第2話

 笑い声が聞こえるたびに心臓が締め付けられる生活を始めて、数日。

 俺はとある街へと橋を運んでいた。

 街の名前はローデシア。

 世界樹の恩恵を受ける為に作られた、俗称世界樹街と呼ばれる街である。

 街の名前も、目と鼻の先にある世界樹から取られている。


 なぜ俺がこの街に来たかと言えば、それはひとえにローデシアという世界樹が『若い』からだ。


 冒険者は、迷宮に入るのが仕事である。

 魔物との戦いを通じて成長し、魔物の落とす魔石をギルドに持ち帰って売却するのが常だ。

 だが時には、迷宮の内部で神代に作られたと言われる伝説級の装備『遺物(レリック)』を手にする事が出来る。

 その能力や希少性で大きく変動するが、最低クラスの代物でも軽く一財産は堅い。

 加えて強力な能力を秘めている事があり、戦いの助けになる事は間違いない。


 そんな秘宝が眠る迷宮は世界樹の根の部分に生成され、迷宮の難易度は世界樹の樹齢と比例して上がっていく。

 そして世界樹が並ぶこの『世界樹海』の中でローデシアは比較的若い世界樹だ。

 駆け出しの冒険者が一獲千金を夢見て集まり、新人冒険者を相手にする鍛冶屋や商人達が更に集まる。

 俺のような事実上、駆け出しの冒険者にとって格好の環境が整っている場所といえる。


 つまり俺は……再び冒険者を目指すことにした。

 あの地獄のような出来事から数日間はまともに思考が働かなかったが、冷静になってから十分に考え抜いた結果だ。

 駆け出しだった頃に夢見た冒険者としての栄光を手に入れるため。

 そしてあわよくば、あの四人を見返すため。


 もう一度、ここから冒険者としての生活を始める。

 あの四人に無理だと言われた、俺自身の実力で。

 そう、意気込んでギルドを訪れたのだが――


「その……冒険者として登録するには、最低限の装備が必要でして。見たところ、エルゼさんはその手荷物以外はなにも持っていないように見受けられるのですが」


 俺から書類を受け取ったギルドの受付嬢は、怪訝な顔で俺の足元を確認した。

 顔に浮かべた笑みとは裏腹に、冷や汗が背中を伝う。


 冒険者だった俺がなぜ再登録しなければならないのか。

 その理由は至極単純で、荷物持ち(サポーター)としての活動が長すぎたため、冒険者章の効力が切れていたからだ。

 冒険者ギルドが『蒼穹の剣』の評価を行う際に、レベルの低い俺が冒険者のメンバーとして登録されていると、パーティの評価が落とされてしまうのではないかと仲間内で話し合った結果だ。

 

 結局、そのパーティからも追い出された訳だが。

 踏んだり蹴ったりの状態だが文句を言ってる暇さえない。

  

「いや、その、なんだ。必要がないと思って宿屋に置いて来たんだ。冒険者として再登録するだけなら、武器なんて必要ないと思って」


 そんなとっさの言い訳も空しく、背中からヤジが飛ぶ。


「嘘つけよ! リンドックに全部巻き上げられたんだろ!?」

「明日には魔物の餌になってんだから、装備なんて必要ないってか」

「なんの能力もない加護で冒険者を目指すたぁ、自殺願望でもあんのかね?」


 動悸が速くなり、視界が微かに揺れる。

 想定はしていたが、まさかこんな場所にまで噂が広まっているとは。

 だが不思議ではない。蒼穹の剣は名の知れたパーティであり、常に注目の的だった。

 たとえ荷物持ちであったとしても追い出されれば、その噂は野火より速く広まる。 

 この世界樹海にいる限り、追放の噂はどの街にも広まっていると考えるべきだろう。

 

