2nd / KOTOMI

 グラハムユーリとニラサキカナ。

 音楽室の騒動の首謀者として、二人は二週間の停学処分を受けた。

 神尾先生が休職になったこともあって、その騒動はワタシたちのクラスに留まらず、その後しばらく、学校中で話題になった。

 とは言えワタシの日常は、何も変わらない。

 アヤカに心を見えない鈍器でなぶられるような日常は、何も。


 アヤカにとってワタシは、いわゆる標的だ。

 イケてるアヤカは、イケてないワタシを攻撃する。

 こういうのは、やられる側が過剰に反応しなければ、やってる側のモチベーションは、いつの間にか引いていくものかと思ってた。

 だから、トイレの個室の上からホースで水をかけられるみたいなコトは、許容した。

 上履きや教科書が無くなるなんて古典的なコトも、ありがちだと流した。

 遠巻きに罵られ、無視すると小突かれたり蹴られたり、モノを投げつけられたりしたけど、黙って耐えた。

 でも一昨日、体育前の着替えの盗撮動画を、クラスメイト全員にばら撒かれた時は、さすがに気が狂いそうになった。


 気が狂ってしまわないまま、ワタシを正気の端っこのギリギリのところに留まらせてくれたのは、パンクのカリスマ、シド・ヴィシャスだ。

 ワタシにはワタシを、正気に繋ぎ止めるための儀式がある。

 その真ん中に、シドがいる。

 部屋に貼ったシドのポスターの前に仁王立ちして、生まれてからたった一度だけ親におねだりして買ってもらったフェンダーのプレシジョンベースを引っ提げ、ワタシはセックス・ピストルズのアルバム、NEVER MIND THE BOLLOKSを一曲目から弾きまくる。

 弾きながら、妄想する。

 シドがステージ前に陣取る記者を、邪魔だと自転車のチェーンでしばき倒したように、ワタシがアヤカを、その取り巻きを、チェーンでしばきまくる。

 飛び散る血。

 その血は液状ではなく、肉塊を孕ませてどろりとした、まさにBLODDCLOT血のかたまりだ。

 その儀式が、妄想が、ワタシの命を繋ぎ止めてくれる生命線だった。


 何故アヤカが執拗にワタシを攻撃するのか。

 わかってる。

 アヤカは、ワタシと同じマンションに住む幼馴染で、中1の夏までアヤカはワタシと同じ、イケてなくて陰湿な、パンク好きの少女だった。

 ピストルズやクラッシュやダムドをワタシの部屋で一緒に聴きながらニヤけているような、ヘンなヤツらだった。

 中1の夏休み、渋谷でキャバ嬢を始めたという従姉の影響で、アヤカは変わった。

 夜、塾の帰りによく見かける、近所のコンビニ前に屯しているヤカラっぽい男女の中に、アヤカを見かけるようになった。

 アヤカはもともとカワイイコだったから、遠目にではあるけれど、その集団の中でもチヤホヤされているように見えた。

 そっちにいっちゃ、ダメ。

 そうは思っても、その時のアヤカに話しかける勇気も度胸も、ワタシにはなかった。

 アヤカは違う世界の住人になった。

 その世界は良くも悪くも煌びやかで、煌びやかさがくすんだ途端に、その世界を追放されるだけでなく、その世界の住人全てから総攻撃を受けるという、シビアなコミュニティだ。

 だからワタシと一緒だった頃のアヤカの黒歴史を、アヤカは誰にも知られたくない。

 その思いが、“攻撃”に姿を変える。

 でも、違和感があった。

 その世界にるアヤカの目はいつも虚ろで、どこか不機嫌そうで、満たされてない感じがした。

 ホンネのところでアヤカは、こっちに戻ってきたいんじゃないだろうか、なんて言う淡い期待が、ワタシの胸の中にいつも燻ってた。


 その日は、昼休みに炭酸ジュースを頭から被せられる程度の“攻撃”を受けるだけで済んだので、ワタシは放課後少し機嫌が良くて、その勢いで、池袋の行きつけの楽器屋へと足を向けた。そろそろツヤのなくなり始めたベースの弦を、張り替えてやろうと思った。

 そこで偶然、ギターケースを背負ったグラハムさんとニラサキさんに出くわした。

 二人とも、黒の革ジャンにタイトなブラックジーンズというシンプルなパンクスタイルで、制服の時とは随分と違った印象だった。

 「お、いじめられっ子じゃん」

 そう声をかけてきたのは、ニラサキさんだった。

 「誰?」

 グラハムさんは言って、まじまじとワタシの顔を見る。

 「同じクラスのコ」

 「いたっけ?」

 「どうせ私とあのクズども以外、誰がクラスメイトかなんてわかってないでしょ?アンタ」

 「まあね」

 と言ってグラハムさんはきしし、と笑う。

 どうやら停学中に、この二人は繋がったんだな、なんて漠然と思いながら、ワタシは二人のやり取りを見つめる。

 「で、何してんの?こんなとこで」

 急にニラサキさんが話を振ってくるから、ワタシはパニクって、あ、あ、と思わず口籠ってしまう。それを見たニラサキさんは、露骨にため息をついた。

 「あんたさ、そういうところが、付け入られる隙になってんだって」

 呆れるように言われ、あ、はい、すみません、とワタシは消え入るような声で返す。だから謝んなって、と言うニラサキさんの呆れ顔は、更に深まる。

 「付け入られるって、誰に」

 不思議そうにグラハムさんが聞く。

 「あのクズども」

 「そんなの、ぶっ飛ばしちゃえばいいじゃん」

 「みんながみんな、アンタみたいに単純じゃないんだよ」

 「Simpleなのが、一番じゃんか」

 ハーフらしく綺麗に“Simple”を発音して、きしし、とまたグラハムさんは笑う。

 「で、何してんの?」

 またニラサキさんに急に振られて、やっぱりちょっとうろたえたけど、今度はちゃんと言葉を噛み締めながら、返す。

 「ベースの弦を買いに」

 「ベース?!」

 そのワタシの返答に、二人同時に大声を上げると、お互いに顔を見合わせた後、ふたりで両脇から、ワタシの肩を抱いた。

 「これからスタジオだから、付き合え」

 グラハムさんが、ぎゅっとワタシの肩を寄せる。

 「もしアンタがそれなりに弾けんなら、仲間な」

 今度はニラサキさんがワタシの肩を寄せてニヤリとする。

 ワケもわからないまま、ワタシはこくりと頷いた。

 「ユーリ」

 「カナ」

 ふたりが自分を指して言う。

 だからワタシもそれに倣う。

 「コトミ」

 変な感じに胸が高鳴る。

 ワタシは図らずも、神のお近づきになった。

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