め。


「それじゃあ、文化祭の出し物を決めよう」


 ハヤテ・キリガヤはつまらなそうに教室の隅の机に座り、クラスの風景を眺めていた。


 学校は社会の縮図だ。議題が黒板の上に書かれているにもかかわらず、真面目に考えている人間はごくわずかだ。教師にかわり教壇に立つ学級委員長。前のほうに座る学級委員長の友人たち。それとほんとうに真面目な人種が数人。それ以外は浮き足立った噂を話したり、本を読んだりしている。


 初めに手を挙げたのはクラスでいちばん目立つ男子生徒。


「白雪姫の劇やりたい!」


 白雪姫、と黒板に文字が書き込まれる。一度意見が出てしまうとあとはすんなりと話が進んだ。


 十個ほど案が出ると、教室はまるで凪のように静まり返った。話し合いに参加していた人間は全員意見を出し切ったのだろう。


 委員長は投票の準備を始めていた。ふと、そのとき、クラスに女子生徒の声が響いた。


「オースティンさん、それ何読んでるの?」


 ハヤテの席の二列前に座るオースティンが、隣の席の女子生徒に話しかけられている。単調な話し合いに飽きていたハヤテは、お、と声を漏らした。


「『飛行士』っていう戯曲、だけど……」

「へえ、それってどんな話?」


 沈黙していたクラスの視線が、一斉にオースティンへ集まる。


「──あ、えっ、と……」


 オースティンのうろたえる顔を想像して、ハヤテは密かに笑った。


 それを知ってか知らずか、オースティンは後ろをちらりと伺ってくる。以前、この本についてハヤテに話したことがあるから、かわりに対応してほしい、ということなのだろう。


「その話は私も聞いたことがあるぞ、オースティン」


 ハヤテがぽつりと漏らすと、今度はいっせいにハヤテの方を見た。気分がいい。オースティンは安堵のため息を吐いている。


「二十年前発表されたフランスの戯曲だ。戦争をテーマにした恋愛悲劇で、まあ、文学的でな。演目としてはふさわしいと思う」


 ハヤテが委員長へ視線を送ると、彼は「飛行士」と黒板に書き入れた。


「ついでに主役はオースティンを推薦する」

「えっ」


 オースティンの動揺をよそに、冷めきっていたクラスの雰囲気はどんどん加熱していく。


「賛成!」「相手役誰にする?」「今から楽しみになってきた!」


「え、えっ、えっ……」


 委員長が渾沌とした教室に叫んだ。


「よし、じゃあ投票を行おう」


 そのあとの投票で演目「飛行士」が可決となったのは、言うまでもない。


 そのあと、大まかに配役を決めて、授業は終わった。ハヤテは唯一顔を出さないナレーターに立候補した。


 終了のチャイムが鳴り終わるやいなや、オースティンがハヤテのもとへ抗議しにくる。


「き、キリガヤさぁん!」


 予想通りのことだ。


「押し付けてすまんな。まあいいじゃないか。あの状況なら、私か君が主役をやるしかないんだ」


 オースティンは頬を膨らませて反論する。こんなに気弱な少女があの戯曲の主役をやるのか──と、ハヤテは内心わくわくしていた。


「ならキリガヤさんが……」

「私に悲劇が似合うと思うか?」

「ま、まあそれはたしかにそうですね」

「否定かフォローをしろ!」


 オースティンなら真面目だから劇の質も上がるだろう、とも考えた上の行動だったが、そんなことを言ったら押し付けられる。面倒なことは本意でない。


「とにかく、君ならやれる。ナレーションなら私に任せろ」

「キリガヤさん、台本覚えなくていいし準備にも参加しなくていいから、その役選びましたよね」

「バレてた」


 オースティンは恨めしげにハヤテを睨んでくるが、決まったことはどうしようもない。ハヤテはオースティンの恨み言をそばで聞きながら、鞄に教科書を詰めていく。鞄を肩にかけると、彼女にひらひらと手を振って教室を去った。


 ついてこられたら困ると思っていたが、どうやら撒けたようだ。ハヤテはそのまま帰路についた。


 駅まで歩いて、いつも通りの電車に乗りこむ。最寄り駅の一駅手前で降りると、ハヤテは商店街へ歩いていく。


「ユキマサが手術中だから、なんか食べやすいものがいいか……」


 ハヤテは商店街の店を各々覗きながら、今日のユキマサの夕飯について考えていた。今朝死者蘇生依頼が来たから、きっと彼はまだ手術中だ。


 いつものおにぎりもいいが、今日は少し新しいものに挑戦したい。そう思って覗いたのは、パン屋だった。


「……カツサンド」


 先日、惣菜屋に並んでいたのを見た。練りからしにサクサクのカツが絡んでやたら美味しかった。ユキマサにも好評だったようだし、作ってみるのもいいかもしれない。


 食パンならスタックがある。ハヤテは近くの肉屋に豚肉を買いに、商店街を進んだ。


「旦那、トンカツ用の豚肉二枚くれ」


 肉屋の店主はハヤテの顔を見たとたん、顔色を明るくした。ハヤテはこの商店街近くの人間とはほとんど顔なじみだ。むろん、肉屋の店主も彼女を気に入っている人間のひとりだ。