 当然冒険者ギルドの職員なら、より事情を詳しく知っているはずだ。

 受付嬢は野次を飛ばす冒険者達に視線を向けた後、手元にあった書類に赤いインクで斜線を引いた。


「残念ですが規則ですので。それと武器だけでなく、身を守るための防具もご用意ください。東の通りには駆け出しの冒険者にも手の届く価格帯の市が連日開かれています。入り用でしたら、そちらへ足を運ぶことをお勧めします」


「あ、あぁ、ありがとう。また来るよ」


 冒険者としてやっていくのなら、最低限の装備が必要な事に変わりはない。

 結局、受付嬢の言う通り街の東側へと向かうのだった。


 ◆


 圧倒的な熱量が、声を伴って市場を埋め尽くす。

 ふと視線を向ければ駆け出しの冒険者や、それを商売相手とする商人が溢れかえっている。

 並んでいる商品も、他の街で取引される武具と比べれば安価といえる。

 言い換えれば品質の良い物とも言い難いが、駆け出しの内はこれで十分だ。 


 とは言っても、一般的な日用品に比べれば冒険者の武具は高額な部類にはいる。

 ざっと露店や店先に並ぶ武具を眺めていくが、どれもこれも手持ちを優に超える値段が付けられている。

 そうなると、俺に残された選択肢は非常に限られたものになってくる。


 足早に人の間を抜け、店を構えている武具店に足を運び、店内を物色する。

 そして、店の角に設置された巨大な酒樽を発見する。

 近づいて中を確認すれば、予想通りぞんざいに武器が投げ込まれていた。


「贅沢を言わないのなら、これぐらいでも十分か」


 歪んだ剣や、先端部分が欠けた槍。

 中にはどす黒い液体で汚れている代物も混じっていた。

 これらは冒険者の中で遺骨と呼ばれている代物でもある。


 冒険者を夢見た者達が、その栄光を掴めるわけではない。

 それどころか、最下級のブロンズ級を抜け出す前に挫折する者達が殆どだ。

 樽に詰め込まれた武具の数々は、夢を諦めた冒険者の武器や、あるいは迷宮内で死亡した冒険者の遺品である。

 当然ながら表記されている値段は、新品に比べれば非常に格安となっている。

 不吉の象徴と呼ばれるが、文無しの冒険者――この場合は俺の事だが――はそんな事を気にしている余裕などない。

 

「それに、ここから防具も揃えないといけないわけだ」


 心配事で気が重くなる一方、腰に下げた財布は限りなく軽い。

 現在、俺の手持ちは4500G。余分な物を全て売り払って得た、活動資金だ。

 遺骨はどの武器でも一本3000G。

 新品の相場が10000G前後だと考えれば破格だが、俺の財力を考えると気軽に買える値段ではない。

 武器だけで3000Gとなると、防具を残りの1500Gで揃える必要が出てくる。

 とてもではないが、金が足りない。

 

 もっと安い商品はないかと視線を店内に向けると、とある武器に目が吸い付いた。

 ガラスケースに飾られたそれは、無駄な装飾の一切が省かれたシンプルな作りだ。

 だというのに、非常に美しい造形をしている。


 たった一目でそれが『遺物(レリック)』だと分かった。

 世界樹の下に眠る最大の財宝であり、元は神代の時代に作られた古代の兵器。

 それぞれが破格の性能を有しており、冒険者であるなら誰もが憧れる武具。

 ただ最も安く取引される遺物でも、同じ重さの黄金と同等の値段が付けられる。

 

 店中に展示されている剣にも、発展した街の中心部に家が買える程度の値段が付けられていた。 

 図らずもけた違いな値段を見て、笑いが漏れ出てしまう。

 

「いずれは俺も遺物(レリック)を……いや、今は目の前の問題を解決するのが先か」


 武器の目星は付いたが、残り1500Gで防具を集めるという課題が残っている。

 加えて、冒険者になって即日に稼げるとは限らない。

 魔物を倒して魔石を集めるにしても、まとまった金が手に入るようになるには時間がかかる。

 今後の生活を考えるのであれば、少しは財布に残しておきたい。

 

