第7話 導く者


「もう世界めちゃくちゃになってるじゃないか! 都市部の治安どうなってるんだ、これ? みんな目が死んでるし!」


 先ほどから頭を押さえていたシアンは、見てられないとばかりに泉から目を逸らす。そしておもむろにソーヤの服に掴みかかった。しかし、彼はまるで意に介さないように笑うだけだ。彼女の力技には慣れていた。


「ははは! お前、相変わらず乱暴だなあ。いや、でも俺が言った通りだったろ? お前が目を覚ましたことで、お前の力が世界に干渉するようになったって。しばらくは、みんな穏やかに過ごせるさ」


 その屈託のない笑顔が、怒りを一層逆撫でする。昔からこういう時、彼はわざとやっている節があった。


「しばらくっていつまでだ? 神々を呼んで貰おうか? なんでこんなになるまで放っておいたのか、聞いてみたい!」


 彼女は凄まじい剣幕だが、ソーヤは全く動じない。このままだと手が出そうだが、またかわされるのが落ちだろう。ますます腹が立ってきた。


 そんなことを考えていると、全く意図しない方向から声を掛けられ、怒っている場合ではなくなってしまった。


「まあまあ、これ以上はこっちも胸が痛いので、ソーヤくんを放してあげてください」


 声は目線より少し上から聞こえた。見上げると、突然ぱっと、空中に小さな少年が現れる。その少年は浮いたままシアンを一瞥すると、ソーヤとの間に割って入った。


「もう驚かないぞ! 今度は誰だ?」


 シアンは目を丸くしながら、臨戦態勢の構えを取る。目を覚ましてから、ろくなことがない。まだ夢なのではないかと少し疑っているが、それにしては、やけに現実じみている。


 薄紫色の髪の不思議な少年は、白装束をまとっていた。神秘的な金の瞳に不敵な笑みを浮かべながら、こうのたまう。


「私は神々からの遣いです。本当は、あなたと神々の間に入るのはソーヤくんの役割なんですが、このままだと話が進まないのと、あなたに信じてもらうのに時間がかかりそうなので、初回だけ特別サービスで出て来てあげたのです」


 なんだそれはとシアンは思った。この見たことのない少年は、神々の遣いを名乗り、自分を信用しろというのだ。幼い頃から護衛をやっているソーヤならいざ知らず、かなり無理のある話である。


 そんなシアンの思惑はよそに、少年は勝手に申し訳なさそうに話し始めた。


「あなたもご存知の通り、我々が世界へ干渉しなくなって久しい。500年ほど前、力を付けた魔王は、あなた方の世界を焼き払い始めました。困ったあなた方は神々の過去の遺物を探し当て、魔王討伐へ赴きました」


 一応、神妙な面持ちで、少年の話に耳を傾ける。修行時代や、魔王討伐の旅に出た頃のこと、仲間の面々を思い出す。暗い旅路にあっても、とても明るかった彼らのことを。


「そして、あなた方は魔王の強大な力を前に破れ去りました」


 また、頭の奥がズキンと痛むのを感じた。


 少年の言っている言葉は何一つ間違っていない。全て自分の知っている話だ。何もおかしくはないが、思い出せないことが気になって仕方がない。


「しかし、あなた方は魔王の勢力を大きく削ぎました」


 少年はシアンのあおい瞳を見つめながら、話を続ける。浮いたまま顔を近づけるのは、やめて欲しい。そう思っていると、ソーヤが少年を抱き上げて引き離した。


 彼は話の腰を折られたのが恥ずかしかったのか、少し顔を赤らめて、頬を膨らませる。その表情は可愛らしい子供そのものだが、その所作は、どこか作り物のように思えてならなかった。


 ソーヤが手を離すと、少年は少し離れた場所で、続きを話し始める。もちろん浮いたままだ。


「……そう。あなた方が倒れた後、焼き払う力を失った魔王は、人心を乱すという姑息な手段に出ました。銀のチャームを身に付けなければ、人々は日常生活を送れなくなり、そのことに気付くのに100年を要しました。魔物だけで無く人々自身の手で、人口は大幅に減少したのです」


 思わず、少年を鋭く睨み付けた。


 彼女の外見からは想像もつかない威圧感だ。何故こうなるまで事態を放置し続けていたのか。先ほどからずっと疑問に思っていたことが、口を突いて出る。


「神々は何をしていたんだ。私たちの裁判など、必要だったのか?」


「神々は、すでに人間界に降臨出来ない存在です。やっとの思いで聖職者数名に啓示を与え、銀のチャームの効果を伝えることに成功しました。あなた方の裁判は形式的なものでしたが、その…」


 シアンはいぶかしげに「その?」と聞き返した。


「神々の時間感覚は人間と異なるので、気が付いたら、あなた方が死んでから500年経ち、事態は悪化してたわけですね〜」


 少年は茶目っけタップリに笑って見せた。


 シアンは信じられない、という風にソーヤに目配せしたが、彼はやれやれとばかりに肩をすくめる。震える彼女の怒りに、少年はまるで興味がないようだ。


「まあそんなこんなで、気が付いたらソーヤくんとシアンさん以外はみんな天国に送っちゃったし、ソーヤくんは裁判中だしで、シアンさんに導き役をお願いしちゃおうというわけです!」


 彼女は驚いたようにもう一度、ソーヤに目配せしたが、やれやれとばかりに、また肩をすくめるだけだ。なんの茶番を見せられているのだろう。


「え? ていうか、ソーヤはまだ裁判中なのか??」


「そうです。でも軽〜い感じです」


 少年はイタズラっぽく笑った。


「そうなんだ。軽〜い感じで、ゆる〜い感じだ」


 ソーヤも笑顔でこちらを見てくる。どうやらこの神々の遣いとやらの肩を持つつもりのようだ。なんだか、またふつふつと怒りが湧いてきたが、少年はソーヤに助けられた、とばかりに話をまとめに入る。


「そんなわけで、ソーヤくんは基本的に天界で裁判受けてます。あなたはまだ完全には死んでませんので、この泉を使って勇者たちを導いて下さい。たまにソーヤくんが様子見に来るんで、ソーヤくんには神通力みたいなのを授けておきます。2人で上手くやってくださいね」


 少年はそれだけ言うと、ソーヤにウインクした。


「じゃ、もう来ないでーす」


 そう言い残し、煙のように消える。先ほどから小刻みに肩を揺らしているシアンを、ソーヤは心配そうに見やった。彼女は身体を震わせながら、この広々とした空へ叫ぶ。


「…聞きたいことが多過ぎるー!!!!」


 その声はだだっ広いこの草原に、大きく響き渡り、側に立っているスッカルの樹を震わせたが、それだけだった。

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