ハッピーエンド

江戸川台ルーペ

1 僕と彼女のソネット

 1995年について語らなければならない事がある。その年は巨大な地震が関西を襲い、別の場所で得体の知れない宗教の教祖が地下鉄でろくでもない液状の毒ガスの散布を部下に命じた。どちらも大勢の犠牲者を出した。ヘリコプターからの映像は、巨大地震の後はあちこちから煙をたなびかせる朝焼けに似た街並みを上空から映し、地下鉄事件の際は地下から続く駅の階段周辺に吹き溜まる大勢の人たちを映した。


 明らかに不穏で、不幸で、希望の道筋が見えない世界の前兆のような年だった。僕にはそれがはっきりと分かった。世界はこれから悪化の一方を辿っていくだろう。この先、良い事は何も起こらない。概ね悪いことは際限なく深みを増していくが、良きこと、祝福されるべき知らせは決して訪れることはない。僕はその事を、住んでいる北千住のボロアパートの近くにある普段は決して行かない中華料理屋の小さなブラウン管テレビで知った。僕の世界は僕が知覚しうる現実世界と、ブラウン管を通して否応もなく知らされる世界の二種類に分別されていた。時折その世界が交差する事もあったが ──例えば昼過ぎの新宿アルタ前風景や、最寄駅にあるパン屋が特集された時。そうした一時的に訪れる混乱は、知らない場所で目覚めた東西南北が不確かになる感覚と似ていた。居酒屋の清潔とは言い難いトイレの中、二、三回しか会話をした事がない知り合いの親戚のアパートだ。知らないJ-popがひどい音で小さく流れている。CDラジカセがひどい代物なのだ。低い声で交わされるどうでも良い会話、新しく火を点けた煙草の煙。


 ともかく、僕は初めて行った近所の中華料理屋のテレビによって、これから良くない世界が始まる知らせを聞いた。だからこれは1995年とそれ以降の話という事になる。それ以外に意味を持つことは恐らくない。登場人物は僕と、僕以外の当時生きていたそれ以外の誰かだ。



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