 となると使える額はさらに減ることになる。

 まさか冒険者として活動する以前に躓くことになるとは。

 錆び付かせてしまった昔の防具を捨てるんじゃなかったと、今さらながらに後悔していたその時。


「なにかお困りのようだね。手を貸そうか?」


 耳障りの言い声音が、ふと耳に入った。

 別の誰かを読んでいるのかとも思ったが、振り返れば灰色の瞳を目が合った。

 女性とも男性とも見えるその人物は、間違いなく俺に声を掛けたらしい。

 やわらかい微笑みを浮かべたその人物は、身なりからして冒険者の様に見えた。

 装備の質から見て中堅か、それ以上だろう。


 ただ、長年冒険者の荷物持ちをしてきた経験上、断言できることがある。

 それは『無償の善意に気を付けろ』という事だ。

 甘い話には裏があり、往々にしてその裏には魔物より恐ろしい悪意が潜んでいる。

 特にこういった声かけを美人美男子がするのは常套手段と言えた。

 この人物なら男性でも女性でも、心を許してつい会話を始めてしまうはずだ。


「いや、大丈夫だ」


 ただ、俺には一応の経験と知識がある。

 もっと言えば立ち話に花を咲かせる心の余裕もない。

 早々にその場を立ち去ろうとしたが、その人物はコロコロと楽しそうに笑いながら、俺の肩を掴んだ。


「そう警戒しなくて大丈夫だよ。それに資金難で装備さえまともに買えない君を騙して遊ぶほど、私も暇じゃないんだ」


「暇じゃないなら、なおさら俺に構ってる余裕はないんじゃないか」


 肩を掴む手を振り払い、距離を取る。

 すると相手はその手で近くの路地を指さした。


「ちょっとした親切心さ。この先の路地裏にある店を訪ねると良い。きっと君の力になってくれるはずだよ」

 

 言いたいことを言い終えたのか、その人物は小さく肩を竦めた。

 具体的な事は何も言わず、加えて何かの勧誘でもない。

 ギルドを通さない美味い依頼があると持ち掛けるでもない。

 ただ、本当に店を紹介しただけだ。 


 そもそも金のない俺を標的にする理由もわからない。

 もしかしたら、本当に善意で声を掛けたのか。

 いや、そう判断するのは軽率だろう。


「……時間があれば立ち寄ってみる」


「そうだね。時間は常に有限だ。今度は賢く使うべきだと、忠告しておくよ」


「なにを――」

 

 ほんの一瞬だった。

 言葉の意味を図りかねている間。

 隣を通り過ぎたはずのその人物は、忽然と姿を消していた。

 

「消えた……?」


 周囲を見渡しても、先ほどの人物は見当たらない。

 人混みに紛れたのか、それとも別の道に入っていったのか。

 定かではないが、最後の言葉の意味を問いただすことは出来なかった。


 ◆


 散々市場を走り回った結果、わかったのは1000Gで揃えられる防具など存在しないということだった。

 冷静に考えれば当然の話だが、武器が格安でも3000Gするのだから、複数の部位に別れている防具がそれ以下の値段で売られている訳がない。

 日が暮れる頃には市場で防具を探すのを諦め、あの人物の言う店を探す方針に切り替えていた。

 しかし同時に問題もあった。


「どこだよ、ここ……。」


 路地裏としか聞かされておらず、中々目的地にたどり着けずにいた。

 こんな事ならあの人物の善意を素直に受けておくんだったと後悔し始めた頃。 

 視界の端に、揺れる看板を捉えた。


 まさかと思い足を運ぶと、おそらくその店があの人物の言っていた店であることは間違いなかった。

 間違いはないのだが、ようやく見つけた事を素直に喜ぶことが出来ずにいた。

 

