第四話:黒衣の妖精

 ほのじろい宇宙に無数の黒点が浮かび上がった。

 二隻の軽空母から飛び立った艦載機群だ。

 その総数はざっと百四十機あまり。

 一糸乱れぬ大編隊は、アラドヴァルめがけてまっすぐに飛翔する。


 宇宙空間において、マシンの大きさと生存率サバイバビリティは正比例の関係にある。

 巨大な宇宙船は大出力の主機関エンジンを複数搭載でき、乗員を保護するためのさまざまな装備や生活物資を搭載することも可能だ。

 逆にサイズが小さくなるほど、推進剤プロペラントや酸素の搭載スペースは限られ、ダメージや故障への耐久性も低くなっていく。

 そうした事情もあって、かつて空母に搭載されていた小型の有人戦闘艇――――いわゆる宇宙戦闘機スペース・ファイターは、殺人兵器と揶揄されることもしばしばだった。

 脆弱な機体はデブリと接触しただけでたやすく大破し、搭乗員アビエイターを保護するものといえば、装甲とも呼べない薄っぺらな外装板だけ。運よく戦闘を生き延びたとしても、母艦に戻れなければ生還の望みはないのである。

 搭乗員アビエイターの損耗を重く見た海軍ネイビーは、千年以上まえから空母艦載機の無人化を推し進め、現在ではすべての機種が無人機に置き換えられている。

 いまアラドヴァルに接近しつつある艦載機も、完全コンピュータ制御の無人戦闘機であった。


「敵編隊、十一時方向より接近。系内海軍インナー・ネイビーの主力機“ヴァンダーファルケ“と推測されます」

「クロエ、会敵エンゲージまでの予想時間は?」

「あと十八・三秒です、キャプテン」


 ジュリエッタは無言で首肯すると、砲術長席ガンナー・シートのショウジに水を向ける。


「聞こえていたわね、ショウジ」

「で、でも、キャプテン! あんな数を相手にどう戦えば……?」


 問いかけに答えるかわりに、ジュリエッタは艦長席キャプテン・シートを離れていた。

 灰金色アッシュゴールドの髪をなびかせた女宇宙海賊は、そのまま砲術長席にしなやかな身体をすべり込ませる。

 互いの身体と身体がぴたりと密着した体勢に動揺を隠せないショウジをよそに、ジュリエッタは慣れた手つきでインターフェースを操作し、兵装選択パネルにアクセスする。


「よく聞きなさい、ショウジ。ああいう小型機を破壊するのにガンマ線投射砲バースターを使うのはエネルギーの無駄だし、遷光速ミサイルもほとんど効果がない。まずは艦首ハルの多弾頭ミサイルで数を減らす。それでも撃墜しきれなかった敵は、艦に引きつけてから対空迎撃レーザーで仕留めるの」

「分かっ……―――あ、いえ、了解!」


ショウジが上ずった声で応じたときには、ジュリエッタの身体はふたたび宙を泳ぎ、艦長席に戻っている。


「砲術長、多弾頭ミサイルの発射スタンバイ。誘導方式は動体追尾モードに固定。前部ミサイル発射管、一番から六番、装填はじめ」

「装填よし! いつでも射てます!」

「全門斉射―――放て!」


 ジュリエッタの号令に、ショウジは引き金にかけた人差し指に力を込める。

 艦首の装甲がわずかにスライドし、等間隔に配置されたミサイル発射管があらわになる。

 六基のミサイルが音もなく滑り出たのは次の刹那だった。

 アラドヴァルの前方に音もなく青白い航跡が伸びる。

 はじめは一本の太い幹のようだったそれは、ふいに六つに分かれ、さらに無数の枝葉へと分岐していく。

 どこまでも伸びていくかにおもえた航跡がふっつりと途絶えたのと、まばゆい閃光がほとばしったのは同時だった。


「クロエ、弾着観測を。判る範囲でいい」

「およそ百機の撃墜を確認。撃墜には至らなかったものの戦闘不能が若干。なおも三十機ほどが健在です、キャプテン」

「悪くない戦果ね。こんな状況でなければミサイルだけで片付いたでしょうけれど」


 ジュリエッタはそっけなく言うと、レーダー・ディスプレイに映った不鮮明な機影を指でなぞる。


「対空戦闘用意――――ショウジ、近づいてくる敵機の始末は任せるわ」

「了解!」


 ショウジは弾むような声で応じると、対空レーザーの照準装置サイト・システムを起動させる。

 敵編隊の接近を告げる警報音アラームが鳴りひびくなか、少年の眼は、最初の標的をスコープ越しに捕捉していた。


***


の凄腕だな、キャプテン・ジュリエッタ。もっとも、がお目にかかるのは初めてだが……」


 艦橋ブリッジに重く錆びた声が染みわたった。

 暗く冷たい空気に支配された広壮な空間に人の気配はない。

 艦橋だけではない。巨大な三胴船トリマランの艦内に生あるものはただひとり、艦長席キャプテン・シートに座した男だけだ。


 年齢は五十を超えているかどうか。

 髪はくすんだ銅色あかがねいろ。たっぷりとたくわえた口髭も同色だ。

 浅黒い地肌をまだらに染める白茶けたは、慢性宇宙皮膚炎の瘢痕はんこんだ。宇宙船の外装にはほとんどの宇宙放射線を遮断する保護材が用いられているが、きわめて強力な中性子線の一部は船内に到達し、長い時間をかけて人体にダメージを与えるのである。

