幻視悪

ぶり。てぃっしゅ。

第1話:崩壊する月曜日

「先生はその人間の悪さが目に見えるんだったらどうします?」


真面目くさった顔して有川 廉太郎は言った。先生なんて普段そんな言い方しないくせにと、堂島 楓は可笑しく思った。廉太郎とはもう十年以上の付き合いになる。彼が小学生になる前からだ。普段は姉さん、姉さんと人懐っこい笑顔をする癖に今日は違う。そのギャップが楓の笑いを誘った。


「どうしたの?レンちゃん、真面目な顔してぇ」


茶化すように楓は言ったが、廉太郎はクスリともせず、しっかりと楓を見据えた。その眼差しに少しドキりとする。


「僕は真面目に言ってるんです」


二人の間に真夏だというのに冷たい空気が流れる。晴天咲き誇る外ではセミがけたたましく鳴いている。夏を感じるのと同時に鬱陶しさも感じる。


「私はどうもしないわ」


仕方なく自分の率直な意見を言ってみる。それで廉太郎が納得してくれるかどうかは分からないが、ただあのまま黙っていても時は流れなかっただろう。私には次の患者が待っているし。


その回答に満足しなかったのか、廉太郎は、苦虫を噛み潰したかのような、顔をして診察室を出ていった。楓の隣でやり取りを見ていた看護師が、なんですか、あれと悪態をついたのを聞き逃さなかった。


確かに廉太郎の質問の意味はよく分からない。


廉太郎の言葉が思い出される。


人間の悪さが目に見えるんだったら……。つまり、人間の悪意が見えるということか?どのように見えるのか。


数値化される?それとも人の色が変わる?スピリチュアルな方面でいけばオーラとか……。


いや、ばかばかしい、私は医者だ。そんな非科学的な考えはよそうと楓は頭を振った。


隣に立つ看護師に次の患者を、と一言言って楓は胸騒ぎを、感じながら自身の机に向かった。



                  ♢


待ちゆく人々の頭上にある日数字が見えるようになった。

これが他人の余命かと思っていたらそうではなかった。


廉太郎の近所に保育園の子供がいて、母親からコウちゃん、コウちゃんと呼ばれ、可愛がられていた。まだヨタヨタとしか歩けないところを見ると歩けるようになってからそんなに月日は経っていないのだろう。あっちにフラフラこっちにフラフラと見ていて危なっかしい。


しかし、母親はそれさえも愛おしいとニコニコとしていた。

自分にもあんな時があったのだろうかと物思いに耽った。初夏の彩りもあってか、日は長くなり始めたある日、部活帰りにこの親子を見つけた。7時だというのに外は依然明るく、まだまだ遊べそうな空色だった。


だからだろう、この夕飯時に家の前でコウちゃんがキャッキャキャッキャと楽しそうに遊んでいたのは。


「あれ?」


その時初めて気づいた。人の頭の上に数字があるのを。つい先程まで何も無かったのに。そんなものがあれば部活どころではなかっただろう。目の錯覚かと、目を擦った。


しかし、擦れども擦れども、数字は消えることは無かった。


「ど、どうしたんだろう?」


自身の視覚が急におかしくなったのに恐ろしくなり、慌てて自分の家へと入っていった。玄関に靴を脱ぎ捨て、自分の部屋へと向かう。廉太郎の家は一軒家で、部屋は2階にあった。帰ってきてすぐに学校のバックを自分の部屋へ投げ込むのが癖になっている。


いつも以上のスピードで階段を駆け上り、バックを部屋に投げ入れ、一階の洗面所へと向かった。


洗面台で顔を洗う。部活で疲れているから冷たい水で顔を洗えば気持ちもスッキリし、幻覚なんてもう見なくなるはずだと廉太郎は、安易に考えた。

一度、二度、と顔を洗う。しつこく、しつこく洗う。洗えば洗った分だけ、あの幻覚が取り去られると信じて。


だが、現実は残酷だ。顔を洗い終え鏡で自身を見てみる。


「あ……」


思わず絶句してしまう。自身の頭の上にも数字が出ていたからだ。数は13。多いのか、少ないのか。


コウちゃんは、3だった。

あれが余命であるならばコウちゃんは3日後に死ぬ。命を授かってわずか数年で死ぬことになるのだ。憐憫の情に駆られるがふと思い直した。


他人にかまっている暇があるのか?


自分にだって13という数字が出ているのだ。自分自身はあと2週間足らずで死ぬ事になる。


そう考えると慄然としてしまう。交通事故死?急な病死?誰かに殺される?不吉な予想が頭をぐるぐると巡る。鏡の中の自分は驚愕の顔をして、口があんぐりと開ききっている。10分ほど、不吉な予想をしただろうか、永遠にこんな事を思っていてはここから動けなくなる。


死ぬのであれば死ねばいい。どんな死に方をするかなんてずっと考えていたら、やがて自暴自棄になって、どうでも良くなってきた。


廉太郎が洗面台からなかなか出てこないためか、母親である道子が背後から顔を出した。


「あんた、いつまで顔、洗ってんの?」

「あ、ごめん」


反射的に誤ってしまう。そして、ついつい母の頭上に目を向けてしまう。

母の数字は24。廉太郎よりも長生きできる。子供である自分の方が確実に長生きできる筈なのに、頭上の数字は自分よりも多いのだ。


いったいこれは……?