 半ばからへし折れたり、酷い刃こぼれをした剣。

 胴体部分が潰された鎧に、穴の開いた盾。

 店先に並んでいたのは、本当に商品なのか疑問に思うような代物ばかりだったからだ。


 値段はと言えば、もちろん相応に安い。捨て値と言っても差し支えない。

 それであっても、手に取る事を迷う商品ばかりだった。

 だが資金不足の俺にとって、その値段は抗いがたい魅力を放っていた。

 命を預ける武具を、こんな場所で選んでいいのか。

 だが武具が無ければ冒険者としての活動を始められない。

 十二分以上に長考した後、ゆっくりと商品に手を伸ばす。


「四の五の言って居られる状況じゃない。多少問題がある装備だって構うもんか」


 かつての夢を、もう一度追う為。

 この際、ギルドの登録に通ればそれでいい。

 文句や不満は後から好きなだけ言えばいいのだ。


 ガラクタに見える商品の山から、出来るだけ損傷の少ない商品を探していく。

 とは言え破損していても、武具の多くは金属でできている。

 その重量はすさまじく、物色するだけでも一苦労だった。

 

 金属の山をかき分け、そして比較的傷の少ない商品を手元に残す。

 そんな事をしている中で、ふと目に留まる商品があった。

 わずかに柄だけが露出していたそれを精一杯引き抜くと、見た限り破損の無い剣が姿を現した。

 鞘は少しばかり痛んでいるが、見た限り大きな傷や歪みは見て取れない。


「これは……掘り出し物かもしれないな」


 柄を握りしめ、鞘から引き抜く。

 夕暮れの真っ赤な日差しを受け、刀身が鈍く輝く。

 柄に汚れがある以外、刃に曇りも無ければ歪みも欠けもない。


 加えて、その剣の周囲に埋もれていた防具は、殆どが原形を留めていた。

 金属プレートの胸当てに、手と足を守る革製の防具。小型の盾まで。

 それら全てを合わせたとしても、値段は4000Gに納まる。


 少なくとも遺骨を3000Gで買って、残りの1500Gで防具を探すよりよほど現実的で、安上がりだ。

 他に客の姿が無い――と言うより、店の前を通る人影さえ見えなかったが――にも拘わらず、急いでを抱えて店主の元へと向かう。

 店の主人は腰が曲がったご老人で、商品が目の前に置かれても無反応だった

 起きているのか眠っているのか。

 もう一度カウンターを叩いて、ご老人に声をかける。


「この装備を購入したいんだけど、値段はこれで合ってるんだよな?」


「あぁ? あんだって?」


「この装備を購入したいんだけど、値段はこれであってるのか!?」


「あぁ、そうさね。4つで4000Gになるよ」


 どうやら表記はあっていたようで、財布の中から最後の軍資金である4000Gを支払う。

 もうこれで、後戻りはできない。

 残りの500Gでは切り詰めても数日間、生きるのが精一杯だ。 

 期待か不安か、震える手で商品を受け取るとすぐに身に着ける。

 目の前のご老人はなんの反応も示さず、ただ同じ姿勢で椅子に座っているだけだった。


「それじゃあ、ありがとう」


 あの様子だと、商品を盗まれても気付かないんじゃなかろうか。

 そんな事を少しばかり心配していると、背中から声が飛ぶ。

 振り返れば先ほどのご老人が、カウンターに小さいナイフを置くところだった。


「これも持っていきな」


「いいのか? 売り物に見えるけど」


 俺の購入した商品同様、ナイフの状態も新品同然だ。

 少なくとも店先に並んでいる商品より客に売れるはずだ。

 好意を受け取りかねていると、店主は小さく肩を揺らす。


「どうせ全部売れ残りさね。埃を被せておくなら、客のご機嫌取りに使った方がまだましだよ」


「ありがとう、本当に助かる。また機会があれば顔を見せると思う」


 ナイフを仕舞い、店を後にする。

 店先の扉に付けられた古いベルが、けたたましく鳴り響く。

 そんな音に隠れて、不穏なささやきが耳に届く。


「……ひひひ、せめてもの罪滅ぼしさね」


 はっと振り返るも、ご老人は先ほどからの態勢のままだ。

 聞き間違いかと割り切り、再びギルドへと足を向けるのだった。

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