 大ぶりなサングラスは、たんなるファッションではなく、やはり放射線の影響によって著しく低下した視力をおぎなうための光学デバイスにほかならない。

 どちらも人生の大半を宇宙ですごしてきた本物の船乗りの証だった。


「フレーシャ、現在の戦況を報告せよ」


 男が言うや、艦長席の傍らに華奢な輪郭シルエットが浮かび上がった。

 紫黒色オブシディアンのゴシック・ドレスをまとった十四、五歳の美しい少女だ。

 かかとまである藍色の長髪と、おなじ色の瞳が白皙の雪膚によく映える。

 ひどく儚げな佇まいからは、どこか妖精めいた風情すら漂っている。


司令官アドミラルに報告します――――駆逐艦スメルキヤ撃沈。軽巡洋艦ドニエプルおよび同カンチェンジュンガ、機関損傷により落伍。別方向に展開した軽空母メスカルと同カラチから発進した攻撃部隊、全機通信途絶しました」


 フレーシャの可憐な唇が紡いだのは、その容貌にたがわぬ澄んだ――――しかし、人間味をまったく欠いた美声であった。

 男は思案するようなそぶりを見せたあと、重々しい声で命じる。


「潮時だな。これ以上追いすがったところで、奴らではアラドヴァルの足には追いつけん。なにより、あまり我々の針路上をうろつかれては

了解しましたヤヴォール司令官ヘル・アドミラル


 抑揚に乏しい声で応じたフレーシャに、男はなおも付け加える。


「フレーシャ、超短距離跳躍スキップスタンバイ」

「目標地点はいかがされますか」

「おまえに任せる。アラドヴァルの鼻先ならどこでもいいさ」

了解ヤー。演算を開始します」


 どこか投げやりな男の指示にも表情ひとつ変えず、フレーシャは白くほそい繊手を高く掲げる。

 紫黒色の双眸に妖しい光が宿った。跳躍のブレーキとなる時空連続体のわずかな凹凸面を探り当てたのだ。


「艦隊に通達――――我、改アラドヴァル級高速戦艦”ヒルディブラント”、これより超短距離跳躍を開始する。全艦、針路上よりすみやかに退避せよ」


***


 艦載機の攻撃をあぶなげなく防ぎきったアラドヴァルは、そのまま中性子星ゲミヌスΣⅢシグマ・ドライに舳先を向けた。

 ジュリエッタは手元のレーダー・ディスプレイに目を走らせると、クロエに問いかける。


「クロエ、敵の動きは?」

「本艦後方に艦影なし。敵主力、急速に後退していきます。別働隊の軽空母二隻も同様です、キャプテン」


 アラドヴァルそのものであるクロエが誤った情報を報告するはずはない。

 それでも、ジュリエッタはどこか釈然としない面持ちでメイン・ディスプレイを見つめている。


「敵の索敵範囲を離脱するまで戦闘態勢を維持。……ショウジ、聞こえて?」


 ジュリエッタの言葉に、ショウジは飛び跳ねるように艦長席を振り返った。

 緊張で張りつめた少年の神経が膨らみきった風船だとすれば、さしずめジュリエッタの言葉はするどい針だ。

 過敏な反応を示したのも無理からぬことだった。


「キャプテン、敵ですか!?」

「落ち着きなさい。念のため、しばらく警戒を怠らないようにと言っただけ」

「りょ、了解――――」


 耳ざわりな警報音アラームが二人の会話をさえぎった。


「キャプテン、本艦前方に異常な重力波を検知しました」

「まだ中性子星クエーサーの引力圏には入っていないはずよ」

「データ照合完了。跳躍スキップをおこなった物体が減速するさいに特有の波形です」


 クロエの声はいつになく張りつめている。

 跳躍スキップ航法の目標地点は、惑星などの大質量天体に設定されるのが常である。

 全長八○○メートル程度、しかも高速で移動しているアラドヴァルを狙って跳躍することなど不可能だ。

 だが、実際に重力異常が観測されている以上、常識で否定したところでどうなるわけでもない。

 いまこの瞬間にキャプテンであるジュリエッタのなすべきことは、目の前の現実にたいして適切な判断を下すことなのだ。


「取り舵七○、俯角九○。陽子縮退砲、ガンマ線投射砲バースター撃ち方用意――――」


 刹那、にぶい衝撃がアラドヴァルを揺さぶった。

 強烈な重力波が見えない波となって押し寄せたのだ。

 ほんの数秒まえまで虚空を映していたメイン・ディスプレイは、巨大な船影に占領されている。


 明灰色ライトグレー赤紫色マルーンのツートンに塗り分けられた異形の三胴艦トリマラン――――改アラドヴァル級”ヒルディブラント”。

 甲板にならんだ砲塔がなめらかに旋回し、黒い砲口がアラドヴァルを睨めつける。


(やられる!!)


 ショウジはほとんど反射的に引き金に指をかける。

 さきに火を噴いたのはどちらの砲だったのか。

 強烈な閃光と衝撃のなかで、少年の意識は彼方へと遠のいていった。

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