「ご飯食べるよ。今日は生姜焼きだよ。早くおいで」


一人で脳みそをフル回転させていると、しびれを切らした様に道子はそれだけを告げ引っ込んでいってしまった。埒が明かないと廉太郎も道子の後を追った。

ダイニングテーブルには、白米と味噌汁、生姜焼きに付け合せとしてレタスやミニトマトが乗っている皿が二人分、並べられていた。


テーブルからはテレビがよく見えるように設置されており、そのテレビにはバラエティ番組が映っている。


道子は既に着席し、ご飯に手を付けていた。廉太郎も道子の前に座り、最初に味噌汁から口をつける。


「あんた、どうしたんだい?」

「え?」


廉太郎は、普段通りに夕食を食べていたつもりだったが、母から見るといつもとは違って見えたようである。


「いつも通りだけど……?」


嘘だ。


「そんなことないわよ。お母さんの目を誤魔化せると思ってるの?学校で何かをあるんだったら言っていいのよ」


優しい母の口調。だが、廉太郎には学校での悩みなど無かった。部活は楽しいし、友人も多い。勉強だって分からない所は無いのだ。全ては順風満帆。

ある一点を除いては……。


廉太郎は生姜焼きを食べながら、道子の頭上を盗み見た。やはり、はっきりと白色で24と書いてある。


おそらく自分は13のままなんだろう。この数字はいったい何なのか。ずっと自問しても何も出てこない。


「特に何も無いよ。困ってたら自分から言う」


口の中に生姜焼きが残ったままだったが、相手は母だ。多少汚くても問題ない。


「ふぅ〜ん……」


道子は納得したのか、してないのか分からない声を出し、白米を食べ始めた。

そのうち父が帰ってくる。父の頭の上にも同じ様な数字があるかもしれない……。そして、きっと、明日になれば少しはこの数字の意味が分かるようになるだろう。

そうして、夕食を食べ終わる頃玄関のドアが開く音がした。父だ。


廊下を歩く音が聞こえ、廉太郎の背後から

「ただいま」

と、聞き慣れた声が聞こえた。

「おかえり」

道子と廉太郎は声を揃えて、父を出迎えた。


廉太郎はダイニングの扉を背にしていたので、父を出迎えるには振り向く必要があった。


振り向いたその時、無意識に父の頭上を見る。


父は46だった。

年齢か?

そう頭をよぎった。だが、父やコウちゃんはそのぐらいとしても、廉太郎も道子も若すぎる。


廉太郎はもう高校生だし、母道子も父と変わらない年齢だ。


「おっ。今日は生姜焼きかぁ」


いつの間にか道子が父俊哉の分の夕飯をテーブルに並べており、それを見て嬉しそうに言った。


「うん。美味しかったよ」


廉太郎は率直に述べた。俊哉は、満足そうに大きく頷いてから自室へと消えていった。やがて、スーツからパジャマへと着替えた俊哉が現れ、テーブルについた。

廉太郎は、既に食べ終わっていたものの、バラエティ番組が気になり、そのまま居座ることとした。


バラエティ番組の一コーナーが終わったのを区切りとして、廉太郎は風呂に入ることにした。


着ていたものを洗濯機に全て投げ入れ、風呂に入ろうとしたが、先刻の洗面台の鏡がふと視界に入ったので目を移した。


裸体の自分の頭上、やはり、数字がある。気にするなと頭の中で反芻してもこればかりはどうにもならないのだ。


はあ、とため息を一つついてから、浴室、次いで浴槽へと身体を労った。

部活の疲れが一気に氷解するが如く、湯船に溶け込んでいく。ふぅー、と高校生らしくない一息を入れて目を瞑った。


明日になれば全てが分かるのだろうか?

答えは分からない。


何度も何度も数字の事を振り払っても首をもたげてくる。

いい加減うんざりしてきたので、身体をすぐに洗い、自室でゲームをしようと決心した。


決心すると途端に行動が早くなる。先日買ったばかりのゲームを早くクリアして、友人たちと話をしよう。


身体を洗いながら考える。

泡だらけの身体をシャワーで流す。


シャワーで流し終えたら、そのまま湯船には浸からず出る。タオルで拭き上げ、パジャマに着替える。

そして、リビングを通らずトントンと階段を上り、自室へと来る。ゲーム機の電源を入れ、コントローラーを握る。


そこから3時間ほどプレイし、眠くなってきたので素直に寝ることにした。

布団に入って、明日になれば何かが分かると、自身に言い聞かせながら床に就いたのであった。

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