好きな人に彼氏ができて落ち込んでいたら、急にモテ始めた。

西木宗弥

第1話 僕の夏、終わる

そろそろセミの鳴き声も鬱陶しくなり始める八月初旬。



僕は近所の図書館でクラスメイトの九条雛美くじょうひなみさんと一緒に、朝からセミの大合唱をBGM代わりにして夏休みの課題に取り組んでいた。



町の図書館なんてこういう時ぐらいにしか利用しないから、改めて周りを見渡して見てみると、老若男女様々な人達が一つの空間に入り乱れている不思議な世界なんだと思い知る。



割合的には、おじいさんおばあさんが半数を占め、こういう時期だからか、僕たちのような中高生もちょくちょく見受けられる。後は大学生と思しき人、小学生や幼稚園ぐらいの子を連れた主婦の人達かな……?



大体三十人ほどがかけられる横長の机を端から端まで確認するだけでも、これだけの世代性別を超えた奇跡のコラボレーションが実現しているのだから、図書館ってすごいんだなと、その異質――ではなく素晴らしさに僕は一人感動を覚えていた。



それを盛り上げるかのように、建物の外ではツクツクボウシのソロパートが始まっている。ミンミンゼミとヒグラシはリタイアか?



「長浜くん、どれぐらい進んだ?」



――と、僕が人間観察とセミの美声に意識を遠くに飛ばしかけていたところ、それを細い糸で一気に引き戻す声音。



おい、うるさいぞツクツクボウシ。その汚らしい音で鳴くのを今すぐやめろ。



「一応英語は一通り終わらしたよ。朝からやっててけっこう疲れたから、数学は明日以降に回そうと思う」



「そうなんだ、早いね。わたしは英語と数学を三分の一ずつぐらいかな。同じ教科をずっとするのは集中力がもたないよ」



九条さんは目にかかりそうな前髪を指で払い除けながら、器用にもう片方の手でペン回しをしている。



ペン回しができない僕からすれば、少し羨ましいしかっこよく見える。



九条さんからしてみれば無意識にやっているのか、朝から結構な頻度で回していた。今日一日だけでもソシャゲの廃課金プレイヤーのガチャといい勝負できる。



「まあ僕は英語が得意だから先に終わらせただけで、数学は苦手だからだいぶ時間かかると思う……」




今日の九条さんは、青い花柄のワンピースを大人っぽく着こなしていて、普段の制服姿しか知らない僕からしてみれば、今朝会った時年上の人かと一瞬錯覚してしまったほどだ。



……今日の、と言いつつも私服の九条さんと会うのは今日が初めてなのだが……。



けれども、九条さんと二人で勉強するのはこれまでにも何回かあった。



高校一年の時に同じクラスになり、たまたま席が隣だった九条さんと話しているうちに僕は徐々に惹かれ出したのだ。



「そういえば長浜くんは、一年の時からずっと英語の成績はクラスでも良かったからね。私もテスト前にはよくお世話になったし」



「英語の成績は、って他はダメみたいな言い方じゃない」



「いやいやそういう意味で言ったんじゃないよ。牛丼で例えるなら、英語は大盛りで他は並盛って意味」



笑みを零しながら、違う違うと顔の前で手を振る九条さん。



可愛いなあ……。



「学力を牛丼で例える人、九条さんが初めてだよ。けど九条さんの言う通り、僕理系科目はちょっと苦手だからできたらまた教えてほしいな……」



肩の辺りまで真っ直ぐに伸びた煌びやかな黒髪に、パッチリとした瞼と綺麗な瞳。



身長は一六〇センチあるかないかぐらいだろうか。モデルのような抜群のプロポーション――と言ったら僕の主観が八割ぐらい入ってしまうが、それでも九条さんの一つ一つの何気ない動作が、僕の心の奥を刺激していた。



二年生になって最初の中間テストの際に、思い切って放課後一緒に勉強しようと誘ってみたところ、普通にOKしてもらい、あまりにの嬉しさに俺は前日の夜一睡もできず最悪のコンディションで登校したのも今となってはいい思い出だ。



――けど僕にはそこまでが限界だった。



今まで誰とも付き合ったこともない女性経験ゼロの僕は、どうしてもその先へ踏み出す勇気を持てずにいた。



僕のことに全く興味ないのなら、こうして二人で勉強なんてしないはずだ――と勝手に結論づけている。



少なからず九条さんからすれば、僕は仲のいい男友達――もしくはそれよりも少し上ぐらいの存在と思われていてもおかしくはない――と勝手に解釈している。



「――長浜くん、そのことなんだけどね」



「ん?」



どのこと? 好きな牛丼屋のチェーン店か?







「わたし実は……少し前に別のクラスの男子に告白されて、その人と付き合うことにしたの。だからこうして二人で会ったりするのはもう辞めにしよっか……」



「えっ、あっ、そ……うなんだ。……そうだね。確かにまずいよね」



「うん……今日はありがとうね。じゃあわたしは先に帰るから――また二学期で」







机の上に広げていた筆記用具や参考書類をカバンにしまい込んだ九条さんは、最後に小さく手を振るとそのまま去っていってしまった。



辛うじて言葉を紡ぐことをできた僕だったけど、全く理解が追いついていない。



確か好きな牛丼のメニューについて話していたんだよな……。僕は最近おろしポン酢にハマっていて、九条さんは…………。





九条さんは……別のクラスの誰かと付き合うことになったんだ。



その現実を受け入れる頃には、館内では閉館を告げる音楽が流れていた。もう帰らないと……。周りにも残っている人はほとんどいない。



外はまだ真昼のような暑さと日差しが続いていた。



そして僕を嘲笑うかのように、様々な種類のセミ達の鳴き声が僕の鼓膜にダメージを与えてきている。



夏はまだ始まったばかり。確か今日は甲子園の開会式だったはずだ。






――僕の夏は、早くも終わりを迎えた。




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