「お、今夜はトンカツか?」

「いや、カツサンドだ。ユキマサが忙しいんでな」

「そうかいそうかい。そりゃいいね。レシピもあげようか?」


 ハヤテが頼むと、店主はすぐさま店の奥へ消え、手書きのメモを持って帰ってくる。


「はい、三百圓ね」


 豚ロースとレシピの入ったビニール袋を受け取り、手元の財布から三百圓を取り出す。星神の核を原材料とした百圓玉は、玉虫色に輝いている。


「じゃ、これおまけね」


 そう言って店主は、ハヤテにコロッケを渡してきた。こういう副産物が得られることがあるから、いつも買い出しはハヤテが率先してやっている。このことはユキマサには秘密だ。



「ユキマサ、ただいまー」


 正面にある「手術中」の看板を取り払いながら、ハヤテは医療研究所へ入る。それは返事を期待したものではなくあくまでただの声掛けのつもりだったのだが。


「おう、おかえり」


 返事が聞こえたので、少しだけ驚いた。ユキマサは受付に座って、何かを書いていた。


「手術は?」


「終わった。窒息死だったから楽だった。いま病室で休んでる」


 ふうん、と言いながら、ハヤテは受付の机まで歩いていく。どうやら手紙のようだ。ハヤテは力に任せて便箋を引き抜く。


「うわっ、やめろ!」


 うろたえる様が面白くて、ハヤテは手紙の中身を読み上げた。


「なに……『エリカさんへ』ってこれ、エリカあての手紙か?」


 八月にエリカと会ってから、ユキマサは週末になるとあの「フカザワ料理店」へ行っていた。先日、毎週来るのは負担になるだろうから、と、文通を始めたそうだ。これはその手紙だろう。


「っち……そうだよ悪いか」

「悪くない! むしろからかいのネタとしては最高だ!」

「俺は最悪だ」


 ハヤテはどんな愛の言葉が書いてあるのかと、視線を下に向けた。


「拝啓


 残暑厳しい中、いかがお過ごしでしょうか。昼暑いと思えば、朝と夜は寒い時期ですので、どうかご自愛ください。


 話は変わりますが、先日近所の家から金木犀キンモクセイの香りが漂ってきました。毎年あの甘い匂いがすると、季節の移ろいを感じます。……」


 ハヤテは書き途中の手紙を見て、思わず渋面を作る。これが若い男の書く文章か、と落胆した。


「なんだこの読んでも読まなくても同じような文章は! 話変わってないじゃないか!」

「変わってるわ! 前半は天気の話で後半は花の話だろ!」

「はあ……全部『興味ない話』で一括りだからな。話がループしてても気づかん」


 ユキマサは何か言おうとしたが、反論内容が思い浮かばなかったようで、浮かした腰を下ろした。ハヤテの手から手紙を取り返すと、ぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に放り込んだ。


「……そうだユキマサ、来月初めの土曜日は暇か?」

「あー……暇だが。どうした?」


 ユキマサは新しく便箋を取り出そうとしている。ハヤテはその手を掴むと、真っ直ぐに彼の顔を覗き込んだ。


「私の学校の文化祭に来ないか。文化祭なら、書くネタには困らんだろ」


 ユキマサはしばらく呆然としたあと、その手があったか、と呟いた。自分の人生が単調で退屈なら、他人の人生を借りてしまえばいいのだ。


「私のクラスでは『飛行士』の劇をやる」

「ん……聞いたことない話だな」

「それは都合がいい。楽しみにしておけ」


 ユキマサはハヤテを見上げ、静かに忠告を口にする。


「あまり目立つなよ。おまえが死人だと知ってる生徒はいないんだから」


 彼はいつもそう言っている。死者蘇生という技術に少なからず後ろめたさがあるのだろう。一方、ハヤテがその警告に従ったことはない。


「わかったって。じゃ──」


 そう言って去ろうとするハヤテのブレザーの裾を、ユキマサは身を乗り出して掴んだ。


「ところで、随分時間が空くんだが……」

「あっ……じゃあ、……秋刀魚サンマの話でも書いたらどうだ」

「おまえもそんな変わらねえじゃねえか!」


 ユキマサの怒号を背に受けながら、ハヤテは二階へ避難した。

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